使徒行伝 冒頭 1a 1b 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21a 21b 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40a 40b 40c 41 42 43 44 45 46 47 48 49 50a 51a
ヤコブの手紙 50b 51b 52 53 54 55 56 57a 57b
ペトロの手紙一 冒頭 58a 58b 58c 58d 59 60 61 62 63
ヨハネの第一の手紙 冒頭 68b 69 70 71 72 73a 73b 73c 74 a 74b
ヨハネの第二の手紙 75節
ヨハネの第三の手紙 76節
ローマ人への手紙 冒頭 79a 79b 80 81a 81b 82 83 84 85 86 87 88a 88b 89 90 91 92 93 94 95 96a 96b 96c 97 98 99 100 101 102 103 104 105 106 107 108 109 110 111 112 113 114 115 116 117 118 119 120 121а 121б
コリントの信徒への第一の手紙 冒頭 122 123 124 125a 125b 125c 126 127 128 129 130a 130b 131 132 133 134 135 136 137 138 139 140 141 142 143а 143б 143в 144 145 146 147 148 149 150 151 152 153 154а 154б 155 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166
コリントの信徒への第二の手紙 冒頭 167a 167b 168 169 170 171 172 173 174 175 176 177 178 179 180 181 182a 182b 183 184 185 186 187 188 189 190 191 192 193 194 195 196 197
ガラテヤ人への手紙 冒頭 198 199 200 201 202 203 204 205 206 207 208a 208b 209 210a 210b 210c 211 212 213 214 215a 215b
エフェソの信徒への手紙 冒頭 216 217 218 219 220a 220b 221 222 223 224a 224b 225 226 227 228 229 230a 230b 231 232 233 234
フィリピの信徒への手紙 冒頭 235 236 237 238 239 240 241 242 243 244 245 246 247 248
コロサイ人への手紙 249a 249b 250 251 252 253 254 255 256 257 258 259 260a 260b 261
テサロニケの信徒への第一の手紙 262 263 264 265 266 267 268 269 270 271 272 273
テサロニケの信徒への第二の手紙 冒頭 274a 274b 275 276 277
テモテへの第一の手紙 278 279 280a 280b 281 282 283 284 285a 285b 285c 286 287 288 289
テモテへの第二の手紙 冒頭 290a 290b 291 292 293 294 295 296 297 298 299
テトスへの手紙 冒頭 300a 300b 301 302a 302b
フィリモンへの手紙 302b
ヘブライ人への手紙 冒頭 303 304 305 306 307 308 309 310 311a 311b 312 313 314 315 316 317 318a 318b 319 320 321a 321b 322 323 324 325 326 327 328 329а 329б 330 331а 331б 332 333а 333б 334 335
使徒書の朗読順序:
すべての週において............................................148
大斎期間中..................................................164
プロキムンとアリルヤ:
主日用.....................................................170
週の日.....................................................173
12ヶ月の集大成:
プロキムノス、アリルヤ、使徒行伝:
聖人共通....................................................210
様々な場面に.................................................216
私は、テオフィロスよ、あなたに宛てて第一の手紙を書き、 テオフィロよ、イエスが初めから昇天されたその日までに行われたこと、また教えられたことすべてについて記した。イエスは、御自身が選ばれた使徒たちに聖霊による命令を与え、御自身の受難の後、多くの確かな証拠をもって、四十日間にわたり彼らに現れ、神の御国について語られたのである。 そして、彼らを集めて、こう命じられた。「エルサレムを離れてはならない。父から約束されたもの、すなわち、あなたがたがわたしから聞いたことを待ち望みなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、この後数日のうちに、聖霊によってバプテスマを受けることになるからだ。」 そこで、弟子たちは集まってイエスに尋ねた。「主よ、今こそ、イスラエルの王国を再建なさるのですか。」 すると、イエスは彼らに言われた。「父がご自身の権威をもって定められた時や時期を知ることは、あなたがたには関わりがない。しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレム、ユダヤ全土、サマリア、さらには地の果てに至るまで、わたしの証人となるのである。」
使徒行伝 1:1–8
キリストの輝かしい復活
最初の書、 テオフィロスよ、私は、イエスが初めから行い、教えられたすべての事柄について、御自身が昇天されるその日までを記した。その日、イエスは聖霊によって、ご自身が選ばれた使徒たちに命じ、また、ご自身の受難の後、多くの証拠をもって、四十日間彼らに現れ、神の御国について語ることで、ご自身が生きていることを示されたのである。 また、食事の席で、主は彼らに、エルサレムを離れることなく、父が約束されたもの、すなわち「あなたがたがわたしから聞いたこと」を待つようにと命じられた。「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは、この数日後に、聖霊によってバプテスマを受けることになるからだ」。 そこで、弟子たちは集まってイエスに尋ねた。「主よ、今こそ、イスラエルに御国を再建してくださるのですか」。すると、イエスは彼らに言われた。「父がご自身の権威をもって定められた時と時期を知ることは、あなたがたにはできない。 しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受け、エルサレム、ユダヤ全土、サマリア、そして地の果てに至るまで、わたしの証人となるのです」。こう言われたとき、彼らが目を凝らしていると、イエスは天に上げられ、雲がイエスを彼らの目から隠した。 彼らがイエスの昇天を見上げていると、白い衣をまとった二人の男が現れ、こう言った。「ガリラヤの人たちよ、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから天に上げられたこのイエスは、あなたがたが天に昇って行くのを見たのと同じ姿で、再び来られる。」 そこで、彼らはエルサレム近郊、安息日の道のりほどの距離にある「オリーブ山」と呼ばれる山から、エルサレムに戻った。
使徒行伝 1:1–12
主の昇天
そのころ、使徒たちは、エルサレムの近く、安息日の道のりほどの距離にある「オリーブ山」と呼ばれる山から、エルサレムに戻った。そして、到着すると、上階の部屋に上り、そこでペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレ、 フィリポとトマス、バルトロマイとマタイ、ヤコブ・アルフェオの子とシモン・ゼロテ、そしてヤコブの兄弟ユダがいた。彼らは皆、心を一つにして祈りと懇願に専念していた。そこには、数人の女性たちや、イエスの母マリア、そしてイエスの兄弟たちもいた。 そのころ、ペトロは弟子たちの真ん中に立ち、こう言った(集まっていたのは約百二十人であった)。「兄弟たちよ。聖書において、聖霊がダビデの口を通して、イエスを捕らえた者たちの首領であったユダについて予告されたことが、成就しなければならなかった。彼は私たちの一員と数えられ、この奉仕の務めを 引き受けたのである。 それゆえ、主イエスが、ヨハネの洗礼を受けてから、私たちから昇天されたその日まで、私たちと共にいて、私たちに語りかけておられた全期間を通じて、常に私たちと共にいた者たちのうちの一人が、私たちと共に、主の復活の証人となる必要があります。 そこで、二人を指名した。すなわち、バルサバと呼ばれ、ユストとも呼ばれるヨセフと、マティアである。そして、祈りをささげて言った。「主よ、すべての人の心を知っておられる方よ。この二人の中から、あなたがこの奉仕と使徒職の務めを引き受ける者として選ばれた一人を示してください。ユダはその務めから離れ、自分の場所へ行ってしまったのです。」 そこで、二人をくじにかけたところ、マティアに当たり、彼は十一人の使徒に加えられた。
使徒行伝 1:12–17; 21–26
復活節の月曜日
その頃、五旬節の日が近づくと、使徒たちは皆、心を一つにして共に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹き荒れるような音がして、彼らがいた家全体を満たした。そして、炎のような舌が分かれて現れ、一人一人の上に止まった。 そして、彼らはみな聖霊に満たされ、聖霊が語らせるままに、他の言語で話し始めた。さて、エルサレムには、天の下のあらゆる国々から来た敬虔なユダヤ人たちがいた。その音が聞こえると、人々は集まり、驚き戸惑った。なぜなら、一人ひとりが、自分たちの母国語で彼らが話しているのを聞いたからである。 人々は皆、驚き、不思議に思い、互いにこう言い合った。「この人たちは皆、ガリラヤ人ではないか。それなのに、どうして私たちは、それぞれ生まれ育った自分の母国語を聞いているのだろうか。」パルティア人、メディア人、エラム人、メソポタミアの住民、 ユダヤ人やカッパドキア人、ポンテスやアジア、フリギアやパンフィリア、エジプトやキリネに隣接するリビアの地方、そしてローマから来た人々、ユダヤ人や改宗者、クレタ人やアラビア人までもが、彼らが神の偉大な御業について、私たちの言語で語っているのを聞いているのです。
使徒行伝 2:1–11
ペンテコステの週
そのころ、ペトロは十一人の使徒たちと共に立ち上がり、声を高めて彼らにこう宣言した。「ユダヤ人の皆さん、そしてエルサレムに住むすべての人々よ。このことを知っておいてください。そして、私の言葉に耳を傾けてください。彼らは、あなたがたが思っているように酔っているわけではありません。今はまだ昼の第三時だからです。これは、預言者ヨエルの預言したことです。 『神はこう言われる。「終わりの日に、わたしはわたしの霊をすべての肉なる者に注ぐ。そうすれば、あなたがたの息子や娘たちは預言し、若者たちは幻を見、年老いた者たちは夢によって啓示を受ける。また、その日には、わたしのしもべたちや女しもべたちにも、わたしの霊を注ぐ。そうすれば、彼らも預言するようになる。 また、天の上には不思議を、地の下にはしるしを現し、血と火と煙の雲を現す。主の大いなる、栄光に満ちた日が来る前に、太陽は暗闇に変わり、月は血のようになる。そして、主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。
使徒行伝 2:14–21
復活節の火曜日
そのころ、ペトロは民衆に向かってこう言った。「イスラエルの人々よ、この言葉を聞きなさい。ナザレのイエス、すなわち、神が力と奇跡としるしによって、あなたがたの目の前で、あなたがたご自身も知っているとおり、あなたがたに証しされた方、 この方は、神の定められた計画と予知に従って引き渡されたのですが、あなたがたは、不法な者たちの手によって十字架につけ、殺しました。しかし、神は死の鎖を解き放ち、彼を復活させられました。なぜなら、死が彼を留めておくことはできなかったからです。ダビデも彼についてこう言っています。『私は常に主を目の前に見ていました。主は私の右におられ、私が揺らぐことのないようにしてくださるからです。』 それゆえ、わが心は喜び、わが舌は歓喜した。わが肉さえも、希望のうちに安らぐ。あなたはわが魂を陰府に留め置かず、あなたの聖なる者に朽ち果てるのを見させないからである。あなたはわたしにいのちの道を知らせてくださった。あなたは、あなたの御前にあって、 喜びでわたしを満たしてくださる。 兄弟たちよ! 先祖ダビデについて、大胆に語らせていただきたい。彼は死に、葬られ、その墓は今日に至るまで私たちのところにある。 彼は預言者であり、神が誓いをもって、彼の子孫の中からキリストを肉において立て、その王座に着かせると約束されたことを知っていたため、あらかじめキリストの復活について、「その御霊は陰府に捨て置かれず、その肉体は朽ちることを見なかった」と語ったのです。このイエスを、神は復活させられました。私たち皆がその証人です。 こうして、主は神の右の座に上げられ、父から聖霊の約束を受け、今あなたがたが見、聞いていることを注ぎ出されたのです。ダビデは天に昇ったわけではありません。しかし、彼自身がこう言っています。「主は私の主に言われた。『私の右の座に着きなさい。私があなたの敵をあなたの足の下に置くまで。』」 それゆえ、イスラエルの全家よ、しっかりと知ってください。あなたがたが十字架につけたこのイエスを、神は主でありキリストであると定められたのです。
使徒行伝 2:22–36
復活節の水曜日
そのころ、ペトロは民衆にこう言った。「悔い改めなさい。そして、あなたがた一人ひとりが、罪の赦しのために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、聖霊の賜物を受けます。この約束は、あなたがただけでなく、あなたがたの子供たち、また、私たちの主なる神が招かれるすべての遠い人々にも与えられているからです。 そして、ペトロは他にも多くの言葉で証しし、こう説き続けた。「この堕落した世代から救われなさい。」 そこで、その言葉を喜んで受け入れた人々はバプテスマを受け、その日、約三千人の魂が加わった。そして、彼らは使徒たちの教えに堅く立ち、交わりとパンを裂くことと祈りに専念していた。すべての人の心に畏れが満ち、エルサレムでは使徒たちを通して多くの奇跡としるしがなされた。
使徒行伝 2:38–43
復活節の週の木曜日
その頃、ペトロとヨハネは、第九時の祈りの時間に、共に神殿へ向かっていた。そこには、生まれつき足の不自由な男がいて、毎日、神殿の「赤い門」と呼ばれる入り口に運ばれて座らされ、神殿に入る人々に施しを乞うていた。 その男は、神殿の入り口の前にいるペトロとヨハネを見て、彼らに施しを請うた。ペトロとヨハネは彼をじっと見つめて、「こちらを見てください」と言った。すると、彼は何かをもらえることを期待して、二人をじっと見つめた。しかし、ペトロは言った。「私には銀も金もない。 しかし、私にあるものをあなたに与えよう。ナザレのイエス・キリストの名によって、立ち上がって歩きなさい。」そして、彼の右手を握って引き起こすと、たちまち彼の足と膝が強くなり、彼は跳び上がって立ち上がり、歩き始めた。そして、歩き、跳ね回り、神を賛美しながら、彼らと共に神殿に入った。
使徒行伝 3:1–8
復活節の金曜日
そのとき、癒やされた足の不自由な人は、ペトロとヨハネのそばを離れようとしなかった。すると、民衆は皆、驚きながら、ソロモンの回廊と呼ばれる場所に彼らのもとに駆け寄ってきた。 これを見て、ペトロは民に言った。「イスラエルの人々よ。なぜこれを不思議に思うのか。あるいは、あたかも私たちが自分の力や敬虔さによって、この人が歩けるようにしたかのように、私たちを見つめているのか。 アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち私たちの先祖の神は、御子イエスを栄光に輝かせられました。あなたがたは、ピラトがイエスを釈放しようとしたとき、その御子を裏切り、ピラトの面前で否定したのです。 しかし、あなたがたは、聖なる義なる方を捨て、殺人者である人間を釈放するよう求め、いのちの主を殺しました。神はこの方を死者の中からよみがえらせられました。私たちはその証人です。そして、御名への信仰によって、あなたがたが見て知っているこの人は、御名によって強められ、また、御名から来る信仰によって、あなたがた全員の目の前で、この癒やしを授けられたのです。
使徒行伝 3:11–16
復活節の土曜日
そのとき、ペトロは民衆にこう言った。「悔い改め、立ち返りなさい。そうすれば、あなたがたの罪が赦され、主の御顔から慰めの時が訪れ、主があなたがたのために定められたイエス・キリストを遣わしてくださるでしょう。この方は、神が古くから御自身の聖なる預言者たちの口を通して語られたすべてのことが成就するまで、天に迎え入れられることになっていたのです。 モーセは先祖たちにこう言った。「あなたがたの神、主は、あなたがたの兄弟の中から、わたしのような預言者をあなたがたのために立てられる。主があなたがたに語られることすべてに、従いなさい。もしその預言者の言葉に従わない者があれば、その者は民の中から断ち切られるであろう。」また、サムエル以降、すべての預言者たちも、それぞれが語ったことすべてにおいて、これらの日を予告していたのである。 あなたがたは預言者たちの子孫であり、神があなたがたの先祖に約束された契約の子孫である。神はアブラハムにこう言われた。「あなたの子孫によって、地上のすべての民族は祝福を受ける。」神は御子イエスをよみがえらせ、まずあなたがたのもとに遣わして、あなたがたを祝福し、一人ひとりをあなたがたの悪行から立ち返らせたのである。
使徒行伝 3:19–26
復活祭後第2週の月曜日
使徒たちが民に語っているとき、祭司たちや神殿の警備隊長たち、サドカイ派の人々が、彼らが民を教え、イエスによる死からの復活を宣べ伝えていることに腹を立て、彼らに手をかけ、朝まで拘留した。すでに夕方になっていたからである。 しかし、御言葉を聞いた人々のうち、多くの者が信者となり、その数は約五千人にのぼった。 翌日、エルサレムに彼らの指導者たち、長老たち、律法学者たち、そして大祭司アンナ、カイアファ、ヨハネ、アレクサンドロス、その他大祭司一族の者たちが集まった。そして、彼らを真ん中に立たせ、「どのような力によって、あるいはどのような名によって、あなたがたはこのようなことをしたのか」と尋ねた。 そこで、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、イスラエルの長老たちよ。 もし今日、私たちに、この病める人がどのようにして癒やされたのかという問いが、ある人への善行についてなされているのなら、あなたがたすべてとイスラエルの民すべてに知ってもらいたい。あなたがたが十字架につけたが、神が死者の中からよみがえらせたナザレのイエス・キリストの名によって、この人はあなたがたの前に健やかに立っているのです。
使徒行伝 4:1–10
復活祭後第2週の火曜日
そのとき、ユダヤ人たちは、ペトロとヨハネの大胆さを見て、彼らが学のない素朴な人々であることに気づき、驚いた。しかし、彼らがイエスと共にいた者たちであることを知り、また、癒やされた人が彼らと一緒に立っているのを見て、反論する言葉が見つからなかった。 そこで、彼らをサンヘドリンから追い出すよう命じ、互いに相談して言った。「この人たちにどう対処すべきか。エルサレムに住む者なら誰でも、彼らによって明らかな奇跡が行われたことを知っている。我々はこれを否定することはできない。 しかし、このことが民衆の間でこれ以上広まらないように、彼らを脅して、この御名について誰にも話さないよう禁じよう。」そして、彼らを呼び寄せ、イエスの御名について決して語ったり教えたりしてはならないと命じた。しかし、ペテロとヨハネは彼らに答えて言った。「神よりもあなたがたに従うことが、神の前で正しいことかどうか、ご判断ください。 私たちが見て聞いたことを語らないわけにはいきません。」彼らは脅しをかけて二人を解放したが、民衆の目を気にして、彼らを罰する手立てが見つからなかった。というのも、この出来事について、皆が神を賛美していたからである。というのも、この奇跡的な癒やしを受けたその人は、四十歳を過ぎていたからである。
使徒行伝 4:13–22
復活祭後の第2週の水曜日
その頃、使徒たちは釈放されると、仲間のところへ戻り、大祭司や長老たちが自分たちに言ったことを報告した。彼らはそれを聞くと、心を一つにして神に向かって声を上げ、こう言った。「天と地と海、そしてそれらの中に存在するすべてのものを造られた主なる神よ! あなたは、御自分のしもべである私たちの父ダビデの口を通して、聖霊によってこう言われました。『異邦人は騒ぎ立ち、諸国民はむなしいことを企んでいる』と。 地の王たちは立ち上がり、君主たちは主とそのキリストに対して共に集まった。まことに、この都において、あなたの聖なる御子イエス、すなわちあなたが油を注がれた方に対して、ヘロデとポンティオ・ピラトが異邦人とイスラエルの民と共に集まり、あなたの御手と御計画によってあらかじめ定められていたことを成し遂げようとしたのである。 主よ、今、彼らの脅しをご覧になり、あなたが御手を伸ばして、御子イエスの御名によって癒やしを行い、しるしと奇跡を行われるこの時、あなたのしもべたちが大胆にあなたの御言葉を語ることができますように。 そして、彼らの祈りに応じて、彼らが集まっていた場所が揺れ動き、皆が聖霊に満たされ、大胆に神の御言葉を語った。
使徒行伝 4:23–31
復活祭後第2週の木曜日
その頃、アナニアという名の男が、妻のサフィラと共に、所有地を売り、その代金の一部を、妻の承知の上で隠し、残りの一部を携えて使徒たちの足元に置いた。しかし、ペトロは言った。「アナニアよ! なぜ、サタンに心を操られ、聖霊に嘘をつき、土地の代金の一部を隠そうとしたのか。あなたが所有していたものは、もともとあなたのものであり、売却によって得た代金も、あなたの裁量に委ねられていたではないか。なぜ、そのようなことを心に抱いたのか。 あなたは人々に嘘をついたのではなく、神に嘘をついたのだ。」この言葉を聞いて、アナニアは息絶えて倒れた。そして、これを聞いた者たちは皆、大きな恐怖に襲われた。若者たちは立ち上がって、彼を葬る準備をし、運び出して葬った。それから三時間ほど経って、何が起きたのか知らずに、彼の妻もやって来た。 そこでペトロは彼女に尋ねた。「教えてくれ。その土地は、その金額で売ったのか。」彼女は「はい、その金額です」と答えた。しかしペトロは彼女に言った。「なぜ、主の御霊を試みようと決めたのか。見よ、あなたの夫を葬りに行った者たちが門をくぐって入ってくる。そして、あなたも連れ出されるだろう。」すると、彼女は突然、ペトロの足元に倒れ込み、息を引き取った。 若者たちが中に入ると、彼女が死んでいるのを見つけ、運び出して、夫のそばに葬った。そして、教会全体と、このことを聞いたすべての人々に、大きな恐れが襲った。
使徒行伝 5:1–11
復活祭後第2週の金曜日
そのころ、使徒たちの手によって、民の間で多くのしるしと奇跡が行われていた。そして、皆が心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていた。 外部の人々のうち、彼らに近づくことを敢えてする者は一人もいなかったが、民衆は彼らを称賛していた。また、主を信じる者たちはますます増え続け、多くの男女が加わったため、病人を通りに運び出し、寝台やベッドの上に寝かせ、通り過ぎるペトロの影が彼らの誰か一人にでもかかるようにした。 また、周辺の町々からも多くの人がエルサレムに集まり、病人や悪霊に取りつかれた人々を連れてきたが、彼らは皆、癒やされた。 しかし、大祭司と、彼と共にサドカイ派に属する者たちは皆、嫉妬に駆られ、使徒たちに手をかけ、民の牢に閉じ込めた。しかし、夜になって主の御使いが牢の扉を開き、彼らを連れ出して言った。「行って、神殿に立ち、この命の言葉のすべてを民に語りなさい。」
使徒行伝 5:12–20
復活祭後第2週、聖使徒トマス
その頃、使徒たちは朝、神殿に入って教えていた。一方、大祭司とその仲間たちはやって来て、サンヘドリンとイスラエルの子らの長老たち全員を召集し、使徒たちを牢から連れ出すよう命じた。 しかし、役人たちがやって来て、牢屋の中に彼らが見当たらないのを見つけ、戻って報告し、こう言った。「牢屋は厳重に施錠されており、門の前には番人が立っていたのですが、開けてみると、中には誰もいませんでした。」 この言葉を聞いた大祭司、警備隊長、および他の大祭司たちは、これがどういうことなのかと首をかしげた。すると、ある人がやって来て、彼らにこう告げた。「ほら、あなたがたが牢に閉じ込めた男たちが、神殿に立って民を教えている。」 そこで、警備隊長は役人たちを連れて行き、民衆に石を投げられて殺されるのを恐れたため、強制することなく彼らを連れてきた。そして、彼らを連れてきて、サンヘドリンの前に立たせた。大祭司は彼らに尋ねて言った。「我々は、あなたがたに、この御名について教えることを厳しく禁じたではないか。 それなのに、あなたがたはエルサレムをその教えで満たし、その人の血の責任を私たちに負わせようとしている。」すると、ペテロと使徒たちは答えて言った。「人よりも神に従うべきです。私たちの先祖の神は、あなたがたが木に架けて殺したイエスを復活させられました。 神は御右の手をもって、その方を指導者であり救い主として高め、イスラエルに悔い改めと罪の赦しを与えられた。このことの証人は、私たちと、神が御自分に従う者たちに与えてくださった聖霊である。これを聞いて、彼らは怒りに燃え上がり、彼らを殺そうと企んだ。
使徒行伝 5:21–33
復活祭後の第2週の土曜日
弟子たちの数が増えた頃、ギリシャ系ユダヤ人たちの間で、日々の配給において未亡人たちが軽んじられているとして、ユダヤ人に対する不満の声が上がった。そこで十二使徒は、多くの弟子たちを呼び集めて言った。「私たちが神の御言葉をほったらかしにして、食事の配給に専念するのはよくない。」 ですから、兄弟たちよ、あなたがたの中から、信頼でき、聖霊と知恵に満ちた七人を選び出してください。彼らをこの務めに任命し、私たちは祈りと御言葉の奉仕に専念しましょう。」 この提案は全会衆の賛同を得た。そこで、信仰と聖霊に満ちたステパノ、フィリポ、プロホロス、ニカノール、ティモン、パルメノス、そして異邦人から改宗したアンティオキアのニコラスが選ばれた。 彼らを使徒たちの前に連れて行くと、使徒たちは祈りをささげて、彼らに手を置いた。こうして、神の言葉は広がり、エルサレムでは弟子たちの数が大いに増え、祭司たちのうちにも、信仰に帰依する者が非常に多く現れた。
使徒言行録 6:1–7
復活祭後第3週、聖香油の女性たち
そのころ、信仰と力に満ちたステパノは、民の間で大きな奇跡としるしを行っていた。いわゆる「リベルティン人、キリネ人、アレクサンドリア人の会堂」に属する者たちや、キリキアやアジアからの者たちのうち、何人かがステパノと論争を繰り広げたが、彼が語っていた知恵と御霊に抗うことはできなかった。 そこで彼らは、ある者たちに「あの男がモーセと神を冒涜する言葉を語っているのを聞いた」と言わせた。そして、民や長老たち、律法学者たちを扇動し、襲いかかってステパノを捕らえ、サンヘドリンへ引き立てた。そして、偽りの証人を立て、「この男は、この聖なる場所と律法に対して、絶えず冒涜的な言葉を語っている」と証言させた。 『私たちは、彼が「ナザレのイエスがこの場所を破壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変えようとしている」と語っているのを聞いたからです。』すると、サンヘドリンに座っていた者たちは皆、彼を見つめ、その顔が天使の顔のように見えるのを見た。そこで大祭司が言った。「それは本当か。」しかし、彼は言った。「兄弟たち、父たちよ、聞いてください。 栄光の神は、私たちの父アブラハムがハランへ移住する以前、メソポタミアで彼に現れ、こう言われた。『あなたの地、あなたの親族、あなたの父の家を離れ、私が示す地へ行きなさい。』 そこで彼はカルデアの地を出て、ハランに住み着いた。そしてそこから、父の死後、神は彼を、あなたがたが今住んでいるこの地へと移された。しかし、神は彼に、この地で足の一歩分たりとも嗣業を与えられなかった。それなのに、ソロモンは神のために宮を建てた。 しかし、至高者は人の手によって造られた神殿には住まれません。預言者が言うように、「天はわたしの御座であり、地はわたしの足台である」。主は言われます。「あなたがたは、わたしのためにどのような家を建て、どのような場所をわたしの安息の場とするというのか。これらすべてを造ったのは、わたしの手ではないか」。不義な者たちよ! 心も耳も割礼を受けていない者たちよ!あなたがたは、先祖たちと同様に、常に聖霊に逆らっている。先祖たちは、どの預言者を迫害しなかったというのか。彼らは、義人の到来を予告した者たちを殺した。今や、あなたがたは、その義人を裏切り、殺した者たちとなっている。あなたがたは、天使たちの奉仕のもとで律法を受けながら、それを守らなかったのだ。 これを聞いて、彼らは心を裂かれ、彼に向かって歯ぎしりした。ステパノは聖霊に満たされ、天を見上げると、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスを見、こう言った。「見よ、天が開き、神の右に立っておられる人の子が見える。」 しかし、彼らは大声で叫び、耳をふさぎ、一斉に彼に襲いかかり、町の外へ引きずり出して、石で打ち殺し始めた。 証人たちは、サウロという名の若者の足元に自分の衣を置き、ステパノを石打ちにした。ステパノは祈りながら、「主イエスよ、私の霊をお受けください」と言った。そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください」。そう言って、息を引き取った。
使徒言行録 6:8–7:5a, 47–60
復活祭後第3週の月曜日。
12月27日、第一殉教者にして大執事ステファノ
その頃、フィリポはサマリアの町を訪れ、人々にキリストを宣べ伝えた。人々は、フィリポの語る言葉に心を一つにして耳を傾け、彼がなす奇跡を耳で聞き、目で見ていた。というのも、悪霊に取りつかれていた多くの人々から、悪霊が大きな叫び声を上げて出て行き、また多くの麻痺者や足の不自由な人々が癒やされたからである。 その町には大きな喜びが満ちていた。その町にはシモンという名の男がいた。彼は以前、魔術を行ってサマリアの人々を驚かせ、自分を偉大な人物であるかのように装っていた。老若男女を問わず、誰もが彼に耳を傾け、「これは神の偉大な力だ」と言っていた。 彼に耳を傾けたのは、彼が長い間、魔術で人々を驚かせてきたからであった。しかし、神の御国とイエス・キリストの御名について宣教するフィリポを信じたとき、男女を問わず、皆バプテスマを受けた。シモン自身も信仰を持ち、バプテスマを受けた後、フィリポから離れようとはしなかった。 また、行われる大いなる力としるしを見て、驚嘆した。エルサレムにいた使徒たちは、サマリアの人々が神の御言葉を受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのもとへ遣わした。二人は到着すると、彼らが聖霊を受けられるよう、彼らのために祈った。 というのも、聖霊はまだ彼らの誰にも降っておらず、ただ主イエスの御名によってバプテスマを受けただけだったからである。そこで、彼らに手を置くと、彼らは聖霊を受けた。
使徒行伝 8:5–17
復活祭後第3週の火曜日
その頃、シモンは、使徒たちが手を置くことによって聖霊が与えられているのを見て、彼らに金を持って来て言った。「私にもこの力を与えてください。そうすれば、私が手を置く者は誰でも聖霊を受けられるようになります。」しかし、ペトロは彼に言った。「あなたの銀は、あなたと共に滅びてしまえ。あなたは、神の賜物を金で買えるものだと考えたからだ。 『このことにおいて、あなたには分け前も分け前も与えられない。あなたの心は神の御前で不正だからだ。だから、この罪を悔い改め、神に祈りなさい。そうすれば、あなたの心の思いが赦されるかもしれない。私は、あなたが苦い胆汁に満ち、不義の束縛に縛られているのを見ているからだ。』 シモンは答えて言った。「あなたがたは、私のために主に祈ってください。あなたがたが言ったようなことが、私に降りかからないように。」彼らは、主の御言葉を証しし、宣べ伝えた後、エルサレムへ戻り、サマリアの多くの村々で福音を宣べ伝えた。
使徒行伝 8:18–25
復活祭後の第3週の水曜日
そのころ、主の御使いがフィリポに言った。「立ち上がって、南の方へ、エルサレムからガザへ通じる、人通りのない道へ行きなさい。」そこで彼は立ち上がって、その道へ向かった。 すると、エチオピア人の男、すなわち、エチオピアの女王カンダキアの宦官であり、彼女のすべての財宝を管理する高官で、礼拝のためにエルサレムを訪れていた者が、帰路につき、自分の戦車に乗ったまま、預言者イザヤの書を読んでいた。 聖霊がフィリポに言われた。「行って、その戦車のそばに近づきなさい。」フィリポは近づき、彼が預言者イザヤの書を読んでいるのを聞いて、「あなたが読んでいることを理解していますか」と尋ねた。彼は、「誰かが教えてくれなければ、どうして理解できましょうか」と言い、フィリポに戦車に乗り込んで、自分と一緒に座るよう頼んだ。 彼が読んでいた聖書の箇所は、次のとおりであった。「彼は、屠られる羊のように導かれ、毛を刈る者の前にある小羊のように、声を上げず、口を開くこともなかった。 彼はへりくだって、その裁きを受け入れた。しかし、誰が彼の系図を明らかにできるだろうか。彼の命は地から断たれるからだ。」すると、宦官はフィリポに言った。「お願いです、教えてください。預言者はこれについて、誰のことを言っているのですか。自分自身のことでしょうか、それとも他の誰かのことでしょうか。」フィリポは口を開き、この聖書の箇所から始めて、イエスについて彼に福音を宣べ伝えた。 その間、旅を続け、彼らは水辺にたどり着いた。すると、宦官は言った。「ほら、水がある。私がバプテスマを受けるのに、何が妨げになるだろうか。」フィリポは彼に言った。「もし心から信じるなら、受けられる。」彼は答えて言った。「私は、イエス・キリストが神の子であることを信じます。」 そこで、彼は戦車を止めるよう命じ、フィリポと宦官の二人は共に水の中へ下り、フィリポは彼に洗礼を授けた。二人が水から上がると、聖霊が宦官の上に降り、フィリポは主の御使いに連れ去られ、宦官はもはや彼を見ることができなかった。宦官は喜びながら旅を続けた。
使徒行伝 8:26–39
復活祭後第3週の木曜日
そのころ、フィリポはアゾトにいて、通り過ぎながらすべての町で福音を宣べ伝え、ついにケサリアにたどり着いた。 一方、サウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫と殺意に満ちて、大祭司のもとへ行き、ダマスカスの会堂宛ての手紙を彼に求めた。それは、この教えに従う者、男女を問わず、見つけた者を縛ってエルサレムへ連行するためであった。 ところが、彼が旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天から光が彼を照らした。彼は地に倒れ、ある声がこう言うのを聞いた。「サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。」彼は言った。「主よ、あなたはどなたですか。」すると主は言われた。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。」 「あなたにとって、この道に逆らうのは難しい。」彼は恐れおののき、戦慄しながら言った。「主よ、私に何をなさるようお命じになりますか。」すると主は彼に言われた。「立ち上がって、町へ行きなさい。そこで、あなたがすべきことが告げられる。」一方、彼と一緒に歩いていた人々は、声を聞いたが、誰も見えず、呆然として立っていた。 サウロは地面から立ち上がったが、目を開いても誰も見えなかった。そこで、人々は彼の手を引いて、ダマスカスへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、何も食べず、何も飲まなかった。ダマスカスにはアナニアという名の弟子が一人いた。主は幻の中で彼に言われた。「アナニアよ。」彼は答えた。「はい、主よ。」 主は彼に言われた。「立ち上がって、いわゆる『まっすぐな通り』へ行き、ユダの家にあるタルソス出身のサウロという人を尋ねなさい。彼は今、祈っており、幻の中で、アナニアという名の男が自分のところに来て、目が見えるようになるようにと彼に手を置いているのを見たのだ。」 アナニアは答えた。「主よ。私は多くの人から、この人がエルサレムであなたの聖徒たちにどれほど多くの悪事を働いたかを聞いています。また、ここでも、大祭司たちから、あなたの御名を呼ぶ者たちをすべて捕らえる権限を与えられています。」 しかし、主は彼に言われた。「行きなさい。彼は、諸国民や王たち、そしてイスラエルの子らの前で、わたしの名を宣べ伝えるために、わたしが選んだ器だからである。また、彼がわたしの名のためにどれほど苦難を受けるべきか、わたしが彼に示そう。」アナニアは行ってその家に入り、彼に手を置いて言った。「サウロ兄弟よ! あなたが歩んでいた道であなたに現れた主イエスが、あなたが目を開かれ、聖霊に満たされるようにと、わたしを遣わされたのです。」すると、たちまち、あたかも鱗が落ちたかのように、彼の目から鱗が落ち、突然、目が見えるようになった。そして、彼は立ち上がって洗礼を受け、食事をとって力を取り戻した。
使徒行伝 8:40–9:19
復活祭後第3週の金曜日
そのころ、ダマスコにアナニアという名の弟子がいた。主は幻の中で彼に言われた。「アナニアよ。」彼は答えた。「はい、主よ。」 主は彼に言われた。「立ち上がって、いわゆる『まっすぐな通り』へ行き、ユダの家にあるタルソス出身のサウロという人を尋ねなさい。彼は今、祈っており、幻の中で、アナニアという名の男が自分のところに来て、彼に手を置いて視力を回復させてくれるのを見たのだ。」 アナニアは答えた。「主よ。私は多くの人から、この人がエルサレムであなたの聖徒たちにどれほど多くの悪事を働いたかを聞いています。また、ここでも、大祭司たちから、あなたの御名を呼ぶ者たちをすべて捕らえる権限を与えられています。」 しかし、主は彼に言われた。「行きなさい。彼は、諸国民や王たち、そしてイスラエルの子らの前で、わたしの名を宣べ伝えるために、わたしが選んだ器だからである。また、彼がわたしの名のためにどれほど苦難を受けるべきか、わたしが彼に示そう。」アナニアは行ってその家に入り、彼に手を置いて言った。「サウロ兄弟よ! あなたが歩んでいた道であなたに現れた主イエスが、あなたが目を開かれ、聖霊に満たされるようにと、わたしを遣わされたのです。」すると、たちまち、あたかも鱗が落ちたかのように、彼の目から鱗が落ち、突然、目が見えるようになった。そして、彼は立ち上がって洗礼を受け、食事をとって力を取り戻した。
使徒行伝 9:10–19
10月1日、聖使徒アナニア
その頃、サウロはダマスカスで弟子たちと共に数日間過ごした。そしてすぐに、会堂でイエスについて、イエスが神の子であることを宣べ伝え始めた。 それを聞いた人々は皆、驚き、「この人こそ、エルサレムでこの御名を呼び求める者たちを迫害していた者ではないか。しかも、彼らを捕らえて大祭司たちのところへ連行するために、ここへ来たのではないか」と言った。しかし、サウロはますます勢いを増し、この方がキリストであることを証明して、ダマスコに住むユダヤ人たちを困惑させた。 やがてかなりの時間が経つと、ユダヤ人たちは彼を殺すことに合意した。しかし、サウロは彼らのその企みを察知した。彼らは彼を殺そうと、昼夜を問わず城門で待ち伏せしていた。そこで弟子たちは夜、彼を連れて行き、かごに入れて城壁から下ろした。 サウロはエルサレムに到着し、弟子たちの仲に加わろうと努めたが、皆は彼が弟子であることを信じず、彼を恐れていた。そこでバルナバは彼を連れて使徒たちのところへ行き、道中で主を見たと、主が彼に語られたこと、そしてダマスカスでイエスの御名によって大胆に宣教していたことを彼らに語った。 こうして彼はエルサレムで彼らと共に過ごし、出入りしながら、主イエスの御名によって大胆に宣教した。また、ギリシャ系ユダヤ人たちとも議論を交わしたが、彼らは彼を殺そうとした。 兄弟たちはこのことを知ると、彼をカイサリアへ送り、そこからタルソスへ移した。一方、ユダヤ全土、ガリラヤ、サマリアの教会は、平安のうちに、主を畏れて歩み、励まされ、聖霊の慰めを受けて、ますます増し加わっていった。
使徒行伝 9:19b–31
復活祭後の第3週の安息日
そのころ、ペトロはあちこちを巡り歩き、リドに住む聖徒たちのところにもやって来た。そこで彼は、エネアという名の男に出会った。その男は、すでに八年間、麻痺のために床に伏していた。ペトロは彼に言った。「エネアよ、イエス・キリストがあなたを癒やしてくださる。床から起き上がりなさい。」すると、彼はたちまち起き上がった。 リダとシャロンに住む者たちは皆、この様子を見て、主を信じるようになった。ヨッピオにはタヴィファという名の女信徒がいた。その名は「山羊」を意味する。彼女は善行に励み、多くの施しを行っていた。 その頃、彼女は病に倒れ、息を引き取った。人々は彼女の遺体を洗い清め、上階の部屋に安置した。リダはヨッピヤの近くにあったので、弟子たちはペトロがそこにいると聞き、二人を彼のもとへ遣わし、一刻も早く彼らのもとに来てくれるよう頼んだ。 ペトロは立ち上がって彼らと共に歩き、到着すると、その部屋に案内された。すると、未亡人たちは皆、涙を流しながら彼の前に進み出て、セルナが彼女たちと共に暮らしていた頃に作った上着や服を見せ始めた。ペトロは皆を外に出させ、ひざまずいて祈り、遺体に向かって言った。「タヴィファよ、起きなさい。」 すると彼女は目を開き、ペトロを見て座り直した。ペトロは彼女に手を差し伸べて起こし、聖徒たちと未亡人たちを呼び寄せ、彼女を生き返ったまま彼らの前に立たせた。この出来事はヨッペの全土に知れ渡り、多くの人々が主を信じるようになった。
使徒行伝 9:32–42
復活祭後第4週、麻痺した人の話
そのころ、カイサリアにコルネリウスという名の男がいた。彼は「イタリア連隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、敬虔であり、家族一同とともに神を畏れ、民に多くの施しを行い、常に神に祈りを捧げていた。ある日の午前九時頃、彼は幻の中で、神の御使いが自分のところに入ってきてこう言うのをはっきりと見た。「コルネリウスよ!」 彼は天使を見て恐れおののき、「主よ、どうしたのですか」と言った。すると天使は彼に答えて言った。「あなたの祈りと施しは、神の御前に覚えられている。さあ、ヨッペへ人を遣わし、ペトロと呼ばれるシモンを呼び寄せなさい。彼は、海辺に住む皮なめし職人シモンの家に泊まっている。 その人が、あなたとあなたの家族全員が救われるための言葉を告げてくれるだろう。」コルネリウスに語りかけていた天使が去ると、彼は自分の使用人二人と、そばにいた敬虔な兵士一人を呼び寄せ、すべてを話して、彼らをヨッペへ遣わした。 翌日、彼らが旅を続け、町に近づいた頃、ペトロは六時頃、祈るために家の上階に上がった。すると、彼は空腹を感じ、何かを食べようとした。 食事の支度が進む中、ペトロは恍惚とした状態になり、天が開き、ある器が自分の方へ降りてくるのを見た。それはまるで、四隅を縛られた大きな布が地上に下ろされているかのようであった。その中には、地上のあらゆる四足動物、獣、這うもの、そして空の鳥たちがいた。 すると、彼に声が聞こえた。「ペテロよ、起きなさい。これを屠って食べなさい。」しかし、ペテロは言った。「いいえ、主よ。私はこれまで、汚れたものや不浄なものを食べたことがありません。」すると、再び声が聞こえた。「神が清めたものを、あなたは不浄なものと見なしてはならない。」これが三度繰り返され、その器は再び天へと引き上げられた。
使徒行伝 10:1–16
復活祭後第4週の月曜日
その頃、ペトロはコルネリウスから遣わされた人々のところへ下りて行き、言った。「私が、あなたがたが探している者です。どのような用件で来られたのですか。」 彼らは答えた。「百人隊長のコルニリウスは、徳高く、神を畏れる人であり、ユダヤ人全体から称賛されているのですが、聖なる天使から、あなたを自分の家に招き、あなたの言葉を聞くようにという命令を受けました。」そこでペトロは彼らを招き入れ、もてなした。翌日、ペトロは起きて彼らと共に旅立ち、ヨッピの兄弟たちの中にも、彼に同行する者がいた。 翌日、彼らはケサレアに到着した。コルネリウスは、親族や親しい友人たちを呼び集めて、彼らを待っていた。ペトロが入ってくると、コルネリウスは彼を迎え、その足元にひれ伏して礼をした。ペトロは彼を引き起こして、「立ちなさい。私もただの人間です」と言った。そして、彼と語り合いながら家に入り、多くの人が集まっているのを見つけた。 そして彼らに言った。「あなたがたもご存じのように、ユダヤ人は異邦人と交わったり、親しくしたりすることを禁じられています。しかし、神は私に、いかなる人も不浄であるとか汚れているとか見なしてはならないと啓示してくださいました。それゆえ、私は招かれたので、ためらうことなくここに来ました。 そこで尋ねた。「一体、どのような用件で私を呼んだのですか。」コルネリウスは言った。「四日目の今日、私は今この時刻まで断食し、第九時に自分の家で祈っていたところ、見よ、白い衣をまとった男が私の前に立ち、『コルネリウスよ、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の御前に覚えられた』と言ったのです。 だから、ヨッペへ行って、ペトロと呼ばれるシモンを呼びなさい。彼は海辺の皮なめし職人シモンの家に泊まっている。彼が来れば、あなたに話してくれるだろう。私はすぐにあなたのもとへ使いを送ったが、あなたが来てくれてよかった。今、私たちは皆、神の御前に立ち、神からあなたに命じられたことをすべて聞くために待っているのだ。
使徒行伝 10:21–33
復活祭後第4週の火曜日
その時、ペトロは口を開いて言った。「私は確かに悟りました。神は人を差別なさらない方であり、どの民族であれ、神を畏れ、義を行う者は、神に喜ばれるのです。神はイスラエルの子らに御言葉を遣わし、イエス・キリストを通して平和の福音を宣べ伝えられました。この方こそ、すべての主です。 あなたがたもご存じのように、ヨハネによる洗礼の後、ガリラヤから始まり、ユダヤ全土で起こった出来事、すなわち、神が聖霊と力によってナザレのイエスに油を注がれ、イエスが神と共にいたゆえに、善行を行い、悪魔に憑かれたすべての人を癒やしながら歩まれたこと。 そして、私たちは、イエスがユダヤの地やエルサレムで行われたすべての事、そしてついに木に架けられて殺されたことを、すべて目撃しています。神はこの方を三日目に復活させ、すべての民に現れるのではなく、神によってあらかじめ選ばれた証人、すなわち、イエスが死者の中から復活された後、彼と共に食べ、飲んだ私たちに現れるようにされました。 そして、主は私たちに、人々に宣べ伝え、主こそが神によって定められた生ける者と死んだ者の裁き主であることを証しするよう命じられました。すべての預言者は主について証ししており、主を信じる者は誰でも、主の御名によって罪の赦しを受けると述べています。
使徒行伝 10:34–43
復活祭後第4週の木曜日
ペトロが語り続けていると、御言葉を聞いていたすべての人々に聖霊が降りた。ペトロと共に来た割礼を受けた信者たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。彼らは、異邦人たちが異言を語り、神を賛美しているのを聞いたからである。 そこでペトロは言った。「私たちと同じように聖霊を受けた人々に、水による洗礼を受けることを誰が禁じることができるだろうか。」そして、彼らにイエス・キリストの名によって洗礼を受けるよう命じた。その後、彼らはペトロに、数日間自分たちのところに留まってほしいと頼んだ。ユダヤにいた使徒たちや兄弟たちは、異邦人たちも神の御言葉を受け入れたと聞いた。 ペトロがエルサレムに戻ると、割礼を受けた者たちは彼を非難し、「あなたは割礼を受けていない人々のところへ行き、彼らと一緒に食事をしたではないか」と言った。 そこでペトロは、順を追って彼らに語り始めた。「ヨッピオという町で、私が祈っていると、恍惚とした状態で幻を見ました。ある器、まるで大きな布のようなものが、四隅をつかまれて天から下りてきて、私のところに降りてきたのです。 私はその中を覗き込み、よく見ると、地上の四足動物や獣、這うもの、そして空の鳥たちがいた。すると、ある声が私にこう言った。『ペトロよ、起きなさい。これを屠って食べなさい。』 しかし、私は言った。「いいえ、主よ。私の口には、これまで汚れたものや不浄なものは一切入ったことがありません。」すると、天から再び声が答えて言った。「神が清めたものを、あなたは不浄なものと見なしてはならない。」これが三度繰り返され、やがてすべてが再び天へと引き上げられた。
使徒言行録 10:44–11:10
復活祭後第4週の金曜日
そのころ、ステパノの死後に起きた迫害によって散らされた弟子たちは、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行き、ユダヤ人以外には御言葉を宣べ伝えなかった。 しかし、その中にはキプロス人やキレネ人もいて、彼らはアンティオキアに来て、ギリシア人たちに語りかけ、主イエスを宣べ伝えた。すると、主の御手が彼らと共におり、大勢の人が信じて主に立ち返った。このことがエルサレムの教会に伝えられると、バルナバをアンティオキアへ遣わした。 バルナバは到着して、神の恵みを目の当たりにすると、大いに喜び、皆に心からの誠実さをもって主に従うよう励ました。彼は善良な人であり、聖霊と信仰に満ちていたからである。こうして、多くの人々が主に帰依した。その後、バルナバはサウロを探しにタルソスへ行き、彼を見つけると、アンティオキアへ連れて帰った。 彼らは丸一年、教会に集まり、多くの人々を教え、アンティオキアの弟子たちはそこで初めて「キリスト者」と呼ばれるようになった。そこで弟子たちは、各自の経済状況に応じて、ユダヤに住む兄弟たちに援助を送ることに決め、集めたものをバルナバとサウロを通じて長老たちに送った。
使徒行伝 11:19–26; 29–30
復活祭後第5週、サマリアの女について
そのころ、ヘロデ王は教会に属する者たちの一部に手を下して害を加えようとし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。 そして、これがユダヤ人たちに好まれているのを見て、その後、ペトロをも捕らえた――当時は無酵パンの祭りの期間であった――。彼を拘束して牢屋に入れ、四組の兵士に彼を見張らせるよう命じ、過越の祭りが終わったら、民衆の前に引き出すつもりであった。 こうしてペトロは牢獄に閉じ込められていたが、その間、教会は熱心に神に彼のために祈っていた。ヘロデが彼を連れ出そうとしたその夜、ペトロは二人の兵士の間に寝かされ、二つの鎖で縛られており、門のそばの番人たちが牢獄を見張っていた。 すると、主の天使が現れ、光が牢屋を照らし出した。天使はペトロの脇腹を突いて起こし、「さあ、急いで起きなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。天使は彼に言った。「帯を締め、靴を履きなさい。」彼はその通りにした。それから天使は彼に言った。「服を着て、私について来なさい。」 ペトロは外に出て、天使の後をついて行った。天使の行いが現実のことだとは知らず、幻を見ているのだと思っていた。第一、第二の番兵の所を通り過ぎると、彼らは町へと通じる鉄の門にたどり着いた。その門は、まるで自分から開いたかのように彼らのために開かれた。彼らは外に出て、通りを一つ通り過ぎたところ、突然、天使の姿が消えてしまった。 そこでペテロは我に返り、こう言った。「今、私は確かに、主が御自分の天使を遣わし、ヘロデの手から、またユダヤの民が待ち望んでいたすべてのものから、私を救い出してくださったことを悟った。」
使徒行伝 12:1–11
復活祭後の第4週の土曜日。
4月23日、大殉教者ゲオルギオス。
4月30日、聖使徒ヤコブ・ゼベダイ
その頃、ペトロは周囲を見回してから、マルコと呼ばれるヨハネの母マリアの家へ行った。そこには多くの人が集まって祈っていた。 ペトロが門を叩くと、ロダという名の女中が聞きに外へ出てきた。彼女はペトロの声を聞き分け、喜びのあまり門を開けずに、急いで中へ駆け込み、ペトロが門の前に立っていることを告げた。すると、人々は彼女に言った。「正気か?」しかし、彼女は自分の言葉を主張した。彼らは言った。「それは彼の天使だ。」 その間もペテロは門を叩き続けていた。門が開かれると、彼らはペテロを見て驚いた。ペテロは手で口止めするしぐさをし、主がどのようにして彼を牢から導き出されたかを彼らに語り、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言った。それから、外に出て、別の場所へ行った。
使徒行伝 12:12–17
復活祭後第5週の月曜日
そのころ、バルナバとサウロは、任務を遂行してエルサレムから(アンティオキアへ)戻り、マルコと呼ばれるヨハネも連れてきた。 アンティオキアの教会には、いくつかの預言者と教師たちがいた。すなわち、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キリネ人のルキウス、ヘロデ・テトラルコスの幼なじみであるマナイル、そしてサウロである。彼らが主に仕え、断食をしていたとき、 聖霊がこう言われた。「わたしが彼らを召した働きのために、バルナバとサウロをわたしのもとに分け出せ。」そこで、彼らは断食と祈りを終え、二人に手を置いて送り出した。この二人は、聖霊に遣わされてセレウキアに行き、そこからキプロスへ船出した。 サラミーンに着くと、ユダヤ人の会堂で神の御言葉を宣べ伝えた。また、奉仕のためにヨハネも同行していた。島全体を巡りパフォスまで行くと、彼らはヴァリイサスという名の、ユダヤ人の偽預言者である魔術師に出会った。彼は、賢明な人物であるプロコンスル・セルギウス・パウロと共にいた。 このセルギウス・パウロは、バルナバとサウロを呼び寄せ、神の御言葉を聞きたいと願った。しかし、魔術師エリマ(その名は「魔術師」を意味する)は、総督を信仰から遠ざけようと、彼らに反対した。 しかし、サウロ、すなわちパウロは、聖霊に満たされ、彼をじっと見つめて言った。「ああ、あらゆる悪巧みとあらゆる悪行に満ちた者よ、悪魔の子よ、あらゆる真理の敵よ! あなたは、主の正しい道から人々をそらそうとするのをやめるのか。 今、見よ、主の御手があなたの上に下る。あなたは盲目となり、しばらくの間、太陽を見ることはできなくなる。」すると、たちまち彼を暗闇と闇が襲い、彼はあちこちきょろきょろと見回して、案内人を探した。その時、総督は起こったことを見て、主の教えに驚き、信仰を持った。
使徒行伝 12:25–13:12
復活祭後第5週の火曜日
そのころ、パフォスを出航したパウロと彼に同行していた者たちは、パンフィリアのペルギアに到着した。しかし、ヨハネは彼らから離れ、エルサレムに戻った。彼らはペルギアを後にし、ピシディアのアンティオキアに到着し、安息日に会堂に入って座った。 律法と預言書の朗読が終わると、会堂の長老たちは人をつかわして彼らにこう告げさせた。「兄弟たちよ。もし民に語りかけるべき言葉があるなら、どうぞお話しください。」そこでパウロは立ち上がり、手で合図をして言った。「イスラエルの民、そして神を畏れる人々よ、よく聞いてください。 神はこの民を、私たちの先祖の中から選び、エジプトの地におられた間にこの民を高め、力強い御手をもって彼らをそこから導き出し、約四十年の間、荒野で彼らを養われた。 そして、カナンの地で七つの民族を滅ぼし、その地を彼らに嗣業として分け与えられました。その後、約四百五十年の間、預言者サムエルに至るまで、彼らに士師たちを遣わされました。その後、彼らは王を求め、神はベニヤミン族のキソの子サウルを彼らに与えられました。こうして四十年が過ぎました。 神はサウルを退け、ダビデを彼らの王として立てられた。神はダビデについて、次のように証言された。「わたしは、わたしの心にかなう人、イッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしのすべての御心を成し遂げるであろう。」神は、その約束に従い、ダビデの子孫の中から、イスラエルの救い主イエスを立てられた。 イエスが現れる直前に、ヨハネはイスラエルの民全体に悔い改めの洗礼を宣べ伝えていた。
使徒行伝 13:13–24
復活祭後第5週の水曜日
その頃、ヨハネは自分の使命を終えようとして、こう語った。「あなたがたは、わたしを誰だと思っているのか。わたしはそれではない。しかし、わたしより後に来られる方がおられる。その方の足から履物を解くことさえ、わたしにはふさわしくない。」兄弟たち、アブラハムの子孫たち、そしてあなたがたのうちの神を畏れる人々よ。この救いの御言葉が、あなたがたに送られたのである。 なぜなら、エルサレムの住民とその指導者たちは、御方を認めず、裁きを下したことで、毎週の安息日に読まれている預言者の言葉を成就させ、御方に死に値する罪を何一つ見出せなかったにもかかわらず、ピラトに御方を殺すよう求めたからである。そして、御方について書かれたことがすべて成就すると、彼らは御方を十字架から降ろし、墓に葬った。 しかし、神は彼を死者の中からよみがえらせた。彼は、ガリラヤからエルサレムへ共に上った者たち、すなわち今や民の前で彼の証人となっている者たちに、長い間現れ続けた。そして私たちは、先祖たちに与えられた約束を、神がイエスをよみがえらせることによって、私たち、すなわち彼らの子孫に成就してくださったことを、あなたがたに宣べ伝えている。
使徒行伝 13:25–32
8月29日、洗礼者ヨハネの首の切断
そのころ、パウロとバルナバは、リカオニア地方のリストラとデルベ、およびその周辺の町々へ赴き、そこで福音を宣べ伝えた。 リストラには、生まれつき足が不自由で、座ったままの男がいた。彼は一度も歩いたことがなかった。その男は、語っているパウロの話を聞いていた。パウロは彼を見やり、癒やされるための信仰があるのを見て、大声で言った。「主イエス・キリストの御名によって、あなたに言う。まっすぐに立ちなさい。」 すると、その男はたちまち飛び起きて歩き始めた。民衆は、パウロのなしたことを見て、声を張り上げ、リカオニア語で言った。「人間の姿をした神々が私たちのところへ降りてきた。」そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロをヘルミアと呼んだ。それは、パウロが説教の主導役を務めていたからである。 一方、彼らの町の前にあったゼウス神の神殿の祭司は、牛を城門に連れてきて花輪を捧げ、民衆と共に犠牲の儀式を行おうとした。 しかし、使徒バルナバとパウロはこれを聞くと、衣服を引き裂き、群衆の中に飛び込んで大声で言った。「人々よ、何をしているのか。私たちもあなたがたと同じ人間であり、あなたがたに福音を宣べ伝えているのは、あなたがたがこれらの偽りの神々から離れ、天と地と海、 それらの中に存在するすべてのものを創造された、生ける神へと立ち返るよう、あなたがたに福音を宣べ伝えているのです。神は、過去の世代において、すべての民族がそれぞれの道を行くことを許されましたが、それでもなお、天から雨や実りの季節を授け、私たちの心を食物と喜びで満たしてくださることで、ご自身の恵みを絶えず証し続けておられました。 こうして語ったことで、彼らはかろうじて民を説得し、自分たちに犠牲を捧げずに、各自が家に帰るよう促した。
使徒行伝 14:6–18a
復活祭後の第4週の水曜日、五旬節の中日
そのころ、パウロはバルナバと共にデルベへ去った。彼らはその町で福音を宣べ伝え、多くの弟子を得た後、リストラ、イコニア、アンティオキアを通り抜けながら、弟子たちの心を強め、信仰にとどまるよう励まし、多くの苦難を経てこそ神の御国に入るべきであると教えた。 そして、各教会に長老たちを任命し、断食して祈り、彼らが信じた主の御手に彼らを委ねた。 その後、ピシディアを通ってパンフィリアに到り、ペルギアで主の御言葉を宣べ伝えた後、アッタリアへ下り、そこからアンティオキアへ船出した。彼らはアンティオキアで、神の恵みによってその務めに遣わされ、その務めを全うしたのである。 そこに着いて教会を集めると、彼らは神が自分たちと共に成し遂げられたこと、また神がいかにして異邦人たちに信仰の門を開かれたかをすべて語った。
使徒行伝 14:20–27
復活祭後第5週の木曜日
そのころ、パリサイ派の異端に属する信者たちの一部が立ち上がり、異邦人には割礼を施し、モーセの律法を遵守するよう命じるべきだと主張した。使徒たちと長老たちは、この件を検討するために集まった。長い議論の末、ペトロが立ち上がって彼らに言った。「兄弟たちよ! あなたがたもご存じのように、神は初めから、私たちの中からわたしを選び、異邦人がわたしの口から福音の言葉を聞いて信じるようにされました。そして、人の心を見通す神は、私たちと同じように彼らにも聖霊を授けて証しをなさり、信仰によって彼らの心を清め、私たちと彼らとの間に何の区別も設けられませんでした。 それなのに、今、あなたがたは、私たちの先祖も私たちも負うことのできなかった重荷を、弟子たちの首に負わせようとして、どうして神を試そうとするのですか。しかし、私たちは、主イエス・キリストの恵みによって、彼らと同じように救われると信じています。 すると、集まった人々は皆静まり返り、バルナバとパウロが、神が彼らを通して異邦人の間でどのようなしるしと奇跡を行われたかを語るのを聞き入った。 彼らが語り終えると、ヤコブが口を開いて言った。「兄弟たちよ、私の話に耳を傾けてください。シモンは、神が初めから異邦人に目を留め、彼らを御名の民として集めようとなさったことを説明しました。 このことは、預言者たちの言葉とも一致している。すなわち、こう書かれている。『その後、わたしは立ち返り、倒れたダビデの幕屋を再建し、その中に荒廃したものを修復し、直して、残りの人々や、わたしの名が宣べ伝えられるすべての国々が、主を求めるようにする』と、これらすべてをなされる主は言われる。 神のすべての御業は、永遠の昔から神に知られている。それゆえ、私は、異邦人の中から神に立ち返ろうとする者たちを妨げるのではなく、彼らに手紙を書き、偶像によって汚されたもの、淫行、絞め殺されたもの、血を避けるよう、また、自分たちが望まないことを他人にしないようにと命じるべきだと考える。 なぜなら、モーセの律法は、古くからすべての町で宣べ伝えられ、毎週の安息日に会堂で読まれているからである。そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と協議し、自分たちのうちから数人の者を選び、パウロとバルナバと共にアンティオキアへ遣わすことにした。すなわち、 バルサバと呼ばれるユダとシラ、すなわち兄弟たちの間で指導的立場にある者たちを選び、彼らに次のような手紙を書いて手渡した。「使徒たち、長老たち、そして兄弟たち――アンティオキア、シリア、キリキアにいる異邦人の兄弟たちへ。喜びなさい。 私たちのもとを去った者たちのうち、ある人々が、割礼を受け、律法を守らなければならないと語り、その言葉であなたがたを惑わせ、心を揺さぶったと聞いた。しかし、私たちは彼らにそのようなことを命じたことはない。そこで、私たちは集まり、満場一致で決定し、数人の者を選び、私たちの愛するバルナバとパウロ、 彼らは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、自らの命を捧げた人々です。 そこで、私たちはユダとシラを遣わしました。彼らは口頭でも同じことを説明してくれるでしょう。なぜなら、聖霊と私たちとが、この必要なこと以外、もはやあなたがたに何の重荷も負わせないことを望んでいるからです。すなわち、偶像に捧げられた物、血、絞め殺されたもの、不品行を避け、自分たちが望まないことを他人にしないことです。 これらを守れば、あなたがたは善きことをするのです。ご健勝でありますように」。こうして、派遣された者たちはアンティオキアに到着し、人々を集めてその手紙を手渡した。人々はそれを読み、この教えに喜びを覚えた。 ユダとシラもまた預言者であり、豊かな言葉をもって兄弟たちに教えを説き、彼らを励ました。彼らはしばらくそこに留まった後、兄弟たちによって使徒たちの元へ無事に送り出された。しかし、シラはそこに留まることにした。(一方、ユダはエルサレムに戻った。)
使徒行伝 15:5–34
復活祭後の第5週の金曜日
そのころ、パウロとバルナバはアンティオキアに留まり、他の多くの者たちと共に、主の御言葉を教え、宣べ伝えていた。しばらくして、パウロはバルナバに言った。「もう一度、私たちが主の御言葉を宣べ伝えたすべての町を巡り、兄弟たちがどのように暮らしているかを見に行こう。」バルナバは、マルコと呼ばれるヨハネを同行させたいと考えていた。 しかし、パウロは、パンフィリアで彼らから離れ、彼らが遣わされた働きに同行しなかった者を連れて行くべきではないと考えていた。 このことで不和が生じ、二人は別れることになった。バルナバはマルコを連れてキプロスへ船出したが、パウロはシラを選び、兄弟たちから神の恵みの使命を託されて旅立ち、シリアとキリキアを巡り、教会を強めた。
使徒行伝 15:35–41
復活祭後の第5週の土曜日
その頃、使徒たちが祈りの家へ向かっていたところ、ある女中に出会った。彼女は占いをする霊に取りつかれており、その占いの言葉によって主人に多額の収入をもたらしていた。彼女はパウロと私たちの後をついてきて、叫びながら言った。「この人たちは、至高の神のしもべであり、私たちに救いの道を告げているのです。」彼女はそうして何日も続けた。 パウロは憤り、振り返ってその霊に言った。「イエス・キリストの名によって、お前から彼女から出て行けと命じる。」すると、その霊はたちまち彼女から出て行った。そこで、彼女の主人たちは、収入の望みが消えたのを見て、パウロとシラを捕らえ、広場の役人たちのところへ引きずっていった。 そして、彼らを千人隊長のところへ連れて行き、こう言った。「この人たちはユダヤ人であり、私たちの街を騒がせ、私たちローマ人が受け入れるべきでも、守るべきでもない慣習を説いているのです。」 民衆もまた彼らに立ち向かった。そこで、軍団長たちは彼らの衣服を引き剥がし、棒で打つよう命じ、何度も激しく打ちつけた後、牢屋に投げ込み、看守に厳重に監視するよう命じた。その命令を受けた看守は、彼らを奥の牢屋に閉じ込め、足に足枷をはめた。 真夜中頃、パウロとシラは祈りながら神を賛美していた。囚人たちは彼らの声を聞いていた。すると突然、大地震が起こり、牢屋の土台が揺れ動いた。たちまちすべての扉が開き、囚人たちの束縛が緩んだ。 看守は目を覚まし、牢の扉が開いているのを見て、囚人たちが逃げ出したと思い、剣を抜いて自殺しようとした。しかし、パウロは大きな声で叫んで言った。「自分を傷つけてはならない。私たちは皆、ここにいるのだ。」 彼は火を求め、牢屋に駆け込み、震えながらパウロとシラにひれ伏し、彼らを外に連れ出すと、「主よ、私はどうすれば救われるのでしょうか」と言った。すると彼らは、「主イエス・キリストを信じなさい。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます」と言った。 そして、彼と彼の家にあるすべての人々に、主の御言葉を宣べ伝えた。彼はその夜のうちに彼らを連れて行き、彼らの傷を洗い、直ちに自分と家族全員が洗礼を受けた。そして、彼らを自分の家に連れて行き、食事を振る舞い、神を信じたことを家族全員と共に喜んだ。
使徒行伝 16:16–34
復活祭後第6週、盲人の話
そのころ、パウロとシラはアンフィポリスとアポロニアを通り抜け、テサロニケに着いた。そこにはユダヤ人の会堂があった。 パウロはいつものように、そこに入り、三回の安息日にわたって聖書に基づいて彼らに語りかけ、キリストが苦難を受け、死者の中から復活されるべきであったこと、そして、そのキリストこそが、私があなたがたに宣べ伝えているイエスであることを、解き明かし、立証した。 そこで、彼らの中には信じる者も現れ、パウロとシラに加わった。神を敬うギリシア人の中から大勢が、また身分の高い女性たちの中からも少なからぬ数が加わった。 しかし、信じなかったユダヤ人たちは、嫉妬に駆られ、広場から悪党たちを何人か引き連れて、群衆となって街を騒がせ、ヤソンの家へ押し寄せ、彼らを民衆の前に引きずり出そうとした。 しかし、彼らを見つけられなかったため、ヤソンと数人の兄弟たちを市の役人のところへ引きずり出し、「世界中で騒動を起こしている者たちがここにもやって来た。ヤソンは彼らを受け入れ、彼らは皆、皇帝の命令に背き、イエスを別の王として崇めている」と叫んだ。 これを聞いた民衆や市の役人たちは動揺した。しかし、役人たちはヤソンや他の者たちから事情の説明を聞き、彼らを釈放した。一方、兄弟たちはその夜すぐにパウロとシラをベレアへ送り出した。二人はベレアに到着すると、ユダヤ人の会堂へ向かった。 この地の者たちはテサロニケの人々よりも良識があり、熱心に御言葉を受け入れ、それが事実であるかどうかを確かめるために、毎日聖書を調べた。そして、彼らの多くが信仰を持ち、ギリシャ人の高貴な女性や男性の中にも、かなりの数が加わった。 しかし、テサロニケのユダヤ人たちは、パウロがベレアでも神の言葉を宣べ伝えていることを知ると、そこへやって来て、民衆を扇動し、騒ぎを起こした。そこで、兄弟たちは直ちにパウロを、あたかも海へ向かうかのように送り出した。一方、シラとテモテはそこに残った。 パウロに同行していた者たちは、彼をアテネまで見送り、シラとテモテに「急いで私のところに来なさい」という指示を受けて、その場を去った。
使徒行伝 17:1–15
復活祭後第6週の月曜日
その頃、パウロはアテネでシラとテモテを待ちながら、偶像で満ちたこの町を見て、心を痛めた。そこで彼は、会堂でユダヤ人や神を敬う人々と論じ、また毎日、広場に出くわす人々と語り合った。 エピクロス派やストア派の哲学者たちの一部が彼と論争を始めた。ある者は「この空論家は何を言いたいのか」と言い、またある者は「どうやら彼は異国の神々について説教しているようだ」と言った。それは、彼が彼らにイエスと復活の福音を宣べ伝えていたからである。 そこで、彼らは彼を捕らえてアレオパゴスに連行し、こう言った。「あなたが宣べ伝えているこの新しい教えが、いったいどのようなものなのか、私たちに教えてくれるか。 「あなたは私たちの耳に奇妙なことを吹き込んでいる。それゆえ、それが何なのか知りたいのだ。」アテネ人たちは皆、またそこに住む外国人たちも、新しいことを話したり聞いたりすることに、何よりも熱心だった。 そこで、パウロはアレオパゴスの真ん中に立ち、こう言った。「アテネの人々よ。あらゆる点から見て、あなたがたはとりわけ敬虔な人々であるように思われます。というのも、あなたがたの聖所を歩き回り、見回していたところ、『知られざる神』と刻まれた祭壇を見つけたからです。 あなたがたが知らずに崇めているその方こそ、私があなたがたに宣べ伝えるのです。世界とその中にあるすべてのものを創造された神は、天と地の主でありながら、人の手で作られた神殿に住まわれるわけでもなく、何かを必要としているかのように人の手による奉仕を求められるわけでもありません。むしろ、すべてのものに命と息とすべてのものを与えておられるのです。 神は、一つの血から全人類を造り出し、地の全面に住まわせ、彼らの住むべき場所と時期をあらかじめ定められました。それは、彼らが神を求め、神を感じ取り、見いだせるようにするためです。神は私たち一人ひとりから遠く離れてはいません。なぜなら、私たちは神によって生き、動き、存在しているからです。あなたがたの詩人たちの中にも、こう言った者がいます。 「我らは神の子孫である」。それゆえ、我らは神の子孫として、神性を、人間の技術や想像によって形作られた金や銀、あるいは石のようなものだと考えてはならない。 こうして、神は、無知の時代を過ぎ去らせ、今や、あらゆる場所の人々に悔い改めるよう命じておられます。なぜなら、神は、ご自身があらかじめ定めておられた方を通して、全世界を義にかなった裁きで裁く日を定め、その方を死者の中からよみがえらせることによって、すべての人にその証拠を示されたからです。 死者の復活について聞いた人々は、ある者は嘲笑し、またある者は「そのことについては、また別の機会に聞かせてほしい」と言った。そこで、パウロは彼らの間を去った。しかし、彼に付き従った数人の男たちが信仰を持った。その中には、アレオパゴスのディオニシオスや、ダマールという名の女、そして彼らと共にいた他の者たちがいた。
使徒行伝 17:16–34
10月3日、聖ディオニシオス・アレオパゴス
その頃、アテネの人々はパウロを捕らえてアレオパゴスに連れて行き、こう言った。「あなたが宣べ伝えているこの新しい教えが、いったいどのようなものなのか、私たちにも知ることができますか。 「あなたは私たちの耳に、奇妙なことを吹き込んでいる。それゆえ、それが何なのか知りたいのだ。」アテネの人々と、そこに住む外国人たちは、何か新しいことを話したり聞いたりすることに、何よりも熱心だった。 そこで、パウロはアレオパゴスの真ん中に立ち、こう言った。「アテネの人々よ。あらゆる点から見て、あなたがたはとりわけ敬虔な人々であるように思われます。というのも、あなたがたの聖所を歩き回り、見回していたところ、『知られざる神』と刻まれた祭壇を見つけたからです。 あなたがたが知らずに崇めているその方こそ、私があなたがたに宣べ伝えるのです。世界とその中にあるすべてのものを創造された神は、天と地の主でありながら、人の手で作られた神殿に住まわれるわけでもなく、何かを必要としているかのように人の手による奉仕を求められるわけでもありません。むしろ、すべてのものに命と息とすべてのものを与えておられるのです。 神は、一つの血から全人類を造り出し、地の全面に住まわせ、彼らの住むべき時期と境界をあらかじめ定められました。それは、彼らが神を求め、神を感じ取り、見いだすためです。神は私たち一人ひとりから遠く離れてはいません。なぜなら、私たちは神によって生き、動き、存在しているからです。
使徒行伝 17:19–28a
復活祭後第6週の火曜日
そのころ、パウロはアテネを後にし、コリントへ行った。そこで、ポンテウス出身で、イタリアから最近やって来たアキラという名のユダヤ人と、その妻プリスキラを見つけた。クラウディウスがすべてのユダヤ人にローマからの退去を命じていたからである。パウロは彼らのところへ行き、 同じ職業であったため、彼らのところに留まって共に働いた。彼らの職業は天幕作りであったからである。そして、毎週の安息日には、会堂で語り、ユダヤ人やギリシア人を説得した。 マケドニアからシラとテモテがやって来ると、パウロは御霊に促されて、ユダヤ人たちにイエスがキリストであることを証しした。しかし、彼らが反対し、悪口を言ったので、パウロは自分の衣を振り払って言った。「あなたがたの血は、あなたがた自身の頭の上にある。私は清い。これからは異邦人のところへ行く。」 そしてそこから立ち去り、ユストという名の、神を敬う人のところへ行った。その人の家は会堂のすぐそばにあった。会堂の長であるクリスプは、家族全員とともに主を信じた。また、コリントの人々の多くも、その話を聞いて信じ、バプテスマを受けた。 主は夜、幻の中でパウロに言われた。「恐れてはならない。語り続け、黙ってはならない。わたしがあなたと共にあるからである。だれもあなたに害を加えることはない。この町には、わたしの民が数多くいるからだ。」こうして、パウロは一年六か月その地に留まり、彼らに神の御言葉を教えた。
使徒行伝 18:1–11
5月11日、コンスタンティノープルの再建。
都市の創設に因んで
そのころ、パウロはカイサリアに滞在した後、エルサレムを訪れ、教会の人々に挨拶をして、アンティオキアへと向かった。そして、そこでしばらく過ごした後、出発して、ガラティア地方とフリギア地方を順に巡り、すべての弟子たちを励ました。 アレクサンドリア出身の、アポロという名のユダヤ人が、雄弁で聖書に精通した人物としてエフェソにやって来た。彼は主の道の初歩を教えられており、熱意に燃えて、主について正しく語り、教えていたが、知っていたのはヨハネの洗礼だけであった。彼は会堂で大胆に語り始めた。 それを聞いたアキラとプリスキラは彼を迎え入れ、主の道をより正確に彼に説明した。 そして、彼がアカイアへ行くことを決意したとき、兄弟たちはその地の弟子たちに使いを送り、彼を受け入れるよう手配した。彼はそこに着くと、恵みによって信仰を持った人々に大いに貢献した。なぜなら、彼は公の場でユダヤ人たちを激しく論破し、聖書を用いてイエスがキリストであることを証明したからである。
使徒行伝 18:22–28
復活祭後の第6週の水曜日
その頃、アポロがコリントに滞在している間に、パウロは内陸地方を巡り、エフェソに到着した。そこで何人かの弟子たちを見つけ、彼らに言った。「あなたがたは、信仰を持ったとき、聖霊を受けましたか。」すると彼らはパウロに答えた。「聖霊というものが存在することさえ、聞いたことがありません。」 パウロは彼らに言った。「では、何によって洗礼を受けたのですか。」彼らは答えた。「ヨハネの洗礼によってです。」 パウロは言った。「ヨハネは悔い改めの洗礼を授け、人々に、彼に続いて来られる方、すなわちキリスト・イエスを信じるようにと告げていたのです。」これを聞いて、彼らは主イエスの御名によって洗礼を受け、パウロが彼らに手を置くと、聖霊が彼らの上に降り、彼らは異言を語り、預言し始めた。 彼らの総数は十二人ほどであった。パウロは会堂に行って、三ヶ月間、恐れることなく説教し、神の御国について語り、そのことを証しした。
使徒行伝 19:1–8
復活祭後の第6週の金曜日。
1月7日、洗礼者ヨハネ
その頃、週の初めの日に、弟子たちがパンを裂くために集まっていたとき、パウロは翌日に出発するつもりで、彼らと語り合い、真夜中まで説教を続けた。 私たちが集まっていた部屋には、十分な数の灯りがあった。パウロの長い語りかけの最中、窓辺に座っていたエウティコスという名の若者が深い眠りに落ち、よろめいて眠ったまま三階から下に転落し、死んだように見えた。 パウロは降りてきて、その少年の上に倒れ込み、抱きしめて言った。「心配しないでください。彼の魂は彼の中にあります。」そして、上って行ってパンを裂き、口に含んだ後、夜明けまでかなり長く語り合い、それから外へ出た。その間、少年は生き返って連れてこられ、皆は大いに慰められた。
使徒行伝 20:7–12
復活祭後の第6週の土曜日
そのころ、パウロは、アジアでの滞在を長引かせないよう、エフェソを素通りすることに決めた。というのも、彼は、できれば五旬節の日にエルサレムに到着できるよう急いでいたからである。 そこで、ミレトスからエフェソへ使者を送り、教会の長老たちを呼び寄せた。彼らが彼のところに来ると、彼は彼らに言った。「あなたがた自身と、聖霊があなたがたを牧者として立てられたすべての群れに注意を払い、主であり神である方の教会を牧しなさい。その教会は、主ご自身がご自身の血によって買い取られたものである。 なぜなら、私が去った後、群れを容赦なく食い荒らす凶暴な狼たちがあなたがたの間に侵入してくることを、私は知っているからだ。また、あなたがた自身の中から、弟子たちを自分たちに引き込むために、歪んだ教えを説く者たちが現れるだろう。それゆえ、私が三年間、昼も夜も絶えず涙を流しながら、あなたがた一人ひとりを教え導いてきたことを心に留め、目を覚ましていなさい。 そして今、兄弟たちよ、私はあなたがたを、神とその恵みの御言葉に委ねます。その御言葉は、あなたがたをさらに強め、すべての聖なる者たちと共に、あなたがたに御国を相続させてくださる力あるものです。私は、誰からも銀も金も衣服も求めませんでした。あなたがたもご存じの通り、私の必要や、私と共にいた人々の必要は、この私の両手によって賄われてきたのです。 私はあらゆる点において、このように働いて、弱い者たちを支え、主イエスの御言葉を心に留めるべきであることを、あなたがたに示してきました。主ご自身が、「与えることは、受けることよりも幸いである」と言われたからです。こう言って、彼はひざまずき、彼ら全員と共に祈りました。
使徒言行録 20:16–18a; 28–36
復活祭後第7週、第1回全地公会議の聖なる教父たち
そのころ、パウロと同行者たちは、そこを出てケサレアに着き、七人の執事の一人である伝道者フィリポの家に入って、そこに滞在した。フィリポには、預言の賜物を持つ四人の未婚の娘たちがいた。 私たちが彼らのところに何日か滞在している間に、ユダヤからアガブという名の預言者がやって来て、私たちのところに入り、パウロの帯を取り、自分の手足を縛って言った。「聖霊はこう言われます。『この帯の持ち主は、エルサレムでユダヤ人たちにこのように縛られ、異邦人の手に引き渡されるでしょう。』」 これを聞いたとき、私たちも、またその地の者たちも、彼がエルサレムに行かないよう懇願した。しかし、パウロは答えて言った。「何をしているのか。なぜ泣いて、私の心を痛めるのか。私は囚人となるだけでなく、主イエスの御名のためにエルサレムで死ぬ用意さえあるのだ。」 しかし、私たちが彼を説得することができなかったため、私たちは「主の御心が行われますように」と言って、心を落ち着かせた。
使徒行伝 21:8–14
復活祭後第7週の月曜日
その頃、パウロはそれらの人々を連れて行き、彼らと共に清めの儀式を済ませた。翌日、彼は神殿に入り、一人ひとりのために供え物を捧げるべき清めの期間が終了したことを告げた。 七日が過ぎようとしたとき、アジア地方のユダヤ人たちは、神殿でパウロを見かけると、民衆全体を扇動し、彼に手をかけながら叫んだ。「イスラエルの人々よ、助けてくれ!この男は至る所で、民と律法とこの場所に対して逆らう教えを説いている。さらに、ギリシャ人を神殿に連れ込み、この聖なる場所を汚したのだ。」 というのも、彼らは以前、エフェソ出身のトロフィモスが彼と一緒に街にいるのを見ており、パウロが彼を神殿に連れ込んだのだと思っていたからである。街全体が騒然となり、大群衆が集まった。人々はパウロを捕らえて神殿の外へ引きずり出し、直ちに門は閉ざされた。 彼らがパウロを殺そうとしたとき、エルサレム全体が騒然としているという知らせが千人隊長のもとに届いた。千人隊長は直ちに兵士たちと百人隊長たちを率いて彼らのもとへ駆けつけた。人々は千人隊長と兵士たちを見ると、パウロを殴るのをやめた。
使徒行伝 21:26–32
復活祭後第7週の火曜日
そのとき、パウロはサンヘドリンの方を見据えて言った。「兄弟たちよ。私は今日まで、神の前で良心に従って生きてきました。」すると、大祭司アナニアは、彼の前に立っていた者たちに、パウロの口を打つよう命じた。そこでパウロは彼に言った。「神があなたを打たれるでしょう、白く塗られた壁よ! あなたは律法に従って裁くために座っているのに、律法に反して、わたしを打つよう命じている。」すると、そこにいた者たちは言った。「神の大祭司を侮辱するのか。」パウロは言った。「兄弟たちよ、彼が大祭司であることを私は知らなかった。なぜなら、『あなたの民の指導者を悪口言ってはならない』と書いてあるからだ。」 パウロは、そこにサドカイ派の一派とファリサイ派の一派がいることを知ると、サンヘドリンでこう叫んだ。「兄弟たちよ。私はファリサイ派の人であり、ファリサイ派の息子である。死者の復活を信じているという理由で、私は裁かれているのだ。」彼がこう言うと、ファリサイ派とサドカイ派の間で論争が起こり、集会は分裂した。 サドカイ派は、復活も天使も霊も存在しないと主張するが、パリサイ派はそれらをすべて認めているからである。大騒ぎとなり、パリサイ派の律法学者たちは立ち上がって論じ合い、こう言った。「この人に何の悪も見当たらない。もし霊や天使が彼に語ったのなら、神に逆らうわけにはいかない。」 しかし、争いが激化したため、千人隊長は、彼らがパウロを引き裂いてしまうのではないかと恐れ、兵士たちに命じて、群衆の中からパウロを連れ出し、要塞へ連行させた。 その翌夜、主はパウロの前に現れて言われた。「勇気を出しなさい、パウロ。あなたがエルサレムでわたしについて証ししたように、ローマでも証ししなければならないからです。」
使徒行伝 23:1–11
復活祭後の第7週の水曜日
その頃、アグリッパ王とベレニケは、フェストを祝うためにケサレアを訪れた。 彼らがそこで何日か過ごした後、フェストは王にパウロの件を持ち出し、こう言った。「ここに、フェリクスによって拘束されたままの男がいます。私がエルサレムにいた際、ユダヤ人の大祭司や長老たちがこの男について訴えに出てきて、彼を裁くよう求めていました。」 私は彼らにこう答えた。『ローマ人には、被告人が告発者を面前に置き、告発に対して弁明する機会を得る前に、誰かを死刑に処するという慣習はない』。彼らがここに来たとき、私は一切の遅滞なく、翌日には裁判官の席に着き、その男を連れてくるよう命じた。 告発者たちは彼を取り囲んだが、私が予想していたような告発は一つも提示しなかった。しかし、彼らは自分たちの神への崇拝や、ある死んだイエスについて、パウロが「彼は生きている」と主張していることに関して、彼と幾つかの論争を交わした。
使徒行伝 25:13–19
復活祭後の第7週の木曜日
そのとき、アグリッパはパウロに言った。「あなたは自分のために弁明してもよい。」そこでパウロは手を伸ばして、自分の弁護を始め、こう言った。「アグリッパ王よ。今日、ユダヤ人たちが私を告発しているすべての事柄について、あなたの前で弁明できることを、私は幸いだと考えます。とりわけ、あなたはユダヤ人のあらゆる慣習や論争の的となっている見解をよくご存知だからです。 それゆえ、どうか寛大に私の話を聞いていただきたい。私の生涯は、若き日から、当初エルサレムで同胞たちと共に過ごした時期を含め、すべてのユダヤ人に知られています。彼らが証言しようと思えば、私が私たちの信仰において最も厳格な教えに従ってパリサイ人として生きてきたことを、彼らは古くから知っているのです。 そのために、大祭司たちからの権限と使命を受けてダマスカスへ向かう途中、真昼の道中で、陛下、私は天から太陽の輝きをも凌ぐ光が、私と私と共に歩んでいた者たちを照らすのを見ました。 私たちは皆、地面に倒れ込み、私はヘブライ語でこう語る声を聞きました。「サウロ、サウロ! なぜわたしを迫害するのか。逆らって進むのは難しいぞ。」私は言いました。「主よ、あなたはどなたですか。」すると、その方は言われました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ、立ち上がって、自分の足で立ちなさい。 私があなたに現れたのは、あなたを奉仕者とし、また、あなたが見たこと、そして私があなたに明らかにすることの証人とするためである。私はあなたをユダヤ人の群れや異邦人から救い出し、今、あなたを彼らのもとへ遣わして、彼らの目を開かせ、彼らが闇から光へ、サタンの支配から神へと立ち返り、 また、わたしを信じることで、罪の赦しを受け、聖別された者たちと共に分け前を得られるようにするためである」。 それゆえ、アグリッパ王よ、私は天からの啓示に逆らうことなく、まずダマスコとエルサレムの住民に、次にユダヤ全土と異邦人たちに、悔い改め、神に立ち返り、悔い改めにふさわしい行いをするよう宣べ伝えました。
使徒行伝 26:1–5; 12–20
5月21日、聖コンスタンティヌス王
その頃、私たちがイタリアへ航海することを決めたとき、パウロと他の数人の囚人たちは、アウグストゥスの部隊に所属するユリウスという百人隊長に引き渡された。私たちはアドラミスの船に乗り込み、アジアの沿岸を航行するつもりで出航した。 私たちには、テッサロニキ出身のマケドニア人、アリスタルコスが同行していた。翌日、シドンに寄港した。ユリウスはパウロに親切に接し、彼が友人たちのところへ行き、彼らの献身的な助けを受けることを許した。 そこから出発し、逆風のためキプロスに到着し、キリキアとパンフィリアの沖を航行して、リキアのミレにたどり着いた。そこで百人隊長は、イタリアへ向かうアレクサンドリアの船を見つけ、私たちをその船に乗せた。 何日もゆっくりと航行し、クニドスにようやく並んだところで、私たちにとって不利な風のため、サルモネ近くのクレタ島に近づいた。苦労してその島を通り過ぎると、「良い港」と呼ばれる場所に到着した。その近くにはラセイアという町があった。 しかし、かなりの時間が経過し、断食期間も過ぎていたため、航海はすでに危険な状態になっていた。そこでパウロは彼らにこう助言した。「皆さん、この航海は困難を伴い、積荷や船だけでなく、私たちの命にも大きな危害が及ぶことが見受けられます。」しかし、百人隊長はパウロの言葉よりも、舵手や船長の判断を信頼していた。 また、その港は越冬に適していなかったため、多くの者が、可能であれば、南西風や北西風から守られたクレタ島の港であるフィニクスまで行き、そこで越冬するよう提案した。 南風が吹き始め、彼らは望みを叶えたと思い、出航してクレタ島の近くを航行した。しかし間もなく、エウロクリドンと呼ばれる激しい逆風が吹き荒れた。 船は風をまともに受けて抵抗できず、私たちは波に翻弄されながら漂流した。そして、「クラウダ」と呼ばれる小さな島に打ち上げられ、かろうじて船を留めることができた。 船を座礁から救い出すと、応急処置を施し、船を縛り始めた。座礁を恐れて帆を下ろし、その状態で漂流を続けた。翌日、激しい嵐に襲われたため、積荷を海に投げ捨て始め、三日目には自分たちの手で船から荷物を投げ捨てた。 しかし、何日も太陽も星も見えず、激しい嵐が続いたため、ついに私たちの救いへのあらゆる希望が消え去った。長い間何も食べていなかったため、パウロは彼らの真ん中に立ち、こう言った。「諸君! 私の言うことを聞き、クレタ島を離れないべきだった。そうすれば、このような困難や被害を免れたはずだ。 しかし今、私はあなたがたに勇気を奮い立たせるよう説得します。あなたがたのうち、一人として死ぬ者はなく、船だけが沈むからです。なぜなら、私が属し、仕えている神の御使いが、この夜、私に現れてこう言ったからです。『恐れるな、パウロよ。あなたはカエサルの前に立つことになる。見よ、神はあなたと共に航海する者たちすべてをあなたに与えてくださった。』 それゆえ、諸君、勇気を出しなさい。私は神を信じています。私に告げられたとおりになるのです。私たちはきっと、どこかの島に打ち上げられることになるでしょう。 アドリア海を漂流して十四夜目、真夜中頃、船乗りたちは何らかの陸地に近づいていることに気づき、水深を測ると二十サジェンあった。その後、少し離れた場所で再び測ると、十五サジェンであった。 岩場に乗り上げるのを恐れて、船尾から四つの錨を降ろし、夜が明けるのを待った。 船員たちが船から逃げ出そうとして、船首から錨を下ろすふりをして小舟を海に降ろそうとしたとき、パウロは百人隊長と兵士たちに言った。「もし彼らが船に残らなければ、あなたがたは助かることはできない。」そこで兵士たちは小舟のロープを切り落とし、小舟は海に落ちた。 夜が明ける前に、パウロは皆に食事を取るよう勧め、こう言った。「今日で、あなたがたが待ち続け、何も口にせずにいるのは十四日目になります。ですから、どうか食事を取ってください。それがあなたがたの命を守ることに役立つでしょう。あなたがたのうち、誰一人として頭の毛一本も失われることはないからです。」 そう言ってパンを取り、皆の前で神に感謝をささげ、それを裂いて食べ始めた。すると、皆は勇気づけられ、同様に食事をとった。船に乗っていたのは、私たち全員で二百七十六人であった。食事を終えると、小麦を海に投げ捨てて、船の荷を軽くし始めた。 日が明けると、陸地は見当たらなかったが、緩やかな岸を持つある入り江が見えたので、可能であればそこに船を寄せようと決めた。そして、錨を上げ、海を進み、舵の縄を解き、風に向かって小さな帆を揚げ、岸に向かって進んだ。 砂州に乗り上げ、船は座礁した。船首は砂に埋もれて動けなくなり、船尾は波の勢いで打ち砕かれていた。兵士たちは、誰かが泳いで逃げ出さないよう、捕虜たちを殺害することに同意しかけていた。 しかし、百人隊長はパウロを救おうと、兵士たちをその考えから思いとどまらせ、泳げる者には真っ先に海に飛び込んで陸に上がるよう命じ、残りの者には板に乗るか、船の残骸などを使って脱出するよう指示した。こうして、全員が陸にたどり着くことができた。
使徒行伝 27:1–44
復活祭後第7週の金曜日
そのとき、難を逃れたパウロの一行は、その島がメリトと呼ばれることを知った。異邦人たちは私たちに多大な慈愛を示してくれた。というのも、雨と寒さのため、彼らは火を焚き、私たち全員を温かく迎え入れてくれたからである。 さて、パウロが多くの小枝を集めて火に投げ入れたとき、熱に誘われて一匹の毒蛇が現れ、彼の腕にまとわりついた。異邦人たちは、彼の腕にまとわりついている蛇を見て、互いにこう言った。「この人はきっと殺人者だ。海から救われたにもかかわらず、神の裁きによって生き延びることが許されていないのだから。」 しかし、パウロはその蛇を火の中に振り落とし、何の害も受けなかった。彼らは、パウロが腫れ物を起こすか、あるいは突然死んで倒れるのではないかと待っていた。しかし、長い間待っても彼に何の災いも起こらないのを見て、考えを変え、「この人は神だ」と言い始めた。 その場所の近くには、プブリウスという名の島の長の邸宅があった。彼は私たちを迎え入れ、三日間、親しくもてなしてくれた。プブリウスの父は、高熱と腹痛に苦しんで寝込んでいた。パウロは彼のところへ入り、祈りを捧げ、彼に手を置いて癒した。 この出来事の後、島に住む他の病人もやって来て癒やされ、彼らは私たちに多くの敬意を表し、出発の際には必要な物資を支給してくれた。三ヶ月後、私たちはその島で越冬していた「ディオスクーロイ」という名のアレクサンドリア船で出航し、シラクーサに到着して三日間滞在した。 そこから出航してリギアに到着した。そして、一日後に南風が吹き始め、二日目にプテオールに到着した。そこで兄弟たちを見つけ、七日間滞在するよう懇願された後、ローマへ向かった。現地の兄弟たちは、私たちのことを聞きつけ、アッピア広場と三つの宿屋まで出迎えてくれた。 パウロは彼らを見て、神に感謝し、勇気づけられた。私たちがローマに着くと、百人隊長は囚人たちを軍司令官に引き渡し、パウロには、彼を見張る兵士一人と共に別々に暮らすことが許された。 三日後、パウロはユダヤ人の指導者たちを招集し、彼らが集まると、こう語った。「兄弟たちよ。私は、民や先祖の慣習に背くようなことは何一つしていないのに、エルサレムから鎖につながれたまま、ローマ人の手に引き渡されたのです。 彼らは私を裁いた後、私に死に値するような罪は何もないとして釈放しようとした。しかし、ユダヤ人たちがこれに異議を唱えたため、私はカエサルの裁きを求めることを余儀なくされた。もっとも、それは決して私の民を何かで告発するためではない。 それゆえ、私はあなた方と面会し、話し合うために呼び寄せたのです。というのも、私はイスラエルの希望のために、この束縛を課されているからです。」すると、彼らは彼に言った。「私たちはユダヤからあなたに関する手紙も受け取っていませんし、訪ねてきた兄弟たちの中にも、あなたについて知らせたり、何か悪いことを言ったりした者はいません。 とはいえ、あなたがどのように考えているのか、私たちもあなたから直接聞きたい。この教えについては、至る所で論争が起きていることは私たちも知っているからだ。 そして、彼に日取りを決めると、大勢の人が宿屋に彼を訪ねてきた。彼は朝から夕方まで、モーセの律法と預言者たちの言葉を用いて、イエスについて証しし、彼らを確信させながら、神の御国についての教えを説いた。 ある者はその言葉に納得したが、ある者は信じなかった。そして、互いに意見が分かれたため、パウロが次のように言ったとき、彼らは立ち去った。「聖霊は、預言者イザヤを通して、私たちの先祖たちにこう言われたのは正しい。 『この民のところへ行って、こう言いなさい。「耳で聞いても悟らず、目で見ても見えない。」』 これらの者たちの心は鈍り、耳は聞き取りにくく、目は閉ざされている。それは、目で見ず、耳で聞かず、心で悟らず、回心してわたしに癒やされることがないようにするためである。だから、神の救いは異邦人に送られたことを、あなたがたは知っておくべきだ。彼らこそがそれを聞くのである。」 彼がこう言うと、ユダヤ人たちは互いに激しく議論しながら去って行った。そしてパウロは、自分の費用で丸二年も過ごし、訪ねて来る者すべてを受け入れ、神の御国を宣べ伝え、主イエス・キリストについて、あらゆる大胆さをもって、何の妨げもなく教えていた。
使徒言行録 28:1–31
復活祭後の第7週の土曜日
神と主イエス・キリストのしもべヤコブから、散らされている十二部族の皆さんへ――喜びなさい。 兄弟たちよ、さまざまな試練に遭うとき、大きな喜びをもってそれを受け入れなさい。あなたがたの信仰が試されることで忍耐が養われることを知ってください。そして、その忍耐が完全な働きを成し遂げるようにしなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けるところのない、完全な者となるのです。 もしあなたがたのうち、知恵に欠ける者がいるなら、すべての人に惜しみなく、非難することなく与えてくださる神に願い求めなさい。そうすれば、与えられます。しかし、信仰をもって、少しも疑うことなく願い求めなさい。疑う者は、風によって吹き上げられ、あちこちと揺れ動く海の波のようだからです。そのような人は、主から何かを受けるとは思ってはなりません。 心が二分されている人は、そのすべての道において確固としていない。兄弟よ、卑しい者は自分の高さを誇り、富める者は自分の卑しさを誇りなさい。富める者は、草の花のように過ぎ去るからである。 太陽が昇り、暑さが訪れ、その暑さで草は枯れ、その花は散り、その美しさは消え去る。そうして、富める者もまた、その歩みにおいて枯れていく。試練に耐える人は幸いである。なぜなら、試練に耐え抜いた者は、主を愛する者たちに主が約束された「いのちの冠」を受けるからである。 試練に遭ったとき、だれも「神が私を試みている」と言ってはならない。神は悪に誘惑されることもなく、ご自身もだれをも誘惑されないからである。しかし、人はそれぞれ、自分の欲望に引きずられ、惑わされて誘惑に陥る。そして、欲望は芽生えると罪を産み、罪が成されると死を産む。愛する兄弟たちよ、惑わされてはならない。 あらゆる良い賜物、あらゆる完全な贈り物は、上から、すなわち、変化も移り変わりもない光の父から下ってくる。神は御心により、真理のことばによって私たちを生まれさせ、御自身の被造物の初めのものとなるようにされたのである。
ヤコブの手紙 1:1–18
第31週の水曜日
愛する兄弟たちよ、すべての人は、聞くことに速く、語ることに遅く、怒ることに遅くあれ。人の怒りは、神の義を成し遂げることはないからである。それゆえ、あらゆる不純さと悪意の残滓を捨て去り、柔和な心をもって、あなたがたの魂を救うことのできる、植え付けられた御言葉を受け入れなさい。 あなたがたは、ただ聞くだけで自分を欺く者ではなく、御言葉を行う者でありなさい。なぜなら、御言葉を聞いても行わない者は、鏡に映った自分の顔を見つめる人に似ているからである。その人は自分を見て、立ち去ると、すぐに自分がどのような者であったかを忘れてしまう。 しかし、完全な律法、すなわち自由の律法を深く理解し、それに従い続ける者は、忘れっぽい聞き手ではなく、行いを実践する者であり、その行いにおいて幸いである。 あなたがたのうち、自分が敬虔であると思いながら、舌を制せず、自分の心を欺いている者がいるなら、その人の敬虔は空しいものである。神であり父である御前における清く汚れのない敬虔とは、孤児や未亡人の苦しみを見捨てず、この世から自分を清く保つことである。
ヤコブの手紙 1:19–27
第31週の木曜日
兄弟たちよ、栄光の主イエス・キリストを、人を見分けずに信じなさい。もし、金指輪をはめ、豪華な服を着た人が、また、粗末な服を着た貧しい人が、あなたがたの集まりに入ってきたとき、あなたがたが豪華な服を着た人を見て、「ここに座ってください」と言い、貧しい人には、「 『あそこに立て』と言ったり、『私の足元に座れ』と言ったりするなら、あなたがたは心の中で裁きを下し、悪意に満ちた裁き人になってはいないでしょうか。聞いてください、愛する兄弟たちよ。神は、この世の貧しい人々を選んで、信仰において富み、神を愛する者たちに約束された御国の相続人となさったではありませんか。それなのに、あなたがたは貧しい者を軽んじているのです。 あなたたちを虐げているのは、富める者たちではありませんか。あなたたちを裁判に引きずり込んでいるのも、彼らではありませんか。あなたたちが名乗るその良い名を汚しているのは、彼らではありませんか。もしあなたがたが、聖書にある「隣人を自分自身のように愛せよ」という王の律法を履行するなら、それは良いことです。しかし、もしあなたがたが差別的な態度をとるなら、罪を犯していることになり、律法の前で罪人となってしまいます。 律法全体を守りながら、ただ一つの点で罪を犯す者は、すべてにおいて有罪となる。なぜなら、「姦淫してはならない」と言われた方は、「殺してはならない」とも言われたからである。したがって、もしあなたが姦淫は犯さなくても、人を殺すならば、あなたもまた律法の違反者となる。 自由の律法によって裁かれる者として、そのように語り、そのように行いなさい。なぜなら、憐れみを示さなかった者には、憐れみのない裁きが下るからであり、憐れみは裁きに勝るからである。
ヤコブの手紙 2:1–13
第31週の金曜日
兄弟たちよ、もし誰かが「自分は信仰を持っている」と言いながら、行いがなければ、何の役に立つだろうか。その信仰が、その人を救うことができるだろうか。もし兄弟や姉妹が裸で、日々の糧に事欠いているのに、あなたがたのうちの誰かが、「平安に去りなさい。暖まり、腹を満たしなさい」と言いながら、その体に必要なものを与えなければ、何の役に立つだろうか。 それと同じように、行いのない信仰は、それ自体、死んでいるのです。しかし、誰かが「あなたは信仰を持っているが、私は行いを持っている」と言うなら、あなたの行いのない信仰を私に見せてください。そうすれば、私は私の行いによる信仰をあなたに見せてあげましょう。 あなたは、神は唯一であると信じている。それは良いことだ。しかし、悪霊たちも信じて震えている。だが、根拠のない人よ、行いのない信仰は死んでいることを知りたいか。私たちの父アブラハムは、自分の息子イサクを祭壇の上に捧げることで、行いによって義と認められたのではないのか。 信仰が彼の行いを支えたこと、そして行いによって信仰が完成に至ったことを、お分かりだろうか。こうして、「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められ、彼は神の友と呼ばれた」という聖書の言葉が成就したのである。 人は、信仰だけではなく、行いによって義と認められることがお分かりでしょうか。同様に、娼婦ラアブも、偵察者たちを受け入れ、別の道から逃がしてやったという行いによって、義と認められたのではありませんか。なぜなら、霊のない体は死んでいるのと同じように、行いのない信仰も死んでいるからです。
ヤコブの手紙 2:14–26
第32週の月曜日
兄弟たちよ、教師になろうとする者は多くあってはならない。私たちは皆、多くの罪を犯しているのだから、より厳しい裁きを受けることになることを知っていなければならない。言葉において罪を犯さない者は、完全な人であり、全身をも制御することができる。見よ、私たちは馬の口に手綱を当てて、従わせ、その全身を操るのである。 見よ、船もまた、どれほど大きく、どれほど強い風に吹き飛ばされようとも、小さな舵によって、舵取りが望む方向へと導かれる。同様に、舌もまた、小さな器官でありながら、多くのことをなす。見よ、小さな火がどれほど多くの物を燃やすことか!そして舌は火であり、不義の装飾である。 舌は私たちの体の器官の中で、全身を汚し、命の輪を燃え上がらせるような位置にあり、それ自体がゲヘナから燃え上がっているのです。なぜなら、あらゆる獣や鳥、這うものや海の生き物の性質は、人間の性質によって抑えられ、すでに抑えられているのに、舌だけは人間の中で誰も抑えることができないからです。それは抑えきれない悪であり、 それは致命的な毒に満ちている。私たちはそれによって神であり父である方を祝福し、またそれによって神の似姿に造られた人々を呪う。同じ口から祝福と呪いが発せられる。兄弟たちよ、このようなことがあってはならない。
ヤコブの手紙 3:1–10
第32週の火曜日
兄弟たちよ、一つの泉から、甘い水と苦い水が同時に湧き出るだろうか。兄弟たちよ、いちじくの木がオリーブの実を実らせたり、ぶどうの木がいちじくを実らせたりすることはあり得ない。同様に、一つの泉から塩辛い水と甘い水が同時に湧き出ることもない。あなたがたのうち、賢く分別のある者がいるなら、そのことを、知恵に満ちた柔和さをもって、実際に行動で示しなさい。 しかし、もしあなたがたの心に苦い嫉妬や争いがあるなら、自慢したり、真理を偽ったりしてはなりません。それは上から来る知恵ではなく、地上の、肉的な、悪魔的なものです。なぜなら、嫉妬と争いがあるところには、混乱とあらゆる悪があるからです。しかし、上から来る知恵は、まず第一に、 清く、次に平和で、謙虚で、従順で、憐れみに満ち、良い実を結び、偏見がなく、偽りがない。そして、平和を保つ者たちのうちには、この世において真理の実が蒔かれる。あなたがたの敵意や争いはどこから来るのか。それは、あなたがたの肢体の中で戦っている欲望からではないのか。あなたがたは望みながら持たず、 殺し、嫉妬するが、得ることができない。争い、敵対するが、持っていない。それは、求めないからである。求めても得られないのは、善のためではなく、自分の欲望を満たすために求めているからである。姦淫する者たちよ! 世と友となることは、神に対する敵対であることを知らないのか。 それゆえ、世と友となろうとする者は、神の敵となるのです。それとも、聖書が「私たちの中に住む御霊は、嫉妬するほどに私たちを愛しておられる」と語っているのは、むなしいことだとお考えですか。しかし、神はそれゆえに、なおさら豊かな恵みを与えてくださいます。それゆえ、「神は高ぶる者に敵対し、謙遜な者に恵みを与えられる」と書かれているのです。
ヤコブの手紙 3:11–4:6
第32週の水曜日
愛する者たちよ、神に従いなさい。悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたたちから逃げ去るでしょう。神に近づきなさい。そうすれば、神もあなたたちに近づいてくださいます。罪人よ、手を清めなさい。二心のある者よ、心を正しなさい。心を砕き、泣き、嘆きなさい。あなたの笑いは泣きに変わり、喜びは悲しみに変わるでしょう。 主の御前にへりくだりなさい。そうすれば、主はあなたがたを高くしてくださいます。兄弟たちよ、互いに悪口を言わないでください。兄弟を悪口で非難したり、裁いたりする者は、律法を悪口で非難し、律法を裁いているのです。もしあなたが律法を裁くなら、あなたは律法を守る者ではなく、裁く者なのです。 救うことも滅ぼすこともできる立法者であり裁き主はただお一人です。それなのに、あなたは誰であって、他人を裁くのですか。さて、「今日か明日、あの町へ行って、そこで一年間暮らし、商売をして利益を得よう」と言う人々よ、よく聞きなさい。あなたがたは、明日何が起こるかさえ知らないのです。なぜなら、あなたがたの命とは何でしょうか。 ほんの少しの間現れては、すぐに消えてしまう霧のようなものです。「もし主の御心があって、私たちが生きているなら、これやあれをしよう」と言う代わりに、あなたがたは高慢のゆえに自慢しています。そのような自慢はすべて悪です。ですから、善を行うことを知りながら行わない者は、罪を犯しているのです。 富める者たちよ、よく聞きなさい。あなたがたに降りかかる災いについて、泣き叫び、嘆きなさい。あなたがたの富は腐り、あなたがたの衣は虫に食われている。あなたがたの金や銀は錆びつき、その錆はあなたがたに対する証人となり、火のようにあなたがたの肉を食い尽くす。あなたがたは、終わりの日のために宝を蓄えてきたのだ。 見よ、あなたがたが、あなたがたの畑を刈り取った労働者たちから差し引いた賃金は、叫び声を上げ、刈り取り人たちの叫びは、万軍の主の耳に届いている。あなたがたは地上で贅沢に暮らし、楽しみ、まるで屠殺の日のように、あなたがたの心を満たした。あなたがたは義人を裁き、殺した。しかし、彼はあなたがたに抵抗しなかった。 それゆえ、兄弟たちよ、主の来臨まで忍耐強くありなさい。見よ、農夫は、地から貴重な実りを待ち望み、それのために、初めの雨と終わりの雨が降るまで、長く忍耐している。あなたがたも忍耐し、心を強めなさい。主の来臨が近づいているからである。 兄弟たちよ、互いに不平を言わないようにしなさい。さもないと、裁きを受けることになります。見よ、裁き主が戸口に立っておられます。
ヤコブの手紙 4:7–5:9
第32週の木曜日
兄弟たちよ、苦難と忍耐の模範として、主の御名によって語った預言者たちを見習いなさい。見よ、私たちは、耐え忍んだ人々を祝福する。あなたがたはヨブの忍耐について聞いたことがあり、主が彼に与えられた結末を見た。主はまことに憐れみ深く、思いやりのある方だからである。 まず第一に、兄弟たちよ、天によっても、地によっても、またその他のいかなる誓いによっても誓ってはなりません。ただ、「はい、はい」と、「いいえ、いいえ」とだけ言い、裁きに遭わないようにしなさい。あなたがたのうち、苦難に遭っている者がいれば、祈りなさい。喜んでいる者がいれば、賛美歌を歌いなさい。 あなたがたのうち、病んでいる者がいれば、教会の長老たちを呼び、主の御名によって聖油を塗って、その人のために祈らせなさい。信仰に満ちた祈りは病人を癒やし、主はその人を立ち上がらせてくださる。もしその人が罪を犯していたとしても、その罪は赦される。 互いに過ちを告白し合い、癒やされるために互いのために祈りなさい。義人の熱心な祈りは大きな力を持つからです。エリヤは私たちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと祈りました。すると、三年間六ヶ月の間、地上に雨は降りませんでした。 そして再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を結んだ。兄弟たちよ。もしあなたがたのうち、だれかが真理から逸れても、それを正してくれる者がいれば、その人は、罪人を誤った道から立ち返らせた者は、その魂を死から救い、多くの罪を覆うことになることを知れ。
ヤコブの手紙 5:10–20
7月20日、預言者エリヤの日。
干ばつの時
兄弟たちよ、苦難と忍耐の模範として、主の御名によって語った預言者たちを見習いなさい。見よ、私たちは忍耐した者たちを祝福する。あなたがたはヨブの忍耐について聞いたことがあり、主が彼に与えられた結末を見た。主はまことに憐れみ深く、思いやりのある方だからである。 まず第一に、兄弟たちよ、天によっても、地によっても、またその他のいかなる誓いによっても誓ってはなりません。ただ、「はい、はい」と、「いいえ、いいえ」とだけ言い、裁きに遭わないようにしなさい。 あなたがたのうち、苦しんでいる者がいれば、祈りなさい。喜んでいる者がいれば、賛美歌を歌いなさい。あなたがたのうち、病気の者がいれば、教会の長老たちを呼び、主の御名によって油を塗って、その人のために祈らせなさい。 信仰に満ちた祈りは病人を癒やし、主は彼を立ち上がらせてくださる。もし彼が罪を犯していたとしても、その罪は赦される。互いに過ちを告白し合い、癒やされるために互いのために祈りなさい。義人の熱心な祈りは大きな力を持つ。
ヤコブの手紙 5:10–16
病める者について
イエス・キリストの使徒ペテロから、ポンテ、ガラティア、カッパドキア、アジア、ビフィニアに散らされている異邦人、すなわち、父なる神の予知により、御霊による聖別を通して、イエス・キリストの血による清めと従順へと召された選ばれた者たちへ。あなたがたに恵みと平安が豊かにありますように。 この救いこそ、預言者たちの探求と研究の対象であった。彼らは、あなたがたに定められた恵みについて預言し、キリストの御霊が彼らの中に住まわれて、キリストの苦難と、それに続く栄光を予告されたとき、それがいつ、どのような時期を指し示しているのかを探求していたのである。 彼らには、今、天から遣わされた聖霊によって福音を宣べ伝える者たちによってあなたがたに宣べ伝えられていることが、彼ら自身のためではなく、私たちのためにあることが明らかにされていました。それは、御使いたちも深く知りたいと願っていることです。 なぜなら、聖書にはこう記されているからです。「見よ、わたしはシオンに、選り抜かれた、尊い礎石を据える。彼を信じる者は、決して恥じることはない。」 ですから、この方は、信じる者たちにとっては尊いものですが、信じない者たちにとっては、建築者たちが拒んだ石であり、それにもかかわらず、隅の親石となったものです。また、つまずきの石、惑わしの石でもあり、彼らは御言葉に従わないために、この石につまずき、その結果、見捨てられてしまったのです。 しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王のような祭司、聖なる民、神の所有とされた人々であり、暗闇から神の驚くべき光へと招いてくださった方の御業を宣べ伝えるためです。かつては民ではなかったが、今は神の民であり、かつては憐れみを受けなかったが、今は憐れみを受けているのです。
ペトロの手紙一 1:1–2, 10–12; 2:6–10
第32週の金曜日
兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの父なる神を賛美します。神は、その偉大な憐れみによって、イエス・キリストの死からの復活を通して、私たちを生き生きとした希望、朽ちることのない御国、 清く、枯れることのない、あなたがたのために天に蓄えられている相続分へと、神の力によって信仰を通して救いへと守られ、終わりの時に明らかにされるであろうものへと、私たちをよみがえらせてくださった。 このことについて、もし必要であれば、今しばらくの間、さまざまな試練によって少し苦しむことがあっても、喜びなさい。そうすれば、試練を経たあなたがたの信仰は、たとえ火で試されるとしても滅びてしまう金よりも尊いものとなり、イエス・キリストの現れにおいて、称賛と誉れと栄光をもたらすことになるからです。あなたがたは、その方を見たことがないのに愛し、 また、今に至るまで御姿を見たことはないが、御方を信じて、言い表せないほど、また極めて栄光に満ちた喜びをもって喜び、ついに信仰によって魂の救いに至るのです。
ペトロの手紙一 1:3–9
6月29日、聖使徒ペトロとパウロ、パリミア1
愛する者たちよ、心の腰を締め、目を覚まして、イエス・キリストの現れにおいてあなたがたに与えられる恵みを、全き信頼をもって待ち望みなさい。 従順な子らとして、かつて無知のうちに抱いていた欲望に従ってはなりません。むしろ、あなたがたを召された聖なる方の模範に従い、すべての行いにおいて聖なる者となりなさい。なぜなら、「わたしは聖なる者であるから、あなたがたも聖なる者となりなさい」と書かれているからです。 また、行いに応じて誰に対しても偏りなく裁かれる方を『父』と呼ぶのであれば、あなたがたの旅路の期間を畏れをもって過ごしてください。あなたがたは、先祖から受け継いだむなしい生活から、朽ちる銀や金によってではなく、傷のない、清らかな小羊であるキリストの尊い血によって贖われたことを知っているからです。
ペトロの手紙一 1:13–19
6月29日、聖使徒ペトロとパウロ、パラミア第2
愛する者たちよ、あなたがたは旅人であり、寄留者であるゆえに、魂を貶める肉欲から遠ざかり、異邦人の間で徳ある生活を送るようにしてください。そうすれば、あなたがたを悪人として中傷している者たちも、あなたがたの善行を見て、裁きの日に神を賛美するようになるでしょう。 ですから、主のために、あらゆる人間的な権威に従いなさい。王であれば、最高権威として。役人であれば、王から遣わされ、罪人を罰し、善を行う者を励ます者として。なぜなら、私たちが善を行い、 無知で愚かな人々の口を塞ぐこと――自由な者として、悪を隠すために自由を利用するのではなく、神のしもべとして。すべての人を敬い、兄弟を愛し、神を畏れ、王を尊びなさい。 しもべたちは、あらゆる恐れをもって、主人に従いなさい。善良で柔和な主人だけでなく、厳しい主人に対してもです。なぜなら、神を心に留め、不当に苦しめられても耐え忍ぶことは、神に喜ばれることだからです。過ちのために打たれて耐えることに、何の誉れがあるでしょうか。 しかし、善を行いながら苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神に喜ばれる。あなたがたは、そのために召されているのである。キリストもまた、私たちのために苦しみを受け、私たちに模範を残して、その足跡をたどるようにされたからである。キリストは、いかなる罪も犯さず、その口には偽りもなく、 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅し返さず、ただ義なる裁き主に委ねられました。キリストは、私たちの罪を御自身の体に負って木に架け、私たちが罪から解放され、義のために生きるようにしてくださったのです。
ペトロの手紙一 2:11–24a
6月29日、聖使徒ペトロとパウロ、パラミア3
愛する者たちよ、キリストは私たちのために苦しみを受け、私たちに模範を残して、私たちがその足跡をたどるようにされました。キリストは、いかなる罪も犯さず、その口には偽りはありませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅し返さず、ただ義なる裁き主に委ねられました。 キリストは、私たちの罪を御自身の体に負って木に架け、私たちが罪から解放され、義のために生きるようにしてくださいました。キリストの傷によって、あなたがたは癒やされたのです。あなたがたはかつて、(羊飼いのいない)迷い羊のようでしたが、今や、あなたがたの魂の羊飼いであり守り主である方のもとに戻ったのです。 また、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。そうすれば、御言葉に従わない夫たちも、言葉を使わずに、妻たちの清く、神を畏れる生き方を見て、感化されるようになるでしょう。 あなたがたの飾りは、外見的な髪のアレンジや、金の装飾、あるいは派手な服装ではなく、心の奥底にある、神の御前で尊ばれる、朽ちることのない美しさ、すなわち柔和で静かな霊によるものであってほしい。かつて、神に信頼を置いた聖なる妻たちも、夫に従うことによって、このように自らを飾っていたのである。 サラもまた、アブラハムを「主」と呼んで従いました。あなたがたが善を行い、いかなる恐れにも動じないのであれば、あなたがたは彼女の子供たちなのです。また、夫たちよ、妻たちを最も弱い器として、分別をもって扱い、恵みあるいのちの共同相続人として彼女たちを尊びなさい。そうすれば、あなたがたの祈りに妨げが生じないでしょう。 最後に、あなたがたは皆、心を一つにし、思いやりを持ち、兄弟を愛し、憐れみ深く、友好的で、謙遜でありなさい。悪に対して悪で返し、ののしりに対してののしりで返してはならない。それどころか、あなたがたが祝福を受け継ぐように召されていることを知って、祝福しなさい。
ペトロの手紙一 2:21b–3:9
第33週の月曜日
愛する者たちよ、命を愛し、幸いな日々を望む者は、その舌を悪から、その口を悪意ある言葉から遠ざけなさい。悪を避け、善を行いなさい。平和を求め、それを追い求めなさい。主の目は義なる者に向けられ、その耳は彼らの祈りに傾いているが、主の御顔は悪を行う者たちに向けられている (彼らを地から根絶やしにするためである)。あなたがたが善に熱心であるならば、だれがあなたがたに悪を行うだろうか。しかし、もし義のために苦難を受けるとしても、あなたがたは幸いである。彼らの脅しを恐れてはならず、動揺してはならない。 あなたがたの心の中で、主なる神を聖とせよ。あなたがたの希望について説明を求められる者には、いつでも、柔和さと敬虔さをもって答える用意をしておきなさい。良心を清く保ちなさい。そうすれば、あなたがたを悪人として中傷する者たちは、キリストにあるあなたがたの善き生き方を非難したことで、恥をかかされることになる。 なぜなら、もし神の御心にかなうならば、悪行のためよりも善行のために苦難を受けるほうがよいからです。キリストもまた、私たちを神のもとへ導くために、かつて私たちの罪のために、義なる方が不義な者のために、肉において死に渡され、 しかし、御霊によって生き返り、その御霊によって、かつてノアの時代、箱舟が造られていた間に、神の寛容を待ちながら不従順であった者たち――すなわち、わずかな者、つまり八人の魂だけが水から救われた――の霊たちのもとへ下り、彼らに福音を宣べ伝えられたのです。 それと同様に、今や私たちも、この模範に倣って、バプテスマ――それは肉体の汚れを洗い流すことではなく、神に対する良心の約束――によって、イエス・キリストの復活によって救われています。キリストは天に昇り、神の右の座におられ、御使いたちや支配者たちや力ある者たちが、キリストに従っています。
ペトロの手紙一 3:10–22
第33週の火曜日
愛する者たちよ、キリストが私たちのために肉において苦しみを受けられたように、あなたがたもまた、同じ心構えを備えなさい。なぜなら、肉において苦しみを受ける者は、もはや罪を犯すことをやめ、この世に残された肉体の生涯を、もはや人間の欲望に従ってではなく、神の御心に従って生きるようになるからです。 あなたがたは、かつての生活において、異教の欲望に従い、不潔な行いや情欲(男色、獣姦、邪念)、酩酊、飲食の放蕩、そして愚かな偶像礼拝にふけっていたのですから、それだけで十分です。 それゆえ、彼らはあなたがたが彼らと同じ放蕩に加わらないことを不思議に思い、あなたがたを中傷するのです。彼らは、まもなく生ける者と死んだ者を裁かれる方に対して答えを述べることになるでしょう。なぜなら、死んだ者たちにも福音が宣べ伝えられたのは、彼らが肉において人の裁きを受けた後、霊において神に従って生きるためだったからです。 いずれにせよ、すべての終わりは近づいている。何よりも、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからである。不平を言わずに、互いに客を愛しなさい。神の多様な恵みの良い家政者として、それぞれが受けた賜物によって、互いに仕えなさい。 語る者は、神の言葉として語りなさい。仕える者は、神が与えてくださる力に従って仕えなさい。そうすれば、すべての事において、イエス・キリストを通して神が栄光を受けられるようになる。栄光と権威は、世々限りなく、キリストにある。アーメン。
ペトロの手紙一 4:1–11
第33週の水曜日
愛する者たちよ、あなたがたに試練として送られる激しい試練を、まるで自分たちには馴染みのない出来事であるかのように避けようとしてはなりません。むしろ、キリストの苦難に与っているのですから、喜びなさい。そして、キリストの栄光が現れる時には、さらに喜び、大いに喜び祝うのです。 もしキリストの御名のためにあなたがたがののしられるなら、あなたがたは幸いである。栄光の御霊、すなわち神の御霊があなたがたの上に留まっているからである。神は、あの人々によって冒涜され、あなたがたによって栄光を受けられるのである。 ただ、あなたがたのうち、殺人者や泥棒、悪人、あるいは他人の所有物に手を伸ばす者として苦しむことがないように。もしキリスト者として苦しむのであれば、恥じるのではなく、そのような運命を神に感謝し、神を賛美しなさい。なぜなら、裁きは神の家から始まる時が来ているからです。もしまず私たちから始まるのなら、神の福音に従わない者たちの終わりは、どのようなものになるでしょうか。 もし義人でさえかろうじて救われるのであれば、不義で罪深い者はどこへ行くことになるのか。それゆえ、神の御心によって苦難に遭っている人々は、善を行いながら、忠実な創造主である神に自分の魂を委ねなさい。あなたがたの牧者たちよ、私は、キリストの苦難の証人であり、やがて現れる栄光の共同相続人である同労者として、あなたがたに懇願する。 あなたがたに委ねられた神の群れを牧しなさい。それを、強制されるのではなく、喜んで、神に喜ばれるように、卑しい利益のためではなく、熱心さをもって、また、神の遺産を支配するのではなく、群れに模範を示すように。そして、大牧者が現れるとき、あなたがたは朽ちることのない栄光の冠を受けるでしょう。 また、下位の者たちも、牧者たちに従いなさい。互いに従い合い、謙遜の心を身につけなさい。神は高ぶる者を敵視し、謙遜な者には恵みをお与えになるからです。
ペトロの手紙一 4:12–5:5
第33週の木曜日
兄弟たちよ、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。そうすれば、時が来れば、神があなたがたを高く上げてくださいます。あなたがたのあらゆる心配事を神に委ねなさい。神はあなたがたを顧みておられるからです。目を覚まし、警戒しなさい。あなたがたの敵である悪魔は、ほえたける獅子のように歩き回り、誰かを飲み込もうと探しているからです。 確固たる信仰をもって彼に立ち向かいなさい。世にいるあなたがたの兄弟たちも同じような苦難に遭っていることを知ってください。あらゆる恵みの神、すなわち、キリスト・イエスにおいて、ご自身の永遠の栄光へと私たちを召してくださった方は、あなたがたの短い苦難の後、ご自身であなたがたを完成させ、確固たるものとし、強め、揺るぎない者にしてくださいます。 神に、世々限りなく栄光と権威がありますように。アーメン。私は、あなたがたの兄弟であり、忠実なシルワノを通じて、この手紙を簡潔に書き送りました。それは、あなたがたが立っているのが真の神の恵みであることを確信させ、慰め、証しするためです。 バビロンの、あなたがたと同様に選ばれた教会と、私の息子マルコが、あなたがたに挨拶を送ります。互いに愛の口づけをもって挨拶し合いなさい。キリスト・イエスにあって、あなたがたすべてに平安がありますように。アーメン。
ペトロの手紙一 5:6–14
4月25日、聖使徒マルコの日
イエス・キリストのしもべであり使徒であるシモン・ペトロは、私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの真理によって、私たちと同じく尊い信仰を受け入れた者たちへ。神と、私たちの主であるキリスト・イエスを知る知識において、あなたがたに恵みと平安がますます豊かにありますように。 神の御力によって、私たちに必要なすべてのものが、生活と敬虔のために与えられています。それは、私たちを召してくださった方を、その栄光と恵みによって知ることによるものです。その栄光と恵みによって、私たちには偉大で尊い約束が与えられており、それによって、あなたがたは神の性質にあずかる者となり、この世に支配している情欲による堕落から遠ざかるのです。 ですから、あなたがたはこれに全力を尽くし、信仰の中に徳を、徳の中に節制を、節制の中に忍耐を、忍耐の中に敬虔を、敬虔の中に兄弟愛を、兄弟愛の中に愛を示しなさい。 もしこれらがあなたがたのうちにあり、ますます増し加わっていくならば、あなたがたは、私たちの主イエス・キリストを知ることにあって、実を結ばず、成果を得られないままになることはないでしょう。しかし、これらを持たない者は、盲目であり、目を閉ざし、かつての罪が清められたことを忘れてしまっています。ですから、兄弟たちよ、あなたがたの召命と選びを確かなものにするよう、ますます努めなさい。
ペトロの手紙第二 1:1–10
第33週の金曜日
兄弟たちよ、あなたがたの召命と選びをますます確かなものにするよう努めなさい。そうすれば、決してつまずくことはありません。なぜなら、そうすることで、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの永遠の御国への自由な入り口が、あなたがたに開かれるからです。そのために、たとえあなたがたがすでにそれを知っており、真の真理に堅く立っているとしても、私はこのことを絶えずあなたがたに思い起こさせ続けます。 また、この肉なる宮にいる限り、まもなく私の宮を去らなければならないことを、私たちの主イエス・キリストが私に明らかにしてくださったことを知っているので、あなたがたを励まして思い起こさせることは、正しいことだと考えています。 ですから、私が去った後も、あなたがたが常にこのことを心に留めておくよう、私は努めてまいります。なぜなら、私たちは、巧妙に編み出された神話に従うのではなく、主イエス・キリストの偉大さをこの目で目撃した者として、主イエス・キリストの力と再臨をあなたがたに宣べ伝えたからです。 なぜなら、主は父なる神から栄光と誉れを受けられたからです。そのとき、威厳に満ちた栄光の中から、神の御声として次のような声が主のもとへ響き渡りました。「これは、わたしの愛する子、わたしの心に適う者である。」そして、私たちも、聖なる山で主と共にいたとき、天から響き渡ったこの声を耳にしました。 さらに、私たちには、最も確かな預言の言葉があります。あなたがたが、日が明け、あなたがたの心の中に明けの星が昇るまで、暗闇の中で輝く灯火として、その言葉に目を向けるのは、正しいことです。
ペトロの手紙第二 1:10–19
8月6日、主の変容
愛する者たちよ、まず第一に、聖書にある預言は、決して自分自身の解釈によって解き明かしてはならないことを知ってください。なぜなら、預言は決して人間の意志によって語られたことはなく、神の聖なる人々が聖霊に導かれて語ったものだからです。 かつて民の中に偽預言者たちがいたように、あなたがたのところにも偽教師たちが現れ、破滅をもたらす異端をまき散らし、自分たちを贖ってくださった主を拒むことによって、自らに速やかな滅びを招くことになるでしょう。 そして、多くの者が彼らの放蕩に倣い、彼らのせいで真理の道は誹謗されることになる。また、金銭への欲望から、彼らは甘い言葉であなた方を誘い込むだろう。彼らに対する裁きはとっくに定まっており、彼らの滅びは遅れることはない。なぜなら、神は罪を犯した天使たちを容赦せず、地獄の闇の鎖で縛り、懲罰のための裁きに委ねられたからである。 また、最初の世をも容赦せず、不義な世に大洪水をもたらした際、義を宣べ伝えたノアの家族を八人の魂として救い残し、ソドムとゴモラの町々を滅亡の裁きに定め、将来の不義な者たちへの戒めとして灰に変え、一方で、 激しく放蕩にふける人々の間で暮らすことに疲れ果てていた彼を救い出された(この義人は、彼らの間に住みながら、不法な行いを目にして耳にするたびに、義なる魂の中で日々苦しんでいたからである)――それならば、主は、敬虔な者たちを誘惑から救い出し、不法な者たちを裁きの日に備えて、懲罰のために留めておく方法を、確かにご存じである。
ペトロの手紙第二 1:20–2:9
第34週の月曜日
愛する者たちよ、主は、敬虔な人々を試練から救い出し、不義な者たちを裁きの日に至るまで留めておき、罰するために、とりわけ、肉の邪悪な欲望に従い、 権威を軽んじ、傲慢で、わがままであり、上位者たちを中傷することを恐れない者たちを、裁きの日に備えて留めておかれるのです。それなのに、彼らよりも力と強さに勝る天使たちでさえ、主の御前で彼らに対して非難の裁きを口にすることはありません。 彼らは、言葉を持たない動物のように、本能に導かれ、捕らえられ、滅ぼされるために生まれた者たちであり、理解できないものを悪口で罵り、その堕落の中で滅びていく。彼らは不法に対する報いを受ける。なぜなら、彼らは日々の贅沢に快楽を見出し、 恥知らずで不浄な者たちは、自分たちの欺瞞を楽しみ、あなたがたと共に宴を催している。彼らの目は情欲と絶え間ない罪に満ちており、彼らは未熟な魂を惑わし、その心は貪欲に染まっている。これらは呪われた者たちである。 彼らは正しい道を捨て、ボソロの息子バラムの足跡をたどって迷い込んだ。バラムは不義の報酬を愛したが、その不法が暴かれた。言葉を発しない雌ろばが、人の声で語り、預言者の狂気を止めたのである。 彼らは、水のない泉、嵐に吹き飛ばされる雲や霧のような者たちであり、永遠の暗闇が彼らを待っている。なぜなら、彼らは高慢な空虚な言葉を口にし、迷いの中にいる者たちからわずかに離れたばかりの人々を、肉欲と放蕩へと誘い込むからである。 彼らは自ら朽ちるものの奴隷でありながら、人々に自由を約束する。なぜなら、誰に打ち負かされた者は、その者の奴隷となるからである。もし、主であり救い主であるイエス・キリストを知ることを通じて、この世の汚れを避けたにもかかわらず、再びそれに巻き込まれ、それに打ち負かされるならば、そのような者たちにとって、後者は前者よりもさらに悪いことになる。 彼らにとっては、義の道を全く知らなかった方が、知った上で、自分に与えられた聖なる戒めから背を向けて後戻りすることよりもましである。しかし、彼らには次のことわざの通りになる。「犬は自分の吐いた物に戻り、洗われた豚は泥の中に転げ込む」のである。
ペトロの手紙第二 2:9–22
第34週の火曜日
愛する者たちよ、これは私があなたがたに書く二通目の手紙です。これらを通して、あなたがたの清い心を奮い立たせ、かつて聖なる預言者たちが語った言葉と、あなたがたの使徒たちによって伝えられた主であり救い主の戒めを覚えておくようにと、思い出させているのです。 まず第一に、終わりの日には、自分の欲望のままに行動し、「彼の来臨の約束はどこにあるのか」と言う、厚かましい冒涜者たちが現れることを知っておいてください。なぜなら、創造の初めから、先祖たちが死に始めて以来、すべては変わることなく続いているからです。 このように考える者たちは、初めに神の言葉によって、天と地が水から、また水によって造られたことを知らないのです。それゆえ、当時の世界は水に溺れて滅びました。しかし、現在の天と地は、その同じ言葉によって保たれ、裁きの日と不義な者たちの滅びのために、火によって保存されているのです。 愛する者たちよ、一つだけ、あなたがたに隠してはならないことがあります。それは、主にとって一日は千年のようであり、千年は一日のようであるということです。主は約束の成就を遅らせているのではありません。ある人々がそれを遅れだと見なしているように。むしろ、主は私たちに忍耐をもって接しておられ、だれも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに至ることを望んでおられるのです。 主の日は、夜中に泥棒が忍び込むようにやって来る。そのとき、天は轟音とともに過ぎ去り、要素は燃え上がり、滅び、地と、その上にあるすべてのものは焼き尽くされる。 もしこれらすべてがこのように滅び去るのなら、燃え上がる天が滅び、燃え盛る元素が溶けてしまう神の日の到来を待ち望み、切に願うあなたがたは、聖なる生活と敬虔さにおいて、どのような者であるべきでしょうか。しかし、私たちは、神の約束に従って、義が住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。 ですから、愛する者たちよ、これを待ち望みながら、この世において汚れなく、非の打ち所のない者として、御前に現れるよう努めなさい。 また、私たちの主の寛容を救いとして尊びなさい。私たちの愛する兄弟パウロも、彼に与えられた知恵によって、あなたがたに書き送ったとおりです。彼はこのことについて、また、理解しがたい箇所があるすべての書簡の中で語っていますが、無知で信仰が定まっていない者たちは、他の聖書箇所と同様に、それらを自分たちの滅びへと導くものとして曲解しているのです。 ですから、愛する皆さん、このことをあらかじめ知らされているのですから、不義を行う者たちの惑わしに惑わされて、自分の確固たる信仰から離れることのないよう、注意してください。むしろ、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの恵みと知識において成長し続けてください。彼に、今この時も、永遠の御日にも、栄光がありますように。アーメン。
ペトロの手紙第二 3:1–18
第34週の水曜日
初めにあったこと、私たちが聞いたこと、自分の目で見たこと、注視したこと、そして私たちの手で触れたこと、すなわちいのちの言葉について――いのちが現れたからである。 私たちはそれを見て、証しし、また、父のもとにおられ、私たちに現れたこの永遠のいのちを、あなたがたに告げ知らせる。私たちが目にし、耳にしたことを、あなたがたに告げ知らせるのは、あなたがたも私たちと交わりを持つためである。そして、私たちの交わりとは、父とその御子イエス・キリストとの交わりである。 そして、あなたがたの喜びが完全なものとなるように、これをあなたがたに書き送ります。さて、私たちが御子から聞いた、そしてあなたがたに宣べ伝える福音とは、神は光であり、御子にはいかなる闇もない、ということです。 もし、私たちが神との交わりがあると言いながら、暗闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを語り、真理に従って生きていないことになります。しかし、もし、神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、神の御子イエス・キリストの血は、私たちをあらゆる罪から清めてくださいます。
Ⅰヨハネ1:1–7
5月8日、聖使徒ヨハネ・神学者
愛する者たちよ、もし私たちが「罪がない」と言うなら、自分を欺いており、私たちの中には真理がない。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で義なる方であるから、私たちの罪を赦し、あらゆる不義から私たちを清めてくださる。もし私たちが「罪を犯していない」と言うなら、神を偽り者とするものであり、私たちの中には神の言葉がない。 わが子たちよ。あなたがたが罪を犯さないように、これを書き送る。もし誰かが罪を犯したとしても、私たちには、御父の御前で執り成してくださる方、義なるイエス・キリストがおられる。御方は、私たちの罪のための贖いであり、私たちの罪のためだけでなく、全世界の罪のためでもある。私たちが御方を知っていることは、御方の戒めを守ることで分かるのである。 「私は彼を知っている」と言いながら、その戒めを守らない者は偽り者であり、その人には真理がありません。しかし、その御言葉を守る者には、神の愛が真に成就しています。このことから、私たちが彼の中にあることがわかります。「彼の中に留まっている」と言う者は、彼がなさったように行わなければなりません。
1ヨハネ1:8–2:6
第34週の木曜日
愛する者たちよ、私はあなたがたに新しい戒めを書くのではなく、初めからあなたがたが持っていた古い戒めを書いているのです。古い戒めとは、初めからあなたがたが聞いていた言葉のことです。しかし、それと同時に、新しい戒めもあなたがたに書きます。それは、御方にもあなたがたにも真実であるからです。なぜなら、闇は過ぎ去り、まことの光がすでに輝いているからです。 『自分は光の中にいる』と言いながら、兄弟を憎む者は、まだ闇の中にいる。兄弟を愛する者は、光の中に留まっており、その人には誘惑がない。しかし、兄弟を憎む者は、闇の中にいて、闇の中を歩んでおり、どこへ行くのか分からない。なぜなら、闇がその人の目をくらませているからである。 子供たちよ、あなたがたに書き送るのは、御名によってあなたがたの罪が赦されているからです。父たちよ、あなたがたに書き送るのは、あなたがたが初めからおられる方を知っているからです。 若者たちよ、あなたがたは悪しき者に打ち勝ったから、あなたがたに書き送る。少年たちよ、あなたがたは父を知ったから、あなたがたに書き送る。父たちよ、あなたがたは初めからおられる方を知ったから、あなたがたに書き送った。若者たちよ、あなたがたは強く、神の言葉があなたがたのうちにとどまり、あなたがたは悪しき者に打ち勝ったから、あなたがたに書き送った。 この世を愛してはならない。また、この世にあるものを愛してはならない。この世を愛する者には、父の愛はない。なぜなら、この世にあるもの、すなわち、肉の欲望、目の欲望、そして世の誇りは、すべて父から出たものではなく、この世から出たものだからである。この世も、その欲望も過ぎ去るが、神の御心を行う者は、永遠に存続する。
Ⅰヨハネ2:7–17
第34週の金曜日
子らよ、今は終わりの時です。あなたがたは、反キリストが来ることを聞いていましたが、今や多くの反キリストが現れています。それゆえ、私たちは、今が終わりの時であることを知ります。彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちのものではありませんでした。もし彼らが私たちのものだったなら、私たちと共にいたでしょう。しかし、彼らは出て行ったのです。それによって、彼らがすべて私たちのものではないことが明らかになりました。 しかし、あなたがたは聖なる方から油注ぎを受けており、すべてを知っている。私があなたがたに書いたのは、あなたがたが真理を知らないからではなく、あなたがたがそれを知っているからであり、また、あらゆる偽りは真理から出ていないことも知っているからである。 イエスがキリストであることを否定する者こそ、偽り者ではありませんか。その者は、父と御子を否定する反キリストです。御子を否定する者は、父をも持ちません。しかし、御子を告白する者は、父をも持っています。 ですから、あなたがたが初めから聞いたことが、あなたがたのうちにとどまるようにしなさい。もし、あなたがたが初めから聞いたことがあなたがたのうちにとどまるなら、あなたがたも御子と父のうちに留まることになる。そして、御方が私たちに約束してくださった約束とは、永遠のいのちである。私は、あなたがたを惑わす者たちについて、このように書き送った。 しかし、あなたがたが御方から受けた油注ぎは、あなたがたのうちにとどまっているので、だれかに教わる必要はありません。この油注ぎそのものが、すべてをあなたがたに教えており、それは真実で偽りがないのです。ですから、それがあなたがたに教えたことにとどまりなさい。 ですから、子供たちよ、御内に留まりなさい。そうすれば、御方が現れるとき、私たちは大胆に御前に出ることができ、御方の来臨の際、御前で恥じることはないでしょう。もしあなたがたが、御方が義なる方であることを知っているなら、義を行う者は皆、御方から生まれた者であることを知ってください。父が私たちにどのような愛を注いでくださったか、よく見てください。それは、私たちが神の子供と呼ばれるように、また神の子供となるためです。 世が私たちを知らないのは、世が御父を知らなかったからです。愛する者たちよ、私たちは今、神の子です。しかし、将来どうなるかは、まだ明らかにされていません。ただ、それが明らかにされたとき、私たちは御父に似るようになることを知っています。なぜなら、御父がどのようなお方であるかを、そのまま見るようになるからです。そして、御父にこの希望を置く者は皆、御父が清いように、自分自身も清めます。 罪を犯す者はみな、不法も犯している。罪とは不法のことである。あなたがたも知っているとおり、主は私たちの罪を取り除くために現れたのであり、主には罪がない。主にとどまる者はだれも罪を犯さない。罪を犯す者は、主を見たこともなく、主を知ったこともない。子らよ、だれにも惑わされてはならない。 義を行う者は、主が義であられるように、義なる者です。罪を犯す者は、悪魔から出た者です。なぜなら、悪魔が最初に罪を犯したからです。神の御子が現れたのは、まさに悪魔の業を打ち砕くためです。 神から生まれた者はだれも罪を犯さない。神の種がその人の中に留まっているからである。また、その人は神から生まれたので、罪を犯すことはできない。神の子たちと悪魔の子たちは、このようにして区別されるのである。
1ヨハネ2:18–3:10a
第35週の月曜日
愛する者たちよ、義を行わない者は、神から出た者ではなく、また、兄弟を愛さない者も同様である。あなたがたが初めから聞いてきた福音とは、互いに愛し合うことである。カインのようにしてはならない。カインは悪者から出た者であり、自分の兄弟を殺した。なぜ彼を殺したのか。それは、彼の行いが悪かったのに対し、兄弟の行いは義であったからである。 兄弟たちよ、世があなたがたを憎むとしても、驚いてはなりません。私たちは、兄弟を愛しているからこそ、死から命へと移ったことを知っています。兄弟を愛さない者は、死の中に留まっているのです。自分の兄弟を憎む者は皆、人殺しです。そして、あなたがたも知っているように、人殺しには、その内に永遠の命が宿っている者など一人もいません。 私たちは、主が私たちのために御自身の命を捧げられたことによって、愛を知りました。ですから、私たちも兄弟たちのために自分の命を捧げなければなりません。この世で富を持っている者が、困窮している兄弟を見て、その兄弟に心を閉ざすなら、どうしてその人のうちに神の愛が宿っていると言えるでしょうか。私の子供たちよ。言葉や口先だけで愛するのではなく、行いと真実をもって愛しましょう。 こうして、私たちが真理から出ていることを知り、御前で私たちの心を安らかにすることができるのです。なぜなら、もし私たちの心が私たちを非難するなら、ましてや神はなおさらそうされるからです。神は私たちの心よりも大きく、すべてをご存知だからです。
Ⅰヨハネ3:10b–20
第35週の火曜日
愛する者たちよ、もし私たちの心が私たちを責めないなら、私たちは神に対して大胆に近づくことができ、何を願っても、神から受け取ることができます。それは、私たちが神の戒めを守り、神の御心にかなうことを行っているからです。神の戒めとは、御子イエス・キリストの御名を信じ、神が私たちに命じられたように互いに愛し合うことです。 また、神の戒めを守る者は、神のうちに留まり、神もその人のうちに留まられる。神が私たちのうちに留まっておられることは、神が私たちに与えてくださった御霊によって知ることができる。愛する者たちよ、すべての霊を信じるのではなく、その霊が神から来たものかどうかを吟味しなさい。世には多くの偽預言者が現れているからである。神の御霊(および惑わしの霊)を見分ける方法は次のとおりである。 イエス・キリストが肉において来られたことを告白する霊はすべて、神から出たものです。しかし、イエス・キリストが肉において来られたことを告白しない霊は、神から出たものではありません。それは、あなたがたが「来る」と聞いていた反キリストの霊であり、今やすでに世の中にいます。 子らよ、あなたがたは神から出た者であり、彼らに打ち勝ったのです。あなたがたのうちにおられる方は、この世にいる者よりも偉大だからです。彼らはこの世から出た者であり、それゆえにこの世のことに従って語り、この世は彼らの言葉に耳を傾けます。私たちは神から出た者です。神を知る者は私たちの言葉に耳を傾けますが、神から出ていない者は私たちの言葉に耳を傾けません。これによって、真理の霊と惑わしの霊を見分けるのです。
1ヨハネ3:21–4:6
第35週の水曜日。
9月26日、聖使徒ヨハネ・神学者、第1パリミア
愛する者たちよ、神がこれほどまでに私たちを愛してくださったのなら、私たちも互いに愛し合わなければならない。神をこれまで誰も見たことがない。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛は私たちのうちで完全なものとなる。私たちが神のうちにおり、神が私たちのうちにおられることは、神が御霊から私たちに与えてくださったものによって分かるのである。 また、私たちは、御父が御子を世の救い主として遣わされたことを見て、その証しをしています。イエスが神の御子であると告白する者には、神が宿り、その人も神の中にいます。そして、私たちは、神が私たちに注いでくださる愛を知り、それを信じました。 神は愛であり、愛にとどまる者は神にとどまり、神もその人の中にいます。
1ヨハネ4:11–16
9月26日、聖使徒ヨハネ・神学者、第2パラミア
愛する者たちよ、だれも神を見たことがない。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛は私たちのうちで全うされている。私たちが神のうちにおり、神が私たちのうちにおられることは、神が御霊を私たちに与えてくださったことによって分かる。また、私たちは、父が御子を世の救い主として遣わされたことを見て、証ししている。 イエスが神の御子であると告白する者には、神がとどまり、その人も神の中にいます。そして、私たちは、神が私たちに抱いておられる愛を知り、それを信じました。神は愛であり、愛にとどまる者は神にとどまり、神もその人の中にいます。 愛は、私たちの中でこれほどまでに完全なものとなるため、私たちは裁きの日に大胆に立つことができるのです。なぜなら、私たちはこの世で、主のように歩んでいるからです。愛には恐れがありません。完全な愛は恐れを追い払うのです。なぜなら、恐れには苦しみがあるからです。恐れる者は、愛において完全ではありません。主がまず私たちを愛してくださったのですから、私たちも主を愛しましょう。
1ヨハネ4:12–19
9月26日、聖使徒ヨハネ・神学者
愛する者たちよ、「私は神を愛している」と言いながら、自分の兄弟を憎む者は、偽り者です。なぜなら、目に見える自分の兄弟を愛さない者が、目に見えない神をどうして愛することができるでしょうか。そして、私たちは神から、神を愛する者は自分の兄弟も愛すべきだという戒めを受けています。 イエスがキリストであると信じる者は皆、神から生まれた者であり、生み出された方を愛する者は皆、その方から生まれた者をも愛する。私たちが神の子供たちを愛しているかどうかは、神を愛し、その戒めを守るかどうかによって分かる。 なぜなら、神の戒めを守ることは、神を愛することだからです。そして、神の戒めは重くありません。神から生まれた者は皆、世に打ち勝つのです。世に打ち勝ったこの勝利、すなわち私たちの信仰こそが、その勝利なのです。イエスが神の子であると信じる者以外、誰が世に打ち勝つことができるでしょうか。
1ヨハネ4:20–5:5
9月26日、聖使徒ヨハネ・神学者、第3パリミア
愛する者たちよ、「私は神を愛している」と言いながら、自分の兄弟を憎む者は、偽り者である。なぜなら、目に見える自分の兄弟を愛さない者が、目に見えない神をどうして愛することができようか。そして、私たちは神から、神を愛する者は兄弟も愛すべきだという戒めを受けている。 イエスがキリストであると信じる者は皆、神から生まれた者であり、生み出された方を愛する者は皆、その方から生まれた者をも愛する。私たちが神の子供たちを愛しているかどうかは、神を愛し、その戒めを守るかどうかによって分かる。 神の戒めを守ることは、神を愛することだからです。そして、神の戒めは重荷ではありません。神から生まれた者は皆、世に打ち勝つからです。世に打ち勝ったこの勝利、すなわち私たちの信仰こそが、その勝利なのです。イエスが神の子であると信じる者以外、誰が世に打ち勝つことができるでしょうか。 この方こそ、水と血と御霊によって来られたイエス・キリストである。ただ水だけではなく、水と血によって来られたのである。そして、御霊は、御霊が真理であるから、この方について証しをなさる。天には三つの証しがある。すなわち、父、御言葉、聖霊である。そして、この三つは一つである。 また、地の上でも三つのものが証しをしている。すなわち、御霊、水、そして血である。これら三つは、一つのことについて証しをしている。もし私たちが人の証しを受け入れるなら、神の証しはそれ以上に大きい。なぜなら、それは神が御子について証しされた神の証しだからである。 神の御子を信じる者は、その人自身の中に証しを持っている。神を信じない者は、神を偽り者とする。それは、神が御子について証しされた証しを信じないからである。この証しとは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということであり、そのいのちは御子の中にある。御子(神の御子)を持つ者はいのちを持っている。 神の御子を持たない者は、いのちを持っていない。私は、神の御子の御名を信じるあなたがたに、あなたがたが神の御子を信じることで永遠のいのちを持っていることを知ってもらうために、これを書いた。そして、私たちが神に対して持つこの大胆さとは、神の御心に従って何かを求める時、神が私たちに耳を傾けてくださるということである。 また、私たちが何を願っても、主がすべてに耳を傾けてくださることを知るとき、私たちは、主から願ったものを与えられていることも知っています。もしだれかが、死に至らない罪を犯している兄弟を見たら、そのために祈りなさい。そうすれば、神はその人に命を与えてくださいます。すなわち、死に至らない罪を犯している人にです。 死に至る罪というものがある。私は、そのような罪を犯している者が祈るべきだと言っているのではない。あらゆる不義は罪であるが、死に至らない罪もある。私たちは、神から生まれた者はだれも罪を犯さないことを知っている。神から生まれた者は自分自身を守り、悪しき者は彼に触れることができない。 私たちは、自分たちが神から出た者であり、全世界が悪の中に横たわっていることを知っています。また、神の御子が来られ、私たちに光と知恵を与えてくださったことを知っています。それは、私たちが真の神を知り、その真の御子イエス・キリストのうちにいるためです。この方こそ、真の神であり、永遠のいのちです。子らよ、偶像から身を守りなさい。アーメン。
Ⅰヨハネ4:20–5:21
第35週の木曜日
長老より、選ばれた御婦人とその子らへ。私は彼らを真に愛しています。私だけでなく、真理を知ったすべての者も、私たちの中にあり、永遠に私たちと共にある真理のために、彼らを愛しています。父なる神と、父の御子である主イエス・キリストから、真理と愛のうちに、恵みと憐れみと平安があなたがたにありますように。 私は、あなたがたの子供たちのうち、私たちが父から受けた戒めに従って真理のうちを歩んでいる者たちを見つけたことを、大いに喜んだ。そして今、女主よ、あなたに新しい戒めを命じるのではなく、初めから私たちが持っている、互いに愛し合うという戒めについてお願いする。愛とは、私たちが神の戒めに従って歩むことにある。 これが、あなたがたが初めから聞いてきた戒めであり、それに従って歩むべきものです。なぜなら、多くの惑わす者が世に入り込んできたからです。彼らは、肉において来られたイエス・キリストを告白しません。そのような者は惑わす者であり、反キリストです。自分たちを慎み、私たちが労苦してきたことを失うことなく、完全な報いを受けられるようにしてください。 キリストの教えに背き、その中に留まらない者は、神を持っていません。キリストの教えの中に留まる者は、父と子とを持っています。あなたがたのところに来て、この教えをもたらさない者があれば、その者を家には迎え入れず、挨拶もしてはいけません。なぜなら、その者に挨拶する者は、その者の悪事に参加することになるからです。 あなたがたに書くべきことはたくさんありますが、紙とインクで書くのではなく、あなたがたのところへ行って、口と口で語り合い、あなたがたの喜びが満ちあふれるようにしたいと願っています。あなたの選ばれた姉妹の子供たちが、あなたに挨拶を送ります。アーメン。
Ⅱヨハネ 1:1–13
第35週の金曜日
長老――真実をもって愛する、愛するガイオへ。愛する者よ、あなたが健やかで、あなたの魂が栄えているように、すべての面で栄えるよう祈ります。兄弟たちが来て、あなたが真理のうちに歩んでいるというあなたの忠実さを証ししてくれたとき、私は大いに喜びました。 私の子供たちが真理の道を歩んでいると聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。愛する者よ、あなたは兄弟たちや旅人に対して行っていることにおいて、忠実に振る舞っています。彼らは教会の前で、あなたの愛について証ししました。あなたが神のためにふさわしいように彼らを見送るなら、それは良いことです。彼らは神の御名のために、異邦人から何も受け取らずに旅立ったからです。 ですから、私たちはこのような人々を受け入れ、真理の協力者となるべきです。 私は教会に手紙を書きましたが、彼らの間で主導権を握ろうとするディオトレフェスは、私たちを受け入れてくれません。それゆえ、もし私が行けば、彼がしている行いについて指摘するつもりです。彼は悪口で私たちを中傷するだけでなく、それだけでは満足せず、自らも兄弟たちを受け入れず、受け入れようとする者たちを禁じ、教会から追い出しているのです。愛する者よ、悪に倣うのではなく、善に倣いなさい。 善を行う者は神から出た者であり、悪を行う者は神を見たことがない。ディミトリオスについては、すべての人と真理そのものが証ししている。私たちもまた証ししており、あなたがたも、私たちの証しは真実であることを知っている。書くべきことはたくさんあったが、インクと葦の筆であなたに手紙を書くのは避けたい。むしろ、すぐにあなたに会って、口と口で語り合えることを望んでいる。 平安があなたにありますように。友人たちがあなたに挨拶を送っています。友人たちに一人ひとりの名前を挙げて挨拶を返してください。アーメン。
ヨハネの手紙第三 1:1–15
四旬節の月曜日
イエス・キリストのしもべ、ヤコブの兄弟であるユダから、父なる神によって聖別され、イエス・キリストによって守られている召された者たちへ。あなたがたに恵みと平安と愛がますます豊かにありますように。 愛する者たちよ。あなたがたへの共通の救いについて熱心に書き送りたいと願っていたが、私は、かつて聖徒たちに伝えられた信仰のために奮闘するよう、あなたがたに勧める手紙を書くことが必要だと考えた。 というのも、古くからこの裁きを受けるように定められていた不敬虔な者たちが、こっそりと入り込み、私たちの神の恵みを放蕩の口実にし、唯一の主であり、私たちの神であり、主であるイエス・キリストを否定しているからです。 すでにこのことをご存じの皆さんにも改めて申し上げたいのですが、主はエジプトの地から民を救い出された後、不信仰な者たちを滅ぼされました。また、その尊厳を守らず、自分の住まいを離れた天使たちを、大いなる日の裁きのために、永遠の鎖で暗闇の中に閉じ込めておられます。 ソドムやゴモラ、およびそれらの周辺の町々のように、彼らと同様に淫行にふけり、異質な肉を追い求めた者たちは、永遠の火による刑罰に処され、戒めとして示されている――まさにそれと同様に、肉体を汚し、支配権を拒み、高き権威を冒涜するこれらの空想家たちにも、同じことが起こるであろう。 大天使ミカエルは、モーセの遺体について悪魔と論争した際、非難の言葉を口にすることを敢えてせず、「主があなたを戒められますように」と言った。しかし、これらの人々は、自分たちが知らないことを悪口で罵る。そして、無言の獣のように本能的に知っていることさえ、それによって自らを堕落させているのである。
ユダの手紙 1:1–10
チーズ週間の火曜日
彼らには災いがある。彼らはカインの道を歩み、バラムのように報酬の誘惑に身を任せ、コレイのように頑なさゆえに滅びるからだ。そのような者たちは、あなたがたの愛の晩餐において誘惑となり、あなたがたと共に宴を楽しみながら、恐れを知らずに自分たちを肥やしている。 彼らは、風になびく水のない雲であり、実を結ばず、二度死に、根こそぎにされた秋の木々であり、自らの恥を泡立てて荒れ狂う海の波であり、永遠に闇の深淵に閉じ込められる、さまよう星たちである。 アダムから数えて七代目であるエノクも、彼らについて預言し、こう語った。「見よ、主は御自身の聖なる天使たちの群れを率いて来られる。すべての者を裁き、その中にいる不義な者たちを、彼らの不義が生み出したあらゆる行い、そして不義な罪人たちが主に対して発したあらゆる残酷な言葉について、すべて暴き出すためである」。 彼らは不平を言い、何事にも満足せず、自分の欲望のままに(不義に、不法に)振る舞う者たちである。彼らの口からは高慢な言葉が溢れ出し、彼らは利益のために人を見分ける。 しかし、愛する者たちよ、私たちの主イエス・キリストの使徒たちが予告したことを覚えておきなさい。彼らは、終わりの時に、不義な欲望に従って振る舞う冒涜者たちが現れると、あなたがたに告げていました。彼らは(信仰の一致から)自らを分離し、肉に属し、御霊を持たない者たちです。 しかし、愛する者たちよ、あなたがたは、最も聖なる信仰の上に自分を築き上げ、聖霊によって祈りながら、永遠のいのちのために、私たちの主イエス・キリストからの恵みを待ち望みつつ、神の愛のうちに自分を保ちなさい。 ある人々に対しては、分別をもって憐れみを示し、またある人々に対しては、恐れをもって救い出し、火の中から引きずり出しなさい。そして、肉によって汚された衣服さえも忌み嫌うように、恐れをもって彼らを戒めなさい。 あなたがたを堕落から守り、御自身の栄光の御前に、喜びのうちに汚れのない者として立たせてくださる、唯一の至賢なる神、私たちの救い主である主イエス・キリストを通して、すべての世の初めから、今、そして永遠に、栄光と威光、力と権威がありますように。アーメン。
ユダの手紙 1:11–25
チーズ週間の木曜日
パウロ、イエス・キリストのしもべ、召された使徒、神の福音を宣べ伝えるために選ばれた者。この福音は、神が御自身の預言者たちを通して、聖書の中にあらかじめ約束されたものであり、御子についてのものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、力において、 聖霊の力によって、死人の中からよみがえり、神の子として現された御子について、すなわち、私たちの主イエス・キリストについてです。私たちは、この方によって恵みと使徒の務めを受け、その御名によって、あなたがたもイエス・キリストに召された者たちを含むすべての民を信仰へと従わせるためです。ローマにいる、神に愛され、聖なる者として召されたすべての人々に、 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。兄弟たちよ、私が何度もあなたがたのところへ行くつもりであったこと(しかし、今日に至るまで妨げに遭ってきたこと)を、あなたがたに隠しておきたくはありません。それは、他の諸国民と同様に、あなたがたの間でも何らかの実を結ばせるためです。 私は、ギリシア人にも異邦人にも、賢い者にも無知な者にも、その義務を負っています。ですから、私としては、ローマにおられるあなたがたにも福音を宣べ伝える用意ができています。なぜなら、私はキリストの福音を恥じることはありません。それは、まずユダヤ人、次にギリシア人、すべての信じる者にとって、救いへの神の力だからです。 そこには、信仰から信仰へと至る神の義が明らかにされています。「義人は信仰によって生きる」と書かれているとおりです。
ローマ人への手紙 1:1–7; 13–17
五旬節後の第1週の火曜日
兄弟たちよ、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。まず第一に、イエス・キリストを通して、あなたがたすべてのために、私の神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に知れ渡っているからです。 私が御子の福音を宣べ伝えるために、私の霊をもって仕えている神が、私の証人です。私は絶えずあなたがたのことを思い出し、祈りの中で、いつか神の御心によって私があなたがたのところへ行くことができるよう、常に願っています。なぜなら、私はあなたがたに会って、あなたがたを強めるための霊的な賜物を授けたいと切に願っているからです。 すなわち、あなた方と私との共通の信仰によって、共に慰め合いたいのです。
ローマ人への手紙 1:7–12
第1週の土曜日
兄弟たちよ、天から神の怒りが、あらゆる不義と不真実を行う人々、すなわち、不真実をもって真理を押し殺す者たちの上に下っています。なぜなら、神について知ることができることは、彼らにとって明らかだからです。神がそれを彼らに示されたからです。神の目に見えない御姿、すなわち、神の永遠の力と神性とは、世界の創造以来、被造物を通して見られるものであり、それゆえ、彼らは弁解の余地がありません。 しかし、彼らは神を知りながら、神として神を賛美せず、感謝もしなかった。むしろ、彼らの思いは空しくなり、無知な心は暗くなった。 自らを賢い者と呼びながら、正気を失い、朽ちることのない神の栄光を、朽ちる人間や鳥、四足獣、這うもののような姿に変えてしまった。それゆえ、神は彼らを、その心の欲望のままに不潔な行いに任せ、彼らは自らの体を汚してしまった。 彼らは神の真理を偽りに取り替え、永遠に祝福される創造主の代わりに、被造物を礼拝し、仕えた。アーメン。 それゆえ、神は彼らを恥ずべき情欲に任せられた。すなわち、女たちは自然の用法を不自然な用法に置き換え、同様に男たちも、女との自然な用法を捨てて、互いに情欲に燃え上がり、男が男に対して恥辱的な行いをし、その迷いの報いとして、自らにふさわしい報いを受けたのである。
ローマ人への手紙 1:18–27
第1週の水曜日
兄弟たちよ、異邦人たちは、心の中で神を神として崇めることを顧みなかったため、神は彼らを堕落した心に任せ、不品行にふけるようにされた。その結果、彼らはあらゆる不義、淫行、欺瞞、貪欲、 悪意に満ち、嫉妬、殺人、争い、欺瞞、悪行、悪口、中傷、神を憎む者、他人を傷つける者、自慢屋、高慢、悪事を企む者、親に逆らう者、無分別、不誠実、愛のない者、和解を拒む者、慈悲のない者となっている。 彼らは、このようなことを行う者は死に値するという神の義の裁きを知っている。それにもかかわらず、彼らはそれを行うだけでなく、それを行う者を是認している。それゆえ、他人を裁く者よ、あなたは弁解の余地がない。あなたが他人を裁くその同じ裁きによって、あなたは自分自身を罪に定めているからである。なぜなら、他人を裁くとき、あなたも同じことをしているからである。 しかし、私たちは、そのような行いをする者たちに対する神の裁きが確かにあることを知っています。人よ、あなたは、そのような行いをする者たちを非難しながら、自分でも同じことをしているのに、果たして神の裁きを免れることができるとでも思っているのですか。それとも、神の恵み、柔和、そして忍耐の豊かさを軽んじ、神の恵みがあなたを悔い改めへと導いていることを理解していないのですか。 しかし、あなたの頑なさと悔い改めない心によって、あなたは自ら、神の怒りの日、すなわち神による義の裁きの啓示の日に向けて、怒りを蓄えているのです。神は、各人の行いに応じて報いを与えられます。すなわち、善行に励み、栄光と誉れと不死を求める者には、永遠の命を与え、 しかし、頑なで真理に従わず、不義にふける者には、激怒と憤りを与えられる。悪を行うすべての人の魂には、まずユダヤ人であろうと、次にギリシア人であろうと、悲しみと苦悩がある。
ローマ人への手紙 1:28–2:9
第1週の木曜日
兄弟たちよ、善を行うすべての人、まずユダヤ人、次にギリシア人に、栄光と誉れと平安がありますように。神には人を見分けることがありません。律法を持たずに罪を犯した者は、律法の外で滅びるでしょう。 しかし、律法の下で罪を犯した者は、律法によって裁かれる。(なぜなら、律法を聞く者だけが神の御前で義と認められるのではなく、律法を守る者が義と認められるからである。律法を持たない異邦人が、生まれながらにして律法にかなった行いをする場合、彼らは律法を持たないにもかかわらず、自分自身が律法となっているのである。 彼らは、律法の働きが彼らの心に刻まれていることを示しており、そのことは彼らの良心と彼らの思いによって証しされている。それらは互いに非難し合い、また互いに弁護し合うのである)。私の福音を伝えるその日、神はイエス・キリストを通して、人々の隠された行いを裁かれるのである。
ローマ人への手紙 2:10–16
第2週
兄弟たちよ、律法を持たない異邦人が、生まれながらにして律法にかなった行いをするなら、彼らは律法を持たないにもかかわらず、自分たち自身が律法となっているのです。 彼らは、律法の働きが彼らの心に刻まれていることを示しており、そのことは彼らの良心と彼らの思いによって証しされている。それらは互いに非難し合い、また互いに弁護し合うものである。それは、私の福音を基に、神がイエス・キリストを通して人々の隠された行いを裁かれるその日である。 見よ、あなたはユダヤ人であると名乗り、律法によって自分を安心させ、神を誇り、神の御心を知り、律法から学んで最善の道を理解し、自分こそが盲人の導き手であり、 暗闇にいる者たちの光であり、無知な者たちの導き手であり、幼子たちの教師であり、律法の中に知恵と真理の模範を持っていると自負している。それなのに、他人を教えるあなたは、なぜ自分自身を教えないのか。盗むなと説きながら、盗んでいるのか。「姦淫してはならない」と言いながら、姦淫しているのか。偶像を忌み嫌うと言いながら、神を冒涜しているのか。 律法を誇りながら、律法に背くことで神を冒涜しているのか。あなたがたのために、聖書に書かれているように、異邦人の間で神の御名が冒涜されているのだ。割礼は、律法を遵守する者にとっては有益である。しかし、もしあなたが律法に背く者であるなら、あなたの割礼は割礼でなくなる。 それゆえ、もし割礼を受けていない者が律法の定めを守っているなら、その割礼を受けていないことは、割礼を受けていることとして数えられないだろうか。また、生まれつき割礼を受けていないが律法を守る者が、聖書と割礼を持つ律法の違反者であるあなたを、裁くことにならないだろうか。 なぜなら、ユダヤ人とは、外見上ユダヤ人である者ではなく、また、肉体に施された外的な割礼のことでもない。むしろ、内面においてユダヤ人であり、心の中で、文字ではなく御霊によってなされる割礼を持つ者こそが、真のユダヤ人である。その者への称賛は、人からではなく、神から来るものである。
ローマ人への手紙 2:14–29
第1週の金曜日
兄弟たちよ、外見上ユダヤ人である者こそがユダヤ人なのではなく、また、外側の肉における割礼こそが割礼なのでもない。むしろ、内面においてユダヤ人である者こそがユダヤ人であり、心における、文字によるのではなく御霊による割礼こそが割礼である。そのような人への称賛は、人からではなく、神から来るものである。 では、ユダヤ人であることの利点は何でしょうか。あるいは、割礼の益は何でしょうか。あらゆる点において大きな利点がありますが、とりわけ、彼らに神の言葉が託されているという点にあります。なぜなら、たとえ一部の人々が不忠実であったとしても、その不忠実さが神の忠実さを無効にするでしょうか。決してそうではありません。 神は真実であり、すべての人は偽り者です。聖書にこう記されています。「あなたは御言葉において義であり、御裁きにおいて勝利されます。」もし、私たちの不義が神の義を明らかにするのであれば、私たちは何を言うべきでしょうか。神が怒りを現される時、神は不義であるということになるのでしょうか。(これは人間の理屈による話です。) 決してそうではない。そうでなければ、神はどのようにして世を裁かれるというのか。もし、私の不実によって神の真実が神の栄光のために際立つのであれば、なぜ私を罪人として裁かなければならないのか。また、ある者たちが私たちを中傷し、「私たちがそう教えている」と言うように、善が生まれるために悪を行うべきではないのか。そのような者たちに対する裁きは正しい。 では、どうなのか。私たちに優位性はあるのか。全くない。なぜなら、ユダヤ人もギリシア人も、すべて罪の下にあることをすでに証明したからである。聖書にこう書かれている通りである。「義人は一人もいない。悟る者はいない。神を求める者はいない。皆、道から迷い出て、一人として役に立たない。善を行う者はいない。一人もいない。」 彼らの喉は開いた墓であり、その舌は欺き、その唇にはアスピドの毒がある。彼らの口は悪口と苦々しさに満ちている。彼らの足は血を流すことに素早く、彼らの道には破滅と滅びがあり、彼らは平和の道を知らない。彼らの目の前には、神への畏れがない。
ローマ人への手紙 2:28–3:18
第2週の月曜日
兄弟たちよ、私たちは、律法が何かを語る場合、それは律法の下にある者たちに語りかけるものであり、それによってあらゆる口が塞がれ、全世界が神の御前で有罪となることを知っています。なぜなら、律法の行いによって、いかなる肉なる者も神の御前で義と認められることはないからです。律法によって罪が明らかにされるからです。 しかし今や、律法とは無関係に、神の義が現れました。それは、律法と預言者たちが証ししている神の義であり、イエス・キリストへの信仰による神の義が、すべての信じる者、またすべての信じる人々に及ぶのです。なぜなら、区別はないからです。すべての人が罪を犯し、神の栄光に欠けているからです。彼らは、 神の恵みにより、キリスト・イエスにおける贖いによって与えられている。神は、キリストを、その血による贖いのいけにえとして、信仰によって提供された。それは、神の忍耐の期間中に犯された罪の赦しにおいて神の義を示し、また現在の神の義を示すためであり、神が義であり、イエスを信じる者を義と認める方であることを明らかにするためである。
ローマ3:19–26
第2週の土曜日
兄弟たちよ、私たちは、人が律法の行いとは無関係に、信仰によって義と認められることを認めています。神はユダヤ人のみのものであって、異邦人のためのものではないのでしょうか。もちろん、異邦人のためでもあります。なぜなら、神はただお一人であり、信仰によって割礼を受けた者も、信仰によって割礼を受けていない者も、同じように義と認めてくださるからです。 では、私たちは信仰によって律法を無効にするのでしょうか。決してそうではありません。むしろ、律法を確かなものにするのです。さて、私たちの父であるアブラハムは、肉による何を得たのでしょうか。もしアブラハムが行いによって義とされたのなら、彼は称賛に値しますが、それは神の前ではそうではありません。なぜなら、聖書は何と言っているでしょうか。「アブラハムは神を信じた。それが彼の義と認められた」と。
ローマ人への手紙 3:28–4:3
第3週の土曜日
兄弟たちよ、行いをする者への報いは、恵みによるのではなく、義務によるものである。しかし、行いをせず、不義な者を義と認めてくださる方を信じる者には、その信仰が義とみなされる。ダビデもまた、行いにかかわらず神によって義とみなされる人を幸いであると称している。 「その不義が赦され、その罪が覆われる者は幸いである。主がその罪を数えられない人は幸いである。」この「幸い」は、割礼のある者に当てはまるのか、それとも割礼のない者に当てはまるのか。私たちは、アブラハムの信仰が義とみなされたと述べている。 それはいつ算入されたのでしょうか。割礼の後でしょうか、それとも割礼の前でしょうか。割礼の後ではなく、割礼の前です。そして彼は、割礼を受けていない時に持っていた信仰による義の印として、割礼のしるしを受けました。それによって、彼は割礼を受けていない状態で信じるすべての者の父となり、彼らにも義が算入されるようにしたのです。 また、割礼を受けた者たちの父ともなった。彼らは単に割礼を受けただけでなく、私たちの父アブラハムが割礼を受けていない状態で持っていた信仰の足跡をたどっている者たちである。
ローマ人への手紙 4:4–12
第2週の火曜日
兄弟たちよ、アブラハムやその子孫に、世の相続人となるという約束が与えられたのは、律法によるのではなく、信仰による義によるのです。もし律法に依拠する者が相続人であるなら、信仰はむなしく、約束も無効になってしまいます。なぜなら、律法は怒りを生むからです。律法がないところには、罪もないからです。 それゆえ、恵みによるものとなるため、また約束が、律法によるだけでなく、私たちすべての父であるアブラハムの子孫の信仰によっても、すべての人にとって揺るぎないものとなるため、信仰によるのです(「わたしはあなたを多くの国民の父とした」と書かれているとおり)。アブラハムは、死者を生き返らせ、存在しないものを存在するものとして呼び出す神を信じました。 彼は、望みがないにもかかわらず、希望を持って信じ、それによって、「あなたの子孫はこれほど多くなる」という言葉のとおり、多くの国民の父となった。 そして、信仰において弱まることなく、彼は、百歳に近い自分の肉体がすでに死んでいること、またサラの胎内も死んでいることを考えもしなかった。神の約束に対して不信仰によって揺らぐことなく、信仰に堅く立ち、神に栄光を帰し、神が力強く、約束を果たしてくださることを完全に確信していた。 それゆえ、それが彼の義と認められたのである。しかし、それが彼に認められたと書かれているのは、彼一人に限ったことではなく、私たちに対しても同様である。すなわち、私たちの罪のために引き渡され、私たちの義認のために復活された、私たちの主イエス・キリストを死者の中からよみがえらせた方を信じる私たちにも、それが義と認められるのである。
ローマ4:13–25
第2週の水曜日
兄弟たちよ、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストを通して、神との平和を得ています。この方を通して、私たちは信仰によって、今立っているその恵みにアクセスし、神の栄光への希望を誇りとしています。 それだけでなく、私たちは苦難をも誇りとしています。苦難からは忍耐が生まれ、忍耐からは経験が生まれ、経験からは希望が生まれることを知っているからです。そして、その希望は私たちを恥じさせることはありません。なぜなら、神の愛が、私たちに与えられた聖霊によって、私たちの心に注がれているからです。 なぜなら、キリストは、私たちがまだ弱かった時に、定められた時に、不義な者のために死なれたからです。義人のために死ぬ者は、ほとんどいないでしょう。せいぜい、恩人のために、ひょっとしたら誰かが死ぬ決心をするかもしれません。 しかし、神は、私たちがまだ罪人であったときに、キリストが私たちのために死なれたことによって、私たちに対するご自身の愛を証明してくださいました。それゆえ、今や、キリストの血によって義と認められた私たちは、なおさら、キリストによって神の怒りから救われるのです。なぜなら、私たちが敵であったときに、御子の死によって神と和解させられたのであれば、和解した今、なおさら、御子のいのちによって救われるからです。
ローマ5:1–10
第3週
兄弟たちよ、キリストは、私たちがまだ弱かったとき、定められた時に、不義な者たちのために死なれた。なぜなら、義人のために死ぬ者はほとんどいないからである。せいぜい、恩人のために、ひょっとしたら誰かが死ぬ決心をするかもしれない。 しかし、神は、私たちがまだ罪人であったときに、キリストが私たちのために死なれたことによって、私たちに対するご自身の愛を証明してくださいました。それゆえ、今や、キリストの血によって義と認められた私たちは、なおさら、キリストによって神の怒りから救われるのです。なぜなら、私たちが敵であったときに、御子の死によって神と和解させられたのであれば、和解した今、なおさら、キリストのいのちによって救われるからです。 それだけでなく、私たちは主イエス・キリストを通して神を誇りとしています。その方によって、私たちは今や和解を得たのです。
ローマ5:6–11
聖金曜日 3時
兄弟たちよ、私たちが敵であったときに、神の御子の死によって神と和解したのであれば、なおさら、和解した今、御子のいのちによって救われるのです。それだけでなく、私たちは、今や和解を授けてくださった私たちの主イエス・キリストを通して、神を誇りとしています。 それゆえ、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだ。なぜなら、すべての人がその人の中で罪を犯したからである。律法が与えられる前から、罪は世にあったが、律法がないところでは、罪は数えられない。 しかし、アダムからモーセに至るまで、死は支配し、罪を犯していない人々に対しても、将来の型であるアダムの過ちと同様に死が及んだ。しかし、恵みの賜物は、その過ちとは異なる。なぜなら、一人の過ちによって多くの者が死にさらされたのであれば、なおさら、神の恵みと、一人の人、イエス・キリストによる恵みの賜物は、多くの者に対して豊かに注がれるからである。 また、この賜物は、一人の罪人に対する裁きとは異なります。なぜなら、一つの罪に対する裁きは定罪につながるのに対し、恵みの賜物は多くの罪からの義認につながるからです。
ローマ5:10–16
第2週の木曜日
兄弟たちよ、もし一人の罪によって死が一人を通して支配したのなら、なおさら、豊かな恵みと義の賜物を受け入れた者たちは、ただ一人のイエス・キリストを通して、いのちにおいて支配するようになるのです。 それゆえ、一人の罪によってすべての人が裁きを受けたのと同様に、一人の義によってすべての人が命への義と認められるのです。なぜなら、一人の人の不従順によって多くの人が罪人となったのと同様に、一人の人の従順によって多くの人が義と認められるからです。律法はその後で与えられ、それによって罪がさらに増し加わりました。 しかし、罪が増し加わったとき、恵みもなおさら豊かに注がれた。それは、罪が死へと支配したように、恵みもまた、義を通して、私たちの主イエス・キリストによる永遠のいのちへと支配するようになるためである。では、私たちは何と言うべきか。恵みが増し加わるために、罪にとどまるべきだろうか。決してそうではない。私たちは罪に対して死んだのである。それなのに、どうして罪の中に生きることができるだろうか。
ローマ5:17–6:2
第2週の金曜日
兄弟たちよ、キリスト・イエスにバプテスマを受けた私たちは皆、その死にバプテスマを受けたのではありませんか。ですから、私たちはバプテスマによって、キリストの死と共に葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも新しいいのちを歩むためです。 なぜなら、もし私たちがキリストの死の似姿に結ばれているのなら、復活の似姿にも結ばれるはずだからです。私たちの古い人がキリストと共に十字架につけられ、罪の体が滅ぼされたことを知っています。それは、私たちがもはや罪の奴隷とならないためです。死んだ者は、罪から解放されているからです。 もし私たちがキリストとともに死んだのなら、キリストとともに生きることも信じるのです。キリストは死者の中からよみがえり、もはや死ぬことはないことを知っているからです。死はもはやキリストを支配することはありません。なぜなら、キリストが死んだのは、罪のために一度だけ死んだのであり、生きているのは、神のために生きているからです。 それゆえ、あなたがたも、罪に対しては死んだ者とみなし、神に対しては、私たちの主キリスト・イエスにあって生きている者とみなすべきです。
ローマ人への手紙 6:3–11
聖土曜日
兄弟たちよ、あなたがたは、罪に対しては死んだ者とみなし、神に対しては、私たちの主キリスト・イエスにあって生きている者とみなすべきです。 ですから、罪があなたがたの朽ちるべき体に君臨して、その欲望に従うことのないようにしなさい。また、あなたがたの肢体を罪に委ねて不義の道具とせず、むしろ、死からよみがえった者として、自分自身を神にささげ、あなたがたの肢体を神に義の道具としてささげなさい。罪はあなたがたを支配してはならない。あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからである。 では、どうでしょうか。私たちは律法の下にはなく、恵みの下にあるからといって、罪を犯してもよいのでしょうか。決してそうではありません。 あなたがたは知らないのか。あなたがたが従うために自分を奴隷として差し出す相手こそ、あなたがたの主人となるのである。あなたがたは、従う相手の奴隷となるのだ。それは、死に至る罪の奴隷か、義に至る従順の奴隷か。神に感謝しよう。あなたがたは、かつては罪の奴隷であったが、心から、自分たちを委ねた教えに従うようになったのである。
ローマ6:11–17
第4週の土曜日
兄弟たちよ、罪から解放されて、あなたがたは義の奴隷となったのです。あなたがたの肉の弱さゆえに、人間の理屈に従って言います。 あなたがたがかつて、自分の体を不潔と不法に、不義の行いのために奴隷として差し出していたように、今や、自分の体を義に、聖なる行いのために奴隷として差し出しなさい。あなたがたが罪の奴隷であったときは、義からは自由であった。そのとき、あなたがたはどのような実を結んだのか。今となっては、あなたがた自身が恥じているような行いであり、その結末は死である。 しかし今、あなたがたは罪から解放され、神のしもべとなったのです。その実りは聖さであり、その結末は永遠のいのちです。なぜなら、罪の報いは死ですが、神の賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちだからです。
ローマ人への手紙 6:18–23
第4週
兄弟たちよ、あなたがたは知らないのですか。(私は律法を知っている人々に言っているのです。)人は生きている限り、律法に支配されているのです。既婚の女性は、生きている夫によって律法に縛られています。しかし、夫が死ねば、彼女は結婚の律法から解放されます。 それゆえ、夫が生きている間に他の男と結婚すれば、姦淫の罪を犯した者と呼ばれる。しかし、夫が死ねば、彼女は律法から解放され、他の夫と結婚しても姦淫の罪を犯すことはない。 それと同じように、兄弟たちよ、あなたがたもキリストのからだによって律法に対して死んで、死からよみがえられた方のものであり、神に実を結ぶ者となったのです。 なぜなら、私たちが肉に従って生きていたとき、律法によって明らかにされる罪の情欲が、私たちの肢体の中で働き、死の実を結んでいたからです。しかし今や、私たちを縛っていた律法に対して死んだので、そこから解放され、古い文字に従うのではなく、霊の刷新によって神に仕えることができるのです。 では、何と言うべきか。果たして、罪は律法から来るのか。決してそうではない。しかし、私は律法を通してでなければ、罪を知ることはできなかった。なぜなら、もし律法が「欲してはならない」と言わなければ、私は「欲する」ということさえ理解できなかっただろうからである。しかし、罪は戒めを口実にし、私の中にあらゆる欲望を生み出した。なぜなら、律法がなければ、罪は死んでいるからである。 かつて私は律法なしに生きていた。しかし、戒めが来ると、罪は生き返り、私は死んだ。こうして、いのちのために与えられた戒めが、私にとっては死をもたらすものとなった。なぜなら、罪は戒めを口実にし、私を惑わし、それによって私を死に至らしめたからである。それゆえ、律法は聖であり、戒めもまた聖であり、義であり、良いものである。 では、善なるものが私にとって死をもたらすものとなったのでしょうか。決してそうではありません。しかし、善なるものを通して私に死をもたらすことによって罪として現れる罪は、戒めによって極めて罪深いものとなるのです。
ローマ7:1–13
第3週の月曜日
兄弟たちよ、私たちは、律法が霊的なものであるのに対し、私は肉に属し、罪に売り渡されていることを知っています。なぜなら、私は自分が何をしているのか理解できないからです。私が望むことをせず、むしろ憎むことをしてしまうからです。もし私が望まないことをするならば、律法が善であることを認めることになります。それゆえ、もはや私がそれをしているのではなく、私の中に住む罪がしているのです。 なぜなら、私、すなわち私の肉の中には、善が住んでいないことを知っているからである。善を望む心は私の中にあるが、それを実行する力を見出せない。私が望む善は行わず、望まない悪を行ってしまう。もし私が望まないことを行うなら、もはや私自身がそれをしているのではなく、私の中に住む罪がしているのだ。 こうして、私は、善を行おうとするとき、悪が私を支配するという法則を見出す。なぜなら、内なる人においては、神の律法に喜びを見出すが、私の肢体においては、私の心の律法に敵対し、私の肢体にある罪の律法の虜にしてしまう別の律法を見るからである。 ああ、私はなんと惨めな人間だろう! 誰が、この死の体から私を救い出してくれるのか。私の神に、私たちの主イエス・キリストを通して感謝します。 このように、私という同じ人間が、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。ですから、今や、キリスト・イエスにあって、肉によってではなく、御霊によって生きる者たちには、もはや罪の宣告はありません。なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の律法が、私を罪と死の律法から解放してくださったからです。
ローマ7:14–8:2
第3週の火曜日
兄弟たちよ、キリスト・イエスにあるいのちの律法は、私を罪と死の律法から解放してくれました。 律法は、肉によって弱められていたため無力でしたが、神は御子を罪ある肉の姿に似せて送り、罪のためのいけにえとされ、肉において罪を裁かれました。それは、肉に従わず、御霊に従って生きる私たちにおいて、律法の義が成就されるためです。 なぜなら、肉に従って生きる者は肉的なことを思い巡らし、御霊に従って生きる者は御霊的なことを思い巡らすからです。 肉の思いは死であり、御霊の思いはいのちと平和である。なぜなら、肉の思いは神に対する敵意であり、神の律法に従わないばかりか、従うことさえできないからである。それゆえ、肉に従って生きる者は、神に喜ばれることはできない。しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉に従って生きるのではなく、御霊に従って生きているのである。 もしキリストの御霊を持たない者がいるなら、その人はキリストのものではありません。しかし、もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、体は罪に対して死んでいますが、御霊は義のために生きています。もし、イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方が、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって、あなたがたの死すべき体をも生かしてくださるでしょう。 ですから、兄弟たちよ、私たちは肉に従って生きるために、肉に負債を負っているわけではありません。なぜなら、もし肉に従って生きるなら、あなたは死ぬでしょう。しかし、もし御霊によって肉の行いを死に追いやるなら、あなたは生きるでしょう。
ローマ人への手紙 8:2–13
第3週の水曜日
兄弟たちよ、肉によって弱められた律法は無力であったため、神は御子を罪ある肉の姿に似せて、罪のためのいけにえとして遣わし、肉において罪を裁かれた。それは、肉に従わず、御霊に従って生きる私たちにおいて、律法の義が成就されるためである。 なぜなら、肉に従って生きる者は肉的なことを思い巡らし、御霊に従って生きる者は御霊的なことを思い巡らすからです。 肉の思いは死であり、御霊の思いはいのちと平和である。なぜなら、肉の思いは神に対する敵意であり、神の律法に従わないばかりか、従うことさえできないからである。それゆえ、肉に従って生きる者は、神に喜ばれることはできない。しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉に従って生きるのではなく、御霊に従って生きているのである。
ローマ8:3–9a
12月28日、ニコミディアの聖殉教者たち
兄弟たちよ、肉に従って生きる者は、神に喜ばれることはできません。しかし、あなたがたは肉に従って生きるのではなく、御霊に従って生きているのです。ただ、神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるならば。 もしキリストの御霊を持たない者がいるなら、その人はキリストのものではありません。しかし、もしキリストがあなたがたのうちにおられるなら、体は罪に対して死んでいますが、御霊は義のために生きています。もし、イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方が、あなたがたの死すべき体をも、あなたがたのうちに住んでおられる御霊によって生かしてくださるでしょう。 ですから、兄弟たちよ、私たちは肉に従って生きるために、肉に負債を負っているわけではありません。なぜなら、もし肉に従って生きるなら、あなたは死ぬでしょう。しかし、もし御霊によって肉の行いを死に追いやるなら、あなたは生きるでしょう。なぜなら、神の御霊に導かれる者は皆、神の子だからです。
ローマ8:8–14
1月4日、七十人の使徒たち
兄弟たちよ、神の御霊に導かれる者は皆、神の子である。あなたがたは、再び恐れの中で生きるための奴隷の霊を受けたのではなく、子としての霊を受けたのである。その御霊によって、私たちは「アッバ、父よ!」と叫ぶのである。この御霊こそが、私たちの霊に、私たちが神の子であることを証ししてくださる。 もし子であるなら、相続人でもあります。神の相続人であり、キリストとの共同相続人でもあります。ただし、キリストと共に苦難に耐えるなら、キリストと共に栄光を受けることになるのです。なぜなら、今のこの世の苦しみは、私たちの内に現される栄光に比べれば、取るに足らないものだと私は思うからです。 なぜなら、被造物は、神の子らの現れを望みながら待ち望んでいるからです。被造物は、自らの意志で無益な状態に服従したのではなく、それを服従させた方の御心によって服従させられたのです。それは、被造物自身も、朽ちるものの奴隷状態から解放され、神の子らの栄光の自由へと導かれるという希望によるものです。
ローマ8:14–21
第5週の土曜日
兄弟たちよ、私たちは、すべての被造物が今に至るまで共にうめき、苦しんでいることを知っています。それだけでなく、私たち自身も、御霊の初穂を受けている者として、御子としての地位、すなわち私たちの体の贖いを待ち望みながら、心の中でうめいています。なぜなら、私たちは希望によって救われているからです。 しかし、見えているものは希望ではありません。もし見えているなら、何を望む必要があるでしょうか。しかし、見えないものを望むとき、私たちは忍耐をもって待ち望むのです。 また、御霊もまた、私たちの弱さを助けてくださいます。私たちは、どのように祈るべきかを知りませんが、御霊ご自身が、言葉に尽くせない嘆きをもって、私たちのために執り成してくださいます。心を試みられる方は、御霊の思いがどのようなものであるかをご存知です。なぜなら、御霊は神の御心に従って、聖徒たちのために執り成してくださるからです。
ローマ8:22–27
第3週の木曜日
兄弟たちよ、私たちは知っています。神を愛し、神の御心によって召された者たちには、すべてのことが益となるのです。なぜなら、神はあらかじめ知っておられた者たちを、御子のかたちに似せられるようにとあらかじめ定めておられ、御子が多くの兄弟たちの長子となるためです。 また、神があらかじめ定められた者たちを召し、召された者たちを義と認め、義と認められた者たちを栄光に輝かせたのです。それでは、これに何と言えましょうか。もし神が私たちのために働いてくださるなら、誰が私たちに敵対できるでしょうか。御子を惜しまず、私たちすべての者のために御子を渡してくださった方が、どうして御子と共に、すべてのものを私たちに与えてくださらないことがありましょうか。 神に選ばれた者たちを、誰が告発できようか。神が彼らを義と認めてくださるのだから。誰が非難できようか。キリスト・イエスは死なれたが、復活された。今や、神の右の座におられ、私たちのために執り成してくださっている。 誰が私たちを神の愛から引き離すことができようか。苦難か、窮地か、迫害か、飢えか、裸か、危険か、あるいは剣か。聖書にこう書かれているとおり、「私たちはあなたのために、毎日殺され、屠られる羊のように扱われている」。 しかし、これらすべてを、私たちを愛してくださった方の力によって乗り越えています。なぜなら、私は確信しているからです。死も、生も、御使いたちも、支配者たちも、力ある者たちも、現在のことも、未来のことも、高いところも、深いところも、また、その他のいかなる被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできないからです。
ローマ人への手紙 8:28–39
殉教者たちへ
兄弟たちよ、私はキリストにあって真実を語り、偽りはない。聖霊に満たされた私の良心が、私にとって大きな悲しみであり、私の心に絶え間ない苦しみであることを証ししている。 私は、肉による私の同胞、すなわちイスラエル人のために、彼らには子としての地位と栄光、契約と律法と礼拝と約束が与えられているのですから、彼らと、また彼らから肉によるキリストが生まれ、万物の主であり、永遠に祝福される神である方のために、私自身がキリストから切り離されることを望みます。 アーメン。
ローマ9:1–5
第6週の土曜日
兄弟たちよ、神の言葉が成就しなかったというわけではありません。イスラエルから出た者すべてがイスラエル人であるわけではなく、アブラハムの子孫である者すべてがアブラハムの子であるわけでもないからです。しかし、「イサクによって、あなたの子孫と呼ばれる」とあります。つまり、肉による子らが神の子なのではなく、約束による子らが子孫と認められるのです。 そして、約束の言葉はこうである。「この時、わたしは来る。そしてサラには息子が生まれる。」これだけではなく、リベカについても同様であった。彼女は、私たちの父イサクから、同時に二人の息子を身ごもったのである。 なぜなら、彼らがまだ生まれておらず、善いことも悪いことも何も行っていない時(神の選びにおける御心は、行いによるのではなく、召される方によるものであるため)、彼女にこう告げられたのである。「年上の者が年下の者に仕えることになる。」と、次のように書かれている通りである。「ヤコブを愛し、エサウを憎んだ。」 では、何と言うべきでしょうか。神の御言葉は偽りなのでしょうか。決してそうではありません。神はモーセにこう言われています。「憐れみたい者を憐れみ、慈しみたい者を慈しむ。」ですから、憐れみは、望む者や努力する者によるのではなく、憐れみ深い神によるのです。 なぜなら、聖書はファラオにこう言っている。「わたしがあなたを立てたのは、まさにあなたに対してわたしの力を示し、わたしの名が全地で宣べ伝えられるためである。」したがって、神は御心に適う者を憐れみ、御心に適う者を頑なにするのである。あなたは私にこう言うだろう。「それでは、なぜなおも非難するのか。だれが神の御心に逆らうことができようか。」
ローマ9:6–19
第3週の金曜日
兄弟たちよ、神は御心に適う者を憐れみ、御心に適う者を頑なになさる。 あなたは私にこう言うでしょう。「それでは、なぜなおも非難するのか。だれが神の御心に逆らえるというのか。」しかし、人よ、あなたはいったい何者なのか。どうして神と論じ合うのか。造られたものが、それを造った者に、「なぜ私をこのように造ったのか」と言うだろうか。陶工は、同じ粘土から、ある器を尊い用途に、またある器を卑しい用途に用いるために造る権威を持っていないだろうか。 それならば、神が御自身の怒りを示し、御自身の力を現そうと望んで、滅びに定められた「怒りの器」たちを大いなる忍耐をもって容認されたのは、御自身が栄光のために備えられた「憐れみの器」たち、すなわちユダヤ人だけでなく異邦人からも召された私たちに対して、御自身の栄光の豊かさを共に現すためではないのか。 ホセア書にもこうある。「わたしの民ではない者を、わたしの民と呼び、愛されていない者を、愛されている者と呼ぶ」。そして、「あなたがたはわたしの民ではない」と言われたその場所で、彼らは生ける神の子らと呼ばれるのである。 また、イザヤはイスラエルについてこう宣言している。「たとえイスラエルの子らが海の砂のように数多くなっても、救われるのは残りの者だけである。主は地上で裁きを終わらせ、まもなく正義をもって裁きを下し、決定的な裁きを成し遂げられるからである。」 また、イザヤが預言したように、「もし万軍の主が私たちに子孫を残さなかったなら、私たちはソドムのように、ゴモラに似た者となっていたであろう」。では、何と言うべきか。義を求めなかった異邦人たちは、信仰による義を得たのである。 しかし、義の律法を追い求めたイスラエルは、義の律法に至らなかった。なぜだろうか。彼らは信仰によってではなく、律法の行いによってそれを追い求めたからである。彼らはつまずきの石につまずいたのである。聖書にこう書かれているとおりである。「見よ、わたしはシオンにつまずきの石、つまずきと惑わしの石を置く。しかし、彼を信じる者は、だれも恥をかくことはない。」
ローマ9:18–33
第4週の月曜日
兄弟たちよ、私の心の願いと、イスラエルの救いに関する神への祈りです。なぜなら、私は彼らについて、神に対する熱意はあるが、それは正しい理解に基づくものではないと証言するからです。 彼らは神の義を理解せず、自分自身の義を確立しようと努めたため、神の義に従わなかったのです。なぜなら、律法の結末はキリストであり、それはすべての信じる者の義となるからです。モーセは律法による義についてこう書いています。「これを守る人は、それによって生きる」。 しかし、信仰による義はこう言います。「『誰が天に上るのか』と心の中で言ってはならない。それは、キリストを天から引き下ろすことである。あるいは、『誰が深淵に下るのか』と言ってはならない。それは、キリストを死から引き上げることである。」しかし、聖書は何と言っているか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口にあり、あなたの心にある。」すなわち、私たちが宣べ伝える信仰の御言葉です。 なぜなら、もしあなたが口をもってイエスを主と告白し、心をもって神がイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。心で信じることは義へと導き、口で告白することは救いへと導くからです。
ローマ人への手紙 10:1–10
第5週
兄弟たちよ、聖書はこう言っています。「彼を信じる者は、だれも恥をかくことはない。」ここには、ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません。なぜなら、すべての人の主はただお一人であり、主を呼び求めるすべての人にとって豊かな方だからです。主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるからです。しかし、信じてもいない方を、どうして呼び求めることができるでしょうか。 聞いたことのない方を、どうして信じることができるでしょうか。宣べ伝える者がいなければ、どうして聞くことができるでしょうか。また、遣わされなければ、どうして宣べ伝えることができるでしょうか。「平和の福音を宣べ伝える者、良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と書かれている通りです。しかし、すべての人が福音に従ったわけではありません。イザヤはこう言っています。「主よ、私たちから聞いたことを、だれが信じたでしょうか。」 このように、信仰は聞くことから生じ、聞くことは神の言葉によるのです。しかし、私は問います。彼らは聞かなかったのでしょうか。いいえ、彼らの声は全地に響き渡り、彼らの言葉は世界の果てにまで届きました。さらに問います。イスラエルは知らなかったのでしょうか。 しかし、モーセはこう言っている。「わたしは、他の民によってあなたがたを嫉妬させ、愚かな民によってあなたがたを怒らせる。」また、イザヤは大胆にこう言っている。「わたしを求めなかった者たちが、わたしを見つけた。わたしについて尋ねなかった者たちに、わたしは現れた。」そしてイスラエルについてはこう言っている。「わたしは一日中、不従順で頑なな民に向かって、わたしの手を差し伸べてきた。」 そこで、問いたい。果たして神はご自分の民を捨てられたのだろうか。決してそうではない。というのも、私もイスラエル人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミンの部族に属する者だからである。神は、あらかじめ知っておられたご自分の民を捨てられたのではない。
ローマ人への手紙 10:11–11:2a
第4週の火曜日
兄弟たちよ、エリヤの物語について聖書が何と言っているか、ご存じないのですか。エリヤはイスラエルについて神にこう訴えています。「主よ、あなたの預言者たちは殺され、あなたの祭壇は破壊されました。私一人だけが残され、私の命も狙われています。」それに対して、神は彼に何と答えられたでしょうか。 『わたしは、バアルの前にひざまずかなかった七千人を、わたしのために残しておいた。』今この時も、恵みによる選びによって、残りの者が保たれている。しかし、もし恵みによるのであれば、行いによるのではない。そうでなければ、恵みはもはや恵みではない。もし行いによるのであれば、それはもはや恵みではない。そうでなければ、行いはもはや行いではない。 では、どうなのか。イスラエルは求めていたものを得られなかったが、選ばれた者たちは得た。他の人々は頑なになった。聖書にこう書かれている通りである。「神は彼らに、眠りにつく霊を与え、見ることのできない目と、聞くことのできない耳を与えられた。それは今日に至るまで続いている。」 また、ダビデもこう言っている。「彼らの食卓が、彼らへの報いとして、網、罠、そして縄となるように。彼らの目が暗くなり、見ることができず、彼らの背骨が永遠に曲がってしまうように。」 そこで問う。果たして彼らはつまずいて、完全に倒れてしまったのだろうか。決してそうではない。しかし、彼らの倒れによって異邦人に救いがもたらされ、彼らに嫉妬を掻き立てるためである。もし彼らの倒れが世の富であり、彼らの乏しさが異邦人の富であるなら、なおさら彼らの満ち溢れはどれほどのことか。
ローマ人への手紙 11:2–12
第4週の水曜日
兄弟たちよ、私はあなたがた異邦人に語りかけます。異邦人の使徒として、私は自分の奉仕を誇りに思います。私は、肉による同胞たちに嫉妬を掻き立て、そのうちの何人かを救うことにはならないでしょうか。なぜなら、もし彼らの拒絶が世界の和解であるなら、受け入れは、死からの命に他ならないからです。 もし、その初穂が聖なるものであるなら、全体も聖なるものであり、もし、その根が聖なるものであるなら、枝も聖なるものです。もし、枝のいくつかが折られ、あなたが、野生のオリーブの木として、その場所に接ぎ木され、オリーブの木の根と樹液を分かち合う者となったのなら、枝たちに対して高ぶってはなりません。 もし高ぶるなら、根を支えているのはあなたではなく、根があなたを支えていることを思い起こしなさい。「枝が折れたのは、私が接ぎ木されるためだ」と言うかもしれない。そうだろう。彼らは不信仰によって折れ、あなたは信仰によって支えられている。だから、高ぶるのではなく、恐れるべきだ。 なぜなら、もし神が本来の枝たちを容赦されなかったのであれば、神があなたをも容赦されるかどうか、よく見極めなさい。こうして、あなたは神の慈しみと厳しさを見るのである。背いた者たちへの厳しさ、そして、もしあなたが神の恵みの中に留まるならば、あなたへの慈しみである。そうでなければ、あなたもまた切り捨てられることになる。 しかし、彼らも、もし不信仰のままでいなければ、接ぎ木されるだろう。神には、彼らを再び接ぎ木する力があるからだ。あなたが、本来は野生のオリーブの木から切り離され、本来ではない良いオリーブの木に接ぎ木されたのなら、ましてや、これらの本来の枝は、自分たちのオリーブの木に接ぎ木されるに違いない。
ローマ人への手紙 11:13–24
第4週の木曜日
兄弟たちよ、この奥義について、あなたがたに知らぬままにしておきたくはありません。それは、あなたがたが自分たちについて過大な期待を抱かないためです。すなわち、イスラエルには一時的な、部分的な頑なさが生じているのです。それは、異邦人の数が満ちるまで続くものであり、こうしてイスラエル全体が救われるのです。聖書にこう記されているとおりです。「シオンから救い主が来られ、ヤコブの不義を取り除かれる」。 そして、私が彼らの罪を取り除いたとき、これが彼らに対する私からの契約となるのです。福音に関しては、彼らはあなたがたのために敵となっています。しかし、選びに関しては、先祖たちゆえに神に愛されている者たちです。なぜなら、神の賜物と召しは、変わることがないからです。 かつてあなたがたも神に不従順であったが、彼らの不従順によって今や憐れみを受けているように、彼らもまた、あなたがたを憐れむために今は不従順であり、それによって彼ら自身も憐れみを受けることになる。神はすべての人を不従順の状態に閉じ込め、すべての人を憐れむためである。 ああ、神の富と知恵と知識の深淵よ! その御計画はなんと測り知れず、その御道はなんと探り知れないことか! だれが主の御心を悟ったことがあろうか。だれが主の助言者となったことがあろうか。だれが先に主にお与えして、主が報いるべきものとしたことがあろうか。すべては、主から出て、主によって、主へと向かうからである。主には、世々限りなく栄光がある。アーメン。
ローマ人への手紙 11:25–36
第4週の金曜日
兄弟たちよ、神の憐れみによって、あなたがたに懇願します。あなたがたの体を、生きた、聖なる、神に喜ばれる供え物としてささげなさい。それは、あなたがたの知恵ある奉仕のためです。また、この世に倣ってはなりません。むしろ、心の一新によって変えられ、神の御心、すなわち、善であり、神に喜ばれ、完全な御心が何であるかを、あなたがたが知ることができるようにしなさい。 私に与えられた恵みによって、あなたがた一人ひとりに言います。自分について、考えるべき以上に考えることなく、神が一人ひとりに与えてくださった信仰の分に応じて、謙虚に考えなさい。
ローマ12:1–3
第7週の土曜日
兄弟たちよ、一つの体には多くの肢体があり、すべての肢体が同じ働きをするわけではないのと同じように、私たちも、多くの者がキリストにおいて一つの体をなし、互いに互いの肢体となっているのです。喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。 互いに心を一つにしなさい。高ぶってはいけません。むしろ、謙遜な人々に倣いなさい。自分を過大評価してはいけません。誰に対しても、悪に悪で報いてはなりません。むしろ、すべての人々の前で善を行うように努めなさい。もし可能なら、すべての人々と平和を保ちなさい。 愛する者たちよ、自分で復讐してはならない。むしろ、神の怒りに任せるがよい。なぜなら、「復讐はわたしのものであり、わたしが報いる」と主は言われているからである。それゆえ、もしあなたの敵が飢えていれば、彼に食べ物を与え、渇いていれば、飲み物を与えなさい。そうすれば、あなたは彼の頭に燃える炭を積むことになるからである。悪に打ち勝たれてはならない。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい。
ローマ12:4–5; 15–21
第5週の月曜日
兄弟たちよ、私たちには与えられた恵みによって、さまざまな賜物がある。だから、預言の賜物がある者は、信仰の分に応じて預言しなさい。奉仕の賜物がある者は、奉仕に励みなさい。教える賜物がある者は、教えに専念しなさい。励ます賜物がある者は、励ましなさい。施しをする賜物がある者は、気取らずに施しなさい。指導する賜物がある者は、熱心に指導しなさい。 施しをする者なら、心から施しなさい。愛は偽りのないものであれ。悪を避け、善に固執しなさい。互いに兄弟愛をもって優しく接し、互いに敬意をもって先んじて行動し、熱意を怠らず、霊に燃え上がりなさい。 主に仕えなさい。希望をもって慰められなさい。苦難には忍耐強く、祈りには絶えず励みなさい。聖徒たちの必要には分かち合い、客人を歓待することに熱心でいなさい。迫害する者たちを祝福しなさい。呪うのではなく、祝福しなさい。
ローマ12:6–14
第6週
兄弟たちよ、すべての人は、上の権威に従うべきである。神に由来しない権威などないからである。存在する権威はすべて、神によって定められたものである。それゆえ、権威に逆らう者は、神の定めに対して逆らうことになる。そして、逆らう者は、自ら裁きを招くことになる。なぜなら、権威者は善を行う者に対しては恐ろしい存在ではなく、悪を行う者に対しては恐ろしい存在だからである。権威を恐れないでいたいと思うか。 善を行いなさい。そうすれば、権威から称賛を受けるでしょう。なぜなら、支配者は神の僕であり、あなたのために善を行う者だからです。もし悪を行うなら、恐れなさい。なぜなら、支配者はむなしく剣を帯びているわけではないからです。彼は神の僕であり、悪を行う者を罰する復讐者なのです。それゆえ、罰を恐れるからだけでなく、良心に従って従うべきです。 このために、あなたがたは税を納めているのである。彼らは神の僕であり、まさにこの務めに専念しているからである。それゆえ、すべての人にその人にふさわしいものを与えなさい。税を納めるべき人には税を、賦役を納めるべき人には賦役を、恐れを払うべき人には恐れを、尊敬を払うべき人には尊敬を。互いに愛し合うこと以外、誰に対しても何の負債も残してはならない。なぜなら、他者を愛する者は、律法を全うしたからである。 「姦淫してはならない」「殺してはならない」「盗んではならない」「偽証してはならない」「隣人のものを欲してはならない」といった戒め、およびその他のすべての戒めは、この言葉に要約される。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」。愛は隣人に悪を行わない。したがって、愛こそが律法の成就である。
ローマ人への手紙 13:1–10
第8週の土曜日
兄弟たちよ、今や、私たちが信仰を持った時よりも、救いは私たちに近づいている。夜は過ぎ去り、日は近づいた。それゆえ、闇の行いを捨て去り、光の武具を身に着けよう。 昼のように、品行方正に振る舞い、饗宴や酩酊、好色や放蕩、争いや嫉妬にふけることなく、私たちの主イエス・キリストに身を包み、肉の欲求を情欲に変えてはなりません。 信仰の弱い者を、意見の相違をめぐって論争することなく受け入れなさい。ある人は、何でも食べてもよいと確信しているが、信仰の弱い者は野菜だけを食べている。 食べる者は、食べない者を軽んじてはならない。また、食べない者は、食べる者を非難してはならない。神はその人を認められたからである。他人のしもべを非難する者よ、あなたは誰なのか。その人は、自分の主の御前に立つか、倒れるかである。しかし、その人は立ち直る。神には、その人を立ち直らせる力があるからである。
ローマ人への手紙 13:11b–14:4
四旬節の週。
6月24日、洗礼者ヨハネの誕生
兄弟たちよ、日を区別する者は、主のために区別するのです。日を区別しない者は、主のために区別しないのです。食べる者は、神に感謝して、主のために食べるのです。食べない者は、神に感謝して、主のために食べないのです。 なぜなら、私たちのうちだれも、自分のために生きる者はなく、また自分のために死ぬ者もいないからです。生きるにせよ、主のために生き、死ぬにせよ、主のために死ぬのです。ですから、生きるにせよ死ぬにせよ、私たちは常に主のものです。キリストは、死んだ者にも生きている者にも支配するため、死んで、よみがえり、生きておられるのです。
ローマ14:6–9
第9週の土曜日。
故人を偲ぶ日(月曜日)
兄弟たちよ、キリストは、死んだ者にも生きている者にも主権を行使するために、死なれ、復活され、生きておられるのです。 それなのに、あなたはなぜ兄弟を裁くのですか。あるいは、あなたはなぜ兄弟を軽んじるのですか。私たちは皆、キリストの裁きの座に立つのです。なぜなら、「わたしは生きている。主は言われる。わたしの御前で、あらゆるひざはひれ伏し、あらゆる舌は神を告白する」と書いてあるからです。ですから、私たち一人ひとりは、自分自身について神に説明をしなければなりません。 それゆえ、もはや互いに裁き合うのはやめ、むしろ、兄弟につまずきや誘惑を与えることのないよう、どうすべきかを考えましょう。私は主イエスにおいて知っており、確信しています。それ自体、不浄なものは何一つありません。ただ、何かを不浄だと考える者にとってのみ、それは不浄なのです。もしあなたの兄弟が食事のことで心を痛めるなら、あなたはもはや愛をもって行動しているとは言えません。 キリストが死なれたその人を、自分の食べ物によって滅ぼしてはならない。あなたがたの善行が非難されることのないように。なぜなら、神の国は飲食ではなく、義と平和と聖霊による喜びだからである。これらによってキリストに仕える者は、神に喜ばれ、人々からも称賛に値する者である。
ローマ人への手紙 14:9–18
第5週の火曜日
兄弟たちよ、平和と互いの建て上げに役立つものを求めよう。食べ物のために、神の御業を台無しにしてはならない。すべてのものは清いが、誘惑となって食べる者にとっては悪い。肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、兄弟がつまずいたり、誘惑されたり、弱ったりするようなことは何一つしないほうがよい。 あなたは信仰を持っていますか。それなら、神の前で、自分自身の内にその信仰を保ちなさい。自分の選んだことを自ら非難しない者は幸いである。しかし、疑いながら食べる者は、信仰に基づかないから非難される。信仰に基づかないことはすべて罪である。 さて、私の福音とイエス・キリストの宣教、また、永遠の昔から秘められていたが、今や明らかにされた奥義の啓示、そして永遠の神の御命令による預言者の書を通じて、すべての民に知らされ、彼らを信仰へと導くために、あなたがたを強めてくださる方に、 唯一の至賢なる神に、イエス・キリストを通して、世々限りなく栄光がありますように。アーメン。
ローマ人への手紙 14:19–26
四旬節前の土曜日
兄弟たちよ、私たち強い者は、弱い者の弱さを耐え忍び、自分自身の喜びを追い求めてはならない。 私たち一人ひとりは、隣人のために、益となり、励ましとなるよう努めなければならない。なぜなら、キリストもご自身を喜ばせようとはされなかったからである。むしろ、こう書かれているとおり、「あなたをののしる者たちのののしりが、私の上に降りかかった」。また、以前書かれたことはすべて、私たちへの教訓として書かれたものであり、聖書の忍耐と慰めによって、私たちが希望を保つためである。 忍耐と慰めの神が、キリスト・イエスの教えに従って、あなたがたが互いに心を一つにするよう、恵みを与えてくださいますように。そうして、あなたがたが心を一つにし、口を一つにして、私たちの主イエス・キリストの父なる神を賛美するようになるためです。ですから、キリストが神の栄光のうちにあなたがたを受け入れてくださったように、互いに受け入れ合いなさい。
ローマ人への手紙 15:1–7
第7週
兄弟たちよ、キリストが神の栄光のうちにあなたがたを受け入れてくださったように、互いに受け入れなさい。 すなわち、イエス・キリストは、神の真理のために、先祖たちに約束されたことを成就するために、割礼を受けた者たちの奉仕者となられ、また、異邦人のために、彼らが神を賛美するようにと、恵みによって奉仕者となられたのです。それは、次のように書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の間であなたを賛美し、(主よ)、あなたの御名を歌います。」 またこうも言われています。「異邦人たちよ、その民と共に喜びなさい。」さらに、「すべての異邦人よ、主を賛美し、すべての民よ、主を賛美しなさい。」イザヤもこう言っています。「イッサイの根が芽生え、諸国民を治めるために立ち上がる。異邦人は彼に望みを置く。」 さて、希望の神が、信仰においてあなたがたをあらゆる喜びと平安で満たし、聖霊の力によって、あなたがたが希望に満ちあふれるようにしてくださいますように。そして、兄弟たちよ、私はあなたがたについて確信しています。あなたがたもまた、善に満ち、あらゆる知識に富み、互いに教え合うことができるのです。 しかし、兄弟たちよ、私はある程度の大胆さをもって、ある意味ではあなたがたへの戒めとして、神から与えられた恵みによって、異邦人の間でイエス・キリストの奉仕者となり、神の福音を宣べ伝える聖務を全うしている者として、この異邦人の捧げ物が聖霊によって聖別され、神に喜ばれるものとなるようにと、あなたがたに書き送ったのです。
ローマ15:7–16
第5週の水曜日
兄弟たちよ、私は、神に関する限り、イエス・キリストにおいて誇ることができます。なぜなら、キリストが私を通して成し遂げられなかったこと、すなわち、異邦人を信仰へと従わせること、 言葉と行い、しるしと奇跡の力、神の御霊の力によって、異邦人を信仰へと従わせたのです。こうして、キリストの福音は、私によってエルサレムとその周辺からイリュリコに至るまで広められました。 また、私は、他人の土台の上に築くことのないよう、キリストの御名がすでに知られている場所ではなく、次のように書かれているとおり、「彼について知らぬ者たちは見、聞いたことのない者たちは知る」という場所で福音を宣べ伝えるよう努めてきました。このことが、私があなたがたのところへ行くのを何度も妨げてきました。 しかし今、この地方にはそのような場所がなく、また以前からあなたがたのところへ訪れたいと願っていたため、スペインへ向かう旅に出るやいなや、あなたがたのところへ参ります。なぜなら、通りがかりにあなたがたと会えることを望んでいるからです。そして、たとえほんの少しでも、あなたがたと交わりを楽しんだ後、あなたがたが私をそこへ送ってくださることを願っています。 さて、私は今、聖徒たちに奉仕するためにエルサレムへ向かっています。マケドニアとアカイアの人々は、エルサレムの聖徒たちのうち貧しい人々のために、ある程度の献金を熱心に集めているからです。 彼らは熱心に献金しているだけでなく、彼らに対して負債を負っているのです。なぜなら、異邦人が彼らの霊的な恵みにあずかったのなら、物質的な面でも彼らに仕えるべきだからです。これを成し遂げ、この献金の実を確実に彼らに届けた後、私はあなたがたの地域を経由してスペインへ向かいます。そして、あなたがたのところへ行くときは、キリストの福音の満ち溢れる祝福を携えて行くことを確信しています。
ローマ人への手紙 15:17–29
第5週の木曜日
兄弟たちよ、お願いいたします、兄弟たちよ、 私たちの主イエス・キリストと御霊の愛によって、ユダヤにいる不信仰者たちから私を救い出し、エルサレムへの私の奉仕が聖徒たちにとって有益なものとなるよう、神への祈りにおいて私と共に戦ってくださるよう、お願いいたします。そうすれば、もし神の御心にかなうなら、私は喜びをもってあなたがたのところへ行き、あなたがたと共に安らぎを得ることができるでしょう。 平和の神が、あなたがたすべてと共におられますように。アーメン。
ローマ人への手紙 15:30–33
第10週の安息日
兄弟たちよ、ケンクレア教会の執事である私たちの姉妹、フィバをあなたがたに紹介します。聖徒にふさわしいように、主のために彼女を受け入れ、彼女があなたがたに何か必要とするものがあれば、助けてあげてください。彼女もまた、多くの人々や私自身の助け手であったからです。 キリスト・イエスにおける私の同労者であるプリスキラとアキラ(彼らは私の命のために自らの命を捧げた人々であり、私だけでなく、異邦人のすべての教会も彼らに感謝している)と、彼らの家の教会に挨拶を伝えてください。また、私の愛するエペネトにも挨拶を伝えてください。彼はキリストのためにアカイアの先駆者です。 私たちのために大いに労苦してくれたマリアムに、ご挨拶を伝えてください。私の親族であり、私と共に囚われの身となったアンドロニコスとユニヤに、ご挨拶を伝えてください。彼らは使徒たちの間で名声を博し、私よりも先にキリストを信じた人々です。主において私が愛するアンプリオに、ご挨拶を伝えてください。 キリストにあって私たちの協力者であるウルバノと、私が愛するスタキオに、ご挨拶を。キリストにあって試練を経たアペレスに、ご挨拶を。アリストトロフォスの家の忠実な人々に、ご挨拶を。私の親族であるヘロディオンに、ご挨拶を。ナルキッソスの家のうち、主にある人々に、ご挨拶を。 主のために労苦しているトリフェナとトリフォスに、ご挨拶を。主のために大いに労苦し、愛すべきペルシダに、ご挨拶を。主において選ばれたルファと、彼であり私の母である方に、ご挨拶を。アシンクリト、フレゴント、エルマ、パトロ、エルミア、そして彼らと共にいる他の兄弟たちに、ご挨拶を。 フィロロスとユリア、ニレイアとその妹、オリンパ、そして彼らと共にいるすべての聖徒たちに挨拶を。互いに聖なる口づけをもって挨拶し合いなさい。キリストのすべての教会が、あなたがたに挨拶を送っています。
ローマ人への手紙 16:1–16
第5週の金曜日
兄弟たちよ、お願いです。あなたがたが学んだ教えに反して、分裂や惑わしを引き起こす者たちに注意し、彼らから遠ざかってください。そのような人々は、私たちの主イエス・キリストに仕えているのではなく、自分の腹に仕えており、お世辞や巧みな言葉によって、純真な人々の心を惑わしているからです。 あなたがたの信仰への従順は、すべての人に知られています。それゆえ、私はあなたがたのために喜んでいます。しかし、善においては賢く、悪においては純真であり続けてほしいと願っています。平和の神は、まもなくサタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にありますように。 アーメン。私の協力者であるテモテ、そして私の親族であるルキウス、ヤソン、ソシパトルが、あなたがたに挨拶を送ります。この手紙を書いた私、テルティウスも、主においてあなたがたに挨拶を送ります。 私の宿主であり、教会全体の宿主であるガイオスが、あなたがたに挨拶を申し上げます。市の財務官エラストと、兄弟クワルトも、あなたがたに挨拶を申し上げます。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべての上にありますように。アーメン。
ローマ人への手紙 16:17–24
第6週の月曜日
兄弟たちよ、お願いです。あなたがたが学んだ教えに反して、分裂や惑わしを引き起こす者たちに注意し、彼らから遠ざかってください。そのような人々は、私たちの主イエス・キリストに仕えているのではなく、自分の腹に仕えており、お世辞や巧みな言葉によって、純真な人々の心を惑わしているからです。 あなたがたの信仰への従順は、すべての人に知られています。それゆえ、私はあなたがたのために喜んでいます。しかし、善においては賢く、悪においては純真であり続けてほしいと願っています。平和の神は、まもなくサタンをあなたがたの足の下で打ち砕かれるでしょう。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にありますように。アーメン。
ローマ16:17–20
四旬節第1週、祈りの賛美の際
神の御心によりイエス・キリストの使徒とされたパウロと、兄弟ソスフェネスから、コリントにある神の教会、すなわち、キリスト・イエスにあって聖別され、召された聖徒たち、そして、あらゆる場所で、彼らと私たちと、主イエス・キリストの御名を呼び求めるすべての人々へ: 私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。私は、キリスト・イエスにおいてあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのために絶えず私の神に感謝しています。なぜなら、あなたがたはキリストにおいて、あらゆる言葉とあらゆる知識によって豊かにされたからです。キリストの証しはあなたがたの中に確固たるものとなり、 ――それゆえ、あなたがたは、いかなる賜物においても欠けることがなく、私たちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいます。主ご自身が、あなたがたを最後まで堅く立たせてくださり、私たちの主イエス・キリストの日に、あなたがたが非難されることのない者となるようにしてくださるのです。あなたがたを、御子イエス・キリスト、すなわち私たちの主との交わりに招いてくださった神は、真実な方です。
1コリント1:1–9
第6週の火曜日
兄弟たちよ、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。私は、キリスト・イエスにおいてあなたがたに与えられた神の恵みのゆえに、あなたがたのために絶えず私の神に感謝しています。なぜなら、あなたがたはキリストにおいて、あらゆる言葉とあらゆる知識において豊かにされたからです。キリストの証しはあなたがたの中に確固たるものとなったので、 ――それゆえ、あなたがたは、いかなる賜物においても欠けることがなく、私たちの主イエス・キリストの現れを待ち望んでいるのです。主ご自身が、あなたがたを最後まで堅く立たせてくださり、私たちの主イエス・キリストの日に、あなたがたが非難されることのない者となるようにしてくださるのです。あなたがたを、御子イエス・キリスト、すなわち私たちの主との交わりに招いてくださった神は、真実な方です。
1コリント1:3–9
第11週の土曜日
兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがた全員が一つのことを語り、あなたがたの間には分裂がなく、一つの霊と一つの思いによって結ばれているようにと、切に願います。なぜなら、私の兄弟たちよ、クロエの家の者たちから、あなたがたの間には論争があるという話を聞いたからです。私が言っているのは、あなたがたの中に、「私はパウロ派だ」と言う者、 「私はアポロ派だ」、「私はキフィ派だ」、「私はキリスト派だ」と言っていることを指しています。キリストが分裂したのでしょうか。パウロがあなたがたのために十字架にかけられたのでしょうか。それとも、あなたがたはパウロの名によってバプテスマを受けたのでしょうか。クリスパとガイオス以外、あなたがたのうち誰一人として私がバプテスマを授けていないことを、神に感謝します。それは、誰かが『私が自分の名によってバプテスマを授けた』と言わないようにするためです。 また、ステファノの家族にも洗礼を授けました。それ以外に誰に洗礼を授けたかは、知りません。なぜなら、キリストは私を、洗礼を授けるためではなく、福音を宣べ伝えるために遣わされたからです。それは、キリストの十字架の力を無効にしないため、言葉の知恵に頼らないためです。十字架の言葉は、滅びゆく者たちにとっては愚かさに過ぎませんが、救われる私たちにとっては、神の力なのです。
1コリント1:10–18
第8週
兄弟たちよ、十字架の言葉は、滅びゆく者たちにとっては愚かさに過ぎませんが、救われる私たちにとっては神の力です。なぜなら、「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを無に帰す」と書いてあるからです。知恵ある者はどこにいるのか。 どこに律法学者がいるのか。どこにこの世の論客がいるのか。神は、この世の知恵を愚かさに変えてしまわれたのではないか。なぜなら、この世は、その知恵をもって、神の深遠な知恵の中に神を知ることができなかったからである。それゆえ、神は、福音を宣べ伝えるという「愚かさ」によって、信じる者たちを救うことを喜ばれたのである。 なぜなら、ユダヤ人はしるしを求め、ギリシャ人は知恵を追い求めるが、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えている。それは、ユダヤ人にとってはつまずき、ギリシャ人にとっては愚かさに見えるが、召された者たち、すなわちユダヤ人もギリシャ人も、キリストこそが神の力であり、神の知恵であることを知るためである。
コリントの信徒への手紙一 1:18–24
9月14日、主の十字架の挙揚
兄弟たちよ、十字架のことは、滅びゆく者たちにとっては愚かさに過ぎませんが、救われる私たちにとっては神の力です。なぜなら、「私は知恵ある者の知恵を滅ぼし、賢い者の賢さを無に帰す」と書いてあるからです。知恵ある者はどこにいるのか。 どこに律法学者がいるのか。この世の論客はどこにいるのか。神は、この世の知恵を愚かさに変えてしまわれたのではないのか。なぜなら、この世は、その知恵をもって、神の深遠な知恵の中に神を知ることができなかったからである。それゆえ、神は、福音を宣べ伝えるという「愚かさ」によって、信じる者たちを救うことを喜ばれたのである。ユダヤ人は奇跡を求め、ギリシア人は知恵を求めるが、 しかし、私たちは、ユダヤ人にとってはつまずき、ギリシャ人にとっては愚かさに思える、十字架につけられたキリストを宣べ伝えている。しかし、召された者たち、すなわちユダヤ人もギリシャ人も、キリストを神の力、神の知恵として受け入れている。なぜなら、神の愚かさは人々の知恵よりも賢く、神の弱さは人々の力よりも強いからである。 兄弟たちよ、あなたがたが召された者たちであることをよく見てください。あなたがたのうち、肉による知恵ある者は多くなく、力ある者も少なく、高貴な者も少ないのです。 しかし、神は、この世の知恵のない者を選び、知恵ある者を恥じ入らせ、この世の弱い者を選び、強い者を恥じ入らせ、この世の卑しい者、見下されている者、無価値な者を選び、尊ばれている者を無に帰させられたのです。それは、いかなる肉も神の前で誇ることのないためです。 あなたがたもまた、キリスト・イエスにおいて、神から与えられた知恵、義、聖化、贖いとなった方によって、神から与えられたものである。それは、「誇る者は主を誇るべきである」と書かれているとおりである。 兄弟たちよ、私があなたがたのところへ行ったとき、神の証しを宣べ伝えるために、言葉や知恵の優越性によってではなく、ただイエス・キリスト、それも十字架につけられた方以外は何も知らない者として、あなたがたの間で振る舞うことに決めたのです。
1コリント1:18–2:2
聖金曜日
兄弟たちよ、あなたがたが召された者たちであることに目を向けてください。あなたがたのうち、肉による知恵ある者は多くなく、力ある者も少なく、高貴な者も少ないのです。 しかし、神は、この世の知恵のない者を選んで、知恵ある者を恥じさせ、この世の弱い者を選んで、強い者を恥じさせ、この世の卑しい者、見下されている者、無価値な者を選んで、価値ある者を無に帰させられた。それは、いかなる肉も神の前で誇ることのないためである。
コリントの信徒への手紙一 1:26–29
第12週の土曜日。
十字架の挙揚後の土曜日
兄弟たちよ、私たちは、完全な者たちの間で知恵を宣べ伝えています。しかし、それはこの世の知恵でも、この世の権威者たちの知恵でもなく、過ぎ去るものなのです。私たちは、神の深遠な知恵、すなわち、神が世の初めから私たちの栄光のために定められた、隠された、秘められた知恵を宣べ伝えているのです。この世の権威者たちのうち、だれもそれを知らなかったのです。 もし知っていたなら、栄光の主を十字架につけることはなかったでしょう。しかし、聖書に書かれているとおり、「神が御自身を愛する者たちのために備えておられるものは、人の目には見えず、人の耳には聞こえず、人の心にも思い浮かばなかった」のです。
Ⅰコリント2:6–9
第13週の土曜日。
十字架の挙揚前の土曜日
兄弟たちよ、神が御自身を愛する者たちのために備えておられることは、目が見たこともなく、耳が聞いたこともなく、人の心に思い浮かんだこともない。しかし、神は御霊によって、これを私たちに啓示してくださった。御霊はすべてのこと、すなわち神の奥義までも見通しておられるからである。人の内にあるものを、その人自身に宿る人の霊以外に、誰が知るだろうか。 それと同様に、神の御霊以外には、神の御心を知る者はいない。しかし、私たちは、この世の霊ではなく、神からの御霊を受けた。それは、神から私たちに与えられたものを知るためであり、それを、人間の知恵による学識ある言葉ではなく、聖霊によって教えられた言葉によって宣べ伝えている。すなわち、霊的なものを霊的なものと照らし合わせて理解しているのである。 肉に属する人は、神の御霊から来るものを受け入れません。なぜなら、それを狂気だと見なすからです。また、それを理解することもできません。なぜなら、それについては霊的に判断しなければならないからです。しかし、霊に属する人はすべてを判断しますが、彼自身については誰も判断することができません。だれが主の思いを知り、それを判断できるでしょうか。しかし、私たちはキリストの思いを持っています。 ですから、兄弟たちよ、私はあなたがたを霊的な人々としてではなく、肉的な人々として、キリストにある幼子たちとして語らざるを得ませんでした。私はあなたがたに、固い食物ではなく、乳を与えました。あなたがたは、まだそれを受け入れる力がなかったからです。そして今もなお、あなたがたは肉的な者であるため、その力を持っていません。 もしあなたがたの間に嫉妬や論争や分裂があるなら、あなたがたは肉的な者ではないのか。また、人間の慣習に従って行動しているのではないのか。ある者は「私はパウロ派だ」と言い、別の者は「私はアポロ派だ」と言うなら、あなたがたは肉的な者ではないのか。パウロとは誰か。 アポロとは誰か。彼らは、あなたがたが信仰を持つようになったための奉仕者に過ぎず、それも主が各人に与えられた範囲内でのことである。私は植えた者、アポロは水を注いだ者だが、成長させられたのは神である。それゆえ、植える者も水を注ぐ者も無に等しく、すべては成長させてくださる神によるのである。植える者と水を注ぐ者は同じであるが、各人は自分の労苦に応じて報いを受けるのである。
1コリント 2:9–16; 3:1–8
第6週の水曜日
兄弟たちよ、私たちは神の共同労働者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。私は、神から与えられた恵みによって、賢い建築家として基礎を据え、他の人がその上に建てています。しかし、それぞれがどのように建てるかを見極めなさい。なぜなら、すでに据えられている基礎、すなわちイエス・キリスト以外の基礎を据えることは、だれにもできないからです。 この土台の上に、金、銀、宝石、木、干し草、わらで建てる者がいるとしても、それぞれの働きは明らかになる。その日は火によって明らかにされるからである。火は、それぞれの働きがどのようなものであるかを、ありのままに試すからである。自分が建てた働きが堅く立つ者は、報いを受ける。 しかし、その業が焼けてしまう者は、損失を被ることになる。とはいえ、その者自身は救われるが、まるで火の中から抜け出すかのようにである。あなたがたは、自分たちが神の神殿であり、神の御霊があなたがたの中に住んでおられることを知らないのか。もしだれかが神の神殿を破壊するなら、神はその者を罰される。なぜなら、神の神殿は聖なるものであり、その神殿とは、すなわちあなたがた自身だからである。
1コリント3:9–17
第9週
兄弟たちよ、だれも自分を欺いてはならない。あなたがたのうち、この世で賢い者だと思っている者がいるなら、賢くなるためには、むしろ愚か者になりなさい。この世の知恵は、神の御前では愚かさにほかならない。聖書にこう書かれているとおりである。「神は、知恵ある者たちをその知恵の罠にかける」。また、「主は、知恵ある者たちの考えが空しいことを知っておられる」ともある。 ですから、だれも人を誇ってはなりません。あなたがたのすべては、パウロであれ、アポロであれ、ケファであれ、この世であれ、命であれ、死であれ、現在であれ、未来であれ、すべてあなたがたのものであり、あなたがたはキリストのものであり、キリストは神のものであるからです。
1コリント3:18–23
第6週の木曜日
兄弟たちよ、誰もが私たちを、キリストの僕であり、神の奥義の管理者であると理解すべきです。管理者には、一人ひとりが忠実であることが求められます。あなたがたが私をどう評価しようとも、他の人々がどう評価しようとも、私にとってはほとんど意味がありません。私自身も、自分自身を評価したりはしません。なぜなら、私は自分の行いについて何も知らないとはいえ、それによって自分を正当化しているわけではないからです。私を裁くのは主ご自身です。 それゆえ、主が来られるまでは、いかなる判断も下してはなりません。主こそ、闇に隠されたものを照らし出し、心の思いを表わされる方であり、そのとき、一人ひとりが神から称賛を受けることになるのです。
1コリント4:1–5
第14週の土曜日
兄弟たちよ、主が来られるまでは、いかなる判断も下してはならない。主は、闇に隠されたものを明らかにし、心の思いを表わされる方である。そのとき、一人ひとりが神から称賛を受けることになる。兄弟たちよ、私はあなたがたのために、自分自身とアポロについてこのことを述べた。それは、あなたがたが私たちから、書かれていることを超えて知恵を誇ったり、互いに自慢し合ったりしないことを学ぶためである。 なぜなら、誰があなたを他より優れていると言えるでしょうか。あなたが持っているもので、受け継いだものではないものがあるでしょうか。もし受け継いだものなら、なぜ受け継いでいないかのように自慢するのですか。あなたがたはすでに満腹し、すでに富み、私たち抜きで王として君臨しています。ああ、もしあなたがたが本当に王として君臨しているのなら、私たちもあなたがたと共に君臨できるのに!
1コリント4:5–8
第6週の金曜日
兄弟たちよ、私たち、最後の使徒たちは、まるで死刑宣告を受けたかのように、神によって定められたのです。なぜなら、私たちは世や天使たちや人々の目の前で、恥さらしとなったからです。私たちはキリストのために狂っているが、あなたがたはキリストにおいて賢いのです。私たちは弱い者ですが、あなたがたは強い者です。あなたがたは栄光の中にありますが、私たちは恥辱の中にあります。 今に至るまで、私たちは飢え、渇き、裸、殴打に耐え、放浪し、自分の手で働いて労苦しています。私たちをののしる者には、私たちは祝福を返します。私たちを迫害する者には、私たちは耐え忍びます。私たちを侮辱する者には、私たちは祈ります。私たちは世にとって、もみ殻のようなものであり、今に至るまで、すべての人から踏みつけられる塵のようなものです。 これを書くのは、あなたがたを恥じさせるためではなく、私の愛する子供たちとして、あなたがたを戒めるためです。なぜなら、あなたがたにはキリストにある導き手が何千人いても、父は多くありません。私は、福音によって、キリスト・イエスにあってあなたがたを産み出したのです。ですから、お願いです。私がキリストに倣うように、あなたがたも私に倣ってください。
1コリント4:9–16
第10週。
使徒たちへ
兄弟たちよ、わたしは、主において愛し、忠実なわが子テモテをあなたがたのところへ遣わした。彼は、私があらゆる教会で教えているように、キリストにおけるわたしの歩みをあなたがたに思い起こさせてくれるだろう。 私があなたがたのところへ行かないので、あなたがたの中には高慢になっている者たちがいます。しかし、主の御心があれば、まもなくあなたがたのところへ行って、高慢になっている者たちの言葉ではなく、その力を試してみせましょう。なぜなら、神の御国は言葉によるのではなく、力によるからです。あなたがたはどちらを望みますか。杖を持ってあなたがたのところへ行くことか、それとも愛と柔和な心を持って行くことか。 あなたがたの間に淫行が生じているという確かな噂があります。しかも、異教徒の間でさえ聞かれないような淫行、すなわち、ある者が妻の代わりに自分の父の妻を娶っているというのです。あなたがたは、むしろ泣いて、そのような行いをした者をあなたがたの中から追い出すべきであるにもかかわらず、高慢になってしまいました。 私は、肉体は離れていても、霊ではあなたがたのところにいるので、あたかもあなたがたのところにいるかのように、すでに決心しました。そのような行いをした者を、あなたがたの集まりにおいて、私たちの主イエス・キリストの御名によって、私の霊と共に、私たちの主イエス・キリストの力によって、サタンに引き渡して、その肉体を滅ぼし、主イエス・キリストの日にその霊が救われるようにするのです。
兄弟たちよ、わずかなパン種が、生地全体を膨らませるのです。 ですから、あなたがたは古いパン種を取り除き、新しい生地となりなさい。あなたがたはパン種のない者だからです。私たちの過越の羊であるキリストが、私たちのために犠牲となられたからです。それゆえ、古いパン種、すなわち不義と欺きのパン種ではなく、清さと真実の無酵のパンをもって祝おうではありませんか。 キリストは、私たちのためにご自身を誓いとなさって(「木に吊るされた者は皆、のろわれている」と書いてあるとおり)、律法の誓いから私たちを贖ってくださいました。それは、キリスト・イエスを通してアブラハムの祝福が異邦人にも及ぶようにし、私たちが信仰によって約束された御霊を受けられるためです。
1コリント5:6b–8;ガラテヤ3:13–14
聖土曜日、早課にて
兄弟たちよ、私は手紙の中で、あなたがたに「不品行な者とは交わってはならない」と書きました。もっとも、この世の不品行な者、あるいは強奪者、あるいは搾取者、あるいは偶像礼拝者とは、すべて交わってはならないという意味ではありません。そうでなければ、あなたがたはこの世から出て行かなければならなくなるからです。 しかし、私があなたがたに書いたのは、兄弟と名乗りながら、依然として不品行な者、強奪者、偶像礼拝者、悪口を言う者、酒飲み、強奪者である者とは交わらないように、ということです。そのような者とは、共に食事さえしてはなりません。なぜなら、私が外見的な者を裁くことなどあるでしょうか。あなたがたは内面的な者を裁くべきではありませんか。 外なる者を裁くのは神である。それゆえ、あなたがたの中から、その堕落した者を追い出せ。あなたがたのうち、誰かが他の人と争いがあるとき、どうして聖徒たちの前でではなく、不義な者たちの前で裁きを求めることができるのか。聖徒たちがこの世を裁くことになることを、あなたがたは知らないのか。もしあなたがたがこの世を裁くのであれば、さほど重要でない事柄を裁く資格がないというのか。 私たちが御使いたちを裁くことになることを、あなたがたは知らないのか。ましてや、この世の事柄などなおさらではないか。それなのに、あなたがたは、この世の争いがあるとき、教会において何の価値もない者たちを裁判官に立てている。 あなたがたの恥を指摘して言うが、あなたがたの間には、兄弟たちの間の争いを裁くことのできる、賢明な者が一人もいないというのか。それなのに、兄弟が兄弟を訴え、しかも不信仰者の前で訴えている。あなたがたの間で争いがあること自体が、すでにあなたがたにとって非常に恥ずべきことである。むしろ、傷つけられたままでいるほうがよいのではないか。むしろ、不自由を耐え忍ぶほうがよいのではないか。 それなのに、あなたがたは自ら他人を傷つけ、奪い取っている。それも、兄弟たちからである。不義な者は神の国を相続できないことを、知らないのか。 惑わされてはなりません。淫行者、偶像礼拝者、姦淫者、男色者、男娼、盗人、強奪者、酔っ払い、悪口を言う者、強奪者――これらの人々は、神の国を相続することはできません。 あなたがたの中には、かつてそのような者もいたが、主イエス・キリストの御名と、私たちの神の御霊によって、清められ、聖別され、義とされたのである。
1コリント5:9–6:11
第7週の月曜日
兄弟たちよ、私には何でも許されていますが、すべてが有益というわけではありません。私には何でも許されていますが、何ものにも支配されてはなりません。食べ物は腹のため、腹は食べ物のためですが、神は両方を滅ぼされます。 しかし、体は淫行のためではなく、主のためであり、主は体のためである。神は主をよみがえらせたように、御自身の力によって私たちをもよみがえらせてくださる。あなたがたの体はキリストの肢体であることを知らないのか。それなのに、キリストの肢体を切り取って、淫婦の肢体にするというのか。断じてあってはならない。 また、姦淫の女と交わる者は、彼女と一つの体となることを知らないのか。なぜなら、「二人は一つの肉となる」と書かれているからである。しかし、主と結ばれる者は、主と一つの霊となる。姦淫を避けなさい。人が犯すあらゆる罪は体の外にあるが、姦淫を犯す者は自分の体に対して罪を犯しているのである。 あなたがたの体は、あなたがたのうちに住まわれる聖霊の神殿であり、その聖霊は神から受けたものであり、あなたがたは自分自身のものではないことを、知らないのですか。あなたがたは、高価な代価で買い取られたのです。ですから、あなたがたの体と魂と、すなわち神のものであるそれらをもって、神を賛美しなさい。
コリントの信徒への手紙一 6:12–20
第34週、放蕩息子について
兄弟たちよ、あなたがたの体と魂、すなわち神のものであるそれらをもって、神を賛美しなさい。あなたがたが私に書き送った件について言えば、人が女に近づかないほうがよい。しかし、不品行を避けるために、各人は自分の妻を持ち、各女性は自分の夫を持つべきである。夫は妻にふさわしい愛を示し、同様に妻も夫に愛を示すべきである。 妻は自分の体を支配する権限を持たず、夫がそれを持つ。同様に、夫も自分の体を支配する権限を持たず、妻がそれを持つ。互いに離れ離れてはならない。ただし、断食や祈りに専念するために、一時的に互いの合意のもとで離れる場合は別である。その後、再び共に過ごすべきである。そうすれば、あなたがたの自制心の欠如によって、サタンに誘惑されることがないからである。 もっとも、これは私が許しとして言うのであって、命令として言うのではない。なぜなら、私はすべての人が私のようにあってほしいと願うが、神から与えられた賜物は人それぞれ異なり、ある人はこうであり、ある人はそうだからである。未婚者や寡婦たちにはこう言う。私のように独身のままでいるのがよい。しかし、もし自制できないなら、結婚すべきである。 燃え上がるよりは、結婚するほうがましだからです。そして、結婚している者たちに対しては、私が命じるのではなく、主が命じておられます。妻は夫と離婚してはなりません。もし離婚したなら、未婚のままでいるか、夫と和解すべきです。また、夫も妻を捨ててはなりません。 それ以外の者たちには、主ではなく私が言います。もし、ある兄弟が信仰を持たない妻を持ち、その妻が彼と一緒に暮らすことに同意しているなら、彼は彼女を離してはなりません。
1コリント6:20b–7:12
第7週の火曜日
兄弟たちよ、もし兄弟のうち、信仰を持たない妻を持ち、その妻が彼と共に暮らすことに同意しているなら、彼は彼女を離してはならない。また、信仰を持たない夫を持つ妻で、その夫が彼女と共に暮らすことに同意しているなら、彼女も彼を離れてはならない。なぜなら、信仰を持たない夫は、信仰を持つ妻によって聖別され、信仰を持たない妻は、信仰を持つ夫によって聖別されるからである。 そうでなければ、あなたがたの子供たちは不浄となるはずだが、今は聖なる者となっている。もし不信者が離婚を望むなら、離婚させておけばよい。そのような場合、兄弟も姉妹も束縛されることはない。主は私たちを平和へと招いてくださったからである。妻よ、あなたが夫を救うかもしれないと、どうして分かるのか。あるいは、夫よ、あなたが妻を救うかもしれないと、どうして分かるのか。 ただ、一人ひとりは、神が定めてくださった通りに、また主が召された通りに歩みなさい。私はすべての教会に対してこのように命じます。割礼を受けた者として召された者は、それを隠してはなりません。割礼を受けていない者として召された者は、割礼を受けてはなりません。割礼も無割礼も、何の意味もありません。重要なのは、神の戒めを守ることです。 だれも、召された時の状態に留まりなさい。もしあなたが奴隷として召されたなら、それを恥じてはならない。しかし、もし自由になる機会があるなら、その機会を活かすべきである。なぜなら、主にあって召された奴隷は、主の自由な者であり、同様に、自由な者として召された者は、キリストの奴隷だからである。 あなたがたは高価な代価で買い取られたのです。人の奴隷になってはなりません。兄弟たちよ、だれもが召されたその身分に留まり、神の御前でそのままでいなさい。
1コリント7:12b–24
第7週の水曜日
兄弟たちよ、だれも、召された時の状態に留まりなさい。独身について、私は主からの命令を受けているわけではありませんが、主から恵みを受けて主に忠実である者として、助言を述べます。 現在の必要に照らして、人がそのままでいることが最善であると認めます。妻と結ばれているなら、離婚を求めてはなりません。妻がいないなら、妻を求めてはなりません。しかし、たとえ結婚しても罪にはなりませんし、処女が結婚しても罪にはなりません。ただ、そのような人々は肉による悩みを抱くことになります。私はあなたがたを憐れみます。 兄弟たちよ、言っておく。時はすでに短い。だから、妻を持つ者は、持たない者のようにあり、泣く者は、泣かない者のようにあり、喜ぶ者は、喜ばない者のようにあり、買う者は、買わない者のようにあり、この世のものを楽しむ者は、楽しまない者のようにありなさい。この世の様相は過ぎ去っていくからである。私は、あなたがたが心配事のない者であってほしいと願っている。 未婚の者は、主にどのように仕えればよいか、すなわち主に喜ばれることを心に留めています。しかし、既婚の者は、この世のことに心を留め、すなわち妻にどのように喜ばれるかを考えています。既婚の女性と未婚の女性との間には違いがあります。未婚の女性は、主にどのように仕えればよいか、すなわち主に喜ばれ、体も霊も聖なる者となることを心に留めています。しかし、既婚の女性は、この世のことに心を留め、すなわち夫にどのように喜ばれるかを考えています。 私がこう言うのは、あなたがたのためであり、あなたがたに束縛を課すためではなく、あなたがたが気を散らすことなく、品位を保ち、絶えず主に仕えることができるようにするためです。
1コリント7:24–35
第7週の木曜日
兄弟たちよ、私はあなたがたのためを思ってこう言っているのです。あなたがたに束縛を課すためではなく、あなたがたが、気を散らすことなく、品位を保ち、絶えず主に仕えるためです。もし、自分の未婚の娘が成熟した年齢になってもそのままでいることを不適切だと考える者がいるなら、その人は自分の望むようにすればよい。罪を犯すことにはならない。 そのような者は結婚してもよい。しかし、心の中で揺るぎなく確固としており、困窮に迫られることなく、自らの意志で自由でありながら、心の中で自分の娘を守り抜くと決心した者は、正しく行っている。それゆえ、娘を嫁がせる者は正しく行っているが、嫁がせない者はさらに正しく行っている。 妻は、夫が生きている間は律法に縛られている。しかし、もし夫が死んだなら、主にある限り、誰とでも結婚してよい。しかし、私の助言に従ってそのまま留まるほうが、彼女にとっては幸いである。そして、私も神の御霊を持っていると思う。偶像に捧げられた食物については、私たちは知っている。なぜなら、私たちは皆、知識を持っているからである。 しかし、知識は人を高ぶらせますが、愛は人を築き上げます。自分が何かを知っていると思う者は、まだ、知るべきように何も知らないのです。しかし、神を愛する者には、神から知識が与えられます。ですから、偶像の犠牲の肉を食べることについて、私たちは、この世の偶像は何もではなく、唯一の神以外に神はいないことを知っています。 なぜなら、いわゆる神々が、天にも地にも存在し、多くの神々や主たちがいるとはいえ――私たちには、すべてのものの源であり、私たちがそのために存在する唯一の神、父がおられ、また、すべてのものの主であり、私たちがそのものとなる唯一の主イエス・キリストがおられるからです。 しかし、すべての人がこのような知識を持っているわけではありません。今でも、偶像を認める良心を持って、偶像の犠牲を偶像の供え物として食べ、その弱々しい良心が汚されてしまう人々がいるのです。
1コリント7:35–8:7
第7週の金曜日
兄弟たちよ、食物は私たちを神に近づけるものではない。なぜなら、食べても何の得もなく、食べなくても何の損もないからである。 しかし、あなたがたのこの自由が、弱い者たちのつまずきとならないように気をつけなさい。もし、あなたが知識を持っているにもかかわらず、神殿の食卓に着いているのを見られたら、弱い者の良心は、彼もまた偶像の犠牲を食べてよいと誘惑されるのではないか。 そうして、キリストが死なれたその弱い兄弟が、あなたの知識のゆえに滅びてしまうのです。このように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を傷つけることは、キリストに対して罪を犯すことになります。ですから、もし食物が私の兄弟を誘惑するのであれば、私は兄弟を誘惑しないために、永遠に肉を食べないことにします。 私は使徒ではないのか。私は自由ではないのか。私たちの主イエス・キリストを、私は見なかったのか。あなたがたは、主において私の仕事ではないのか。もし他の人々にとって私が使徒でないとしても、あなたがたにとっては使徒である。なぜなら、私の使徒職の証しは、主にあるあなたがたそのものだからである。
1コリント8:8–9:2
第35週、肉断ち週間
兄弟たちよ、私の使徒職の証しは、あなたがたが主にあることである。これこそが、私を非難する者たちに対する私の弁明である。それとも、私たちには食べたり飲んだりする自由がないというのか。あるいは、他の使徒たちや主の兄弟たち、またケファのように、姉妹を妻として迎える自由がないというのか。それとも、私とバルナバだけが、働かない自由がないというのか。 兵士で、自分の糧を賄わずに仕える者がいるだろうか。ぶどう畑を植えて、その実を食べない者がいるだろうか。羊の群れを飼って、その乳を飲まない者がいるだろうか。私がこう言うのは、単に人間的な理屈からだけだろうか。律法もまた同じことを言っているのではないか。モーセの律法にはこう書かれている。「脱穀する牛の口をふさぐな。」 神は牛のことを気にかけておられるのでしょうか。それとも、もちろん、私たちのために言われているのでしょうか。そうです、これは私たちのために書かれているのです。なぜなら、耕す者は、期待を持って耕すべきであり、脱穀する者は、期待する報いを受けることを期待して脱穀すべきだからです。 もし私たちがあなたがたに霊的なものを蒔いたのなら、あなたがたから肉的なものを刈り取ることは、大したことでしょうか。他の人々があなたがたに対して権威を持っているのなら、私たちにはなおさらそうではないでしょうか。しかし、私たちは、キリストの福音を妨げるような障害を何一つ設けないように、この権威を行使することなく、すべてに耐え忍んでいます。
コリントの信徒への手紙一 9:2b–12
第11週
兄弟たちよ、聖職者は聖所から養われていることを、あなたがたは知らないのですか。祭壇に仕える者は、祭壇から分け前を受け取っているではありませんか。それと同じように、主もまた、福音を宣べ伝える者たちが、その宣教によって生計を立てるよう命じられました。 しかし、私はそのようなものには一切頼っていません。また、私がこれを書いたのは、自分自身がそうなるようにというためではありません。なぜなら、私の誉れを誰かが打ち砕くよりは、むしろ死ぬほうがましだからです。もし私が福音を宣べ伝えるなら、誇るべきことは何もないのです。それは私の当然の義務であり、もし福音を宣べ伝えなければ、私は悲惨なことになるからです。 なぜなら、もし私が自発的にこれを行うなら、報いを受けるでしょう。しかし、もし自発的でないなら、ただ私に委ねられた務めを果たしているに過ぎません。では、私の報いは何でしょうか。それは、福音を宣べ伝えるにあたり、キリストについて無償で宣教し、宣教における私の権威を利用しないことにあるのです。
1コリント9:13–18
第8週の月曜日
兄弟たちよ、私はすべての人から自由であるにもかかわらず、より多くの人を勝ち取るために、すべての人に自分を従わせました。ユダヤ人のためには、ユダヤ人のように振る舞い、ユダヤ人を勝ち取るためでした。 律法の下にある者たちのためには、律法の下にある者のようになり、律法の下にある者たちを勝ち取るためでした。律法のない者たちのためには、律法のない者のようになり――神の前では律法のない者ではなく、キリストの律法の下にある者として――律法のない者たちを勝ち取るためでした。弱い者たちのためには、弱い者のようになり、弱い者たちを勝ち取るためでした。 すべての人にとって、私はすべての人となった。それは、せめて何人かでも救うためである。私は、福音のためにこれを行っている。福音の共同参加者となるためである。競技場で走る者たちは皆走るが、賞を受けるのはただ一人であることを、あなたがたは知らないのか。だから、賞を受けるように走りなさい。 すべての競技者は、あらゆることを自制しています。ある者は朽ちる冠を得るために、しかし私たちは朽ちない冠を得るためにです。それゆえ、私は目標のないように走るのではなく、空を打つように戦うのでもなく、自分の肉体を服従させ、従わせます。それは、他の人々に宣べ伝える私が、自分自身が不適格な者とならないためです。
1コリント9:19–27
主顕節の前夜(月曜日~金曜日)
兄弟たちよ、私はすべての人から自由であるにもかかわらず、より多くの人々を勝ち取るために、すべての人に自分を従わせた。ユダヤ人のためには、ユダヤ人のように振る舞い、ユダヤ人を勝ち取るためである。 律法の下にある者たちのためには、律法の下にある者のように振る舞い、律法の下にある者たちを勝ち取るためでした。律法のない者たちのためには、律法のない者のように振る舞い――神の前では律法のない者ではなく、キリストの律法の下にある者として――律法のない者たちを勝ち取るためでした。弱い者たちのためには、弱い者のように振る舞い、弱い者たちを勝ち取るためでした。 すべての人にとって、私はすべての人となった。それは、せめて何人かでも救うためである。私は、福音のためにこれを行っている。福音の共同参加者となるためである。競技場で走る者たちは皆走るが、賞を受けるのはただ一人であることを、あなたがたは知らないのか。だから、賞を受けるように走りなさい。 すべての競技者は、あらゆることを自制しています。ある者は朽ちる冠を得るために、しかし私たちは朽ちない冠を得るためにです。それゆえ、私は不確かなものを追い求めるように走るのではなく、ただ空を打つだけのために戦うのでもありません。むしろ、自分の肉体を服従させ、従わせているのです。それは、他の人々に宣べ伝える私が、自分自身が不適格な者とならないためです。 兄弟たちよ、あなたがたに知らせておきたいことがあります。すなわち、私たちの先祖は皆、雲の下を旅し、皆、海を渡り、皆、雲と海の中でモーセにあってバプテスマを受け、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆、同じ霊的な飲み物を飲みました。彼らは、後の霊的な岩から飲んだのです。その岩とは、キリストでした。
1コリント9:19–10:4
主の顕現の前夜(土曜日、日曜日)
兄弟たちよ、私はあなたがたに知っておいていただきたいことがあります。すなわち、私たちの先祖は皆、雲の下にいて、皆、海を渡り、皆、雲と海の中でモーセにあってバプテスマを受け、皆、同じ霊的な食物を食べ、皆、同じ霊的な飲み物を飲みました。それは、霊的な岩から流れ出るものを飲んだからです。その岩とは、キリストでした。
1コリント10:1–4
水の偉大な聖別
兄弟たちよ、私たちの先祖のうち、神に受け入れられた者は多くはありませんでした。彼らは荒野で倒れたからです。これらは私たちのための模範であり、彼らがそうであったように、私たちが悪に耽溺しないためです。また、彼らの一部のように偶像礼拝者になってはなりません。彼らについてはこう書かれています。「民は座って食べ、飲み、立ち上がって遊び始めた。」 また、彼らの一部が淫行にふけったように、私たちも淫行にふけてはなりません。そうして、たった一日のうちに、彼らのうち二万三千人が滅びてしまいました。 また、彼らの一部が試みて蛇に噛まれて死んだように、私たちもキリストを試みてはなりません。彼らの一部が不平を言って滅ぼしの天使に殺されたように、私たちも不平を言ってはなりません。これらすべては、彼らに起こった出来事として、私たちへの教訓として記されています。私たちは、終わりの時代に生きる者たちです。ですから、自分が立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。
1コリント10:5–12
第8週の火曜日
兄弟たちよ、自分が立っていると思う者は、倒れないように気をつけなさい。あなたがたに降りかかった試練は、人間にふさわしいもの以外の何ものでもありません。神は真実な方であり、あなたがたが耐えられないほどの試練に遭うことを許さず、試練の時には、それを耐え抜けるように、その試練にふさわしい助けも与えてくださいます。ですから、愛する者たちよ、偶像礼拝から逃げなさい。 私は、分別のある人々にこう言います。私が言うことを、あなたがた自身でよく考えてみてください。私たちが祝福する祝福の杯は、キリストの血に与ることではありませんか。私たちが裂くパンは、キリストの体に与ることではありませんか。一つのパンであり、私たちは多くの人でありながら一つの体です。なぜなら、私たちは皆、一つのパンから聖餐を受けるからです。 肉によるイスラエルを見てください。犠牲を食べる者たちは、その祭壇の共同参加者ではないでしょうか。では、私が言っているのは何でしょうか。偶像が何かであるとか、偶像に捧げられたものが何かを意味するということでしょうか。いいえ、そうではありません。異邦人が犠牲を捧げる時、それは神ではなく、悪霊たちに捧げているのです。 しかし、私はあなたがたが悪霊と交わることを望みません。主の杯と悪霊の杯とを同時に飲むことはできません。主の食卓と悪霊の食卓とに同時に与ることもできません。まさか、私たちが主を怒らせるようなことをするつもりでしょうか。私たちが主よりも強いというのでしょうか。
1コリント10:12–22
第8週の水曜日
兄弟たちよ、私には何でも許されていますが、すべてが有益というわけではありません。私には何でも許されていますが、すべてが人を造り上げるわけではありません。だれも自分の利益を求めず、互いの利益を求めなさい。市場で売られているものは、良心の平安のために、何も調べずに食べなさい。主のものは地であり、その中にあるすべてのものだからです。 もし不信者の誰かがあなた方を招き、行きたいと思うなら、良心の平安のために、出されるものは何でも、何も問わずに食べなさい。しかし、もし誰かが「これは偶像に捧げられたものだ」と言うなら、それを告げた人のためにも、また良心のためにも、食べてはならない。なぜなら、地も、その中にあるすべてのものも、主のものだからである。
コリントの信徒への手紙一 10:23–28
第16週の土曜日。
肉断ちの土曜日
兄弟たちよ、もしだれかがあなたがたに、「これは偶像に捧げられたものだ」と言うなら、それを告げた人のため、また良心のために、それを食べてはならない。主のものは地であり、その中にあるすべてのものだからである。 ここで言う「良心」とは、自分のことではなく、他人のことを指します。なぜなら、私の自由が、他人の良心によって裁かれる必要があるでしょうか。もし私が感謝して食事をとるなら、私が感謝していることについて、なぜ私を非難するのでしょうか。ですから、食べるにせよ、飲むにせよ、あるいは他の何をするにせよ、すべてを神の栄光のためにしなさい。 ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、神の教会であろうと、だれにもつまずきを与えないようにしなさい。私も、すべてのことにおいてすべての人に喜ばれるよう努め、自分の益ではなく、多くの人の益を求め、彼らが救われるようにしているのです。私がキリストに倣うように、あなたがたも私に倣いなさい。兄弟たちよ、あなたがたが私のことをすべて覚えており、私があなたがたに伝えたとおりに伝統を守っていることを、私は称賛します。 また、あなたがたに知ってほしいのは、すべての夫の頭はキリストであり、妻の頭は夫であり、キリストの頭は神であるということです。頭を覆って祈ったり預言したりする夫は、自分の頭を辱めているのです。 また、祈ったり預言したりする際に頭を覆わない妻は、自分の頭を辱めているのです。それは、まるで髪を刈り上げたのと同じことだからです。もし妻が頭を覆いたくないのなら、髪を切ればよいのです。しかし、髪を切ったり刈り上げたりするのが恥ずかしいと思うなら、頭を覆うべきです。 したがって、夫は頭を覆ってはならない。なぜなら、夫は神の像であり、神の栄光だからである。一方、妻は夫の栄光である。
1コリント10:28–11:7
第8週の木曜日
兄弟たちよ、夫は妻から出たのではなく、妻は夫から出たのである。また、夫は妻のために造られたのではなく、妻は夫のために造られたのである。それゆえ、妻は天使たちのために、自分の頭の上に、自分に対する権威のしるしを置かなければならない。しかし、主において、夫に妻なき者も、妻に夫なき者もない。なぜなら、妻が夫から出たように、夫もまた妻を通して出ているからであり、すべては神から出ているのである。 ご自身で考えてみてください。妻が頭を覆わずに神に祈るのは、ふさわしいことでしょうか。自然そのものが、あなたがたに教えてはいないでしょうか。もし夫が髪を伸ばせば、それは彼にとって不名誉なことですが、妻が髪を伸ばせば、それは彼女にとって名誉なことです。なぜなら、髪は彼女にとって頭巾の代わりとして与えられているからです。もし誰かがこれに異議を唱えようとしても、私たちにも、神の教会にも、そのような慣習はありません。 しかし、こう申し上げるからといって、あなたがたが最善ではなく、最悪の集まりをしていることを称賛しているわけではありません。第一に、あなたがたが教会に集まる際、あなたがたの間で分裂が生じていると聞いており、そのことはある程度信じているからです。あなたがたの間には意見の相違があるべきであり、それによって、あなたがたの中に熟達した者たちが明らかになるからです。 さらに、あなたがたが集まる様子は、主の晩餐をいただくこととは程遠いものです。なぜなら、誰もが他の人より先に自分の食事を急いで食べようとするため、ある者は空腹のままになり、ある者は満腹になってしまうからです。 あなたがたには、食べたり飲んだりするための家がないというのか。それとも、神の教会を軽んじ、貧しい人々を侮っているのか。何と言えばよいのか。これを称賛すべきだろうか。私は称賛しない。
1コリント11:8–22
第8週の金曜日
兄弟たちよ、私は主ご自身から受けたことを、あなたがたに伝えたのです。すなわち、主イエスは、裏切られたその夜、パンを取り、感謝をささげてから、それを裂いて言われた、「これを受け取り、食べなさい。これは、あなたがたのために裂かれる私の体である。私の記念としてこれを行いなさい」。 また、夕食の後、杯を取り、こう言われました。「この杯は、わたしの血による新しい契約である。あなたがたがこれを飲むたびに、わたしの記念としてこれを行いなさい。」あなたがたがこのパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を宣べ伝えるのです。 それゆえ、このパンを食べたり、主の杯を飲んだりするのにふさわしくない者は、主の体と血に対して罪を犯すことになる。人は自分自身を吟味し、そのようにしてこのパンを食べ、この杯を飲むべきである。 なぜなら、ふさわしくないまま食べて飲む者は、主の御体を深く考えずに、自分自身に裁きを招くことになるからである。それゆえ、あなたがたの中には、弱っている者や病気の者が多く、また、死ぬ者も少なくない。もし私たちが自分自身を裁いていれば、裁かれることはなかっただろう。しかし、裁かれるとき、私たちは主から懲らしめを受ける。それは、世と共に裁かれないためである。
1コリント11:23–32
聖木曜日
兄弟たちよ、もし私たちが自分自身を裁いていれば、裁かれることはなかったでしょう。しかし、裁かれるときは、主から懲らしめを受けるのです。それは、世と共に裁かれないためです。ですから、兄弟たちよ、晩餐の集まりには、互いに待ち合わせてください。もし誰かが空腹なら、家で食べてから来なさい。そうすれば、あなたがたが集まっても、裁きを受けることにはなりません。 その他のことは、私が行った際に整えるつもりです。兄弟たちよ、霊的な賜物についても、あなたがたを無知のままにしておきたくはありません。あなたがたが異邦人であったとき、声なき偶像のもとへ行き、まるでそれに導かれるかのようにしていたことを、あなたがたも知っています。 それゆえ、あなたがたに言います。神の御霊によって語る者は、だれもイエスを呪うことはなく、また、聖霊によらなければ、だれもイエスを主と呼ぶことはできません。賜物はさまざまですが、御霊は一つです。奉仕はさまざまですが、主は一人です。働きはさまざまですが、すべての人の中ですべてを行われる神は一人です。
1コリント11:31–12:6
第9週の月曜日
兄弟たちよ、一人ひとりに、益となるように御霊の現れが与えられています。ある人には、同じ御霊によって知恵の言葉が与えられ、別の人には知識の言葉が与えられ、またある人には、同じ御霊によって信仰が与えられ、別の人には、同じ御霊によって癒しの賜物が与えられ、またある人には奇跡を行う力が、別の人には預言が、またある人には霊を見分ける力が、別の人にはさまざまな異言が、またある人には異言の解釈が与えられています。 しかし、これらすべては、同じ御霊が、御自身の御心に適うように、一人ひとりに個別に分け与えておられるのです。
1コリント12:7–11
11月17日、ネオケサリアの聖グリゴリオ司教
兄弟たちよ、体は一つであるが、多くの肢体があり、一つの体のすべての肢体は、その数が多くても、一つの体をなしている。キリストも同様である。なぜなら、ユダヤ人であろうとギリシア人であろうと、奴隷であろうと自由人であろうと、私たちは皆、一つの御霊によって一つの体にバプテスマを受け、皆、一つの御霊に満たされているからである。体は一つの肢体から成るのではなく、多くの肢体から成っている。 もし足が、「私は手ではないから、体には属さない」と言ったとしても、果たしてそれゆえに体には属さないというのでしょうか。また、もし耳が、「私は目ではないから、体には属さない」と言ったとしても、果たしてそれゆえに体には属さないというのでしょうか。もし体全体が目であるなら、聴覚はどこにあるのでしょうか。もし体全体が聴覚であるなら、嗅覚はどこにあるのでしょうか。 しかし、神はご自身の御心に適うように、それぞれの肢体を体の構成要素として配置された。もしすべてがひとつの肢体であったなら、体とはどこにあるというのか。しかし、今は肢体は多くても、体は一つである。 目が手に「お前は私に必要ない」と言うことはできないし、同様に、頭が足に「お前たちは私に必要ない」と言うこともできない。それどころか、体の肢体の中で最も弱いと思われるものは、はるかに必要とされており、体の中で私たちにとってあまり高貴ではないと思われるものほど、私たちはより一層の配慮を注ぐ。また、私たちの見栄えの悪い部分は、より見栄えよく覆われているが、見栄えの良い部分にはその必要がない。 しかし、神は、体の中に分裂が生じることなく、すべての肢体が互いに等しく互いを気遣うように、より不完全な部分に対してより大きな配慮を注ぐよう、体を調和させられました。それゆえ、一つの肢体が苦しめば、すべての肢体が共に苦しみ、一つの肢体が栄えれば、すべての肢体が共に喜びます。
1コリント12:12–26
第9週の火曜日
兄弟たちよ、あなたがたはキリストの体であり、それぞれはその一部です。神は教会の中に、第一に使徒、第二に預言者、第三に教師を置かれました。さらに、ある人には奇跡を行う力を、またある人には癒しの賜物、助ける力、指導する力、さまざまな異言の賜物を与えられました。皆が使徒なのでしょうか。 皆が預言者でしょうか。皆が教師でしょうか。皆が奇跡を行う者でしょうか。皆が癒しの賜物を持っているでしょうか。皆が異言を語るでしょうか。皆が解釈者でしょうか。より大きな賜物を熱心に求めなさい。そうすれば、私はさらに優れた道をお示ししましょう。たとえ私が人間の言葉や天使の言葉を語っても、愛がなければ、私は鳴り響く銅の板や、響き渡るシンバルに過ぎません。 たとえ預言の賜物があり、あらゆる秘密を知り、あらゆる知識と完全な信仰を持ち、山をも動かすことができても、愛がなければ、私は何者でもない。また、たとえ私の全財産を施し、自分の体を焼かれるために捧げたとしても、愛がなければ、私には何の益もない。 愛は寛容であり、慈しみ深く、嫉妬せず、自慢せず、高ぶらず、無作法ではなく、自分の利益を求めず、怒らず、悪を思わず、不義を喜ばず、真理を喜ぶ。すべてを覆い、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 愛は決して滅びない。
1コリント12:27–13:8a
無報酬の奉仕者たちへ
兄弟たちよ、愛は寛容であり、慈しみ深く、愛は嫉妬せず、愛は自慢せず、高ぶらず、無作法ではなく、自分の利益を求めず、怒らず、悪を企まず、不義を喜ばず、真理を喜ぶ。すべてを覆い、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。 愛は決して滅びない。たとえ預言が廃れ、異言が静まり、知識が消え去ったとしても。私たちは今、部分的にしか知らず、部分的にしか預言していない。しかし、完全なものが来るとき、部分的なものは廃れるのである。 私が幼子であったときは、幼子のように語り、幼子のように考え、幼子のように推論していた。しかし、大人になると、幼子のようなことは捨てた。 今は、あたかも曇ったガラスを通して、あやふやに見ているようなものですが、その時には、顔と顔を合わせて見るようになります。今は部分的にしか知りませんが、その時には、私が知られているのと同じように、完全に知るようになります。さて、今あるのは、この三つ、すなわち信仰、希望、愛です。しかし、このうちで最も優れたものは愛です。 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、とりわけ預言の賜物を熱心に求めなさい。なぜなら、異言を語る者は、人々に語るのではなく、神に語っているからである。だれもその言葉を理解しないからであり、その人は御霊によって奥義を語っているからである。しかし、預言する者は、人々の益となり、励ましとなり、慰めとなるように語るのである。 異言を語る者は自分自身を建て上げるが、預言する者は教会を建て上げる。あなたがた全員が異言を語れるよう願うが、預言するほうがよい。預言する者は、異言を語る者よりも優れているからである。ただし、その者が教会を建て上げるために、その意味を解き明かすのであれば別である。
1コリント13:4–14:5
第9週の水曜日
兄弟たちよ、私が幼子であったときは、幼子のように話し、幼子のように考え、幼子のように推論していました。しかし、大人になると、幼子のようなことは捨てました。 今は、あたかも曇ったガラスを通して、あやふやに見ているようなものですが、その時には、顔と顔を合わせて見るようになります。今は部分的にしか知りませんが、その時には、私が知られているのと同じように、完全に知るようになります。さて、今あるのは、この三つ、すなわち信仰、希望、愛です。しかし、このうちで最も優れたものは、愛です。 愛を追い求めなさい。霊的な賜物、とりわけ預言の賜物を熱心に求めなさい。なぜなら、異言を語る者は、人々に語るのではなく、神に語っているからである。だれもその言葉を理解しないからであり、その人は御霊によって奥義を語っているからである。しかし、預言する者は、人々の益となり、励ましとなり、慰めとなるように語るのである。 異言を語る者は自分自身を建て上げるが、預言する者は教会を建て上げる。あなたがた全員が異言を語れるよう願うが、預言するほうがよい。預言する者は、異言を語る者よりも優れているからである。ただし、その者が教会を建て上げるために、その意味を解き明かすのであれば別である。
1コリント13:11–14:5
7月15日、聖キリコとユリッテ
兄弟たちよ、もし私があなたがたのところへ行って、兄弟たちよ、聞き慣れない異言を語ったとしても、啓示や知識や預言や教えによって、それをあなたがたに解き明かさなければ、あなたがたに何の益があるだろうか。 また、音を発する無生物、すなわち笛やハープでさえ、区別できる音を出さなければ、笛やハープで何を奏でているのか、どうして分かるでしょうか。もしラッパが不明確な音を鳴らしたら、誰が戦いの準備をするでしょうか。それと同じように、あなたがたが舌で意味の分からない言葉を語ったとしても、あなたがたが何を言っているのか、どうして分かるでしょうか。 それは風に向かって語っているようなものです。例えば、世の中にはさまざまな言葉がありますが、そのどれもが意味を持たないものなど一つもありません。しかし、もし私がその言葉の意味を理解できなければ、私は話し手にとっての異邦人であり、話し手も私にとっての異邦人となります。 それゆえ、あなたがたも、霊的な賜物を熱心に求めるなら、教会の建て上げのために、それらによって豊かになるよう努めなさい。それゆえ、異言で語る者は、解釈の賜物を祈り求めなさい。なぜなら、私が異言で祈るとき、私の霊は祈っているが、私の心は実を結ばないからである。では、どうすればよいのか。 御霊によって祈り、また理性によっても祈る。御霊によって賛美し、また理性によっても賛美する。もしあなたが御霊によって祝福の言葉をささげるなら、一般の信徒は、あなたの感謝の言葉に対して、どうして「アーメン」と言えるだろうか。彼はあなたが何を言っているのか理解できないからだ。 あなたはよく感謝しているが、他の人はそれによって建て上げられない。私の神に感謝する。私はあなたがた全員よりも多くの異言を語るが、教会では、他の人々を導くために、理解できない言葉で多くの言葉を語るよりも、むしろ自分の心で五つの言葉を語ることを望む。
1コリント14:6–19
第9週の木曜日
兄弟たちよ、心において子供であってはならない。悪に対しては幼子であり、心においては大人でありなさい。律法にはこう書かれている。「わたしは、この民に、異なった舌と異なった口をもって語る。それでも彼らはわたしに聞き従わない、と主は言われる。」 したがって、異言は信じる者のためではなく、信じない者のためのしるしであり、預言は信じない者のためではなく、信じる者のためのものです。もし教会全体が集まり、皆が異言を語り、そこに無知な者や信じない者が入ってきたなら、彼らはあなたがたが狂っていると言うのではないでしょうか。 しかし、もし皆が預言をしていて、不信者や無知な者が入ってきたなら、その人は皆によって暴かれ、皆によって裁かれる。こうして、その人の心の奥底が明らかにされ、その人はひれ伏して神を礼拝し、『まことに、あなたがたの中に神がおられる』と言うだろう。
1コリント14:20–25
第17週の土曜日
兄弟たちよ、あなたがたが集まる時、一人ひとりが詩篇、教え、異言、啓示、解釈を持っているなら、これらすべては建て上げのために用いられなければならない。もし誰かが異言で語るなら、二人、多くても三人までとし、それぞれが順番に語り、一人が解釈しなければならない。 もし解釈する者がいないなら、教会では黙って、自分と神に対して語りなさい。預言者たちも、二人か三人が語り、他の者たちは論じなさい。もし座っている他の者に啓示があれば、最初の者は黙りなさい。なぜなら、あなたがたは皆、順番に預言することができ、それによって皆が教えられ、皆が慰めを受けるからです。 また、預言の霊は預言者たちに従う。神は混乱の神ではなく、平和の神だからである。これは、聖徒たちのすべての教会でそうである。あなたがたの妻たちは、教会では黙っていなければならない。彼女たちは話すことを許されておらず、律法が言うように、従順であるべきだからである。 もし何かを学びたいのであれば、家で自分の夫に尋ねなさい。なぜなら、教会で妻が話すことはふさわしくないからである。神の言葉は、あなたがたから出たものなのか。それとも、あなたがただけに届いたものなのか。もしだれかが自分を預言者あるいは霊的な者だと考えるなら、私があなたがたに書いていることを理解すべきである。これらは主の戒めだからである。 もし理解できない者がいるなら、理解できなくてもよい。さて、兄弟たちよ、預言することを熱心に求めなさい。しかし、異言を語ることさえも禁じてはならない。ただ、すべてが品位を保ち、秩序正しく行われなければならない。
1コリント14:26–40
第9週の金曜日
兄弟たちよ、私があなたがたに宣べ伝えた福音、すなわち、あなたがたが受け入れて、その中に堅く立ち、またそれによって救われている福音を、改めて思い出させておきます。もし、私があなたがたに宣べ伝えたとおりに、その教えを守り続けるなら、あなたがたは救われるのです。ただし、あなたがたがむなしく信じたのでない限りは。 なぜなら、私が最初にあなたがたに伝えたのは、私自身も受け入れたこと、すなわち、キリストが聖書の通り、私たちの罪のために死なれ、葬られ、聖書の通り、三日目に復活され、ケファに現れ、次に十二使徒に現れ、 その後、一度に五百人以上の兄弟たちに現れ、そのうちの多くは今も生きており、ある者はすでに眠りについた。さらに、ヤコブにも、またすべての使徒たちにも現れ、そして最後に、私のような不肖の者にも現れた。私は使徒たちの中で最も小さい者であり、かつて神の教会を迫害したため、使徒と呼ばれるに値しない者である。 しかし、神の恵みによって、私は今ある者となっています。そして、私にある神の恵みは無駄にはならず、私は彼ら全員よりも多く労苦しました。もっとも、それは私ではなく、私と共にある神の恵みによるものです。ですから、私であれ、彼らであれ、私たちはこのように宣べ伝え、あなたがたもそのように信じたのです。
1コリント15:1–11
第12週
兄弟たちよ、もしキリストが死者の中からよみがえられたと宣べ伝えられているのなら、どうしてあなたがたの中には、死者の復活などないと言う者たちがいるのでしょうか。もし死者の復活がないのなら、キリストもよみがえらなかったことになります。そして、もしキリストがよみがえらなかったのなら、私たちの宣教もむなしく、あなたがたの信仰もむなしいことになります。 さらに、私たちは神について偽りの証人となってしまいます。なぜなら、もし死者がよみがえらないのであれば、神がよみがえらせなかったキリストを、神がよみがえらせたと証言することになるからです。死者がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったことになるからです。 もしキリストがよみがえらなかったのなら、あなたがたの信仰はむなしく、あなたがたはなおも罪の中にいることになります。それゆえ、キリストにあって死んだ者たちも滅びてしまうのです。もし私たちがこの世の生活だけにおいてキリストに希望を置いているのなら、私たちはすべての人の中で最も哀れな者たちです。
1コリント15:12–19
第10週の月曜日
兄弟たちよ、キリストは死者の中からよみがえられました。死者の初子としてです。なぜなら、死が人を通して来たように、死者の復活も人を通して来るからです。アダムにおいてすべての人が死ぬように、キリストにおいてすべての人が生き返るのです。それぞれ順番に従って、まず初子であるキリスト、次にキリストに属する者たちが、キリストの再臨の時に。 そして、終わりが来る。すなわち、キリストが御国を神であり父である方にお渡しになり、あらゆる支配、権威、力を廃される時である。なぜなら、キリストは、すべての敵を御自身の足の下に打ち倒すまで、支配し続けなければならないからである。 最後の敵、すなわち死は滅ぼされる。なぜなら、すべてが御子の足の下に服従させられたからである。御子にすべてが服従させられたと言われるとき、御子にすべてを服従させた方以外には、御子に服従した者はいないことが明らかである。そして、すべてが御子に服従したとき、御子ご自身も、御子にすべてを服従させた方に服従し、神がすべてにおいてすべてとなられるのである。
1コリント15:20–28
故人を偲んで(木曜日)
兄弟たちよ、死者のためにバプテスマを受ける人々は、一体何をしているのでしょうか。もし死者が全くよみがえらないのなら、なぜ死者のためにバプテスマを受けるのでしょうか。また、なぜ私たちも刻一刻と苦難にさらされているのでしょうか。 私は毎日死んでいる。兄弟たちよ、私が主イエス・キリストにおいて持っている、あなたがたからの称賛によって、そのことを証ししている。人間の理屈で言えば、私がエフェソで野獣と戦ったとき、もし死者がよみがえらないのなら、私に何の益があるだろうか。「明日死ぬのだから、食べたり飲んだりしよう!」 だまされてはなりません。悪い交わりは、良い行いを堕落させます。しっかりと正気を取り戻し、罪を犯さないようにしなさい。あなたがたの恥となることですが、あなたがたの中には、神を知らない者もいるのです。しかし、誰かがこう言うかもしれません。「死者はどのようにしてよみがえるのか。また、どのような体でやって来るのか」。愚かな人よ! あなたが蒔くものは、死ななければ生き返ることはない。また、あなたが蒔くとき、将来の体を蒔くのではなく、小麦であれ他のものであれ、あるがままの裸の種を蒔くのである。しかし、神はその種に、御心のままに体を授け、それぞれの種にそれぞれの体を与えられる。
1コリント15:29–38
第10週の火曜日
兄弟たちよ、すべての肉体が同じ肉体というわけではない。人の肉体もあれば、家畜の肉体もあり、魚の肉体もあり、鳥の肉体もある。 天の体もあれば、地の体もある。しかし、天の体の栄光は異なり、地の体の栄光も異なる。太陽の栄光も異なり、月の栄光も異なり、星々の栄光も異なる。また、星と星とでは栄光が異なる。死者の復活もこれと同じである。朽ちるものとして蒔かれ、朽ちないものとしてよみがえる。卑しいものとして蒔かれ、栄光あるものとしてよみがえる。 朽ちるものとして蒔かれ、朽ちないものとしてよみがえる。卑しいものとして蒔かれ、栄光あるものとしてよみがえる。弱いものとして蒔かれ、力あるものとしてよみがえる。肉的な体が蒔かれ、霊的な体がよみがえる。肉的な体があり、また霊的な体がある。聖書にもこう書かれている。「最初の人アダムは生ける魂となった。しかし、最後のアダムは命を与える霊である。」
1コリント15:39–45
第18週の土曜日。
故人を偲ぶ日(火曜日)
兄弟たちよ、最初の人は地から出た、土の者であり、第二の人は天から来た主である。土の者がどのようなものであるか、土の者たちはそのようであり、天の者がどのようなものであるか、天の者たちはそのようである。私たちが土の者の姿を着ていたように、天の者の姿も着ることになる。 しかし、兄弟たちよ、私はあなたがたにこう言います。肉と血とを持つ者は神の御国を相続することができず、朽ちるものは朽ちないものを相続することはできません。私はあなたがたに奥義を告げます。私たちは皆死ぬわけではありませんが、最後のラッパの音が鳴る時、瞬く間に、皆一斉に変えられます。ラッパが鳴り響き、死者は朽ちない者としてよみがえり、私たちは変えられるからです。 なぜなら、この朽ちるものは朽ちないものに覆われ、この死ぬものは不死に覆われるべきだからです。この朽ちるものが朽ちないものに覆われ、この死ぬものが不死に覆われるとき、そこに書かれた言葉が成就するのです。「死は勝利によって飲み込まれた」。 死よ、お前の刺はどこにあるのか。地獄よ、お前の勝利はどこにあるのか。死の刺とは罪であり、罪の力とは律法である。私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださった神に感謝しよう!
1コリント15:47–57
故人を偲んで(金曜日)
兄弟たちよ、堅く立ち、動揺することなく、常に主の御業に励みなさい。あなたがたの労苦は、主の御前で無駄にはならないことを知ってください。聖徒たちへの献金については、私がガラテヤの諸教会で定めたとおりにしなさい。 週の初めの日には、あなたがた一人ひとりが、自分の経済状況に応じて、あらかじめ少しずつ蓄えておきなさい。そうすれば、私が来たときに、献金を集める必要がなくなるからです。私が来たとき、あなたがたが選んだ人々を、手紙を添えて派遣し、あなたがたの献金をエルサレムへ届けさせます。
1コリント15:58–16:3
第19週の土曜日
兄弟たちよ、もし私がそこへ向かうのがふさわしいのであれば、あなたがたが選んだ人々が私と共に行きます。マケドニアを通過した後に、私はあなたがたのところへ参ります。というのも、私はマケドニアを経由して行くからです。そして、あなたがたのところでしばらく滞在するか、あるいは冬を越して、あなたがたに私の行く先まで見送ってもらうつもりです。 なぜなら、私は今、通りすがりにあなたがたと会うのではなく、主が許してくださるなら、しばらくの間、あなたがたと共に過ごしたいと願っているからです。エフェソでは、五旬節まで留まるつもりです。私にとって、大きく広い門が開かれており、敵も大勢いるからです。もしティモテオがあなたがたのところに来たら、彼があなたがたのもとで安全に過ごせるよう配慮してください。 彼は私と同じように、主の御業を行っているからです。ですから、だれも彼を軽んじてはなりません。むしろ、彼が私のところに来られるよう、平和のうちに送り出してください。私は兄弟たちと共に彼を待っています。また、兄弟アポロについては、兄弟たちと共にあなたがたのところへ行くよう強く頼みましたが、彼は今のところ行くことを望まず、都合の良い時に来るつもりです。
1コリント16:4–12
第10週の水曜日
兄弟たちよ、目を覚まし、信仰に立ち、勇気を持って、堅く立ちなさい。あなたがたのすべてが愛をもって行われるように。兄弟たちよ、お願いです(あなたがたもステパノの家族を知っているでしょう。彼らはアカイアの先駆者であり、聖徒たちの奉仕に身を捧げているのです)。そのような人々や、協力し、労苦しているすべての人々に敬意を払ってください。 ステファノ、フォルトゥナト、アカイコが到着したことを喜んでいます。彼らはあなたがたの不在を私のために補ってくれました。彼らは、私とあなたがたの心を安らかにしてくれたからです。そのような人々を敬ってください。アジアの諸教会があなたがたに挨拶を送っています。アキラとプリスキラも、彼らの家庭教会とともに、主において熱心にあなたがたに挨拶を送っています。 すべての兄弟たちがあなたがたに挨拶を送ります。互いに聖なる口づけをもって挨拶し合いなさい。私、パウロが、自らの手でこの挨拶を書きました。主イエス・キリストを愛さない者は、呪われよ。マラナタ。私たちの主イエス・キリストの恵みがあなたがたと共にあり、キリスト・イエスにある私の愛があなたがたすべてと共にあるように。アーメン。
1コリント16:13–24
第13週
神の御心によりイエス・キリストの使徒となったパウロと、兄弟テモテから、コリントにある神の教会、およびアカイア全土のすべての聖徒たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。 私たちの主イエス・キリストの父なる神、あわれみの父、あらゆる慰めの神は、祝福されます。神は、私たちのあらゆる苦しみの中で私たちを慰めてくださいます。それは、私たちも、神ご自身が私たちを慰めてくださるその慰めをもって、あらゆる苦しみにある人々を慰めることができるためです。 なぜなら、キリストの苦しみが私たちの中で増し加わるにつれて、キリストによる私たちの慰めも増し加わるからです。私たちが悲しむとき、それはあなたがたの慰めと救いのためであり、それは、私たち自身が耐えているのと同じ苦しみをあなたがたが耐えることによって成し遂げられるのです。そして、あなたがたに対する私たちの希望は確固たるものです。 慰められているときも、それはあなたがたの慰めと救いのためであり、あなたがたが私たちの苦しみにも、慰めにも共に与っていることを知っているからです。
コリントの信徒への手紙二 1:1–7
第10週の木曜日
兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの父である神、あわれみの父、あらゆる慰めの神を賛美します。神は、私たちのあらゆる苦しみの中で私たちを慰めてくださいます。それは、私たちも、神ご自身が私たちを慰めてくださるその慰めをもって、あらゆる苦しみにある人々を慰めることができるためです。 なぜなら、キリストの苦しみが私たちの中で増し加わるにつれて、キリストによって私たちの慰めも増し加わるからです。私たちが悲しむとき、それはあなたがたの慰めと救いのためであり、それは、私たちと同じ苦しみを耐え忍ぶことによって成し遂げられるのです。そして、あなたがたに対する私たちの希望は堅固です。 慰められているときも、それはあなたがたの慰めと救いのためであり、あなたがたが私たちの苦しみにも、慰めにも共に与っていることを知っているからです。
コリントの信徒への手紙二 1:3–7
殉教者たちへ
兄弟たちよ、私たちは、アジアで私たちに降りかかった苦難について、あなたがたに知らぬままにしておきたくはありません。私たちは、耐え難いほど、力以上の重荷を負わされ、もはや生き延びる望みさえ失っていたからです。しかし、私たちは心の中で死の宣告を受けていたのです。それは、自分自身にではなく、 死者をよみがえらせられる神に希望を置くためでした。その神は、私たちを死の淵から救い出し、今も救い続けておられます。そして、あなたがたが私たちのために祈ってくださる助けによって、これからも救い出してくださると私たちは信じています。そうすれば、多くの人のとりなしによって私たちに与えられた恵みについて、多くの人が私たちのために感謝をささげるようになるでしょう。
コリントの信徒への手紙二 1:8–11
第20週の土曜日
兄弟たちよ、私たちのこの称賛は、私たちの良心の証しであり、すなわち、私たちは、肉的な知恵によるのではなく、神の恵みによって、単純さと神に喜ばれる誠実さをもって、世の中で、とりわけあなたがたの間で生きてきたということです。 そして、私たちがあなたがたに書いていることは、あなたがたが読んだり理解したりしていること、また、あなたがたがすでに部分的には理解しているように、やがて完全に理解するであろうこと、すなわち、私たちの主イエス・キリストの日に、私たちがあなたがたの誇りとなり、同様にあなたがたも私たちの誇りとなる、ということ以外にはありません。 この確信をもって、私は以前、あなたがたのところへ行って、あなたがたが再び恵みを受けるようにし、あなたがたを通してマケドニアへ行き、マケドニアから再びあなたがたのところへ戻り、あなたがたが私をユダヤへ送り出してくれることを望んでいました。そのような意図を持っていた私が、軽率なことをしたと言えるでしょうか。 それとも、私がしていることは、肉によるもので、私の言葉が「はい、はい」とも「いいえ、いいえ」ともなるようなことなのでしょうか。神に誓って、私たちがあなたがたに語った言葉は、「はい」とも「いいえ」ともなりませんでした。 なぜなら、私たち――私とシルワノとテモテ――があなたがたのところで宣べ伝えた神の御子イエス・キリストは、「はい」でも「いいえ」でもなかったからです。 むしろ、御子においては「はい」でした。なぜなら、神のすべての約束は、御子において「はい」であり、御子において「アーメン」だからです。それは、私たちを通して、神の栄光となるためです。
コリントの信徒への手紙二 1:12–20
第10週の金曜日
兄弟たちよ、私たちとあなたがたをキリストにあって堅く立たせ、私たちに油を注がれた方は神であり、その神こそが私たちに印を押され、私たちの心に御霊を保証として与えてくださったのです。 私は、自分の魂を証人として神に誓います。あなたがたを思いやり、これまでコリントには行かなかったのは、私たちがあなたがたの信仰を支配しようとしたからではなく、あなたがたの喜びに協力するためです。あなたがたは信仰において堅固だからです。ですから、私は、再びあなたがたのところへ行って、悲しみを招くことのないようにと、心の中で決心しました。 もし私があなたがたを悲しませるなら、私によって悲しませられた者以外、誰が私を喜ばせてくれるというのでしょうか。まさにこのことを、私があなたがたに書いたのは、私が訪れた際に、本来なら喜ぶべき人々から悲しみを受けることのないようにするためです。私はあなたがた全員について確信しています。私の喜びは、あなたがた全員にとっても喜びなのですから。 深い悲しみと胸の詰まる思いから、私は多くの涙を流しながらあなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いているあふれんばかりの愛を、あなたがたに知ってもらうためでした。
コリントの信徒への手紙二 1:21–2:4
第14週
兄弟たちよ、私の喜びは、あなたがた全員の喜びでもあります。深い悲しみと胸の詰まる思いから、私は多くの涙を流しながらあなたがたに手紙を書きました。それは、あなたがたを悲しませるためではなく、私があなたがたに対して抱いているあふれんばかりの愛を、あなたがたに知ってもらうためでした。もし誰かが悲しませたとしても、それは私だけを悲しませたのではなく、控えめに言っても、あなたがた全員を悲しませたのです。 そのような者には、多くの人々からのこの懲らしめで十分です。ですから、あなたがたはむしろ彼を赦し、慰めてあげたほうがよいでしょう。そうすれば、彼が過度の悲しみに飲み込まれることはありません。 ですから、どうか彼に愛を示してくださるようお願いします。というのも、私がこの手紙を書いたのは、あなたがたがすべてにおいて従順であるかどうかを確かめるためだったからです。あなたがたが誰かを何事においても赦すなら、私もその人を赦します。なぜなら、私ももし誰かを赦したとしても、それはキリストに代わって、あなたがたのために赦したのです。サタンが私たちに害を及ぼさないようにするためです。サタンの企みは、私たちには知れ渡っているからです。 キリストの福音を宣べ伝えるためにトロアスへ行ったとき、主によって門が閉ざされていたにもかかわらず、私はそこで私の兄弟ティトスを見つけられなかったため、心に安らぎを得ることができませんでした。しかし、彼らと別れを告げて、私はマケドニアへ向かいました。 しかし、神に感謝します。神は、いつも私たちにキリストにおいて勝利を授けてくださり、御自身を知る香りを、私たちを通してあらゆる場所に広めてくださるからです。私たちは、神にとってキリストの香りなのです。
コリントの信徒への手紙二 2:3b–15a
第11週の月曜日
兄弟たちよ、神に感謝します。神は、いつも私たちにキリストにおいて勝利を授けてくださり、御自身を知る香りを、私たちを通してあらゆる場所に広めてくださいます。私たちは、救われる者にも滅びる者にも、神にとってキリストの香りなのです。ある者にとっては死に至る死の香りであり、またある者にとっては命に至る命の香りです。 いったい誰がこれができるでしょうか。私たちは、多くの者たちのように神の言葉を歪めることはせず、神から、神の御前で、キリストにあって、誠実に宣べ伝えているのです。まさか、私たちが再びあなたがたと知り合う必要があるというのでしょうか。まさか、ある者たちのように、あなたがたへの、あるいはあなたがたからの推薦状が必要だと言うのでしょうか。 あなたがたこそ、私たちの心の中に書かれた、すべての人々に知られ、読まれる私たちの手紙なのです。あなたがたは、ご自身をもって、あなたがたがキリストの手紙であることを示しています。それは、私たちの奉仕を通して、インクではなく、生ける神の御霊によって、石の板ではなく、肉の板である心に書かれたものです。
Ⅱコリント 2:14–3:3
第11週の火曜日
兄弟たちよ、私たちがキリストを通して神に対してこのような確信を持っているのは、私たち自身が、あたかも自分から出たかのように、何かを思いつくことができるからではなく、私たちの能力は神から来ているからです。神は、私たちに新しい契約の奉仕者となる能力を与えてくださいました。それは文字によるものではなく、御霊によるものです。なぜなら、文字は人を殺しますが、御霊は人を生かすからです。 もし、石に刻まれた死をもたらす文字による奉仕が、その栄光が過ぎ去るものであるにもかかわらず、イスラエルの子らがモーセの顔を見ることができないほど栄光に満ちていたとすれば、御霊による奉仕は、なおさら栄光に満ちているはずではありませんか。 なぜなら、もし裁きの奉仕が栄光に満ちているのなら、なおさら、義認の奉仕は栄光に満ち溢れているはずだからです。その栄光に満ちたものでさえ、後に続くものの栄光がそれよりも優れているため、この点においては栄光に満ちているとは見なされません。なぜなら、もし過ぎ去るものが栄光に満ちているのなら、なおさら、永遠に続くものは栄光に満ちているからです。
コリントの信徒への手紙二 3:4–11
第11週の水曜日
兄弟たちよ、このような希望を持っている私たちは、大いなる大胆さをもって行動しています。それは、イスラエルの子らが過ぎ去るものの終わりを仰ぎ見ないようにと、自分の顔に覆いを被せたモーセのようではありません。 しかし、彼らの心は盲目となっています。なぜなら、旧約聖書を読むとき、今なおその同じ覆いが取り除かれていないからです。それは、キリストによってのみ取り除かれるものだからです。今なお、彼らがモーセの書を読むとき、その覆いは彼らの心の上にのしかかっています。しかし、主に向き直るとき、その覆いは取り除かれます。主は御霊です。そして、主の御霊があるところには、自由があります。 私たちは皆、鏡に映るように、主の栄光を仰ぎ見ながら、主の御霊によって、栄光から栄光へと、その御姿に似せて変えられていくのです。
コリントの信徒への手紙二 3:12–18
第21週の土曜日
兄弟たちよ、神の恵みによってこのような奉仕を任されている私たちは、落胆することはありません。むしろ、隠れた恥ずべき行いを捨て、策略に頼らず、神の言葉を曲げることなく、真理を明らかにして、すべての人の良心をもって神の御前に身をさらけ出しています。 もし、私たちの福音が覆い隠されているとすれば、それは滅びゆく者たち、すなわち、この世の神が、キリストの栄光に関する福音の光が彼らに輝かないように、その心を盲目にしている不信仰な者たちに対して覆い隠されているのです。キリストは、目に見えない神の御姿その方です。 なぜなら、私たちは自分自身を宣べ伝えているのではなく、主であるキリスト・イエスを宣べ伝えているからです。そして、私たちはイエスのためにあなたがたのしもべなのです。それは、闇の中から光が輝くようにと命じられた神が、私たちの心を照らし、イエス・キリストの御顔に現れる神の栄光を知ることで、私たちを啓発してくださったからです。
コリントの信徒への手紙二 4:1–6
第11週の木曜日
兄弟たちよ、闇の中から光を輝かせられた神は、私たちの心を照らし、イエス・キリストの御顔に現れる神の栄光を私たちに知らしめてくださいました。しかし、私たちはこの宝を土の器に納めています。それは、このあふれるほどの力が、私たちではなく、神に帰されるためです。 私たちはあらゆる方面から圧迫されていますが、窮地に追い込まれてはいません。絶望的な状況にありますが、絶望することはありません。迫害されていますが、見捨てられてはいません。打ち倒されていますが、滅びることはありません。 私たちは常に、主イエスの死をこの身に負っています。それは、イエスの命が私たちの体にも現れるためです。私たちは、イエスのために絶えず死に委ねられているのです。それは、イエスの命が私たちの死ぬべき肉にも現れるためであり、こうして死が私たちの中で働き、命があなたがたの中で働くのです。 しかし、私たちは同じ信仰の霊を持っています。「私は信じたから語った」と書かれているように、私たちも信じて語るのです。主イエスを復活させられた方が、イエスを通して私たちをも復活させ、あなたがたと共に御自身の御前に立たせてくださることを知っているからです。すべてはあなたがたのためであり、恵みの豊かさが、多くの人々の中で、神の栄光のために、なおさら大きな感謝を生み出すためなのです。
Ⅱコリント4:6–15
第15週。
尊き
兄弟たちよ、同じ信仰の霊を持ちなさい。聖書に書かれているとおり、「私は信じたから語った」とあり、私たちも信じるから語るのです。主イエスを復活させられた方が、イエスを通して私たちをも復活させ、あなたがたと共に御自身の御前に立たせてくださることを知っているからです。 すべてはあなたがたのためであり、恵みの豊かさが、多くの人々の中で、神の栄光のために、なおさら大きな感謝を生み出すためです。 それゆえ、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人が朽ちていくとしても、内なる人は日ごとに新しくされています。なぜなら、私たちの一時的で軽い苦しみは、目に見えるものではなく、目に見えないものを見つめるとき、計り知れないほど豊かな永遠の栄光をもたらすからです。目に見えるものは一時的ですが、目に見えないものは永遠なのです。
コリントの信徒への手紙二 4:13–18
第11週の金曜日
兄弟たちよ、私たちは知っています。この地上の住まい、すなわちこの仮の住まいが取り壊されたとき、神から天にある住まい、人の手によらない永遠の住まいが与えられることを。 それゆえ、私たちは天の住まいを身にまとうことを切望して嘆き求めているのです。ただ、着ているままに、裸になってしまうことのないようにと願って。なぜなら、私たちはこの仮の住まいにいる間、重荷の下で嘆き求めているからです。それは、脱ぎ捨てるのではなく、身にまとうことを望んでいるからであり、そうして、死すべきものがいのちに飲み込まれるためです。 まさにこのために、神は私たちを造り、御霊を保証として与えてくださいました。ですから、私たちは常に喜んでいます。また、この体に宿っている間は主から離れていることを知っています――私たちは見えるものによってではなく、信仰によって歩んでいるからです――それゆえ、私たちは喜んで、むしろこの体を脱ぎ捨て、主のもとに住むことを望んでいるのです。 それゆえ、私たちは、この体に留まろうとも、去ろうとも、神に喜ばれる者となるよう熱心に努めています。なぜなら、私たち全員がキリストの裁きの座の前に現れなければならないからです。
コリントの信徒への手紙二 5:1–10a
第22週の土曜日。
故人を偲ぶ日(水曜日)
兄弟たちよ、私たち皆はキリストの裁きの座の前に現れ、肉体にあって生きた時の行い、善であれ悪であれ、それに応じて報いを受けることになるのです。ですから、主への畏れを知っている私たちは、人々を戒めますが、神の前では私たちはさらけ出されています。あなたがたの良心に対しても、さらけ出されていることを願っています。 私たちは、改めてあなたがたに自分たちをアピールするのではなく、あなたがたに私たちを誇りに思う理由を与えるのです。それは、心ではなく外見を誇りとする者たちに対して、あなたがたが反論できる材料を持たせるためです。もし私たちが熱心に振る舞うなら、それは神のためであり、もし控えめに振る舞うなら、それはあなたがたのためです。なぜなら、キリストの愛が私たちを包み込み、こう考えさせるからです。「もし一人がすべての人のために死んだのなら、すべての人が死んだのです。」 キリストはすべての人のために死なれたのです。それは、生きる者がもはや自分のために生きるのではなく、彼らのために死んで復活された方のために生きるためです。
コリントの信徒への手紙二 5:10–15
第12週の月曜日
兄弟たちよ、キリストはすべての人のために死なれた。それは、生きる者がもはや自分のために生きるのではなく、彼らのために死んで復活された方のために生きるためである。それゆえ、今や私たちは、もはや肉によって誰をも知らない。たとえかつてキリストを肉によって知っていたとしても、今はもはや知らない。それゆえ、キリストにある者は、新しい被造物である。古いものは過ぎ去り、今やすべてが新しくなった。 これらすべては神によるものです。神は、イエス・キリストによって私たちを御自身と和解させ、私たちに和解の務めを委ねてくださいました。なぜなら、神はキリストにおいて、人々の罪を彼らに責めず、世を御自身と和解させ、私たちに和解の言葉を授けてくださったからです。 ですから、私たちはキリストに代わって遣わされた使者であり、あたかも神ご自身が私たちを通して懇願しておられるかのようです。キリストに代わって、お願いいたします。神と和解してください。なぜなら、神は、罪を知らない方を、私たちのために罪のいけにえとしてお与えになったからです。それは、私たちが、キリストにあって、神の御前で義と認められるためです。
コリントの信徒への手紙二 5:15–21
第12週の火曜日
兄弟たちよ、キリストの同労者として、私たちはあなたがたに懇願します。神の恵みが、あなたがたにとって無駄にならないようにしてください。なぜなら、「恵みの時に、わたしはあなたに耳を傾け、救いの日に、あなたを助けた」と書かれているからです。見よ、今こそ恵みの時であり、今こそ救いの日です。 私たちは、奉仕が非難されることのないよう、いかなる点においても、誰に対してもつまずきを与えるようなことはせず、あらゆる点において、大きな忍耐、苦難、必要、窮状、打撃、投獄、追放、労苦、徹夜、断食、清さ、 分別をもって、寛大さをもって、慈愛をもって、聖霊によって、偽りのない愛をもって、真理の言葉によって、神の力によって、右の手と左の手には義の武器を携えて、誉められようが侮られようが、非難されようが称賛されようが――私たちは欺き者と呼ばれますが、真実です; 私たちは知られていないが、知られている。私たちは死んだ者と見なされているが、見よ、私たちは生きている。私たちは懲らしめられているが、死なない。私たちは悲しませられているが、いつも喜んでいる。私たちは貧しいが、多くの人を豊かにしている。私たちは何一つ持っていないが、すべてを持っている。
コリントの信徒への手紙二 6:1–10
第16週。
殉教者たち
兄弟たちよ、コリントの皆さん、私たちの口はあなたがたに向かって開かれており、私たちの心は広々としています。あなたがたは私たちの中で窮屈に感じることはありませんが、あなたがたの心は窮屈になっています。同じ報いとして――私は子供たちに話すように言いますが――あなたがたも心を広げてください。 不信仰者たちと共に、他人のくびきの下に身を屈めてはなりません。なぜなら、義と不法とは、どのような交わりがあるでしょうか。光と闇とは、どのような共通点があるでしょうか。キリストとベリアルとは、どのような調和があるでしょうか。あるいは、信者と不信仰者とは、どのような共同体があるでしょうか。神の宮と偶像とは、どのような一致があるでしょうか。神が言われたように、あなたがたは生ける神の宮なのです。
コリントの信徒への手紙二 6:11–16a
第12週の水曜日
兄弟たちよ、あなたがたは生ける神の神殿である。神ご自身がこう言われた。「わたしは彼らの中に住み、彼らの中を歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」それゆえ、主は言われる。「あなたがたは彼らの間から出て、彼らと区別されなさい。不浄なものには触れてはならない。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れる。」 『わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる』と、万軍の主は言われる。さて、愛する者たちよ、このような約束がある以上、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清め、神を畏れる心をもって聖さを全うしよう。
コリントの信徒への手紙二 6:16b–7:1
第17週
兄弟たちよ、私たちは、神を畏れる心をもって聖さを全うし、肉と霊のあらゆる汚れから自分を清めましょう。私たちを受け入れてください。私たちは、だれにも害を与えず、だれにも損をさせず、だれからも利益を求めませんでした。私は非難するために言っているのではありません。以前にも言ったように、あなたがたは私たちの心の中にあり、共に生き、共に死ぬのですから。 私はあなたがたに大きな期待を寄せ、あなたがたを大いに誇りに思っています。私たちのあらゆる苦しみの中でも、私は慰めに満ち、喜びにあふれています。なぜなら、私たちがマケドニアに来たとき、私たちの肉体には安らぎが全くなく、あらゆる方面から圧迫されていたからです。外からは攻撃、内からは恐れにさらされていました。 しかし、へりくだった者を慰められる神は、ティトスの到着によって私たちを慰めてくださいました。それだけでなく、彼があなたがたについて語ってくれた慰めの言葉――あなたがたの熱心さ、涙、そして私に対する熱意――によっても、私はさらに喜びを深めました。 それゆえ、もし私がその手紙によってあなたがたを悲しませたとしても、かつては後悔しましたが、今は後悔していません。なぜなら、その手紙があなたがたを悲しませたのは、あくまで一時的なものだったとわかっているからです。 今、私が喜んでいるのは、あなたがたが悲しんだからではなく、その悲しみが悔い改めへとつながったからです。あなたがたは神のために悲しんだので、私たちから何の害も受けなかったのです。神のための悲しみは、救いへと至る揺るぎない悔い改めをもたらすからです。
コリントの信徒への手紙二 7:1b–10a
第12週の木曜日
兄弟たちよ、神による悲しみは、救いへと至る揺るぎない悔い改めをもたらすが、世的な悲しみは死をもたらす。あなたがたが神のために悲しんだことこそが、あなたがたの中にどのような熱意、どのような弁明、どのような加害者への憤り、どのような恐れ、どのような願い、どのような熱心、どのような追及をもたらしたか、よく見てほしい。 この件に関して、あなたがたはあらゆる点で清いことを示しました。ですから、私があなたがたに手紙を書いたのは、侮辱した者のためでも、侮辱された者のためでもなく、神の御前で、あなたがたに対する私たちの配慮が明らかになるためでした。それゆえ、私たちはあなたがたの慰めによって慰められました。さらに、あなたがた全員がティトの心を安らかにしてくれたという喜びによって、私たちは大いに喜んでいます。 こうして、私が彼の前であなたがたについて何かを称賛したとしても、恥をかくことはありませんでした。私たちがあなたがたにすべて真実を語ったのと同様に、ティトの前でも私たちの称賛は真実であることが証明されたのです。そして、あなたがた全員が、恐れと畏れをもって彼を迎え入れたという従順さを思い起こすとき、彼の心はあなたがたに対して大いに好意を抱いています。 ですから、あらゆる点であなたがたを頼りにできることを喜びとしています。
コリントの信徒への手紙二 7:10–16
第12週の金曜日
兄弟たちよ、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みについて、あなたがたに知らせます。彼らは大きな試練のさなか、苦難に満ちながらも喜びにあふれており、その深い貧しさは、彼らの寛大さの豊かさをなおも増し加えているのです。 彼らは、力の及ぶ限り、いや、力を超えてさえも、進んで献身しているのです。私が証人です。彼らは、聖徒たちへの奉仕への献金と参加を受け入れてほしいと、私たちに非常に熱心に懇願しました。そして、私たちが期待していたことだけでなく、彼らはまず主のために、次に神の御心に従って私たちのために、自らを捧げたのです。
コリントの信徒への手紙二 8:1–5
第23週の土曜日
兄弟たちよ、あなたがたは、信仰、言葉、知識、あらゆる熱意、そして私たちに対する愛など、あらゆる点で豊かであるのですから、この美徳においても同様に豊かでありなさい。 私はこれを命令として言うのではなく、他の人々の熱心さを通して、あなたがたの愛の誠実さを試しているのです。あなたがたも、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っているでしょう。主は、豊かであられたにもかかわらず、あなたがたのために貧しくなられ、その貧しさによってあなたがたが豊かになるようにされたのです。 私はこのことについて助言をいたします。なぜなら、これは、すでにこのことを始められただけでなく、昨年からそれを望んでおられたあなたがたにとって有益だからです。ですから、今こそその行いを成し遂げ、熱心に望んでいたことが、十分な恵みによって成就されるようにしてください。なぜなら、熱意があるならば、それは、その人が持っているものに応じて受け入れられるのであって、持っていないものによってではないからです。 他の人々に安らぎが与えられ、あなたがたに重荷がのしかかるようなことは求められていません。求められているのは、均衡が保たれることです。今は、あなたがたの余剰が彼らの不足を補い、その後は彼らの余剰があなたがたの不足を補うことで、均衡が保たれるのです。それは、「多く集めた者も余分はなく、少なく集めた者も不足はなかった」と書かれているとおりです。
コリントの信徒への手紙二 8:7–15
第13週の月曜日
兄弟たちよ、ティトスの心に、あなたがたに対するこのような熱意を注いでくださった神に感謝します。 というのも、私が彼に依頼したとはいえ、彼は非常に熱心であったため、自発的にあなたがたのところへ行ったからです。私たちは彼と共に、すべての教会で福音を宣べ伝えることにおいて称賛されている兄弟も遣わしました。その兄弟は、この慈善事業のために教会から選ばれ、私たちに同行するよう命じられたのです。私たちは、主ご自身の栄光のために、またあなたがたの熱意に応えるために、この奉仕に従事しています。 私たちの奉仕に託された献金のこの豊かさによって、誰からも非難を受けることのないよう注意を払っています。なぜなら、私たちは主の前だけでなく、人々の前でも善を行うよう努めているからです。 私たちは彼らと共に、私たちの兄弟も遣わしました。彼は多くの事柄においてその熱意を幾度も証明しており、今や、あなたがたに対する大きな確信ゆえに、さらに熱心に働いています。ティトについては、彼は私の仲間であり、あなたがたのもとでの協力者です。また、私たちの兄弟たちについては、彼らは諸教会の使節であり、キリストの栄光そのものです。 ですから、諸教会の前で、あなたがたが彼らに愛を示し、私たちがあなたがたを誇りに思うことが正当であることを証明してください。もっとも、聖徒たちへの援助についてあなたがたに書く必要は、私にとってはあまりありません。なぜなら、私はあなたがたの熱心さを知っており、マケドニアの人々の前で、アカイアが昨年からすでに準備を整えていることを誇りに思っているからです。また、あなたがたの熱意は多くの人々を励ましました。 さて、私が兄弟たちを遣わしたのは、この件に関して私があなた方について語った称賛が無駄にならないようにするためであり、また、私が言ったように、あなた方が準備を整えておくためです。そうすれば、マケドニアの人々が私と共に来て、あなた方が準備ができていないのを見つけたとしても、私たち――「あなた方」とは言いません――が、あれほど確信を持って称賛したにもかかわらず、恥をかくことにならないようにするためです。 それゆえ、私は兄弟たちに、先にあなたがたのところへ行き、あらかじめ手配をしておくよう頼む必要があると考えたのです。そうすれば、すでに告げられているあなたがたの祝福が、祝福として、強制としてではなく、整えられたものとなるでしょう。
Ⅱコリント8:16–9:5
第13週の火曜日
兄弟たちよ、けちくさく蒔く者は、けちくさく刈り取り、惜しみなく蒔く者は、惜しみなく刈り取ります。各自、心の動きに従って献げなさい。不本意にしたり、強制されたりしてはいけません。神は、喜んで与える人を愛しておられるからです。 神は、あらゆる恵みをもってあなたがたを豊かにしてくださる力をお持ちです。そうすれば、あなたがたは、常に、あらゆる事において、あらゆる充足を得て、あらゆる善行に富む者となるでしょう。聖書にこう記されているとおりです。「彼は散財し、貧しい人々に分け与えた。その義は永遠に続く。」 また、種を蒔く者に種を与え、食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたが蒔いたものに豊かさを与え、あなたがたの義の実を豊かにしてくださいます。そうして、あなたがたがあらゆる寛大さに富み、それが私たちを通して神への感謝を生むようになるのです。
Ⅱコリント9:6–11
第18週
兄弟たちよ、この奉仕の働きは、聖徒たちの不足を補うだけでなく、多くの人々の中で神への豊かな感謝を生み出しています。 なぜなら、この奉仕の実を目の当たりにして、彼らは、あなたがたが告白するキリストの福音への従順と、彼らやすべての人々との心からの交わりを称え、あなたがたへの好意から、あなたがたの中に満ちあふれる神の恵みのために、あなたがたのために祈っているからです。神の言い表せない賜物に対して、神に感謝します! さて、私パウロは、あなたがたの面前では柔和ですが、離れているときはあなたがたに対して大胆な者ですが、キリストの柔和さと寛容さをもって、あなたがたを説得します。 どうか、私が到着した際、私たちのことを「肉に従って行動している」と考える者たちに対して用いるつもりである、あの断固とした大胆さに頼らざるを得ないような事態にならないよう願います。なぜなら、私たちは肉の中にあって歩んでいますが、肉に従って戦っているわけではないからです。 私たちの戦いの武器は、肉的なものではなく、神によって強められ、要塞を打ち砕くものです。それによって、神の知恵に逆らうあらゆる計画や高慢を打ち倒し、あらゆる考えをキリストへの従順へと従わせ、あなたがたの従順が全うされた時には、あらゆる不従順を懲らしめる用意ができています。 人を見て判断しているのですか。自分がキリストのものであると確信している人は、自分自身で判断すべきです。その人がキリストのものであるのと同じように、私たちもキリストのものであるのです。
Ⅱコリント9:12–10:7
第13週の水曜日
兄弟たちよ、自分がキリストに属していると確信する者は、自ら判断すべきである。すなわち、その者がキリストに属しているのと同様に、私たちもキリストに属しているのだ。なぜなら、たとえ私が、主が私たちに与えてくださった権威――それはあなたがたを混乱させるためではなく、建て上げるためのものである――について、これ以上自慢したとしても、恥をかくことはないからである。 とはいえ、私が手紙だけであなたがたを威嚇していると思われることのないように。ある者は、「手紙の中では彼は厳しく力強いが、実際に会ってみると弱く、その言葉も取るに足らない」と言う。そのような者は、私たちが手紙の中で遠隔から語っている通り、実際に会ったときも同様であることを知っておくべきである。 なぜなら、私たちは、自らを誇示する者たちと自分を並べて比較したり、比べたりする勇気などないからです。彼らは自分自身を自分自身の基準で測り、自分と自分を不合理に比較しているのです。 しかし、私たちは度を越して自慢するのではなく、神が私たちに定められた分に応じて、あなたがたにまで届くようにと、その範囲内で自慢するのです。なぜなら、私たちはあなたがたにまだ届いていないかのように無理をすることはありません。キリストの福音をあなたがたにも届けたからです。 私たちは、度を越して自慢するわけでも、他人の労苦を自分のものにするわけでもありません。むしろ、あなたがたの信仰が深まるにつれて、あなたがたの中で私たちの働きの分が豊かに増し加わり、今後もあなたがたに福音を宣べ伝えることができるよう、願っているのです。他人の働きの分について、すでに成し遂げたかのように自慢するつもりはありません。 誇るなら、主を誇りなさい。なぜなら、自分を誇る者はふさわしくないが、主が誇る者はふさわしいからです。
コリントの信徒への手紙二 10:7b–18
第13週の木曜日
兄弟たちよ、もしあなたがたが、私の無知に対して少しでも寛容であってくれたら! しかし、あなたがたは私に対して寛容である。私は神の嫉妬をもってあなたがたを嫉妬しているからである。私はあなたがたをただ一人の夫に婚約させ、キリストに清い処女として捧げるためである。しかし、蛇がその狡猾さでエバを惑わしたように、あなたがたの心もキリストにある純真さから逸れて、害を受けるのではないかと恐れている。 もし、誰かが来て、私たちが宣べ伝えていない別のイエスを宣べ伝えたり、あなたがたがまだ受けていない別の御霊を受けたり、まだ受け入れていない別の福音を聞いたりしたとしても、あなたがたはそれを大いに容認してしまうでしょう。 しかし、私は、最も優れた使徒たちに比べても、何一つ欠けるところはないと思います。私は言葉においては無知ですが、知識においてはそうではありません。いずれにせよ、私たちはあらゆる点において、あなたがたに十分に知られています。
コリントの信徒への手紙二 11:1–6
第24週の土曜日
兄弟たちよ、私は、最も優れた使徒たちに比べても、何一つ欠けるところはないと思います。私は言葉においては無知ですが、知識においてはそうではありません。いずれにせよ、私たちはあらゆる点において、あなたがたに完全に知られています。私が、あなたがたを高めるために自らを低くし、神の福音を無償で宣べ伝えたことが、罪だったのでしょうか。 私は他の教会に負担をかけ、あなたがたに仕えるための生活費をそこから受け取っていました。また、あなたがたのところにいる間、物資に乏しかったにもかかわらず、誰にも迷惑をかけませんでした。なぜなら、マケドニアから来た兄弟たちが私の不足を補ってくれたからです。そして、あらゆる点において、私はあなたがたに負担をかけないよう努めてきましたし、これからもそうするつもりです。 キリストの真実によって、私はこう言います。この称賛は、アカイアの諸地方において、私から取り去られることはありません。では、なぜ私はこのように振る舞うのでしょうか。あなたがたを愛していないからでしょうか。神のみがご存知です!しかし、私はこれまでそうしてきたように、これからもそうするつもりです。それは、口実を探している者たちに口実を与えないためであり、彼らが自慢していることが、結局は私たちと同じであることが明らかになるようにするためです。 なぜなら、そのような偽使徒たち、悪巧みをする者たちは、キリストの使徒のふりをしているからです。それも不思議ではありません。サタン自身が光の天使のふりをしているのですから、その僕たちが真理の僕たちのふりをしても、大したことではありません。しかし、彼らの終わりは、彼らの行いに応じて決まるでしょう。 さらに言っておくが、私を愚か者だと見なす者はほとんどいないだろう。もしそうでないなら、たとえ愚か者としてでも私を受け入れてほしい。そうすれば、私も多少なりとも自慢できるからだ。これから言うことは、主においてではなく、むしろ、このような自慢の度胸をもって、いわば愚かさのうちに語るのだ。 多くの人が肉に従って自慢するのだから、私も自慢しよう。なぜなら、あなたがたは分別のある人々として、無分別な人々を喜んで容認しているからだ。あなたがたは、誰かに隷属させられても、誰かに食い物にされても、誰かに搾取されても、誰かに高慢に振る舞われても、誰かに顔を殴られても、それを容認している。恥ずかしながら言うが、私たちにはそれだけの力がなかったのだ。
コリントの信徒への手紙二 11:5–21a
第13週の金曜日
兄弟たちよ、もし誰かが何かを誇ろうとするなら、(愚かなことを言うようですが)私も誇ってよいのです。彼らはユダヤ人ですか。私もそうです。イスラエル人ですか。私もそうです。アブラハムの子孫ですか。私もそうです。キリストの僕たちですか。(狂ったように言いますが)私は彼らよりも優れています。 私は、はるかに多くの労苦に遭い、計り知れないほどの傷を負い、多くの投獄を経験し、何度も死の淵に立たされた。ユダヤ人から五回、四十打に一打足りないほどの鞭打ちを受けた。三回、棒で打たれ、一度、石で打ちのめされた。三回、難破に遭い、昼夜を問わず海の深みにいた。 何度も旅をし、川での危険、強盗からの危険、同族からの危険、異教徒からの危険、町での危険、荒野での危険、海での危険、偽兄弟たちとの危険、労苦と疲労、頻繁な徹夜、 飢えと渇き、しばしば断食、寒さと裸身の中にありました。こうした外部の出来事に加え、毎日多くの人々が訪れ、すべての教会の世話に追われています。 誰かが弱っているなら、私もその人と共に弱っている。誰かが誘惑に遭うなら、私はその人のために心を燃やしている。もし私が誇るべきことがあるとすれば、それは私の弱さについてです。私たちの主イエス・キリストの父なる神、永遠に祝福される方は、私が嘘をついていないことをご存じです。 ダマスカスでは、アレタ王の地方総督が、私を捕らえるためにダマスカスの街を厳重に警備していた。そこで私は、籠に入れられて窓から城壁を伝って下ろされ、その手から逃れた。私が誇ることは益にならない。なぜなら、私は主の幻や啓示について語り始めることになるからだ。 私はキリストにあるある人を知っている。その人は十四年前(肉体の中にいたのか、それとも肉体から離れていたのか、私には分からない。神のみがご存知である)、第三の天にまで引き上げられた。 また、ある人(ただ、肉体の中にいたのか、それとも肉体から離れていたのかは分からない。神のみがご存知である)が、楽園に引き上げられ、人が語り尽くすことのできない言葉、言い表せない言葉を聞いたことを知っている。そのような人については誇ることもできるが、自分自身については、せいぜい私の弱さについてだけ誇る。 とはいえ、もし自慢したいと思っても、真実を語るのだから不合理なことにはならない。しかし、私が自分について、人々が私を見て、あるいは私の言葉を聞いて知る以上のことを思わないように、私は自制している。また、啓示の非凡さによって高ぶらないように、私の肉にはとげ、すなわちサタンの使者が与えられ、私を苦しめて、高ぶらないようにしている。 私は三度、主に対して、これを私から取り除いてくださるよう願った。しかし、主は私にこう言われた。「私の恵みは、あなたにとって十分である。私の力は、弱さの中でこそ完全に現れるからだ。」それゆえ、私はむしろ自分の弱さを誇り、キリストの力が私のうちに宿るようにしたいのである。
コリントの信徒への手紙二 11:21b–12:9
6月29日、聖使徒ペトロとパウロ
兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの父なる神、永遠に祝福される方は、私が偽りを言わないことをご存じです。ダマスカスでは、アレテ王の地方総督が、私を捕らえるためにダマスカスの街を厳重に警備していました。そこで私は、かごに入れられて窓から城壁を伝って下ろされ、その手から逃れることができました。 私が自慢するのは益にならない。なぜなら、私は主の幻や啓示について語り始めることになるからだ。私はキリストにあるある人を知っている。その人は十四年前(肉体の中にいたのか、それとも肉体から離れていたのか、私には分からない。神のみがご存知である)、第三の天にまで引き上げられた。 また、ある人(ただ、肉体の中にいたのか、それとも肉体から離れていたのかは分かりません。神のみがご存知です)が、楽園に引き上げられ、人が語り尽くすことのできない言葉、言い表せない言葉を聞いたことを知っています。そのような人については誇ることができますが、私自身については、せいぜい私の弱さについてだけ誇ります。 とはいえ、もし自慢したいと思っても、真実を語るのだから不合理なことにはならない。しかし、私が自分について、人々が私を見て、あるいは私の話を聞いて知る以上のことを思わないように、私は自制している。また、啓示の非凡さによって高ぶらないように、私の肉にはとげ、すなわちサタンの使者が与えられ、私を苦しめて、高ぶらないようにしている。 私は三度、主に対して、これを私から取り除いてくださるよう願った。しかし、主は私にこう言われた。「私の恵みは、あなたにとって十分である。私の力は、弱さの中でこそ完全に現れるからだ。」それゆえ、私はむしろ自分の弱さを誇り、キリストの力が私のうちに宿るようにしたい。
コリントの信徒への手紙二 11:31–12:9
第19週
兄弟たちよ、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、困窮、迫害、苦難の中にあって、むしろ喜んでいます。なぜなら、私が弱いときにこそ、強いからです。私は、自慢して、無分別なことを言ってしまいました。あなたがたが、私をそうさせたのです。 あなたがたこそ、私を称えるべきでした。なぜなら、私は取るに足らない者ではありますが、最も優れた使徒たちに比べても、何一つ欠けるものがないからです。使徒としてのしるしは、あらゆる忍耐、しるし、奇跡、力によって、あなたがたの前で現れました。あなたがたが他の教会に比べて欠けているものは、ただ一つ、私自身があなたがたにとって重荷にならなかったことだけではないでしょうか。 この過ちをどうかお許しください。さて、私は三度目となる今、あなたがたのところへ行く用意ができています。そして、あなたがたに負担をかけることはありません。なぜなら、私が求めているのはあなたがたの利益ではなく、あなたがた自身だからです。子供たちが親のために財産を蓄えるのではなく、親が子供たちのために蓄えるべきなのです。 私は、あなたがたを深く愛しているにもかかわらず、あなたがたからはそれほど愛されていないという事実にもかかわらず、喜んで自分の財産を費やし、あなたがたの魂のために身を尽くすつもりです。仮に、私があなたがたに負担をかけなかったとしても、狡猾に振る舞い、策略を用いてあなたがたから何かを搾り取っていたとしましょう。しかし、私があなたがたのもとへ遣わした者たちの誰かを通じて、あなたがたから何か利益を得たでしょうか。 私はテトスに懇願し、彼と共に兄弟の一人を遣わしました。テトスは、あなた方から何かを享受したでしょうか。私たちは同じ心で行動したのではないでしょうか。同じ道を歩んだのではないでしょうか。それでもなお、私たちがただあなた方の前で弁明しているだけだとお考えでしょうか。私たちは神の前で、キリストにおいて語っているのです。愛する皆さん、これらすべては、あなた方の益となるためなのです。
Ⅱコリント12:10–19
第14週の月曜日
兄弟たちよ、私が訪ねた際に、あなたがたが私の望まないような姿になっているのを見たり、またあなたがたが私を望まないような姿だと感じたりすることのないよう、私は恐れています。すなわち、あなたがたの中に不和、嫉妬、怒り、争い、中傷、 中傷、高慢、混乱といったものが、あなたがたの中に見られることのないように。また、私が再び訪れたとき、私の神があなたがたの前で私を辱めることのないように。そして、以前罪を犯し、不潔、淫行、放蕩といった行いについて悔い改めなかった多くの人々のために、私が嘆き悲しむことのないように。 これで三度目になりますが、私はあなたがたのところへ向かっています。二、三人の証人の口によって、あらゆる言葉は確かなものとなります。私は、あたかもあなたがたのところに二度目に来ているかのように、あらかじめ警告し、今も警告しています。そして今、離れているこの身から、かつて罪を犯した者たちや他のすべての人々に書き送ります。私が再び来たとき、容赦はしません。
2コリント12:20–13:2
第14週の火曜日
兄弟たちよ、あなたがたは、キリストがわたしのうちに語っておられるかどうか、その証拠を求めている。キリストは、あなたがたに対して無力ではなく、あなたがたの中で力強い方である。なぜなら、キリストは弱さの中で十字架につけられたが、神の力によって生きておられるからである。また、わたしたちも、キリストにあっては弱い者であるが、あなたがたの中にいる神の力によって、キリストと共に生きる者となるのである。 あなたがたは、自分たちが信仰にあるかどうかを自ら試み、自ら吟味しなさい。それとも、イエス・キリストがあなたがたのうちにおられることを、あなたがたはご自分では知らないのですか。もしかすると、あなたがたは本来あるべき姿ではないのかもしれません。しかし、私たちについては、私たちが本来あるべき姿であることを、あなたがたが知ってくれることを願っています。 あなたがたが悪を行わないよう、神に祈ります。それは、私たちが本来あるべき姿に見えるためではなく、たとえ私たちが本来あるべき姿に見えなくとも、あなたがたが善を行うためです。なぜなら、私たちは真理に逆らって強いのではなく、真理のために強いからです。 私たちが弱く、あなたがたが強いとき、私たちは喜びます。まさにそのこと、すなわちあなたがたの完全さのために、私たちは祈っているのです。それゆえ、私は今、あなたがたの元にいない間にこの手紙を書いているのです。そうすれば、あなたがたの元にいたときに、主から与えられた権威をもって厳しく接することなく済むからです。その権威は、破壊するためではなく、建て上げるために与えられたものです。 さて、兄弟たちよ、喜び、完全になり、互いに慰め合い、心を一つにし、平和を保ちなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共におられます。聖なる口づけをもって互いに挨拶しなさい。すべての聖徒たちがあなたがたに挨拶しています。私たちの主イエス・キリストの恵みと、父なる神の愛と、聖霊の交わりが、あなたがたすべての上にありますように。アーメン。
コリントの信徒への手紙二 13:3–13
第14週の水曜日
人によっても、人を通してでもなく、イエス・キリストと、彼を死者の中からよみがえらせた父なる神によって選ばれた使徒パウロと、私と共にいるすべての兄弟たちから、ガラテヤの諸教会へ: 神である父と、私たちの主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。主は、私たちの罪のためにご自身をささげ、神であり私たちの父である方の御心により、私たちをこの悪の時代から救い出してくださいました。主には、世々限りなく栄光がありますように。 アーメン。あなたがたが、キリストの恵みによって召してくださった方から、これほど早く別の福音へと移り変わっていることに驚きます。もっとも、それは別の福音というのではなく、ただあなたがたを惑わせ、キリストの福音を歪めようとする者たちによるものに過ぎません。しかし、たとえ私たちや、天からの御使いでさえ、私たちがあなたがたに宣べ伝えたものとは異なる福音をあなたがたに宣べ伝えたとしても、その者は呪われよ。 以前にも言ったように、今もなお言います。あなたがたが受け入れたものとは異なる福音を宣べ伝える者は、のろわれよ。私は今、人々の好意を求めているのでしょうか、それとも神の好意を求めているのでしょうか。人々に気に入られようとしているのでしょうか。もし私が今もなお人々に気に入られようとしているなら、キリストのしもべではありません。 そして、あなたがたに書いていることについて、神の前で、私は偽りを言っていません。その後、私はシリアとキリキアの地方へ赴きました。ユダヤのキリストの教会には、私は直接知られていませんでしたが、かつて彼らを迫害していた者が、今やかつて根絶やしにしようとした信仰を宣べ伝えていると聞き、彼らは私のために神を賛美しました。 その後、十四年が経って、私はバルナバと共に、ティトも連れて、再びエルサレムへ行った。私は啓示に従って行き、そこで、とりわけ著名な人々に、私が異邦人に宣べ伝えている福音が、私の労苦が無駄ではないかどうかを尋ねた。 しかし、彼らは、私と共にいたティト――彼はギリシア人ではあったが――に割礼を受けるよう強要することはなかった。また、キリスト・イエスにある私たちの自由を覗き見、私たちを奴隷にしようと密かに忍び込んできた偽兄弟たちに対しても、私たちは一瞬たりとも譲歩せず、従わなかった。それは、福音の真理があなたがたのうちにとどまるためである。
ガラテヤ人への手紙 1:1–10; 1:20–2:5
第14週の木曜日
兄弟たちよ、神である父と、私たちの主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。主は、神である私たちの父の御心により、私たちをこの悪の時代から救い出すために、ご自身を私たちの罪のためにささげられました。主には、世々限りなく栄光がありますように。 アーメン。あなたがたが、キリストの恵みによって召してくださった方から、これほど早く別の福音へと移り変わっていることに、私は驚いています。もっとも、それは別の福音というのではなく、ただあなたがたを惑わせ、キリストの福音を歪めようとする者たちがいるに過ぎません。しかし、たとえ私たちや、天からの天使でさえ、私たちがあなたがたに宣べ伝えたものとは異なる福音をあなたがたに宣べ伝えたとしても、その者は呪われよ。 以前にも言ったように、今もなお言います。あなたがたが受け入れたものとは異なる福音を宣べ伝える者は、のろわれよ。私は今、人々の好意を求めているのでしょうか、それとも神の好意を求めているのでしょうか。人々に気に入られようとしているのでしょうか。もし私が今もなお人々に気に入られようとしているなら、キリストの僕ではありません。
ガラテヤ人への手紙 1:3–10
第25週の土曜日
兄弟たちよ、私が宣べ伝えた福音は、人間から出たものではないことを、あなたがたに告げます。というのも、私もまた、それを人から受けたのでもなく、人から学んだのでもなく、イエス・キリストの啓示によって受けたからです。 あなたがたは、私がかつてユダヤ教の中でどのような生活を送っていたか、すなわち、神の教会を激しく迫害し、荒廃させ、同世代の多くの人々よりもユダヤ教において優れており、先祖の伝統を過度に熱心に守っていたことを、聞いたことがあるでしょう。 しかし、母の胎内から私を選び、御自身の恵みによって私を召してくださった神が、異邦人に福音を宣べ伝えるために、御子を私の内に現わしてくださることをお許しになったとき、 ――その時、私は肉と血に助言を求めず、また、私より先にいた使徒たちのいるエルサレムへも行かず、アラビアへ行き、再びダマスカスに戻りました。それから三年後、私はペトロに会うためにエルサレムへ行き、十五日間彼のもとにとどまりました。 また、使徒たちの中では、主の兄弟ヤコブ以外には、誰にも会わなかった。
ガラテヤ人への手紙 1:11–19
第20週。
キリストの降誕後の週
兄弟たちよ、かつてどのような名声を持っていた者であれ、私にとっては何ら特別なことではありません。神は人の外見を見ないからです。また、名声のある者たちも、私にそれ以上の重荷を課したわけではありません。 それどころか、ペトロが割礼を受けた者たちへの使徒職において助けられたのと同様に、私も割礼を受けていない者たちへの福音宣教を任されていること(なぜなら、ペトロが割礼を受けた者たちへの使徒職において助けられたのと同じように、私も異邦人への使徒職において助けられたからである)、そして私に与えられた恵みを知り、 ヤコブ、ケファ、ヨハネ――彼らは教会の柱として尊敬されていた――は、私とバルナバに交わりの手を差し伸べ、私たちが異邦人のところへ行き、彼らが割礼を受けた人々のところへ行くようにと定めた。ただ、貧しい人々のことを忘れないように、という条件付きであった。私はそのことを忠実に実行しようと努めた。
ガラテヤ人への手紙 2:6–10
第14週の金曜日
兄弟たちよ、ペトロがアンティオキアに来たとき、私は彼に公然と反対した。なぜなら、彼は非難にさらされていたからである。すなわち、ヤコブから来た者たちが到着するまでは、彼は異邦人たちと共に食事をしていたが、彼らが到着すると、割礼を受けた者たちを恐れて、身を隠し、距離を置くようになったのである。 彼と共に、他のユダヤ人たちも偽善を働いていたため、バルナバでさえも彼らの偽善に流されてしまった。 しかし、彼らが福音の真理に則って正しく行動していないのを見たとき、私は皆の前でペトロにこう言った。「あなたがユダヤ人でありながら、ユダヤ人のようにではなく異邦人のように生活しているのなら、なぜ異邦人たちにユダヤ人のように生活するよう強いるのですか。 私たちは生まれながらのユダヤ人であり、異邦人の罪人ではありません。しかし、人は律法の行いによってではなく、ただイエス・キリストへの信仰によってのみ義と認められることを知り、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。それは、律法の行いではなく、キリストへの信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる肉体など、一つもないからです。
ガラテヤ人への手紙 2:11–16
第15週の月曜日
兄弟たちよ、人は律法の行いによってではなく、ただイエス・キリストへの信仰によってのみ義と認められることを知った私たちは、律法の行いではなく、キリストへの信仰によって義と認められるために、キリスト・イエスを信じたのです。なぜなら、律法の行いによって義と認められる肉なる者は一人もいないからです。 もし、キリストにあって義とされようと求めて、私たち自身が罪人となってしまったとするなら、果たしてキリストは罪の奉仕者なのでしょうか。決してそうではありません。なぜなら、もし私が、自分が打ち壊したものを再び築き上げるなら、私は自分自身を罪人にしてしまうからです。私は律法によって律法に対して死に、神のために生きるようになったのです。 私はキリストと共に十字架につけられ、もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。そして今、私がこの肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をささげられた神の御子を信じる信仰によって生きているのです。
ガラテヤ人への手紙 2:16–20
第21週。
十字架の栄光の後の週
兄弟たちよ、私は神の恵みを拒むことはありません。もし律法によって義と認められるのであれば、キリストはむなしく死なれたことになります。ああ、無知なガラテヤ人たちよ! あなたがたの目の前に、まるで十字架につけられたかのようにイエス・キリストが示されていたのに、誰があなたがたを惑わして、真理に従わないようにさせたのですか。 ただ一つ、あなたがたに知りたいのは、あなたがたが御霊を受けたのは、律法の行いによるのか、それとも信仰による教えによるのか、ということです。あなたがたは、御霊によって始めたのに、今や肉によって終わろうとしているほど、それほど無分別なのでしょうか。あなたがたがこれほど多くの苦難に耐えてきたことが、果たして無駄だったというのでしょうか。ああ、もしそれが無駄だっただけならまだましです! あなたがたに御霊を与え、あなたがたの間で奇跡を行われる方は、律法の行いによってそうされるのでしょうか、それとも信仰による教えによってそうされるのでしょうか。アブラハムは神を信じ、それが彼の義と認められました。ですから、信じる者は皆、アブラハムの子であることを知ってください。
ガラテヤ人への手紙 2:21–3:7
第15週の火曜日
兄弟たちよ、聖書は、神が異邦人を信仰によって義と認めてくださることを予見して、アブラハムにこう予告しました。「あなたによって、すべての民族が祝福される。」したがって、信じる者は、信仰深いアブラハムとともに祝福され、律法の行いに頼る者は皆、呪いのもとにあるのです。 「律法の書に記されているすべてのことを絶えず守らない者は、みなのろわれる」と書いてあるからである。律法によって、だれも神の御前で義と認められることはないことは明らかである。なぜなら、「義人は信仰によって生きる」からである。律法は信仰によるものではない。しかし、それを守る者は、それによって生きる。
ガラテヤ人への手紙 3:8–12
第26週の土曜日。
キリスト降誕前の土曜日
第133節を参照。
兄弟たちよ、人間の理屈で言えば、たとえ人間によって定められた遺言であっても、誰もそれを取り消したり、付け加えたりすることはない。しかし、アブラハムとその子孫には約束が与えられた。「子孫たち」とは、あたかも多くの者を指すかのようにではなく、ただ一人を指して、「あなたの子孫」、すなわちキリストのことである。 私が言いたいのは、神によってあらかじめ定められたキリストに関する契約を、四百三十年後に現れた律法が、約束が無効になるほどに無効にすることはない、ということです。なぜなら、もし相続が律法によるものなら、もはや約束によるものではありません。しかし、神はアブラハムに、約束によってそれを与えられたのです。 では、律法は何のためなのか。それは、約束の対象となる子孫が現れるまでの間、罪のゆえに後に与えられたものであり、仲介者の手を通じて天使たちによって伝えられたのである。しかし、仲介者が二人いることはなく、神はただお一人である。では、律法は神の約束に反するのだろうか。決してそうではない! もし、いのちを与えることのできる律法が与えられていたなら、義は確かに律法から生じていたであろう。しかし、聖書はすべての人を罪の下に閉じ込め、イエス・キリストへの信仰によって、約束が信じる者たちに与えられるようにしたのである。
ガラテヤ人への手紙 3:15–22
第15週の水曜日。
キリスト降誕前夜、晩課(土曜日、日曜日)
兄弟たちよ、信仰が到来するまでは、私たちは律法の監視下に置かれていました。それは、信仰が明らかにされるべき時が来るまでのことでした。つまり、律法は、私たちが信仰によって義と認められるために、キリストへと導く養育者としての役割を果たしたのです。しかし、信仰が到来した今、私たちはもはや養育者の導きの下にはありません。なぜなら、あなたがたは皆、キリスト・イエスへの信仰によって神の子となっているからです。 キリストにバプテスマを受けたあなたがたは皆、キリストに身を包んだのです。もはやユダヤ人も異邦人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。もしあなたがたがキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。
ガラテヤ人への手紙 3:23–29
敬虔な婦人たちへ。
キリストの降誕前夜、第3時
兄弟たちよ、信仰が来るまでは、私たちは律法の監視下に置かれていました。それは、信仰が明らかにされるべき時が来るまでのことでした。ですから、律法は私たちにとって、キリストへと導く養育者であり、信仰によって義と認められるためのものでした。しかし、信仰が来た今、私たちはもはや養育者の導きの下にはありません。 あなたがたは皆、キリスト・イエスへの信仰によって神の子であり、キリストにバプテスマを受けた者は皆、キリストに身を包んだのです。もはやユダヤ人も異邦人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。 もしあなたがたがキリストのものであるなら、あなたがたはアブラハムの子孫であり、約束による相続人です。さらに言っておきますが、相続人は、幼子である間は、たとえすべての主であるとしても、奴隷と何ら変わりません。父が定めた期日が来るまで、後見人や管理人の支配下にあるからです。 それと同じように、私たちも、まだ幼子であった間は、この世の物質的な力に支配されていました。しかし、時が満ちると、神は御子(独り子)を遣わされました。御子は女から生まれ、律法に従われました。それは、律法の下にある者たちを贖い出し、私たちが神の子としての地位を得るためでした。
ガラテヤ人への手紙 3:23–4:5
第15週の木曜日
兄弟たちよ、時が満ちたとき、神は御子(独り子)を遣わされました。御子は女から生まれ、律法に従われ、律法の下にある者たちを贖い出し、私たちが神の子としての地位を得るためでした。 あなたがたは子であるから、神はあなたがたの心に御子の御霊を遣わし、「アッバ、父よ!」と叫ばせておられます。それゆえ、あなたはもはや奴隷ではなく、子です。もし子であるなら、イエス・キリストを通して神の相続人でもあります。
ガラテヤ人への手紙 4:4–7
12月25日、キリストの降誕
兄弟たちよ、あなたがたは神を知らないうちに、本質的には神ではない神々に仕えていました。しかし今や、神を知った、いや、むしろ神から知恵を授かったというのに、なぜまた、無力で貧しい物質的な原理に立ち返り、再びそれらに自分を隷属させようとするのですか。あなたがたは、日や月や季節や年を重んじています。 あなたがたのことを心配しています。私があなたがたのために労苦したことが、無駄になってはならないのです。兄弟たちよ、どうか私のようにあってください。私もあなたがたと同じなのですから。 あなたがたは、私に対して何の悪事も働いてはいません。ご存じの通り、私は肉の弱さの中で初めてあなたがたに福音を宣べ伝えましたが、あなたがたは私の肉における試練を軽んじたり、嫌悪したりすることなく、むしろ私を神の御使いのように、またキリスト・イエスのように迎え入れてくださいました。なんと幸いなことでしょうか! あなたがたについて証言しますが、もし可能であったなら、あなたがたは自分の目をえぐり出して、私に差し出したことでしょう。さて、私が真理を語ったことで、果たして私はあなたがたの敵になってしまったのでしょうか。不純な者たちはあなたがたをねたみ、あなたがたを自分たちの側へ引き離そうとしています。それは、あなたがたに彼らをねたませるためです。善きことにおいて常に嫉妬することは良いことですが、私があなたがたのそばにいるときだけ嫉妬するのは良くありません。 わが子たちよ、あなたがたの中にキリストが現れるまで、私は再び産みの苦しみを味わっているのです!今、あなたがたのところにいて、私の口調を変えたいと願っています。なぜなら、あなたがたについて困惑しているからです。律法の下にいたいと願うあなたがた、教えてください。あなたがたは律法に耳を傾けていないのですか?
ガラテヤ人への手紙 4:8–21
第15週の金曜日
兄弟たちよ、あなたがたは神を知らないうちに、本質的には神ではない神々に仕えていました。しかし今、神を知った、いや、むしろ神から知恵を授かったというのに、なぜまた、無力で貧しい物質的な原理に立ち返り、再びそれらに自分を隷属させようとするのですか。あなたがたは、日や月や季節や年を重んじています。 あなたがたのことを心配しています。私があなたがたのために労苦したことが、無駄になってしまわないか。 兄弟たちよ、どうか私のようにあってください。私もあなたがたと同じだからです。あなたがたは私に何の害も与えませんでした。あなたがたもご存じのように、私は肉の弱さの中で初めてあなたがたに福音を宣べ伝えましたが、あなたがたは私の肉における試練を軽んじたり、嫌悪したりすることなく、むしろ私を神の御使いのように、またキリスト・イエスのように迎え入れてくださったのです。
ガラテヤ人への手紙 4:8–14
病める人々について
兄弟たちよ、アブラハムには二人の息子があった。一人は奴隷の女から、もう一人は自由な女から生まれた。しかし、奴隷の女から生まれた者は肉によって生まれたものであり、自由な女から生まれた者は約束によって生まれたのである。 ここには寓意がある。これは二つの契約である。一つはシナイ山からのもので、奴隷の状態に生み出すものであり、それはハガルである。ハガルとはアラビアのシナイ山を意味し、現在のエルサレムに対応する。なぜなら、彼女は子供たちと共に奴隷の状態にあるからである。しかし、上のエルサレムは自由であり、それは私たちすべての母である。 「不妊の女よ、子を産まない女よ、喜びなさい。産みの苦しみを味わわなかった女よ、声を上げて喜び叫びなさい。見捨てられた女には、夫を持つ女よりもはるかに多くの子供がいるからである」と書かれている。 兄弟たちよ、私たちはイサクによる約束の子らです。しかし、当時、肉によって生まれた者が御霊によって生まれた者を追い出したように、今もそうです。では、聖書は何と言っているでしょうか。「奴隷の女とその子を追い出せ。奴隷の女の息子は、自由な女の息子と共に相続人となることはないからである。」ですから、兄弟たちよ、私たちは奴隷の子ではなく、自由な女の子なのです。
ガラテヤ人への手紙 4:22–31
9月9日、義人ヨアキムとアンナ
9月23日、聖ヨハネ・洗礼者受胎記念日
兄弟たちよ、私たちはイサクによる約束の子らです。しかし、かつて肉によって生まれた者が、御霊によって生まれた者を追い出したように、今もなおそうなのです。では、聖書は何と言っているでしょうか。「奴隷の女とその子を追い出せ。奴隷の女の息子は、自由な女の息子と共に相続人となることはないからである。」ですから、兄弟たちよ、私たちは奴隷の子ではなく、自由な女の子なのです。 ですから、キリストが私たちに与えてくださった自由のうちに立ち、再び奴隷のくびきを負ってはなりません。見よ、私、パウロがあなたがたに言います。もしあなたがたが割礼を受けるなら、キリストによる益はあなたがたにはありません。さらに、割礼を受けるすべての人に対して、その人は律法全体を全うしなければならないと証しします。 あなたがたは、律法によって自分を義と認める者たちとして、キリストから離れ、恵みから落ちた。しかし、私たちは御霊によって、信仰による義を待ち望み、それを期待している。なぜなら、キリスト・イエスにおいては、割礼も無割礼も何の力もなく、愛によって働く信仰こそが力だからである。 あなたがたはよく歩んでいた。いったい誰が、あなたがたを妨げて、真理に従わないようにさせたのか。そのような考えは、あなたがたを召された方から出たものではない。わずかなパン種が、生地全体を膨らませる。私は主において、あなたがたがそうは考えないことを確信している。しかし、あなたがたを惑わしている者、それが誰であれ、その者は裁きを受けることになる。
ガラテヤ人への手紙 4:28–5:10
第16週の月曜日
兄弟たちよ、もし私が今もなお割礼を説いているのなら、なぜ私を迫害するのでしょうか。そうであれば、十字架のつまずきはなくなっていたはずです。ああ、あなたがたを惑わす者たちが取り除かれてさえいれば! 兄弟たちよ、あなたがたは自由のために召されたのです。ただ、その自由が、肉を満足させる口実とならないようにし、互いに愛をもって仕えなさい。なぜなら、律法全体は、ただ一つの言葉に要約されるからです。「あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい」。もし互いに食い合い、食い尽くし合うなら、互いに滅ぼし合わないように気をつけなさい。 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことはありません。なぜなら、肉は御霊に逆らい、御霊は肉に逆らうからです。両者は互いに敵対し合うので、あなたがたは自分がしたいと思うことをすることができません。しかし、御霊に導かれるなら、あなたがたは律法の下にはありません。 肉の行いは明らかです。すなわち、姦淫、不品行、不潔、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、嫉妬、怒り、対立、分裂、(誘惑)、異端、憎しみ、殺人、酩酊、放蕩、その他これらに類するものです。 以前にも警告したように、このような行いをする者は、神の御国を相続することはできないと、改めて警告します。
ガラテヤ人への手紙 5:11–21
第16週の火曜日
兄弟たちよ、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、忠実、柔和、自制である。このような者たちには、律法は適用されない。しかし、キリストに属する者たちは、情欲や欲望を伴う肉を十字架につけたのである。もし私たちが御霊によって生きるなら、御霊に従って歩まなければならない。 互いに自慢したり、互いに苛立たせたり、互いに嫉妬したりしてはならない。兄弟たちよ、もし誰かが何らかの罪を犯したとしても、霊的な者であるあなたがたは、柔和な心をもってその人を正し、各自が誘惑に陥らないよう、自分自身に注意を払いなさい。互いの重荷を担い合い、それによってキリストの律法を全うしなさい。
ガラテヤ5:22–6:2
第27週の土曜日。
尊き
兄弟たちよ、互いの重荷を担い合いなさい。そうして、キリストの律法を全うしなさい。何しろ、無に等しい者が、自分を何かであるかのように思うなら、その人は自分を欺いているのです。各自、自分の行いを吟味しなさい。そうすれば、他者ではなく、自分自身にのみ誇りを持つことになるでしょう。なぜなら、各自が自分の重荷を負うからです。御言葉によって導かれる者は、その導き手とあらゆる善を分かち合いなさい。 だまされてはならない。神は侮られることはない。人は、自分が蒔いたものを刈り取る。すなわち、自分の肉に蒔く者は、肉から朽ちるものを刈り取り、御霊に蒔く者は、御霊から永遠のいのちを刈り取る。善を行うにあたり、落胆してはならない。もし弱くならなければ、その時に刈り取ることになるからである。 ですから、まだ時間があるうちに、すべての人、とりわけ同じ信仰を持つ人たちに善を行おうではありませんか。
ガラテヤ人への手紙 6:2–10
第16週の水曜日
兄弟たちよ、私が自分の手でこれほど多く書き送ったことを、あなたがたもご存じでしょう。肉によって誇ろうとする者たちは、キリストの十字架のために迫害されないためだけに、あなたがたに割礼を受けるよう強要しています。なぜなら、割礼を受ける者たち自身も律法を守っていないのに、あなたがたに割礼を受けさせて、あなたがたの肉によって誇りたいと願っているからです。 しかし、私は、私たちの主イエス・キリストの十字架以外には、誇ることを望みません。その十字架によって、私にとってこの世は十字架につけられ、また私もこの世にとって十字架につけられたのです。なぜなら、キリスト・イエスにおいては、割礼も無割礼も何の意味も持たず、ただ新しい被造物であるということだけが重要だからです。 この原則に従って歩む者たちには、平安と恵みが与えられます。また、神のイスラエルにも。しかし、だれも私に重荷を課してはなりません。私は、自分の体に主イエスの傷跡を背負っているからです。兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。
ガラテヤ人への手紙 6:11–18
第22週
兄弟たちよ、私は、私たちの主イエス・キリストの十字架以外には、誇ることを望みません。その十字架によって、私にとってこの世は十字架につけられ、また、私にとってもこの世は十字架につけられたのです。なぜなら、キリスト・イエスにおいては、割礼も無割礼も何の意味も持たず、ただ新しい被造物であるからです。 この原則に従って歩む者たちには、平安と恵みが与えられ、神のイスラエルにも与えられます。しかし、だれも私に重荷を課してはなりません。私は、自分の体に主イエスの傷跡を背負っているからです。兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。
ガラテヤ人への手紙 6:14–18
聖金曜日、第1時
神の御心により、イエス・キリストの使徒であるパウロから、エフェソにいる、キリスト・イエスにあって聖なる者、また信仰深い者たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。 私たちの主イエス・キリストの父なる神は、キリストにあって天にあるあらゆる霊的な祝福をもって私たちを祝福してくださった方です。神は、世界の創造以前から、私たちをキリストにあって選び、御自身の御心の好意により、イエス・キリストを通して私たちを御自身の子供とすることをあらかじめ定めて、愛のうちに御前で聖く、非難されるところのない者となるようにしてくださったのです。 御自身の恵みの栄光を称えるためです。神は、その愛する御子において、私たちに恵みを与えてくださいました。私たちはその御子において、御子の血による贖いと、罪の赦しを得ています。これは、神の豊かな恵みによるものであり、神はあらゆる知恵と理解をもって、その恵みを私たちに豊かに注ぎ、ご自身の御心によるご好意によって、御自身の御心の奥義を私たちに明らかにしてくださいました。
エフェソの信徒への手紙 1:1–9a
第16週の木曜日
兄弟たちよ、私たちは、御子の血による贖い、 罪の赦しを、その豊かな恵みによって与えられています。神は、あらゆる知恵と理解をもって、その恵みを私たちに豊かに注ぎ、ご自身の御心による御計画に従って、その御意志の奥義を私たちに明らかにしてくださいました。それは、神が以前、キリストの内に定めておられたものであり、時の満ちる時が来ると、天にあるものも地にあるものもすべて、キリストという頭の下に一つにまとめられるためです。 私たちは、御自身の御心のままに万事を成し遂げられる方の定めにより、あらかじめそのように定められて、キリストに先立って望みを置いていた私たちにとって、御栄えの称賛となるよう、キリストにおいて相続人となりました。 また、あなたがたも、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、キリストを信じたとき、約束された聖霊によって印を押されました。この聖霊は、私たちの相続財産の保証であり、キリストの所有物を贖うためのものであり、神の栄光を称えるためのものです。 それゆえ、私も、あなたがたがキリスト・イエスを信じ、すべての聖徒たちを愛していることを聞き、絶えずあなたがたのために神に感謝し、祈りの中であなたがたを覚えております。それは、私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、あなたがたに知恵と啓示の御霊を与えてくださるためです。
エフェソの信徒への手紙 1:7–17a
第16週の金曜日
兄弟たちよ、私はあなたがたのために絶えず神に感謝し、祈りの中であなたがたを覚えております。私たちの主イエス・キリストの神、栄光の父が、あなたがたに知恵と啓示の御霊を授け、御自身を知ることを可能にしてくださり、また、あなたがたの心の目を照らして、神の召しの希望がどのようなものであるか、 また、聖徒たちのためのその栄光ある御嗣業の富がどのようなものであるか、そして、キリストにおいて働かれたその力強い御業によって、私たち信じる者たちの中に、その御力の偉大さがどれほど計り知れないものであるかを、あなたがたが知ることができますように。神は、キリストを死者の中からよみがえらせ、天においてご自身の右の座に据え、あらゆる支配、権威、力、 主権、また、この世だけでなく、来るべき世においても呼ばれるあらゆる名よりも高く、すべてのものを御足の下に服従させ、御自身をすべてのものの頭として、御自身の体である教会の上に置かれた。教会は、すべてにおいてすべてを満たす方の満ち溢れである。
エフェソの信徒への手紙 1:16–23
第28週の土曜日
兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの父なる神は、すべてのものを御子の足の下に服従させ、御子を万物の上に立て、御子の体である教会の頭とされました。この教会は、万物をすべてにおいて満たしておられる方の満ち溢れそのものです。 また、あなたがたも、かつては自分の過ちや罪によって死んでいた者であり、かつてはこの世の風習に従い、空中に君臨する支配者の意志に従って生きていたが、 今や反抗の子らの中に働いている霊の支配下にあったのです。私たちもかつては、彼らと共に、肉の欲望に従い、肉の思いや考えを満たしながら生きており、他の者たちと同様に、生まれながらにして怒りの子らでした。
エペソ 1:22–2:3
第17週の月曜日
兄弟たちよ、恵みに満ちた神は、私たちを愛してくださったその大きな愛によって、罪のために死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたは恵みによって救われたのです。 ――また、キリストと共に復活させ、キリスト・イエスにあって天に座につかせてくださいました。それは、来るべき世々において、キリスト・イエスにあって私たちに対するご自身の恵みの豊かな富を明らかにするためです。あなたがたは、恵みによって、信仰を通して救われたのです。これは、あなたがたから出たものではなく、神の賜物です。行いによるものではありません。だれも誇ることができないためです。 私たちは神の御業であり、キリスト・イエスにあって、神が私たちに成し遂げさせるためにあらかじめ定めておられた善い行いを行うために、造られたのです。
エフェソの信徒への手紙 2:4–10
第23週
兄弟たちよ、あなたがたはかつて、肉によれば異邦人であり、手による肉的な割礼を受けた者たちから「割礼を受けていない者」と呼ばれていたことを思い出してください。その当時、あなたがたはキリストから離れ、イスラエルの共同体から疎外され、約束の契約とは無縁であり、希望もなく、この世において神を信じない者たちでした。 しかし今や、キリスト・イエスにあって、かつては遠く離れていたあなたがたは、キリストの血によって近くなったのです。
エペソ人への手紙 2:11–13
第29週の土曜日
兄弟たちよ、キリストは私たちの平和であり、両者を一つにし、その間に立っていた隔ての壁を打ち壊し、御自身の肉によって敵意を無効にし、戒めの律法を教えによって取り除き、二つのものを御自身の中に一つの新しい人を造り出し、平和を築き、一つの体において、十字架によって敵意を滅ぼし、両者を神と和解させたのです。 そして、キリストは来て、遠くにいる者にも近くにいる者にも平和の福音を宣べ伝えられました。なぜなら、キリストを通して、私たち両者が一つの御霊によって、父なる神に近づくことができるからです。 それゆえ、あなたがたはもはや異邦人でも、よそ者でもなく、聖徒たちと共に市民となり、神の家族となったのです。使徒たちと預言者たちという土台の上に堅く立てられ、イエス・キリストご自身を礎石として、その上にすべての建物が調和して組み立てられ、 主にある聖なる神殿として成長し、その上に、あなたがたも御霊によって神の住まいとして築き上げられているのです。
エフェソの信徒への手紙 2:14–22
第24週
兄弟たちよ、 あなたがたはもはや、よそ者でも、旅人でもなく、聖徒たちと共に市民となり、神の家族となったのです。使徒たちと預言者たちという土台の上に堅く立てられ、イエス・キリストご自身がその礎石となっておられます。その礎石の上に、すべての建物が調和して組み合わされ、主にある聖なる神殿として築き上げられていきます。そして、あなたがたもまた、御霊によって、その神殿の中に神の住まいとして築き上げられていくのです。 まさにそのために、私パウロは、あなたがた異邦人のために、イエス・キリストの囚人となったのです。 あなたがたは、あなたがたのために私に与えられた神の恵みの家造りについて聞いたことがあるでしょう。それは、啓示によって私にその奥義が告げられたからです(これについては、先ほど簡潔に書きました)。ですから、これを読むことで、あなたがたは、かつての人類の世代には告げられなかったキリストの奥義に対する私の理解を見出すことができるでしょう。 今や聖霊によって、キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに明らかにされたものです。それは、異邦人もまた、一つの体をなす共同相続人となり、キリスト・イエスにおける神の約束の共同参加者となるためであり、その福音の奉仕者として、私は神の恵みの賜物によって、神の力の働きによって任命されたのです。
エフェソの信徒への手紙 2:19–3:7
第17週の火曜日
兄弟たちよ、すべての聖徒の中で最も小さい私にも、この恵みが与えられました。それは、異邦人たちにキリストの測り知れない富を宣べ伝え、永遠の昔から神の中に隠されていた、 すべてをイエス・キリストによって創造された神が、今や教会を通して、天にある支配者や権威者たちに、神の多岐にわたる知恵を明らかにされるためです。それは、神が私たちの主イエス・キリストにおいて成就された、永遠の御計画によるものであり、私たちはその御方への信仰によって、大胆さと確かなアクセスを持つのです。 ですから、あなたがたのために私が抱いている苦しみによって、落胆しないようにお願いします。それこそが、あなたがたの栄光なのです。このために、私は、天と地にあるあらゆる父なる神、すなわち、私たちの主イエス・キリストの父なる神の御前にひざまずき、御自身の栄光の豊かさに応じて、御霊によってあなたがたの内なる人が強固に確立され、 また、キリストが信仰によってあなたがたの心に宿り、あなたがたが愛に根ざし、愛に堅く立たされることによって、すべての聖徒とともに、幅、長さ、深さ、高さを理解し、理解を超えるキリストの愛を悟り、神の満ち満ちた豊かさに満たされるように。 また、私たちのうちで働いておられる方によって、私たちが願うことや考えることよりもはるかに豊かなことを成し遂げてくださる方に、キリスト・イエスにある教会において、世々限りなく、栄光がありますように。アーメン。
エフェソの信徒への手紙 3:8–21
第17週の水曜日
兄弟たちよ、主にある囚人である私が、あなたがたに懇願します。あなたがたが召されたその召しにふさわしく、あらゆる謙遜と柔和と忍耐をもって歩み、愛をもって互いに寛容に接し、平和の絆の中で御霊の一致を保つよう努めてください。 あなたがたが召された一つの希望のように、一つの体、一つの御霊があります。また、一つの主、一つの信仰、一つのバプテスマ、すべての者の父である唯一の神がおられます。この神は、すべての者の上にあり、すべての者を通して、また私たちすべての中にいます。
エフェソの信徒への手紙 4:1–6
第25週
兄弟たちよ、私たち一人ひとりに、キリストの賜物に応じて恵みが与えられています。それゆえ、「高き所に上り、捕虜を捕らえ、人々に賜物を与えた」と書かれているのです。 さて、「昇られた」とは、彼が以前、地の最も深い所へ下られたこと以外、何を意味するのでしょうか。下られた方こそ、すべての天よりも高く昇られ、すべてを満たすためです。 そして、主は、ある者を使徒とし、ある者を預言者とし、ある者を福音宣教者とし、ある者を牧者および教師として任命された。それは、聖徒たちを完全な者とし、奉仕の働きに備えさせ、キリストの体を築き上げるためであり、私たちが皆、信仰と神の御子に関する知識において一致し、キリストの完全な成熟に達するに至るまでである。
エフェソの信徒への手紙 4:7–13
主の顕現後の週。
聖人たちに
兄弟たちよ、もはや、人間の悪巧みや欺くような策略によって、あらゆる教えの風に揺れ動き、あちこちと吹き回される幼子であってはなりません。むしろ、真の愛をもって、頭であるキリストにあって、皆が成長していかなければなりません。 キリストこそが頭であり、キリストによって、あらゆる相互に結びつく絆によって構成され、結び合わされた全身は、各部分がそれぞれの役割を果たすことによって、愛のうちに自らを築き上げるために成長していくのです。 それゆえ、私は主によってあなたがたに告げ、強く命じる。もはや、他の諸国民のように、心の虚しさによって、知性が曇り、無知と心の頑なさゆえに神のいのちから切り離された者たちのようには振る舞ってはならない。 彼らは感覚を失い、放蕩に身を任せて、飽くことのない欲望をもってあらゆる不潔な行いを犯している。
エフェソの信徒への手紙 4:14–19
第17週の木曜日
兄弟たちよ、私は主にかけて誓って言う。あなたがたは、もはや他の諸国民のように、心の虚しさに従って行動してはならない。彼らは、無知と心の頑なさゆえに、知性が暗くされ、神のいのちから切り離されているのである。 彼らは感覚を失い、放蕩に身を委ね、飽くことのない欲望をもってあらゆる不潔な行いを犯しています。しかし、あなたがたはキリストをそのように知ったわけではありません。 あなたがたはキリストについて聞き、キリストにあって学んだからです。すなわち、イエスにある真理によって、惑わすような欲望の中で朽ちていく古い人の生き方を捨て、あなたがたの心の霊によって新しくされ、神に倣って造られた新しい人を、義と真理の聖さをもって身にまとうのです。 それゆえ、偽りを捨てて、互いに真実を語り合いなさい。
エフェソの信徒への手紙 4:17–25a
第17週の金曜日
兄弟たちよ、偽りを捨て、互いに真理を語り合いなさい。私たちは互いに一つのからだの肢体だからです。怒っても罪を犯してはなりません。怒りのままに日が暮れてはなりません。また、悪魔に足場を与えてはなりません。 盗んでいた者は、もはや盗んではなりません。むしろ、自分の手で有益な働きをして、困っている人に分け与えることができるようにしなさい。あなたがたの口からは、腐った言葉が一つも出てはなりません。ただ、信仰を築き上げるための良い言葉だけを語り、それを聞く人々に恵みをもたらすようにしなさい。 また、贖いの日にあなたがたに刻印を施してくださった神の聖霊を、侮ってはなりません。あらゆる苛立ち、激怒、怒り、叫び、悪口、そしてあらゆる悪意を、あなたがたから取り除きなさい。むしろ、互いに親切にし、憐れみ深くあり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。
エフェソの信徒への手紙 4:25–32
第18週の月曜日
兄弟たちよ、愛される子らとして神に倣い、愛のうちに歩みなさい。キリストが私たちを愛し、私たちのためにご自身を神への供え物、いけにえとしてささげ、神に喜ばれる香ばしい香りとなられたように。また、不品行やあらゆる不潔、貪欲などは、聖徒にふさわしいこととして、あなたがたの間でさえも口にすべきではありません。 また、汚い言葉や無駄話、嘲笑も、あなたがたにはふさわしくありません。それどころか、感謝こそがふさわしいのです。なぜなら、いかなる淫行者、不潔な者、あるいは貪欲な者――すなわち偶像礼拝者――も、キリストと神の御国における相続分を持たないことを知ってください。 だれも、むなしい言葉であなたがたを惑わしてはなりません。そのようなことのために、神の怒りは反抗する者たちの上に下るからです。ですから、彼らの共犯者になってはなりません。あなたがたはかつては闇でしたが、今は主にある光なのです。
エフェソの信徒への手紙 5:1–8a
第30週の土曜日
兄弟たちよ、光の子らとして歩みなさい。なぜなら、御霊の実とは、あらゆる善と義と真実にあるからです。何が神に喜ばれるかを吟味し、実を結ばない闇の行いに加わってはなりません。むしろ、それらを暴き出してください。なぜなら、彼らがひそかに行っていることは、口にするのも恥ずかしいことだからです。 しかし、明るみに出されるものはすべて、光によって明らかにされる。なぜなら、明らかにされるものはすべて光だからである。それゆえ、「眠っている者よ、起きよ。死からよみがえれ。そうすれば、キリストがあなたを照らしてくださる」と書かれているのである。 ですから、注意深く行動し、無分別な者ではなく、賢い者として、時を大切にしなさい。この時代は悪意に満ちているからです。 ですから、分別のない者ではなく、神の御心が何であるかを悟りなさい。また、放蕩を招く酒に酔ってはなりません。むしろ、御霊に満たされ、詩篇や賛美の歌、霊的な歌によって互いに教え合い、心の中で主に向かって歌い、賛美しなさい。
エペソ5:8b–19
第26週。
聖霊の月曜日
兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの御名によって、神であり父である方に、常にすべての事について感謝し、神を畏れる心をもって互いに従い合いなさい。妻たちよ、主に対して従うように、自分の夫に従いなさい。夫は妻の頭であるからであり、キリストが教会の頭であり、またキリストこそが体の救い主であるからです。 しかし、教会がキリストに従うように、妻たちもまた、すべての事において夫に従いなさい。夫たちよ、キリストが教会を愛し、そのためにご自身をささげ、御言葉による水の洗いで清め、聖別してくださったように、あなたがたもまた、妻を愛しなさい。
エフェソ5:20–26
第18週の火曜日
兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの御名によって、神であり父である方に、常にすべての事について感謝し、神を畏れる心をもって互いに従い合いなさい。 妻たちよ、主に対して従うように、自分の夫に従いなさい。夫は妻の頭であるからであり、キリストが教会の頭であり、またキリストこそが体の救い主であるからです。しかし、教会がキリストに従うように、妻たちもまた、すべての事において自分の夫に従いなさい。 夫たちよ、キリストが教会を愛し、そのためにご自身をささげ、御言葉による水の洗いで清め、聖別して、しみや欠点やそのようなものが何一つない、栄光に満ちた教会として御自身の前に立たせるようにされたのと同じように、あなたがたも自分の妻を愛しなさい。 このように、夫たちは自分の妻を自分の体のように愛さなければならない。妻を愛する者は、自分自身を愛しているのである。だれも、自分の肉を憎んだことは一度もない。むしろ、主が教会を愛してくださるように、それを養い、温めている。私たちは、主の体の一部であり、主の肉と骨から成っているからである。 それゆえ、人は父と母を離れて、妻と結ばれ、二人は一つの肉となる。この奥義は偉大である。私はキリストと教会との関係について語っている。だから、あなたがた一人ひとりは、自分自身を愛するように自分の妻を愛しなさい。また、妻は夫を畏れなさい。
エフェソの信徒への手紙 5:20–33a
結婚の秘跡を執り行う際
兄弟たちよ、キリストが教会を愛し、そのためにご自身をささげ、御言葉による水の洗いで清め、聖別して、しみや欠点やそのようなものが何一つない、栄光に満ちた教会として御自身の前に立たせるために、あなたがたもまた、自分の妻を愛しなさい。 このように、夫たちは自分の妻を自分の体のように愛さなければならない。妻を愛する者は、自分自身を愛しているのである。だれも、自分の肉体を憎んだことは一度もない。むしろ、主が教会を養い、温めてくださるのと同じように、私たちは主の体の一部であり、主の肉と骨から成っているのだから。 それゆえ、人は父と母を離れて、妻と結ばれ、二人は一つの肉となる。この奥義は偉大である。私はキリストと教会との関係について語っている。それゆえ、あなたがた一人ひとりは、自分自身を愛するように、自分の妻を愛しなさい。
エフェソの信徒への手紙 5:25–33a
第18週の水曜日
兄弟たちよ、あなたがた一人ひとりは、自分自身を愛するように自分の妻を愛しなさい。また、妻は夫を畏れなさい。子らよ、主にあって両親に従いなさい。それは義の要求だからです。「あなたの父と母を敬え」というのは、約束を伴う最初の戒めであり、「そうすれば、あなたは幸いとなり、地上で長生きする」とあります。 また、父たちよ、子供たちを苛立たせてはならない。むしろ、主の教えと戒めによって彼らを育てなさい。奴隷たちよ、肉による主人に、恐れと震えをもって、心の純真さをもって、キリストに奉仕するように従いなさい。ただ目に見える奉仕だけで、人に気に入られようとする者たちのようにではなく、 キリストのしもべとして、心から神の御心を行い、人に対してではなく、主に対して熱心に奉仕しなさい。しもべであれ、自由人であれ、各人は、自分が行った善に応じて、主から報いを受けることを知っていなさい。 また、主人の皆さん、彼らに対しても同様に振る舞い、厳しさを和らげなさい。あなた方自身の上にも、彼らの上にも、天に主がおられ、主には人を見分けることがないと知ってください。
エフェソの信徒への手紙 5:33–6:9
第18週の木曜日
兄弟たちよ、主と主の力の強さによって強められなさい。悪魔の策略に立ち向かうことができるように、神の全武装を身に着けなさい。なぜなら、私たちの戦いは血肉に対するものではなく、支配者たち、権威者たち、この世の暗闇の支配者たち、天上の悪の霊たちに対するものだからです。 それゆえ、神の全武装を身に着けなさい。そうすれば、悪の日に立ち向かい、すべてに打ち勝って、堅く立つことができるのです。 ですから、真理をもって腰に帯を締め、義の鎧を身に着け、平和の福音を宣べ伝える用意をして足を履き、何よりもまず、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪者の放つすべての燃えるような矢を消し去ることができるのです。また、救いの兜を取り、霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。
エフェソの信徒への手紙 6:10–17
第27週。
主の顕現後の土曜日。
殉教者たちへ
兄弟たちよ、あらゆる祈りと願いをもって、常に御霊によって祈りなさい。そして、すべての聖徒たちと私のために、あらゆる粘り強さと祈りをもって、このことそのものに努めなさい。そうすれば、私に ――私の口を通して、福音の奥義を大胆に公に宣べ伝えることが許されるように。私はその福音のために、鎖につながれたまま使徒の務めを果たしているのです。そうして、私がなすべきことを大胆に宣べ伝えることができるように。 また、あなたがたも私の状況や行いを知ることができるように、ティキコがすべてをあなたがたに知らせてくれるでしょう。彼は、愛すべき兄弟であり、主において忠実な奉仕者です。私は、あなたがたが私たちのことを知り、彼があなたがたの心を慰めるために、彼をあなたがたのところへ遣わしたのです。 兄弟たちに平安があり、父なる神と主イエス・キリストからの愛と信仰がありますように。私たちの主イエス・キリストを絶えず愛するすべての人々に、恵みがありますように。アーメン。
エフェソの信徒への手紙 6:18–24
第18週の金曜日
イエス・キリストのしもべであるパウロとテモテから、フィリピにいるキリスト・イエスにあるすべての聖徒たち、ならびに司教たちと執事たちへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。 あなたがたのことを思い出すたびに、私の神に感謝しています。あなたがたすべてのために、私のあらゆる祈りの中で、いつも喜びをもって祈りをささげています。 あなたがたが初日から今日に至るまで福音宣教に協力してくださったことを思い起こし、あなたがたの中で良い働きを始められた方が、イエス・キリストの日に至るまでそれを完成させてくださることを確信しています。私があなたがた全員のことをこのように考えるのは当然のことです。なぜなら、私は福音の守りと確立のために、あなたがた全員を、私の心の内に、私の束縛の中に抱いているからです。あなたがたは皆、恵みにおける私の共同者なのです。
フィリピ1:1–7
第19週の月曜日
兄弟たちよ、神が私の証人です。私はイエス・キリストの愛をもって、あなたがたすべてを愛しています。そして、あなたがたの愛が、知識とあらゆる感情においてますます深まり、より良いことを知ることで、キリストの日に清く、汚れのない者となり、イエス・キリストによる義の実に満ち、神の栄光と称賛となるよう、祈っています。 兄弟たちよ、私の置かれた状況が、福音宣教のさらなる成功につながったことを、あなたがたに知っていただきたい。すなわち、キリストのために私が囚われていることが、プレトリア全体やその他すべての人々に知れ渡り、主にある兄弟たちの大部分は、私の囚われの身によって励まされ、より大胆に、恐れずに神の御言葉を宣べ伝え始めたのである。
フィリピ1:8–14
第19週の火曜日
兄弟たちよ、私の置かれた状況が、福音宣教のさらなる成功につながったことを、あなたがたに知っていただきたい。すなわち、キリストのために私が捕らえられていることが、プレトリア全体やその他すべての人々に知れ渡り、主にある兄弟たちの大部分は、私の捕らわれの身によって励まされ、より大胆に、恐れずに神の御言葉を宣べ伝え始めたのである。 確かに、ある者は嫉妬や競争心から、またある者は善意をもってキリストを宣べ伝えています。競争心からキリストを宣べ伝える者たちは、私の束縛の重さを増そうと考えて、純粋な心で宣べ伝えてはいません。一方、愛から宣べ伝える者たちは、私が福音を守るために立てられていることを知っています。 しかし、それがどうしたでしょう。彼らがキリストを、偽りであろうと真心からであろうと、どのように宣べ伝えても、私はそれを喜び、これからも喜び続けます。なぜなら、あなたがたの祈りと、イエス・キリストの御霊の助けによって、これが私の救いとなることを知っているからです。私の確信と希望をもって。
フィリピ1:12–20a
第19週の水曜日
兄弟たちよ、私は何事においても恥じることはありません。むしろ、あらゆる大胆さをもって、今この時も、かつてと同様に、私の体において、生であれ死であれ、キリストが栄光を受けられるのです。私にとって、生きることはキリストであり、死ぬことは益となるからです。もし、この肉における生活が私の働きに実を結ぶのであれば、どちらを選ぶべきか分かりません。 どちらにも心が引かれる。私は、この世から解放されてキリストと共にいたいと願っている。それは、それの方がはるかに良いことだからである。しかし、あなたがたにとっては、私がこの世に残っているほうがより必要である。 そして、私は確かに知っています。あなたがたの信仰における成長と喜びのために、私は残って、あなたがた全員と共にいるでしょう。そうすれば、私が再びあなたがたのところへ来たとき、キリスト・イエスにおけるあなたがたの誉れが、私を通してさらに増し加わるようになるのです。ただ、キリストの福音を宣べ伝えるにふさわしい生き方をしてください。
フィリピ1:20b–27a
第19週の木曜日
兄弟たちよ、キリストの福音をふさわしく生きるようにしなさい。そうすれば、私が行ってあなたがたに会うにせよ、行かずにあなたがたのことを聞くにせよ、あなたがたが同じ心で立ち、福音の信仰のために心を一つにして奮闘し、敵に対して何事においても恐れないと聞くことができるでしょう。それは彼らにとっては滅びの前兆であり、あなたがたにとっては救いなのです。 そして、これは神からのものである。なぜなら、あなたがたには、キリストのために、ただキリストを信じるだけでなく、あなたがたが私に見、また今、私について聞いているのと同じような献身をもって、キリストのために苦難に耐えることも与えられているからである。 ですから、もしキリストにある慰めがあり、愛による喜びがあり、御霊による交わりがあり、憐れみと慈しみがあるなら、私の喜びを全うしてください。心を一つにし、同じ愛を持ち、心を一つにし、考えを一つにしてください。 何事も競い合ったり、虚栄心から行ったりせず、謙遜な心をもって、互いに相手を自分より優れた者と見なしてください。各自が自分のことばかりを気にかけるのではなく、互いに他者のことも気にかけるようにしてください。
フィリピ1:27–2:4
第19週の金曜日
兄弟たちよ、あなたがたは、キリスト・イエスにあるのと同じ心構えを持つべきです。キリストは、神の御姿でありながら、神と等しい者であることを強奪すべきものとは見なさず、むしろご自身を無にされ、しもべの姿をとり、人々に似た者となり、外見も人のようになったのです。そして、死、それも十字架の死に至るまで従順であり、ご自身をへりくだられました。 それゆえ、神は彼を高く上げ、すべての名にまさる名を彼に与えられました。それは、天にある者、地にある者、地の底にある者のすべてのひざが、イエスの名によってひざまずき、すべての口が、「主イエス・キリストは父なる神の栄光のために」と告白するためです。
フィリピ2:5–11
至聖なる神の母よ
兄弟たちよ、あなたがたは、私がいるときだけでなく、今、私がいないときにも、いつも従順であったように、恐れと震えをもって、自分の救いを成し遂げなさい。なぜなら、神は、ご自身の御心に従って、あなたがたのうちに、望みと行いをも生み出してくださるからです。 何事をも不平や疑いなく行いなさい。そうすれば、あなたがたは非難されるところのない、清く、この不従順で堕落した世代の中にあって、汚れのない神の子らとなるでしょう。あなたがたは、この世において光のように輝き、いのちの言葉を保ち、キリストの日に、私の誉れとなるのです。
フィリピ2:12–16a
第20週の月曜日
兄弟たちよ、私はむなしく労苦し、むなしく働いたわけではありません。しかし、もし私が、あなたがたの信仰の犠牲と奉仕のために、自らも犠牲となるとしても、私は喜び、あなたがたすべてと共に喜びます。このことについて、あなたがたも喜び、私と共に喜んでください。 私は、主イエスにあって、まもなくティモテオをあなたがたのところへ遣わすことを望んでいます。そうすれば、私もあなたがたの状況を聞いて、心安らぐことができるでしょう。なぜなら、あなたがたをこれほど誠実に気遣ってくれる、私と同じくらい熱心な人は他にいないからです。皆、自分の利益を追い求めており、イエス・キリストの御心にかなうことを求めてはいないからです。 しかし、彼の忠実さはあなたがたもご存じの通りです。彼は、まるで子が父に仕えるように、福音宣教において私に仕えてくれたからです。ですから、私の身の上がどうなるか分かれば、すぐに彼を遣わすつもりです。
フィリピ2:16b–23
第20週の火曜日
兄弟たちよ、私は主において確信しています。私もまもなくあなたがたのところへ参るでしょう。 しかし、私は、私の兄弟であり、協力者であり、同志であるエパフロディトを、あなたがたの使者であり、私の困窮の時の奉仕者である彼を、あなたがたのところへ遣わすことが必要だと考えました。なぜなら、彼はあなたがた全員に会いたいと強く望んでおり、自分の病気の噂があなたがたに伝わったことを深く悲しんでいたからです。 彼は死の淵まで病に伏していましたが、神は彼を憐れんでくださいました。彼だけでなく、私に対しても憐れみをお示しになり、私の悲しみにさらに悲しみが重ならないようにしてくださったのです。それゆえ、私は彼を早急に遣わしました。あなたがたが彼に再会して喜び、私の悲しみも和らぐようにと願ったからです。 ですから、主にある者として、あらゆる喜びをもって彼を迎え入れ、そのような人々を尊重してください。彼はキリストの御業のために、命の危険にさらされ、死の瀬戸際まで追い詰められながら、あなたがたが私に対して果たせなかった奉仕の不足を補おうとしたのです。
フィリピ2:24–30
第20週の水曜日
兄弟たちよ、主において喜びなさい。同じことをあなたがたに書き送ることは、私にとっては苦ではなく、あなたがたにとっては益となるのです。 犬たちに気をつけなさい。悪を行う者たちに気をつけなさい。割礼に気をつけなさい。なぜなら、割礼とは、私たちのように、霊によって神に仕え、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らない者たちのことだからです。もっとも、私も肉に頼ることはできるのですが。 もし他の誰かが肉に頼ろうとするなら、私こそ、生後八日目に割礼を受け、イスラエルの子孫、ベニヤミン族、ユダヤ人の中のユダヤ人であり、パリサイ派の教えに従い、熱心さにおいては神の教会の迫害者であり、律法上の義においては非の打ち所のない者である。 しかし、私にとって利点であったものは、キリストのために、すべて無益なものと見なしました。また、私の主であるキリスト・イエスを知ることに勝るものはないと信じ、キリストを得るために、私はすべてを捨て、すべてをゴミのように見なしています。
フィリピ3:1–8
第20週の木曜日
兄弟たちよ、私は、私の主であるキリスト・イエスを知ることに勝るものはないと、すべてを無に数えています。私はキリストのためにすべてを捨て、キリストを得、また、律法による自分の義ではなく、キリストへの信仰による、神からの義をもって、キリストのうちに認められるために、すべてをゴミのように見なしています。 すなわち、キリストを知り、その復活の力を知り、その苦難に与り、その死に倣って、死者の復活に至りたいと願うからです。私がこう言うのは、すでにそれを達成したからでも、すでに完全になったからでもありません。ただ、キリスト・イエスが私を捕らえてくださったように、私もまた、キリストに捕らえられることを目指しているのです。 兄弟たちよ、私は自分がすでに到達したとは考えていません。ただ、後ろのものを忘れ、前に向かって進み、キリスト・イエスにある神の召しの栄光という目標を目指して努力しているのです。 さて、私たちのうちで完全な人は、そのように考えるべきです。もしあなたがたが別の考えを持っているなら、それも神があなたがたに明らかにしてくださいます。いずれにせよ、私たちがどこまで達したか、そのように考え、その原則に従って生きるべきです。 兄弟たちよ、私を模範とし、私たちの中にある模範に従って歩む人々を見習いなさい。なぜなら、私がたびたびあなたがたに話してきた人々、今や涙を流しながらさえ語っている人々は、キリストの十字架の敵として振る舞っているからです。彼らの終わりは滅びであり、彼らの神は腹であり、彼らの栄光は恥にあり、彼らは地上のことばかりを思っています。
フィリピ3:8b–19
第20週の金曜日
兄弟たちよ、私たちの住まいは天にあります。そこから、私たちは救い主、私たちの主イエス・キリストを待ち望んでいます。主は、御自身の力によって、すべてを御自身に従わせ、私たちの卑しい体を、御自身の栄光ある体に似せて変えてくださるのです。 それゆえ、私の愛する、切に慕う兄弟たちよ、私の喜びであり、私の冠であるあなたがたは、主のうちにこのように立ち続けなさい、愛する者たちよ。 エヴォディアに、またシンティキアに、主について同じように考えるよう懇願します。また、誠実な協力者であるあなたにもお願いします。私やクリメント、そして「いのちの書」にその名が記されている私の他の協力者たちと共に、福音宣教に励んできた彼らを助けてください。
フィリピ3:20–4:3
殉教者たちへ
兄弟たちよ、主において常に喜びなさい。さらに言います。喜びなさい。 あなたがたの柔和さが、すべての人々に知れ渡るように。主は近くにおられます。何事も心配せず、ただ、いつも祈りと願いと感謝をもって、あなたがたの願いを神に打ち明けなさい。そうすれば、人の知力をはるかに超えた神の平安が、キリスト・イエスにあって、あなたがたの心と思いを守ってくださいます。 最後に、兄弟たちよ、真実なこと、尊いこと、正しいこと、清いこと、愛すべきこと、誉れ高いこと、すなわち、徳あること、称賛に値すること、そのようなことばかりを心に留めなさい。あなたがたが私から学び、受け入れ、聞き、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたと共におられるでしょう。
ピリピ4:4–9
ヴァイの週
兄弟たちよ、あなたがたが再び私のことを気にかけてくださるようになったことを、私は主において大いに喜んだ。以前にも気にかけてはいたが、状況が許さなかったのだ。私がこう言うのは、困っているからではない。私は、持っているもので満足することを学んだからだ。 乏しい生活にも、豊かな生活にも適応できます。あらゆることに、あらゆる状況において、満ち足りることも、飢えることも、豊かであることも、欠乏していることも、すべてを学ぶことができました。私を強めてくださるイエス・キリストによって、私はすべてを成し遂げることができます。とはいえ、あなたがたが私の苦難に同情してくださったことは、よくしたことです。 フィリピの皆さん、あなたがたもご存じのように、福音が伝えられ始めた頃、私がマケドニアを出たとき、あなたがた以外には、どの教会も献金や受け入れによって私を助けてはくれませんでした。あなたがたはテサロニケにいる間も、一度や二度、私の必要のために送ってくれました。 私がこう言うのは、献金を求めているからではありません。むしろ、あなたがたのために実を結ぶ恵みを求めているのです。私はすでにすべてを受け取り、余りあるほどです。エパフロディトから、あなたがたが送ってくださったものを、香ばしい香、神に喜ばれる、神に受け入れられる供え物として受け取り、満足しています。 私の神が、キリスト・イエスによる栄光の富にふさわしく、あなたがたのあらゆる必要を満たしてくださいますように。神、すなわち私たちの父に、世々限りなく栄光がありますように。アーメン。 キリスト・イエスにあるすべての聖徒に挨拶を伝えてください。私と一緒にいる兄弟たちが、あなたがたに挨拶を送っています。すべての聖徒、とりわけカイザルの家の人々が、あなたがたに挨拶を送っています。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべての上にありますように。アーメン。
フィリピ4:10–23
第21週の月曜日
神の御心によりイエス・キリストの使徒となったパウロと、兄弟テモテは、コロサイにいる、キリスト・イエスにある聖なる、また忠実な兄弟たちへ。 あなたがたも、私たちの愛する協力者であり、あなたがたにとって忠実なキリストの奉仕者であるエパフラスから教えを受けたとおり――彼は、あなたがたの御霊による愛について私たちに知らせてくれた――それゆえ、私たちも、そのことを聞いたその日から、あなたがたのために祈りを絶やさず、あなたがたが神の御心を知る知識に満たされ、 あらゆる知恵と霊的な理解をもって、神にふさわしい歩みをし、すべてにおいて神に喜ばれ、あらゆる善い行いで実を結び、神を知ることに成長し、神の栄光の力によってあらゆる力で強められ、あらゆる忍耐と寛容をもって、喜びをもって歩むことができますように。
コロサイ人への手紙 1:1–2, 7–11
第21週の火曜日
兄弟たちよ、私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。 私たちは、私たちの主イエス・キリストの父なる神に感謝し、あなたがたのキリスト・イエスへの信仰と、すべての聖徒たちへの愛について聞いたので、天に備えられているあなたがたへの希望について、常にあなたがたのために祈っています。その希望については、あなたがたは以前、福音の真実な御言葉によって聞いたとおりであり、その御言葉は、全世界と同様にあなたがたの中にも留まり、実を結び、 また、あなたがたの間でも、あなたがたが神の恵みを真理のうちに聞き、知ったその日から、成長し続けています。
コロサイ人への手紙 1:3–6
第31週の土曜日
兄弟たちよ、神であり父である方に感謝しなさい。その方は、私たちを光の中にある聖徒たちの相続分にあずかるように召してくださり、闇の支配から救い出し、御自身の愛する御子の御国へと導いてくださいました。私たちはその御子によって、御子の血による贖いと罪の赦しを得ています。御子は、目に見えない神の像であり、すべての被造物よりも先に生まれた方です。 なぜなら、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、すべては御方によって造られたからです。玉座であれ、主権であれ、支配であれ、権威であれ、すべては御方のために、また御方によって造られたのです。御方は万物の先におられ、万物は御方によって支えられています。 また、御方は教会のからだの頭であり、御方は初めの者、死者の中から最初に甦られた方であり、すべてのものにおいて御方に第一の地位があるのです。
コロサイ人への手紙 1:12–18
第28週。
8月16日、無造作の聖像の移設
兄弟たちよ、キリストは教会の体の頭であり、彼は初めの者、死者の中から最初に甦った者であり、すべてのものにおいて彼に第一の地位が与えられるためである。なぜなら、父は、すべての満ち満ちたものがキリストのうちに宿り、また、キリストの十字架の血によって、地上のものも天上のものも、すべてをキリストを通して御自身と和解させ、平和をもたらすことを喜ばれたからである。 かつては悪事を行う傾向から、疎外され敵であったあなたがたも、今や、御子の肉体のうちにあって、 その死によって、あなたがたを聖なる者、汚れのない者、非難されるところのない者として御自身の御前に立たせるためです。ただし、あなたがたが信仰において堅く立ち、揺るがず、また、あなたがたが聞いた福音の希望から離れない限りにおいてです。その福音は、天の下のすべての被造物に宣べ伝えられたものであり、私、パウロはその奉仕者となったのです。
コロサイ人への手紙 1:18–23
第21週の水曜日
兄弟たちよ、今、私はあなたがたのために受ける苦しみの中で喜び、キリストの苦しみの欠ける部分を、私の肉において、そのからだ、すなわち教会のために補っています。私は、あなたがたのために私に委ねられた神の御計画に従って、この教会の奉仕者となりました。それは、神の御言葉、すなわち、世々や世代から隠されていた奥義を成就するためであり、 今や、神の聖徒たちに明らかにされた。神は、この奥義の中に異邦人のための栄光の富がどれほどあるかを、彼らに示すことを御心に適わせられた。その奥義とは、あなたがたのうちにおられるキリスト、すなわち、私たちが宣べ伝える栄光の希望であり、私たちはすべての人を諭し、あらゆる知恵をもって教え、すべての人をキリスト・イエスにおいて完全な者として神の御前に立たせるためである。 そのために、私もまた、私の中で力強く働かれる御方の力によって、労苦し、奮闘しているのです。
コロサイ人への手紙 1:24–29
第21週の木曜日
兄弟たちよ、私があなたがたのために、またラオディキアやヒエラポリスにいる人々のために、そして私の肉体の姿を見たことのないすべての人々のために、どのような労苦を払っているかを知ってほしい。それは、彼らの心が慰められ、愛によって一つとなり、完全な知恵のあらゆる豊かさを得て、神であり父である方とキリストの奥義を知ることができるためである。 その御方の中に、知恵と知識のすべての宝が隠されているのです。私がこう言うのは、誰かが巧みな言葉であなたがたを惑わさないようにするためです。なぜなら、私は肉体としては離れていますが、霊においてはあなたがたと共にいて、あなたがたの順調な歩みと、キリストに対するあなたがたの信仰の堅固さを見て、喜んでいるからです。 ですから、あなたがたが主イエス・キリストを受け入れたように、その方の中に歩み続けなさい。その方に根ざし、その方に堅く立ち、教えられたとおりに信仰を強め、感謝をもってその信仰に歩み続けなさい。
コロサイ人への手紙 2:1–7
第21週の金曜日
兄弟たちよ、だれも、人間の伝承やこの世の要素による哲学や空しい欺きによって、キリストにではなく、あなた方を惑わさないように気をつけなさい。なぜなら、神性のすべての満ち満ちたものが、肉体をもってキリストのうちに宿っており、あなたがたは、すべての支配と権威の頭であるキリストのうちにあって、満ち満ちているからです。 あなたがたは、キリストによる割礼、すなわち、罪に満ちた肉の体を脱ぎ捨てるという、人の手によらない割礼によって、キリストにあって割礼を受けたのです。また、バプテスマによってキリストと共に葬られ、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力への信仰によって、キリストにあって共に復活したのです。
コロサイ人への手紙 2:8–12
1月1日、主の割礼
兄弟たちよ、神は、罪と肉の割礼のない状態において死んでいたあなたがたを、キリストと共に生かしてくださいました。すべての罪を赦し、私たちに対して敵対していた、かつての借用証書を教えによって滅ぼし、それを取り除き、十字架に釘付けにされました。 支配者や権威者たちから力を奪い、彼らを公然と恥辱にさらし、ご自身によって彼らに勝利を収められました。ですから、食べ物や飲み物、あるいは祝日や新月、安息日について、だれもあなたがたを非難してはなりません。これらは未来の影に過ぎず、実体はキリストにあるのです。 だれも、独断的な謙遜や天使への奉仕をもって、あなたがたを惑わしてはなりません。彼らは、自分が見たことのないことに干渉し、肉的な心で無分別にも高ぶって、すべての体を構成し、結びつけて、神の成長によって成長させている頭から離れてしまっているのです。 それゆえ、もしあなたがたがキリストとともにこの世の要素に対して死んだのであれば、なぜ、この世に生きる者として、律法に縛られているのですか。
コロサイ人への手紙 2:13–20
第22週の月曜日
兄弟たちよ、もしあなたがたがキリストとともに、この世の要素に対して死んだのであれば、なぜ、この世に生きる者として、「触れてはならない」、「食べてはならない」、「手を出してはいけない」(これらはすべて、使うにつれて朽ちていくものですが)といった、人間の戒めや教えに従っているのですか。 それは、独断的な奉仕や、偽りの謙遜、肉体の消耗、そして肉体の満足をある程度軽んじることに、ただ知恵があるかのように見せかけているに過ぎない。 それゆえ、あなたがたがキリストとともに復活したのなら、キリストが神の右の座におられる天上のことを求めなさい。天上のことを思い巡らし、地上のことを思い巡らしてはならない。あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに神のうちに隠されているからである。
コロサイ人への手紙 2:20–3:3
第22週の火曜日
兄弟たちよ、あなたがたのいのちであるキリストが現れるとき、あなたがたもまた、キリストとともに栄光のうちに現れることになるのです。 それゆえ、あなたがたの地上の肢体を死に委ねなさい。すなわち、淫行、不潔、情欲、邪悪な欲望、そして貪欲――これは偶像礼拝に他ならない――これらによって、神の怒りは反抗する者たちの上に下る。あなたがたもかつては、彼らの中に住んでいたとき、これらに身を委ねていたのである。 しかし今、あなたがたはこれらすべてを捨て去りなさい。怒り、激怒、悪意、悪口、口からの汚い言葉。 互いに偽りを語ってはならない。古い人をその行いとともに脱ぎ捨て、新しい人を身に着けなさい。その新しい人は、創造主の御姿に倣って、知識によって新しくされる。そこには、ギリシア人もユダヤ人も、割礼のある者も割礼のない者も、野蛮人もスキタイ人も、奴隷も自由人もなく、すべて、すべてのものにおいてキリストである。
コロサイ3:4–11
第29週。
聖なる先祖たちの週
兄弟たちよ、神に選ばれた聖なる者、愛される者として、憐れみ、慈愛、謙遜、柔和、忍耐を身にまといなさい。互いに寛容に接し、もし誰かが誰かに対して不満を抱いているなら、互いに赦し合いなさい。キリストがあなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。 何よりも、愛を身にまといなさい。愛こそが、あらゆる完全さの総体です。また、あなたがたが一つのかたちとして召された神の平和が、あなたがたの心の中で支配するようにし、互いに友愛を保ちなさい。 キリストの御言葉が、あらゆる知恵をもって、あなたがたのうちに豊かに宿るようにしなさい。詩篇、賛美、霊的な歌によって互いに教え、戒め合い、恵みの中で、心の中で主に歌を歌いなさい。
コロサイ3:12–16
第30週。
尊き
兄弟たちよ、あなたがたが言葉でも行いでも、何をするにせよ、すべてを主イエス・キリストの名によって行い、主を通して神である父に感謝しなさい。妻たちよ、主にふさわしいように、自分の夫に従いなさい。夫たちよ、自分の妻を愛し、彼女たちに厳しく接してはならない。 子らよ、すべてのことにおいて両親に従いなさい。それは主の御心にかなうことだからです。父たちよ、子らを苛立たせて、彼らが落胆することのないようにしなさい。奴隷たちよ、すべてのことにおいて、この世の主人に従いなさい。ただ人に見られるためだけに、人に気に入られようとして仕えるのではなく、心を尽くして、神を畏れつつ仕えなさい。 また、何をするにせよ、人に対してではなく、主に対して行うように、心から行いなさい。主から報いとして御国を受け継ぐことを知っていなさい。あなたがたは主キリストに仕えているのですから。 しかし、不正を行う者は、その不正に応じて報いを受ける。主には偏りがない。主よ、あなたがたも天に主がおられることを知っているので、奴隷たちにふさわしく、公正に接しなさい。
コロサイ人への手紙 3:17–4:1
第22週の水曜日
兄弟たちよ、絶えず祈り続け、感謝をもって目を覚ましていなさい。また、私たちのためにも祈ってください。神が、キリストの奥義を宣べ伝えるために、私たちに御言葉の扉を開いてくださるよう。私は、その奥義を、宣べ伝えるべき通りに明らかにするために、今、鎖につながれているのです。外の人たちに対しては、時を有効に用いて、分別をもって接しなさい。 あなたがたの言葉は、常に恵みに満ち、塩で味付けられたものであって、一人ひとりにどう答えるべきかを知ることができるように。 私については、ティキコがすべてをあなた方に伝えてくれるでしょう。彼は、愛すべき兄弟であり、主における忠実な奉仕者であり、協力者です。私は、あなた方の状況を把握し、あなた方の心を慰めるために、彼をあなた方のところへ遣わしました。彼には、あなた方の出身である、私たちの忠実で愛すべき兄弟オニシモも同行しています。彼らは、ここでのすべてのことをあなた方に伝えてくれるでしょう。
コロサイ4:2–9
第22週の木曜日
兄弟たちよ、世の人々に対しては、時を有効に用いて、分別をもって接しなさい。あなたがたの言葉は、常に恵みに満ち、塩で味付けられたものであって、一人ひとりにどう答えるべきかを知ることができるようにしなさい。 私については、ティキコスがすべてをあなた方に伝えてくれるでしょう。彼は、愛する兄弟であり、主における忠実な奉仕者であり、協力者です。私は、あなた方の状況を知り、あなた方の心を慰めるために、彼をあなた方のところへ遣わしました。彼と共に、あなた方のところから来た、忠実で愛すべき兄弟オニシモスも同行しています。彼らは、ここでのすべてのことをあなた方に伝えてくれるでしょう。 愛する医師ルカとディマスが、あなたがたに挨拶を伝えます。私の手、すなわちパウロの手による挨拶です。私の束縛を覚えていてください。あなたがたすべてに恵みがありますように。アーメン。
コロサイ4:5–9, 14, 18
10月18日、聖使徒ルカ
兄弟たちよ、私と共に投獄されているアリスタルコスと、バルナバの甥マルコ(あなたがたは、もし彼があなたがたのところに来たら、彼を受け入れるようにと命じられていた)、またユストと呼ばれるイエスが、あなたがたに挨拶を送ります。彼らは二人とも割礼を受けた者です。彼らは、神の御国のために共に働く者たちであり、私にとって慰めとなってくれた唯一の人々です。 あなたがたのエパフラス、イエス・キリストのしもべが、あなたがたが完全であり、神に喜ばれるすべてのことに満たされるようにと、常に祈りの中であなたがたのために奮闘しています。私は彼について、あなたがたや、ラオディキアやイェラポレにいる人々に対して、大きな熱意と配慮を持っていることを証しします。 愛する医師ルカとディマスも、あなたがたに挨拶を送ります。ラオディキアの兄弟たち、ニムファノス、そして彼の家の教会に挨拶を伝えてください。この手紙があなたがたのところで読み上げられたら、ラオディキアの教会でも読み上げられるように手配してください。また、ラオディキアからの手紙も、あなたがたが読み上げてください。 アルキッポにこう伝えてください。「主において引き受けた務めを、しっかりと果たすように気をつけなさい。」私の、パウロの手による挨拶です。私の束縛を覚えていてください。あなたがたすべてに恵みがありますように。アーメン。
コロサイ4:10–18
第22週の金曜日
パウロ、シルワノ、テモテから、父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケの教会へ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。 私たちは、あなたがたすべてのために、常に神に感謝し、祈りの中であなたがたを覚え、私たちの神であり父である御前で、あなたがたの信仰の働き、愛の労苦、そして私たちの主イエス・キリストへの希望の忍耐を絶えず心に留めています。神に愛される兄弟たちよ、あなたがたが選ばれた者であることを私たちは知っているからです。 なぜなら、あなたがたへの私たちの福音は、言葉だけにとどまらず、力と聖霊と、多くの確かな証拠によってもたらされたからです。あなたがたご自身も、私たちがあなたがたの間でどのような者であったかをご存じの通りです。
1テサロニケ1:1–5
第23週の月曜日
兄弟たちよ、あなたがたは、多くの苦難の中にあっても聖霊の喜びをもって御言葉を受け入れ、私たちや主の模範となったので、マケドニアとアカイアのすべての信者たちの模範となりました。 なぜなら、あなたがたから主の御言葉がマケドニアやアカイアだけでなく、あらゆる場所に広まり、あなたがたの神への信仰の誉れが知れ渡ったため、私たちが何も語る必要がないほどだからです。 なぜなら、彼ら自身が、私たちがどのようにしてあなたがたのところへ入っていったか、また、あなたがたがどのようにして偶像から神へと立ち返り、生けるまことの神に仕え、神が死者の中からよみがえらせた御子、すなわち、来るべき怒りから私たちを救ってくださるイエスを、天から待ち望んでいるかを語っているからです。
1テサロニケ1:6–10
第23週の火曜日
兄弟たちよ、あなたがたもご存じのように、私たちがあなたがたのところへ行ったのは、決して無駄なことではありませんでした。あなたがたもご存じのように、私たちはフィリピで苦難を受け、侮辱されましたが、それでも私たちの神に依り頼んで、大きな勇気をもって、あなたがたに神の福音を宣べ伝えました。なぜなら、私たちの教えには、誤りも、不純な動機も、偽りもないからです。 むしろ、神が私たちに福音を託してくださったように、私たちは人々に迎合することなく、私たちの心を試される神に喜ばれるように語っているのです。なぜなら、あなたがたもご存じの通り、私たちはあなたがたの前で、お世辞の言葉も、利益を求める態度も決して示さなかったからです。神が証人です! 私たちは、あなたがたからも、他の誰からも、人間からの栄誉を求めてはいません。キリストの使徒として威厳をもって現れることもできたのですが、乳母が自分の子供たちを優しく世話するように、あなたがたの間では柔和に振る舞いました。このように、私たちはあなたがたへの熱意から、神の福音を伝えるだけでなく、私たちの魂までもあなたがたに捧げたいと願ったのです。なぜなら、あなたがたは私たちにとって愛おしい存在となったからです。
1テサロニケ2:1–8
第23週の水曜日
兄弟たちよ、あなたがたは、私たちの労苦と疲労を覚えているでしょう。あなたがたのうちのだれにも負担をかけないよう、昼も夜も働きながら、私たちはあなたがたの間で神の福音を宣べ伝えました。 あなたがたも神も、私たちが信者であるあなたがたの前で、いかに聖く、正しく、非の打ち所のない行いをしたかを証ししています。なぜなら、あなたがた一人ひとりを、父が自分の子供たちを扱うように、神の御国と栄光に召してくださった神にふさわしい行いをするよう、懇願し、説得し、懇願してきたことを、あなたがたは知っているからです。 それゆえ、私たちも絶えず神に感謝しています。あなたがたは、私たちから聞いた神の御言葉を、単なる人の言葉としてではなく、真実そのものである神の御言葉として受け入れてくださったからです。その御言葉は、信じるあなたがたの中で力として働いています。 兄弟たちよ、あなたがたは、キリスト・イエスにあるユダヤの地の神の教会たちの模範となったのです。
1テサロニケ2:9–14a
第23週の木曜日
兄弟たちよ、あなたがたは、キリスト・イエスにあるユダヤの地の神の教会たちの模範となりました。なぜなら、あなたがたもまた、同胞たちから、主イエスとその預言者たちを殺し、私たちを追放したユダヤ人たちと同じ苦難を受けたからです。 彼らは神に喜ばれることもなく、すべての人々に敵対し、異邦人が救われるようにと私たちが語ることを妨げ、それによって常に自分たちの罪の杯を満たし続けている。しかし、彼らには終わりの時の怒りが迫っている。兄弟たちよ、私たちは、顔は短期間離れていたものの、心は一つであったため、なおさら強くあなたがたの顔を見たいと願っていた。 それゆえ、私たち、すなわち私パウロは、一度、二度とあなたがたのところへ行こうとしましたが、サタンがそれを妨げました。なぜなら、私たちの希望、喜び、あるいは称賛の冠とは、何でしょうか。それは、私たちの主イエス・キリストの再臨の際、主の御前であなたがたに会えることではないでしょうか。
1テサロニケ2:14–19
第23週の金曜日
兄弟たちよ、あなたがたは私たちの誇りであり、喜びです。 それゆえ、もはや我慢できなくなった私たちは、アテネに一人残って、私たちの兄弟であり、神のしもべであり、キリストの福音を宣べ伝える私たちの協力者であるテモテを遣わしました。それは、あなたがたを堅く立て、あなたがたの信仰を慰め、これらの苦難の中でだれも動揺しないようにするためです。あなたがた自身も、私たちにそうなることが定められていることを知っています。 というのも、私たちが以前あなたがたのところにいたとき、苦難に遭うことを予告していたからです。実際、その通りになり、あなたがたもご存じの通りです。それゆえ、私ももはや我慢できなくなり、あなたがたの信仰の状態を確かめるために使者を送りました。それは、誘惑者があなたがたを惑わしたり、私たちの労苦が無駄になったりしないようにするためです。 さて、あなたがたからティモテオが私たちのところに来て、あなたがたの信仰と愛、そしてあなたがたが常に私たちを懐かしみ、私たちに会いたいと願っていること――私たちもまたあなたがたに会いたいと願っているのと同じように――という良い知らせを伝えてくれたので、私たちは、あらゆる苦しみと困窮の中にあっても、兄弟たちよ、あなたがたの信仰によって慰められました。あなたがたが主にあって立っているとき、私たちは今、生きているのです。
1テサロニケ2:20–3:8
第24週の月曜日
兄弟たちよ、あなたがたのために、また、私たちの神の御前であなたがたについて喜んでいるすべての喜びのために、私たちは神にどのような感謝をささげればよいでしょうか。私たちは昼も夜も、あなたがたの顔を見、あなたがたの信仰に欠けているものを補うことができるよう、心を尽くして祈っています。私たちの神であり父である方と、私たちの主イエス・キリストご自身が、あなたがたへの私たちの道を整えてくださいますように。 また、主が、あなたがたを互いへの愛、そしてすべての人への愛で満たし、さらにあふれるほどに満たしてくださいますように。それは、私たちのあなたがたに対する愛のように、あなたがたの心を、私たちの神であり父である御方の御前で、聖なる場所にあって汚れのないものとして確固たるものとし、私たちの主イエス・キリストが、そのすべての聖徒たちと共に来られる時に備えるためです。アーメン。
1テサロニケ3:9–13
第24週の火曜日
兄弟たちよ、私たちはキリスト・イエスの御名によって、あなたがたに願い、懇願します。あなたがたは、私たちから、どのように振る舞い、神に喜ばれるべきかを学んだのですから、その点においてさらに進歩するようにしてください。あなたがたは、私たちが主イエスから受けた戒めを、どのようなものか知っているからです。 なぜなら、神の御心は、あなたがたが聖なる者となること、すなわち、不品行を避け、あなたがた一人ひとりが、神を知らない異教徒のように情欲に駆られてではなく、聖さと尊厳をもって自分の体を保つことを知ることです。また、あなたがたが、兄弟に対して、いかなる点においても不法に、あるいは利己的に振る舞わないことです。 主は、これらすべてについて報復される方だからです。これは、以前にもあなたがたに語り、証しした通りです。神は、私たちを不潔さではなく、聖さへと召されたのです。ですから、不従順な者は、人に対してではなく、私たちに御自身の聖霊を与えてくださった神に対して不従順なのである。兄弟愛については、あなたがたに書き送る必要はありません。 あなたがたは神によって互いに愛し合うように教えられているからです。実際、あなたがたはマケドニア全土のすべての兄弟たちに対して、そのように行っています。ですから、兄弟たちよ、私たちはあなたがたに懇願します。私たちが命じたように、さらに進歩し、静かに暮らし、自分の務めを果たし、自分の手で働くことに熱心に励んでください。そうすれば、外の人々の前で品行方正に振る舞い、何一つ欠けることがなくなるでしょう。
1テサロニケ4:1–12
第24週の水曜日
兄弟たちよ、あなたがたが、希望を持たない他の人々のように悲しむことのないよう、死んだ者たちについて、あなたがたに知らぬままにしておきたくはありません。なぜなら、もし私たちが、イエスが死んで復活されたと信じるなら、イエスにあって死んだ者たちも、神がイエスと共にお連れくださるからです。 なぜなら、私たちは主の御言葉によって、主の来臨まで生き残っている私たちが、死んだ人々に先立つことはない、とあなたがたに告げているからです。主ご自身が、御告げとともに、大天使の声と神のラッパの音とともに、天から降って来られ、キリストにあって死んだ人々がまずよみがえるからです。 その後、生き残っている私たちは、彼らと共に雲の中に引き上げられ、空中で主と出会うのです。こうして、私たちはいつも主と共にいることになります。
1テサロニケ4:13–17
故人を偲んで(土曜日)
兄弟たちよ、時や時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。主の日は、夜中に泥棒が忍び込むように、突然やって来ると、あなたがたご自身もよくご存じだからです。人々が「平和であり、安全である」と言っているとき、突然、破滅が彼らを襲うでしょう。それは、産みの苦しみが胎内の女を襲うように、避けようがありません。 しかし、兄弟たちよ、あなたがたは暗やみの中にいる者ではない。その日が泥棒のようにあなたがたを襲うことはない。あなたがたは皆、光の子であり、昼の子だからである。私たちは、夜の子でも、暗やみの子でもない。 ですから、他の人たちのように眠るのではなく、目を覚まし、自制しましょう。眠る者は夜に眠り、酔う者は夜に酔うからです。しかし、私たちは日の子として、信仰と愛という鎧を身に着け、救いの希望という兜をかぶり、自制しましょう。
1テサロニケ5:1–8
第24週の木曜日
兄弟たちよ、神は私たちを御怒りの対象とするのではなく、私たちのために死なれた私たちの主イエス・キリストを通して救いを受けるように定められました。それは、私たちが目を覚ましていようとも眠っていようとも、主と共に生きるためです。ですから、あなたがたが今しているように、互いに慰め合い、互いに励まし合いなさい。 兄弟たちよ、あなたがたのうちに労苦し、主においてあなたがたの指導者となり、あなたがたを戒める人々を尊重し、彼らの働きのために、とりわけ愛をもって彼らを敬うようにお願いします。互いに平和を保ちなさい。あなたがたを召された方は真実な方であり、このことを成し遂げてくださいます。兄弟たちよ、私たちのために祈ってください。 すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもって挨拶してください。主の御名によって、この手紙をすべての聖なる兄弟たちに読み聞かせるよう、あなたがたに強くお願いします。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたと共にありますように。アーメン。
1テサロニケ5:9–13; 24–28
第24週の金曜日
兄弟たちよ、お願いです。規律を乱す者を戒め、気弱な者を励まし、弱い者を支え、すべての人に対して忍耐強くありなさい。だれも、悪に対して悪で報いることのないように気をつけなさい。むしろ、常に互いに、またすべての人に対して善を追い求めなさい。いつも喜びなさい。 絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。それこそが、キリスト・イエスにある神の御心だからです。御霊を消してはなりません。預言を軽んじてはなりません。 すべてを試み、良いものを保ちなさい。あらゆる種類の悪から遠ざかりなさい。平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖別してくださり、あなたがたの霊と魂と体が、私たちの主イエス・キリストの来臨の時に、傷のないまま、完全に保たれるように。
1テサロニケ5:14–23
第32週の土曜日
パウロ、シルワノ、テモテから、私たちの父なる神と主イエス・キリストにあるテサロニケの教会へ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。私たちは、あなたがたのために、常に義にかなった感謝を神にささげなければなりません。 兄弟たちよ。なぜなら、あなたがたの信仰は深まり、あなたがた全員の間で互いへの愛が増し加わっているからです。それゆえ、私たち自身も、神の教会々において、あなたがたのことを誇りとしています。あなたがたが、あらゆる迫害や苦難の中で示している忍耐と信仰は、神の義なる裁きが確かにあることの証拠であり、あなたがたが神の御国にふさわしい者とされるためのものであり、その御国のためにあなたがたは今、苦しんでいるのです。 なぜなら、神の御前で正しいこととは、あなたがたを侮辱する者には苦難を、また侮辱されるあなたがたには、私たちと共に喜びを与えることだからです。それは、主イエスが天から、御力の御使いたちと共に現れ、燃え盛る火の中で、神を知らず、私たちの主イエス・キリストの福音を従わない者たちに報復を成し遂げられる時、 彼らは、主が御自身の聖徒たちの中で栄光を受け、その日、すべての信じる者たちの前で驚くべき御姿を示される時、主の御顔と御力の栄光によって、懲らしめと永遠の滅びにさらされるのです。あなたがたは、私たちの証しを信じたからです。
テサロニケの信徒への手紙第二 1:1–10
第25週の月曜日
兄弟たちよ、あなたがたは私たちの証しを信じました。それゆえ、私たちは常にあなたがたのために祈っています。私たちの神が、あなたがたをその呼び名にふさわしい者とされ、あらゆる恵みの御業と信仰の働きを力強く成し遂げ、私たちの主イエス・キリストの御名があなたがたの中で、またあなたがたが主の中で、私たちの神と主イエス・キリストの恵みによって栄光を受けるようにと。 兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のもとへ集められることについて、どうか心をかき乱されたり、動揺したりしないように願います。たとえ霊や言葉、あるいはあたかも私たちから送られたかのような手紙によって、「キリストの日がすでに到来している」と告げられても、惑わされないでください。
テサロニケの信徒への手紙第二 1:10b–2:2
第25週の火曜日
兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のもとへ集められることについて、あなたがたに願います。心をかき乱されたり、動揺したりせず、霊によっても、言葉によっても、あるいは私たちから送られたかのような手紙によっても、あたかもキリストの日がすでに到来しているかのように惑わされないでください。 だれにも、いかなる方法によっても惑わされないようにしてください。その日は、まず背教が起こり、罪の人、すなわち滅びの子が現れるまでは来ないからです。その者は、神と呼ばれるものや聖なるものとされるものすべてに逆らい、それらよりも高く自分を掲げ、神の宮に坐して、神であるかのように振る舞い、自らを神と称するのです。 私がまだあなたがたのところにおったとき、このことを話したのを覚えていないのか。そして今、あなたがたは、その者がその時に現れるのを妨げているものが何であるかを知っている。不法の秘密はすでに働いているが、今それを抑えている者が取り除かれるまでは、その不法は成就しないのである。 そうして、その時に、不法の人が現れる。主イエスは、御口の息によってその者を滅ぼし、御自身の来臨の現れによって、サタンの働きによって、あらゆる力と、偽りのしるしと、偽りの奇跡をもって現れ、 また、救いのために真理の愛を受け入れなかったために滅びゆく者たちを、あらゆる不義の惑わしをもって惑わす者である。このため、神は彼らに迷いの働きを送られ、彼らが偽りを信じるようにし、真理を信じず、偽りを愛した者たちが皆、裁かれるようにされるのである。
テサロニケの信徒への手紙第二 2:1–12
第25週の水曜日
兄弟たちよ、私たちは、主によって愛されている兄弟たちであるあなたがたのために、常に神に感謝しなければなりません。神は初めから、御霊による聖化と真理への信仰を通して、あなたがたを救いに選び、私たちの福音を介して、私たちの主イエス・キリストの栄光に至るよう、あなたがたを召してくださったからです。 ですから、兄弟たちよ、あなたがたが私たちの言葉や手紙によって教えられた教えに堅く立ち、それを守り続けてください。私たちを愛し、恵みによって永遠の慰めと良い希望を与えてくださった、私たちの主イエス・キリストご自身、すなわち私たちの神であり父である方が、あなたがたの心を慰め、あらゆる良い言葉と行いにおいてあなたがたを強めてくださいますように。 ですから、兄弟たちよ、私たちのために祈ってください。主の御言葉が、あなたがたのところと同じように広まり、栄光を受けるように。また、私たちが無秩序で悪意のある人々から解放されるように。なぜなら、すべての人が信仰を持っているわけではないからです。しかし、主は真実な方であり、あなたがたを堅く立たせ、悪者から守ってくださいます。 私たちは、主においてあなたがたを確信しています。あなたがたは、私たちが命じることを実行しており、これからも実行し続けるでしょう。主が、あなたがたの心を神の愛とキリストの忍耐へと導いてくださいますように。
テサロニケの信徒への手紙第二 2:13–3:5
第25週の木曜日
兄弟たちよ、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたに命じます。私たちから受け継いだ教えに従わず、不品行な行いをする兄弟からは、すべて遠ざかってください。あなたがた自身、どのように私たちに倣うべきかを知っているからです。 私たちはあなたがたのところで無秩序な行いをせず、だれからも無償でパンをいただくこともなく、あなたがたに負担をかけないよう、昼も夜も労苦と働きに励みました。それは、私たちに権威がなかったからではなく、むしろ、私たち自身があなたがたにとって模範となるためでした。 私たちがあなたがたのところにいたとき、こう命じたからです。「働きたくない者は、食べることもあってはならない」。しかし、あなたがたの中には、不品行を働き、何もしないで、ただ騒ぎ回っている者たちがいると聞いています。そのような者たちには、私たちの主イエス・キリストによって戒め、説得し、静かに働いて、自分のパンを食べるようにと命じます。 兄弟たちよ、善を行うことに倦んではなりません。もし、この手紙にある私たちの言葉に従わない者がいれば、その者を注意深く見守り、彼を恥じ入らせるために、彼と交わらないようにしてください。しかし、その者を敵と見なすのではなく、兄弟として諭してください。平和の主ご自身が、常に、あらゆる事において、あなたがたに平和をお与えになりますように。主があなたがたすべてと共におられますように! 私の手、すなわちパウロの手による挨拶を記します。これはすべての手紙における私の印です。私はこう記します。「私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたすべての上にありますように。」アーメン。
テサロニケの信徒への手紙第二 3:6–18
第25週の金曜日
神、私たちの救い主、および主イエス・キリスト、私たちの希望の御命令により、イエス・キリストの使徒パウロから、信仰における真の子ティモテオへ。私たちの父なる神と、私たちの主イエス・キリストから、恵みと憐れみと平安がありますように。 私がマケドニアへ旅立つ際、あなたにエフェソにとどまり、ある人々に、別の教えを説いたり、神の信仰における建て上げよりも論争ばかりを生む、たわごとや果てしない系図にふけったりしないよう、戒めるよう頼みました。 しかし、戒めの目的は、清い心と良き良心と偽りのない信仰から生じる愛にある。そこから逸脱して、ある者たちは空虚な言葉に走ってしまった。彼らは律法の教師になりたいと願っているが、自分が何について語っているのか、何を主張しているのかも理解していないのである。
テモテへの手紙第一 1:1–7
第26週の月曜日
わが子テモテよ、私たちは、律法が善いものであることを知っています。もし誰かが律法を正しく用いるならば、律法は義人のためではなく、不法な者、不従順な者、不敬虔な者、罪人、放蕩者、汚れた者、父や母を侮る者、殺人者、 淫行者、男色者、人食いの者、(中傷者、獣姦者)、偽り者、誓いを破る者、そして健全な教えに反するあらゆる者のために定められていることを知っています。これは、私に託された、祝福された神の栄光ある福音によるものです。 私に力を与えてくださった、私たちの主キリスト・イエスに感謝します。主は、かつては冒涜者であり、迫害者であり、暴行者であった私を、忠実であると認め、奉仕の務めに任命してくださいました。しかし、私は無知と不信仰のゆえにそのような行いをしたため、憐れみを受けたのです。 そして、私たちの主(イエス・キリスト)の恵みは、キリスト・イエスへの信仰と愛とともに、私の中に豊かに現れました。
テモテへの手紙第一 1:8–14
第26週の火曜日
わが子テモテよ、私に力を与えてくださった、私たちの主キリスト・イエスに感謝します。主は、かつては冒涜者であり、迫害者であり、暴行者であった私を、忠実であると認め、奉仕の務めに任命してくださいました。しかし、私は無知と不信仰のゆえにそのような行いをしたため、憐れみを受けたのです。 しかし、私たちの主(イエス・キリスト)の恵みは、キリスト・イエスへの信仰と愛とともに、私の中に豊かに現れました。「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。その罪人の筆頭が私である」という言葉は、真実であり、あらゆる点で受け入れられるに値するものです。 しかし、私が赦されたのは、イエス・キリストが、私という最初の者を通して、御自身のすべての寛容さを示し、永遠のいのちのために御方を信じる者たちの模範とするためである。永遠の、朽ちることのない、目に見えない、唯一の英知ある神に、世々限りなく、栄光と誉れがあるように。アーメン。
テモテへの手紙第一 1:12–17
10月2日、聖キプリアヌス
わが子テモテよ、「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた。その罪人の筆頭が私である」という言葉は、真実であり、あらゆる点で受け入れられるに値する。しかし、私が憐れみを受けたのは、イエス・キリストが、私という筆頭を通して、永遠のいのちを得るために御自身を信じる者たちの模範として、すべての忍耐を示してくださったためである。 世々限りなく、朽ちることなく、目に見えず、唯一にして至賢き神である王に、世々限りなく、栄光と誉れがありますように。アーメン。
テモテへの手紙第一 1:15–17
第31週
わが子テモテよ、あなたについてなされた預言に従って、私はあなたにこの遺言を授ける。すなわち、信仰と良心を持ち、それらに従って、立派な戦士として戦いなさい。ある者たちはこの良心を捨て去り、信仰において難破してしまった。 イメネウスやアレクサンドロスのような者たちである。私は彼らをサタンに引き渡した。それは、彼らが神を冒涜することをやめるように学ぶためである。それゆえ、私は、あらゆる場所で、怒りや疑いなく、清い手を挙げて、男たちが祈りをささげることを望む。 また、妻たちも、ふさわしい装いで、慎み深く、貞潔を保ち、髪を編んだり、金や真珠、高価な衣服で身を飾るのではなく、敬虔に身を捧げる妻にふさわしい善行をもって身を飾ることを願う。 妻は、あらゆる従順さをもって、黙って学ぶべきである。しかし、妻が夫を教えたり、夫を支配したりすることは許さず、ただ黙って従うべきである。 なぜなら、アダムが先に造られ、その後にエバが造られたからである。また、アダムが惑わされたのではなく、妻が惑わされて罪を犯したのである。しかし、信仰と愛と、聖さと貞潔のうちに留まるならば、彼女は子孫を産むことによって救われる。
テモテへの手紙一 1:18–20; 2:8–15
第26週の水曜日
わが子テモテよ、何よりもまず、すべての人のために、王たちやすべての権威ある者たちのために、祈りと願いと 感謝を捧げることを願う。それは、すべての人が、あらゆる敬虔さと清さをもって、静かで平穏な生活を送れるようにするためである。これは、すべての人が救われ、真理を知るようになることを望んでおられる、私たちの救い主である神にとって、良いことであり、御心に適うことだからである。 神はただひとりであり、神と人との間のとりなし手もただひとり、すなわち、すべての人の贖いのためにご自身をささげられた人、キリスト・イエスです。これこそが、かつて私が宣教者および使徒として任命された理由であり――キリストにあって真実を語り、偽りはない――異邦人の信仰と真理の教師としての証しです。
テモテへの手紙第一 2:1–7
9月1日、新年の日
わが子テモテよ、この言葉は真実である。もしだれかが監督の職を望むなら、それは良いわざを望んでいるのである。 しかし、監督は非難されるところがなく、一人の妻の夫であり、節制し、慎み深く、品行方正で、誠実であり、客を愛し、教えることに長け、酒に溺れず、怒りっぽくなく、口論好きではなく、金銭に執着せず、穏やかで平和を愛し、金銭に執着せず、自分の家をうまく治め、子供たちをあらゆる誠実さをもって従順に育てている者でなければならない。 なぜなら、自分の家庭さえうまく管理できない者が、どうして神の教会を顧みることができるだろうか。高慢になって悪魔と共に裁きを受けることのないよう、新改宗者であってはならない。また、非難や悪魔の罠に陥らないよう、外部の人々からも良い評判を得ていることが求められる。 執事もまた、誠実であり、二枚舌ではなく、酒に溺れず、金銭に執着せず、清い良心をもって信仰の秘跡を守らなければならない。そのような者たちは、まず試練に耐え、その後、非の打ち所がなければ、奉仕に就くことを許されるべきである。同様に、その妻たちもまた、誠実であり、中傷せず、節制があり、あらゆる点において忠実でなければならない。 執事は、一人の妻の夫であり、子供たちと自分の家庭をよく治めている者でなければならない。なぜなら、よく奉仕した者は、キリスト・イエスへの信仰において、より高い位階と大きな大胆さを自らに備えるからである。
テモテへの手紙第一 3:1–13
第26週の木曜日
わが子ティモテイよ、私はまもなくあなたのところへ行くことを願って、この手紙を書いている。もし私が遅れることがあっても、あなたが、生ける神の教会、すなわち真理の柱であり支えである神の家において、どのように振る舞うべきかを知っているようにするためである。 そして、疑いようのないこととして、敬虔の偉大な奥義はこうである。神は肉において現れ、御霊によって義と認められ、御自身を御使いたちに示し、諸国民に宣べ伝えられ、世界中で信仰によって受け入れられ、栄光のうちに昇天された。 しかし、御霊ははっきりと告げておられます。終わりの時には、ある者たちが信仰から離れ、惑わす霊や悪魔の教えに耳を傾けるようになる、と。それは、良心が焼き尽くされた偽善者たちの偽りによるもので、彼らは結婚することを禁じ、神が創造された食物を食べることを禁じ、真理を知り、信仰を持つ者たちが感謝をもってそれを味わうことを妨げているのです。 なぜなら、神の造られたものはすべて良いものであり、感謝をもって受け入れるならば、何一つ非難されることはないからです。それは、神の言葉と祈りによって聖別されるからです。
テモテへの手紙第一 3:14–4:5
主の顕現前の土曜日
わが子テモテよ、神の造られたものはすべて良いものであり、感謝をもって受け入れるならば、何一つ非難されることはない。それは、神の言葉と祈りによって聖別されるからである。このことを兄弟たちに教えれば、あなたはイエス・キリストの良き奉仕者となり、信仰の言葉と、あなたが従ってきた良き教えによって養われることになる。 しかし、無益な話や女々しい伝説は避け、敬虔に励みなさい。なぜなら、肉体の鍛錬にはわずかな益しかないが、敬虔はすべての点で益があり、現世と来世のいのちの約束があるからです。自分自身と教えに深く入り込み、絶えずこれに励みなさい。そうすれば、あなた自身も、またあなたの言葉を聞く者たちも救われるからです。
テモテへの手紙第一 4:4–8, 16
第26週の金曜日
わが子テモテよ、この言葉は真実であり、あらゆる点で受け入れられるに値する。なぜなら、私たちは、すべての人、とりわけ信者たちの救い主である生ける神を信頼しているからこそ、労苦し、侮辱に耐えているのである。これを宣べ伝え、教えなさい。 だれもあなたの若さを軽んじてはならない。むしろ、言葉、生活、愛、霊、信仰、清さにおいて、信徒たちの模範となりなさい。私が来るまで、聖書の朗読、説教、教えに励みなさい。預言によって、聖職の按手とともにあなたに与えられた、あなたの中にある賜物を、軽んじてはならない。 このことに心を配り、このことに専念しなさい。そうすれば、あなたの進歩がすべての人にとって明らかになるでしょう。
テモテへの手紙第一 4:9–15
第32週
わが子テモテよ、年配の者には叱責せず、父のように諭しなさい。年下の者には兄弟のように、年配の女性には母のように、若い女性には姉妹のように、あらゆる清らかさをもって接しなさい。 未亡人を敬いなさい。真の未亡人を。もし、未亡人に子供や孫がいるなら、まず彼らが自分の家族を敬い、両親にふさわしい敬意を払うことを学ばせなさい。それは神に喜ばれることだからです。 真の未亡人であり、独り身の者は、神に望みを置き、昼も夜も祈りと祈願に専念する。しかし、快楽を追い求める者は、生きているうちにすでに死んでいる。これらを彼らに教え込み、彼らが非の打ち所のない者となるようにせよ。もし、自分の身内、とりわけ家族を顧みない者がいるなら、その者は信仰を捨てた者であり、不信仰者よりも悪い。 未亡人は、少なくとも六十歳以上で、一人の夫の妻であった者、善行で知られている者、すなわち、子供を育て、旅人を迎え入れ、聖徒たちの足を洗い、困窮している者を助け、あらゆる善行に熱心であった者でなければならない。
テモテへの手紙第一 5:1–10
第27週の月曜日
わが子テモテよ、若い未亡人を受け入れてはならない。彼女たちは、キリストに背く贅沢にふけり、再婚を望んでいるからである。 彼女たちは、かつての信仰を捨てたゆえに非難に値する。さらに、暇を持て余しているため、家々を回ってうろつく習慣がつき、ただ暇なだけでなく、おしゃべりで好奇心が強く、言うべきでないことを口にしてしまう。 それゆえ、私は若い未亡人たちが再婚し、子を産み、家事を営み、敵に悪口を言う口実を与えないことを望む。なぜなら、すでに何人かはサタンの誘惑に惑わされているからである。もし信徒の男女が未亡人を養っているなら、彼らを十分に養い、教会に負担をかけないようにすべきである。そうしてこそ、教会は真の未亡人たちを養うことができるのである。 指導的な長老たちには、ふさわしい敬意を払わなければならない。とりわけ、御言葉と教えに励んでいる者たちにはなおさらである。聖書はこう言っている。「脱穀する牛の口をふさぐな」と。「労する者は、その報いを受けるにふさわしい」とも。長老に対する告発は、二、三人の証人がいる場合を除いて、受け入れてはならない。 罪を犯す者については、他の者たちも恐れを抱くように、皆の前で戒めなさい。神と主イエス・キリスト、そして選ばれた御使いたちの前で、偏見を持たず、私情に流されることなく、このことを守り抜くよう、あなたに強く命じる。
テモテへの手紙第一 5:11–21
第27週の火曜日
わが子テモテよ、誰に対しても軽率に手を置いてはならない。また、他人の罪に加担してはならない。自分自身を清く保ちなさい。これからは、水ばかりを飲むのではなく、胃の調子と頻繁な病気のためにも、少しのぶどう酒を摂るようにしなさい。ある人々の罪は明らかであり、そのまま裁きへとつながるが、ある人々の罪は後になって明らかになる。 同様に、善行も明らかであり、たとえそうでなくとも、隠れることはできない。くびきの下にある奴隷たちは、神の御名と教えに冒涜が及ばぬよう、主人をあらゆる栄誉に値する者として敬わなければならない。 主人が信仰者である者は、彼らが兄弟であるからといって、彼らを軽んじてはならない。むしろ、彼らが信仰者であり、愛され、恩恵を施してくれる者であるからこそ、なお一層彼らに仕えなければならない。このことを教え、戒めよ。 もし、これとは異なることを教え、私たちの主イエス・キリストの健全な言葉や敬虔に関する教えに従わない者がいるなら、その者は高慢であり、何も知らず、ただ論争や言葉の争いへの情熱に駆られているに過ぎない。そこから、嫉妬、争い、悪口、悪意ある疑念が生じるのである。 これらは、真理から遠く離れ、敬虔が利益を得るためのものだと考えている、正気を失った者たちによる空しい論争である。そのような者たちからは遠ざかりなさい。敬虔であり、満足していることこそ、大きな得である。なぜなら、私たちはこの世に何も持ってこなかったのだから、明らかに、この世から何も持ち出すことはできない。食べ物と衣服があれば、それだけで満足しよう。 しかし、富を得ようとする者は、誘惑や罠、そして多くの無分別で有害な欲望に陥り、それらは人々を災いと破滅へと突き落とす。あらゆる悪の根源は金銭への愛であり、これに身を委ねた者の中には、信仰から逸れ、自ら多くの苦難を招いた者もいる。 しかし、神の人よ、あなたはこれらを避けなさい。
1テモテ 5:22–6:11a
第27週の水曜日
わが子テモテよ、真理、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和において成長しなさい。信仰の善き戦いを戦い、あなたが召された永遠のいのちを堅く保ちなさい。あなたは多くの証人の前で、善き告白をしたのです。 すべての生けるものを生かす神と、ポンティオ・ピラトの前で良き告白を証しされたキリスト・イエスの御前で、私はあなたに、私たちの主イエス・キリストが現れるその日まで、清く、非難の余地なく戒めを守るよう命じます。その現れは、やがて、王たちの王であり、主たちの主である、唯一の、強き、祝福された御方が、 唯一の不死を備え、近づきがたい光の中に住まわれ、人のうちだれも見たことがなく、また見ることもできない方です。その方に、永遠の栄光と権威がありますように!アーメン。
テモテへの手紙第一 6:11b–16
キリスト降誕後の土曜日
わが子テモテよ、この世で富める者たちに、高ぶることなく、不確かな富に頼るのではなく、私たちに楽しみを豊かに与えてくださる生ける神に信頼するよう、勧めてください。 彼らが善行を行い、善い行いによって富み、寛大で人懐っこくあり、未来のための堅固な土台となる宝を蓄え、永遠の命に至るよう。 ああ、テモテよ、あなたに託されたものを守りなさい。無益な空論や、偽りの知識による論争を避けなさい。その偽りの知識に身を委ねたために、ある人々は信仰から逸れてしまったのです。恵みがあなたと共にありますように。アーメン。
テモテへの手紙第一 6:17–21
第27週の木曜日
神の御心により、イエス・キリストの使徒であるパウロは、キリスト・イエスにあるいのちの約束に従い、愛する子テモテに、父なる神と、私たちの主イエス・キリストからの恵み、憐れみ、平安があるように。 私たちの主イエス・キリストの証しを、また、その囚人である私を、恥じてはならない。むしろ、私たちを救い、聖なる召しによって招いてくださった神の力によって、キリストの福音を宣べ伝えるために苦難に耐えなさい。それは、私たちの行いによるのではなく、神の御心と恵みによるものであり、 それは、世の初めより前からキリスト・イエスにあって私たちに与えられ、今や、死を打ち破り、福音によっていのちと朽ちることなきものを現わされた、私たちの救い主イエス・キリストの現れによって明らかにされたものです。私は、その福音のために、異邦人の宣教者、使徒、教師として任命されました。 それゆえ、私はこのように苦しんでいるが、恥じることはない。私は、誰を信じたかを知っており、その方が、あの日のために私の預け物を堅く守ってくださることを確信しているからである。あなたが私から聞いた健全な教えの模範を、キリスト・イエスへの信仰と愛をもって守り続けなさい。私たちの中に住まわれる聖霊によって、その良き預け物を守り通してください。 あなたは、アジアの者たちが皆、私を見捨てたことを知っている。その中にはフィゲロスやエルモゲネスも含まれている。オニシフォロの家に、主が恵みをお与えになりますように。彼は何度も私を慰めてくれ、私の束縛を恥じることなく、ローマにいたとき、熱心に私を探し出し、見つけ出してくれたからだ。 主が、その日、彼が主の御前に恵みを得られるようお与えになりますように。彼がエフェソでどれほど私に奉仕してくれたか、あなたはよくご存じでしょう。
テモテへの手紙第二 1:1–2, 8–18
第27週の金曜日
わが子テモテよ、私は、先祖の代から清い良心をもって仕えている神に感謝する。私は昼も夜も、祈りの中で絶えずあなたのことを思い起こし、 また、あなたの涙を思い起こしながら、あなたに会いたいと願っている。それは、かつてあなたの祖母ロイデと母エウニケの中にあった、偽りのないあなたの信仰を思い起こし、喜びに満たされるためである。その信仰があなたの中にもあると確信している。 それゆえ、私の按手によってあなたの中に与えられた神の賜物を温め続けるよう、あなたに思い出させます。神は私たちに、恐れではなく、力と愛と節制の御霊を与えてくださったからです。 ですから、私たちの主イエス・キリストの証しを恥じてはなりません。また、その囚人である私をも恥じてはなりません。むしろ、私たちを救い、聖なる召しによって招いてくださった神の力によって、キリストの福音を宣べ伝えるために共に苦しんでください。それは、私たちの行いによるのではなく、神の御心と、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた恵みによるのです。
テモテへの手紙第二 1:3–9a
1月22日、聖使徒テモテ
わが子テモテよ、私たちの主イエス・キリストの証しを恥じてはならない。また、その囚人である私をも恥じてはならない。むしろ、私たちを救い、聖なる召しによって招いてくださった神の力によって、キリストの福音を宣べ伝えるために苦難に耐えなさい。それは、私たちの行いによるのではなく、神の御心と、 この恵みは、世の初めより前からキリスト・イエスにあって私たちに与えられ、今や、死を打ち破り、福音によって命と朽ちることなきものを現わされた、私たちの救い主イエス・キリストの現れによって明らかにされた。私は、その福音のために、異邦人の宣教者、使徒、教師として任命されたのである。 それゆえ、私はこのように苦しんでいるが、恥じることはない。私は、誰を信じたかを知っており、その方が、あの日のために私の預け物を堅く守ってくださることを確信しているからである。あなたが私から聞いた健全な教えの模範を、キリスト・イエスへの信仰と愛をもって守り続けなさい。私たちの中に住まわれる聖霊によって、その良き預け物を守り通してください。 あなたは、アジアの者たちが皆、私を見捨てたことを知っている。その中にはフィゲロスやエルモゲネスも含まれている。主がオニシフォロの家に恵みをお与えになりますように。彼は何度も私を慰めてくれ、私の束縛を恥じることなく、ローマにいたとき、熱心に私を探し出し、見つけ出してくれたからだ。 主が、その日、彼が主の御前に恵みを得られるよう、彼に与えてくださいますように。彼がエフェソでどれほど私に奉仕してくれたか、あなたはよくご存知でしょう。
テモテへの手紙第二 1:8–18
11月28日、聖ステファノ・ノヴォ。
聖殉教者たち。
殉教者たち
わが子テモテよ、わが子よ、キリスト・イエスの恵みによって強められなさい。また、多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人々を教えることのできる忠実な人々に伝えなさい。それゆえ、イエス・キリストの立派な戦士として、苦難に耐え忍びなさい。 いかなる戦士も、軍司令官に気に入られようとして、世俗の事に心を奪われることはない。また、たとえ誰かが戦っても、不正な方法で戦うならば、冠を受けることはない。農作業に励む者は、真っ先にその実を味わうべきである。私の言っていることをよく理解してほしい。主が、あらゆる事においてあなたに悟りを与えてくださいますように。 ダビデの子孫である主イエス・キリストを覚えていてください。主は、私の福音を宣べ伝えることによって、死者の中からよみがえられました。その福音のために、私は悪人のように、さらには鎖につながれるほどの苦しみを受けています。しかし、神の言葉には鎖などありません。それゆえ、私は選ばれた人々のために、あらゆることを耐え忍んでいます。彼らもまた、キリスト・イエスにあって、永遠の栄光とともに救いを得ることができるためです。
テモテへの手紙第二 2:1–10
殉教者たちへ
わが子テモテよ、この言葉は真実である。もし私たちが彼と共に死んだなら、彼と共に生き返る。もし耐え忍ぶなら、彼と共に支配する。もし私たちが彼を否むなら、彼もまた私たちを否む。もし私たちが不忠実であっても、彼は忠実であり続ける。なぜなら、彼はご自身を否むことはできないからである。 このことを思い起こし、主の前で誓って、何の益にもならず、聞く者の心を乱すだけの論争には加わらないようにしなさい。 神の御前にふさわしい者となり、非難の余地のない働き手となり、真理の言葉を忠実に教える者となるよう努めなさい。そして、無益な空論からは遠ざかりなさい。彼らは不義においてますます勢いを増し、その言葉はがんのように広がっていくからです。 イメネウスやフィリトのような者たちがまさにそうである。彼らは、「復活はすでに起こった」と言って真理から離れ、ある人々の信仰を揺るがしている。しかし、神の堅固な土台は立っており、そこには「主は御自分の民を知っておられる」という刻印があり、「主の御名を告白する者は皆、不義から離れよ」とある。
テモテへの手紙第二 2:11–19
第33週の土曜日
わが子テモテよ、大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もある。あるものは尊い用途に、またあるものは卑しい用途に使われる。それゆえ、これらから清い者となる者は、尊ばれる器となり、主のために聖別され、有益な者となり、あらゆる善い業にふさわしい者となるのである。 若者の情欲からは逃げ、真理と信仰と愛と、清い心から主を呼び求めるすべての人々との平和を保ちなさい。愚かで無知な論争からは遠ざかりなさい。それらが争いを生むことを知っていなさい。 主のしもべは、争うべきではなく、すべての人に対して親切で、教えることに長け、悪意を持たず、柔和さをもって反対者を戒め、神が彼らに真理を知るための悔い改めを与えてくださるなら、彼らが悪魔の網から解放されるようにすべきである。悪魔は彼らを自分の意のままに捕らえているのだ。
テモテへの手紙第二 2:20–26
第28週の月曜日
わが子テモテよ、終わりの日には困難な時が来ることを知っておきなさい。なぜなら、人々は自己中心的で、金銭を愛し、高慢で、傲慢で、悪口を言い、両親に逆らい、恩知らずで、不敬虔で、不親切で、和解を拒み、 中傷し、自制心がなく、残酷で、善を愛さず、裏切り者であり、厚かましく、うぬぼれ屋で、神を愛するよりも快楽を愛し、敬虔なふりをしながら、その実、敬虔の力を捨て去っている者たちである。そのような者たちからは遠ざかりなさい。 これらには、家々に忍び込み、罪に溺れ、様々な情欲に駆られ、常に学び続けていながら、決して真理を知るに至ることのない女性たちを惑わす者たちが含まれる。 ヤニオスやヤムブリオスがモーセに反抗したように、これらの人々もまた真理に反抗する。彼らは知性が堕落し、信仰において無知な者たちである。しかし、彼らは長くは続かない。なぜなら、彼らの狂気は、かつてあの人々に起こったように、すべての人の前で露見するからである。
テモテへの手紙第二 3:1–9
第34週の土曜日
わが子テモテよ、あなたは、教え、生活、態度、信仰、寛大さ、愛、忍耐、そしてアンティオキア、イコニア、リストラで私が経験した迫害や苦難において、私に従ってきた。私はそれらの迫害に耐え抜き、主はそれらすべてから私を救い出してくださった。 また、キリスト・イエスにあって敬虔に生きたいと願う者は皆、迫害を受けることになる。しかし、悪人や欺きを行う者たちは、人を惑わし、自らも惑わされながら、悪においてますます勢いを増していくであろう。 しかし、あなたは、誰から教えを受けたかを知っているのだから、教えられたこと、またあなたに託されたことに留まりなさい。また、あなたは幼い頃から聖書を知っており、それによって、キリスト・イエスへの信仰による救いへと導かれるのです。
テモテへの手紙第二 3:10–15
第33週、徴税人とパリサイ人について
わが子テモテよ、聖書はすべて、神の霊感によるものであり、教え、戒め、矯正、義への訓練のために有益である。それは、神の人が、あらゆる良い行いに備えられ、完全となるためである。 それゆえ、生ける者と死んだ者とを、その現れと御国において裁かれる神、また私たちの主イエス・キリストの御前で、あなたに厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。時がよい時も悪い時も、戒め、禁じ、励ましなさい。あらゆる忍耐と教訓をもって。 なぜなら、健全な教えを受け入れず、自分の好みに合わせて、耳に心地よいことを語る教師たちを選び、真理から耳を背け、神話に走ろうとする時が来るからです。
テモテへの手紙第二 3:16–4:4
第28週の火曜日
わが子テモテよ、すべてのことにおいて警戒し、苦難に耐え、伝道者の務めを果たし、あなたの奉仕を全うしなさい。私はすでに犠牲となりつつあり、私の去る時が来たからである。 私は善き戦いを戦い抜き、走り終え、信仰を守り通した。今や、その日、義なる審判者である主が、私に義の冠を授けてくださる。それは私だけでなく、主の現れを愛するすべての人にも与えられるのである。
テモテへの手紙第二 4:5–8
主の顕現前の週
わが子テモテよ、できるだけ早く私のところへ来てほしい。ディマスはこの世を愛して私を去り、テサロニケへ行った。クリスケントはガラテヤへ、テトスはダルマティアへ行った。私と一緒にいるのはルカただ一人である。マルコを連れてきてほしい。彼は私の奉仕に必要だからだ。 ティキカをエフェソへ遣わした。あなたが行く際には、私がトロアデのカルパのところに置いてきたフェロンと、特に革装丁の書物を持ってきてほしい。銅細工師アレクサンドロスは、私に多くの害を及ぼした。主が彼の行いに応じて報いてくださるよう願う。 あなたも彼に気をつけなさい。彼は私たちの言葉に激しく反対したからです。私が最初に答えたとき、私と一緒にいた者は誰もおらず、皆が私を見捨ててしまいました。しかし、それが彼らに罪として数えられないように!主は私の前に現れ、私を強めてくださいました。それは、私を通して福音が確固たるものとなり、すべての異邦人がそれを聞くためであり、私は獅子の口から救い出されたのです。 主は、あらゆる悪事から私を救い出し、御自身の天の御国へと守ってくださいます。主には、世々限りなく栄光がありますように。アーメン。プリスキラとアキラ、そしてオニシフォロスの家族に挨拶を伝えてください。エラストはコリントに残りました。トロフィモは病気のため、ミリテに置いてきました。冬になる前に、ぜひ来てくれるようにしてください。 エウブル、プード、リン、クラウディア、そしてすべての兄弟たちがあなたに挨拶を送っています。主イエス・キリストがあなたの霊と共におられますように。恵みがあなたがたと共にありますように。アーメン。
テモテへの手紙第二 4:9–22
第28週の水曜日
神のしもべパウロ、 またイエス・キリストの使徒である。神に選ばれた者たちの信仰と、敬虔に関わる真理の認識に基づき、言葉に変わることのない神が世の初め以前から約束され、やがて私たちの救い主である神の御命令により、私に託された宣教を通して明らかにされた、永遠のいのちへの希望をもって、 ――同じ信仰を持つ真の子であるテトスへ。父なる神と、私たちの救い主である主イエス・キリストから、恵みと憐れみと平安がありますように。これを語り、勧め、あらゆる権威をもって戒めなさい。だれもあなたを軽んじないように。 彼らに、支配者や権威者たちに従い、服従し、あらゆる善い行いに備え、誰に対しても悪口を言わず、口論を好まず、穏やかであり、すべての人に対してあらゆる柔和さを示すよう、思い出させなさい。 というのも、私たちもかつては、無知で、不従順で、迷い、情欲やさまざまな快楽の奴隷であり、悪意と嫉妬に満ち、卑劣で、互いに憎み合っていたからです。 アルテマスかティキコをあなたのところへ送ったら、急いでニコポリスの私のところへ来てください。私はそこで冬を過ごすことにしたからです。律法学者ジナスとアポロについては、彼らに何一つ不足がないように手配してください。私と一緒にいる者たちが皆、あなたに挨拶を送っています。信仰において私たちを愛してくださる方々に挨拶を伝えてください。あなたがたすべてに恵みがありますように。アーメン。
テトス 1:1–4; 2:15–3:3; 3:12–13, 15
8月25日、聖使徒ティトの記念日
わが子テトスよ、私があなたをクレタに残したのは、未完の務めを成し遂げ、私が命じたように、すべての町に長老たちを任命させるためである。すなわち、清く、一人の妻の夫であり、信仰深い子供たちを持ち、放蕩や不従順の非難を受けていない者でなければならない。 なぜなら、監督は、神の家の管理者として、清く、傲慢でなく、怒りやすくなく、酒に溺れず、好戦的ではなく、金銭に執着せず、むしろ客を愛し、善を愛し、節制し、 公正で、敬虔で、自制心が強く、教えにかなった真の御言葉に忠実であってこそ、健全な教えを力強く説き、反対する者を戒めることができるのである。 なぜなら、特に割礼を受けた者たちの中には、不従順な者、空論家、欺き者が多く、彼らの口を封じなければならないからである。彼らは恥ずべき利益のために、あってはならないことを教え、家々を堕落させている。彼ら自身について、ある詩人はこう言っている。「クレタ人は常に嘘つきであり、凶暴な獣であり、怠惰な者たちである」。 この証言は正しい。それゆえ、彼らが信仰において健全であり、ユダヤ人の作り話や、真理から背を向ける人々の定めを聞き入れないように、彼らを厳しく戒めなさい。 清い者にとっては、すべてのものが清い。しかし、汚れた者や不信仰な者にとっては、清いものは何一つなく、彼らの心も良心も汚れている。彼らは神を知っていると言いながら、その行いでは神を否定しており、卑劣で不従順であり、いかなる善行も行うことができない。あなたは、健全な教えにかなうことを語れ。
テトス 1:5–2:1
第28週の木曜日
わが子テトスよ、清い者にとっては、すべてのものが清い。しかし、汚れた者や不信仰な者にとっては、清いものは何一つなく、彼らの心も良心も汚れている。彼らは神を知っていると言いながら、その行いでは神を否定しており、忌まわしく、不従順で、いかなる善行にも適さない者たちである。 あなたは、健全な教えにかなうことを語りなさい。すなわち、年配の男性は、自制心を持ち、品位を保ち、節制し、信仰と愛と忍耐において健全であるように。また、年配の女性も、聖徒にふさわしい身なりをし、中傷をせず、酒に溺れず、善を教えるように。 若い女性たちには、夫を愛し、子供を愛し、貞潔で、清く、家庭を大切にし、親切で、夫に従順であるよう諭し、神の言葉が非難されないようにせよ。 若者たちに対しても、貞潔であるよう勧めなさい。あらゆる点において、善行の模範を示し、教えにおいては、清らかさ、品位、健全さ、健全で非難の余地のない言葉をもって、敵対者が私たちについて悪口を言う余地がなく、恥をかくようにしなさい。 また、奴隷たちには、主人に従い、あらゆる点で彼らに喜ばれ、口答えせず、盗みをせず、あらゆる点で忠実であるよう勧めるがよい。そうすれば、彼らはあらゆる点で、私たちの救い主である神の教えの誉れとなるであろう。
テトス 1:15–2:10
第28週の金曜日
わが子テトスよ、すべての人を救う神の恵みが現れました。それは、私たちが不義と世の欲望を捨て、慎み深く、 正しく、敬虔にこの世を生き、祝福された希望と、偉大なる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むようにと、私たちに教えてくださいます。キリストは、私たちをあらゆる不法から救い出し、善行に熱心な、ご自身に属する特別な民を清めるために、ご自身を私たちのために捧げられました。 さて、私たちの救い主である神の恵みと人への愛が現れたとき、 主は、私たちが成し遂げた義の行いによるのではなく、ご自身の憐れみによって、聖霊による再生と更新の洗礼によって、私たちを救ってくださいました。聖霊は、私たちの救い主イエス・キリストを通して、私たちに豊かに注がれたのです。それは、私たちが主の恵みによって義と認められ、希望によって永遠のいのちの相続人となるためです。
テトス 2:11–14; 3:4–7
1月6日、主の洗礼
わが子テトスよ、この言葉は真実である。私は、あなたがこれを確証し、神を信じる者たちが善行に励むよう願っている。それは人にとって善であり、有益なことである。しかし、愚かな論争や系図、律法をめぐる論争や争いからは遠ざかりなさい。それらは無益で、空しいからである。 異端者については、一度、二度と戒めた後、そのような者は道を踏み外し、罪を犯し、自らを裁いていることを知って、遠ざかりなさい。私がアルテモスかティキコをあなたのところへ送ったら、急いでニコポリスの私のところへ来なさい。私はそこで冬を過ごすことにしたからである。 律法学者ジヌスとアポロについては、彼らに何一つ不足がないよう手配してください。私たちの者たちも、善行に励み、必要な必要を満たすことを学び、実を結ばない者とならないようにしてください。私と共にいる者たちが皆、あなたに挨拶を送ります。信仰において私たちを愛する者たちに挨拶を伝えてください。あなたがたすべてに恵みがありますように。アーメン。
テトス 3:8–15
第5回全地公会議の聖なる教父たち
イエス・キリストの囚人であるパウロと、兄弟テモテから、愛するフィリモン、すなわち私たちの協力者、また愛するアプフィア(姉妹)、そして私たちの同志アルキッポ、さらにあなたの家の教会のみなさんへ。私たちの父なる神と主イエス・キリストから、あなたがたに恵みと平安がありますように。 私は、私の神に感謝します。主イエスとすべての聖徒たちに対するあなたの愛と信仰について聞くたびに、私の祈りの中でいつもあなたを覚えております。それは、あなたの信仰の交わりが、キリスト・イエスにあるあらゆる善をあなたがたが知る上で実りあるものとなるためです。 なぜなら、私たちはあなたの愛の中に大きな喜びと慰めを得ているからです。兄弟よ、あなたによって聖徒たちの心は安らぎを得ているのです。それゆえ、キリストにあって大胆にあなたに命じるべきことを命じる立場にある私ですが、愛をもって、むしろ懇願します。他ならぬ私、年老いたパウロ、今やイエス・キリストの囚人である私が、 私の息子オニシモについて、あなたにお願いします。彼は私がこの束縛の中で生み出した者です。かつてはあなたにとって役に立たない者でしたが、今はあなたにとっても私にとっても有益な者となっています。私は彼をあなたのもとへ送り返します。どうか、私の心そのものとして彼を受け入れてください。 私は彼を自分のそばに留めておき、福音宣教のために、あなたの代わりに私が囚われの身である間、私に奉仕させたいと思っていました。しかし、あなたの同意なしには何もしたくありませんでした。あなたの善行が、強制されたものではなく、自発的なものであるようにするためです。 なぜなら、彼がしばらくの間離れていたのは、あなたが彼を永遠に受け入れるためだったのかもしれない。もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の存在として、すなわち、特に私にとって、そしてなおさらあなたにとって、肉においても主においても、愛する兄弟として受け入れるためである。それゆえ、もしあなたが私と交わりを持っているなら、私を受け入れるように彼を受け入れてほしい。もし彼があなたに何か不義を働いた、あるいは働くべきであるなら、その責任は私に負わせてほしい。 私、パウロは、自分の手でこう書き記しました。「私が支払う」。あなたが私に対して負っているものについては、あえて言及しません。ですから、兄弟よ、主において私を助けてください。主において私の心を安らかにしてください。あなたの従順を信頼して、私はあなたに手紙を書きました。あなたが、私が言う以上のことをしてくださると知っているからです。 また、私のために宿を用意しておいてください。あなたがたの祈りによって、私があなたがたのもとに遣わされることを望んでいるからです。キリスト・イエスのために私と共に囚人となっているエパフラス、マルコ、アリスタルコス、ディマス、ルカ、私の協力者たちが、あなたに挨拶を送ります。私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。アーメン。
フィレモン 1:1–25
11月22日、聖使徒フィリモン
神は、古くから預言者たちを通して先祖たちに幾度も、また様々な形で語ってこられましたが、この終わりの日には、御子を通して私たちに語られました。神はこの御子を万物の相続人と定め、また、この御子によって世々を創造されたのです。 この御子は、神の栄光の輝きであり、神の本質の像であり、御言葉によってすべてのものを支えておられます。御自身によって私たちの罪の清めを成し遂げ、高きところにある偉大なる御座の右の座に着かれました。御子は、御名が御使いたちよりもはるかに栄光に満ちているのと同じだけ、御使いたちよりもはるかに優れておられます。 なぜなら、神はいつ、どの天使に対しても、「あなたはわが子、今、わたしはあなたを産んだ」と言われたことがあろうか。また、「わたしは彼にとって父となり、彼はわたしにとって子となる」と言われたことがあろうか。同様に、長子を宇宙に導き入れる際、こう言われる。「すべての神の天使たちは、彼にひれ伏せ。」天使たちについてはこう言われている。 「あなたは御自分の御使いたちを霊とし、御自分のしもべたちを燃えさかる火として造られる。」また、御子についてはこう言われている。「神よ、あなたの御座は世々限りなく。あなたの王国の杖は、正義の杖である。あなたは正義を愛し、不義を憎まれた。それゆえ、神よ、 喜びの油を、御自分の仲間に比べてより多く注がれたのです。また、「主よ、あなたは初めに地を築き、天は御手のわざです。それらは滅びますが、あなたは永遠にいます。すべては衣のように朽ち果て、あなたはそれらを衣のように巻き上げ、それらは変わり果てますが、あなたは変わらず、あなたの年は尽きることがありません。」
ヘブライ人への手紙 1:1–12
大斎の第1週の土曜日。
キリスト降誕の前夜
初めに、主よ、あなたは地を造り、天はあなたの手の業です。それらは滅びますが、あなたは永遠に存在されます。すべてのものは、衣のように朽ち果て、あなたはそれらを衣のように巻き上げ、それらは変わり果てますが、あなたは変わることなく、あなたの年月は尽きることがありません。 神はいつ、どの天使に対して、「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足の下に置くまで」と言われたことがあろうか。彼らは皆、救いを相続すべき者たちに仕えるために遣わされた奉仕の霊ではないのか。それゆえ、私たちは、信仰から離れないように、聞いたことに特に注意を払わなければならない。 なぜなら、もし天使たちを通して告げられた御言葉が確固たるものであり、あらゆる罪や不従順が正当な報いを受けたのであれば、初めには主によって宣べ伝えられ、主から直接聞いた私たちの中に確固として確立された、これほど偉大な救いを軽んじてしまったら、私たちはどうして逃れられるでしょうか。
ヘブライ人への手紙 1:10–2:3
四旬節第2週
兄弟たちよ、もし天使たちを通して告げられた御言葉が確固たるものであり、あらゆる罪や不従順が正当な報いを受けたのであれば、主によって最初に宣べ伝えられ、 私たちの中に、神からのしるしや奇跡、さまざまな力、そして御心による聖霊の賜物によって証しされ、確かなものとなった、このほど大きな救いを軽んじてしまったなら、どうして私たちは逃れられるでしょうか。なぜなら、神は、私たちが語っているこの来るべき世界を、天使たちに服従させられたのではありません。 それどころか、ある人がどこかでこう証言しています。「人は何者なのか、あなたがなぜ彼を心に留められるのか。あるいは、人の子は何者なのか、あなたがなぜ彼を顧みられるのか。あなたは彼を御使いたちの前でわずかに低くされ、栄光と誉れを彼に授け、御手の業を彼に委ね、すべてのものを彼の足の下に服従させられた。」 神が彼にすべてを服従させたとき、彼に服従させなかったものは何一つ残されなかった。しかし、今はまだ、すべてが彼に服従しているのを見ることはできない。ただ、死を耐え忍んだことにより、栄光と誉れを冠されたイエスを見る。イエスは、神の恵みによって、すべての人のために死を味わうために、御使いたちの前でわずかに卑しめられたのである。 なぜなら、万物の源であり、万物を支える方、すなわち多くの子らを栄光へと導く方が、彼らの救いの先駆者を、苦難を通して完成させなければならなかったからである。
ヘブライ人への手紙 2:2–10
11月8日、大天使たち
兄弟たちよ、聖別する者も聖別される者も、すべては唯一の御方から出ている。それゆえ、主は彼らを兄弟と呼ぶことを恥じず、こう言われている。「わたしはあなたの御名をわたしの兄弟たちに告げ、会衆の中であなたを賛美します。」また、 『わたしは彼に望みを置く。』また、こうも言われています。「見よ、わたしと、神がわたしに与えてくださった子供たち。」子供たちは肉と血に属しているから、彼もまたそれらを受け入れ、死によって、死の権威を持つ者、すなわち悪魔の力を無力化し、死の恐怖のために生涯を通じて奴隷とされていた人々を解放するためでした。 なぜなら、主は御自身、御使いたちを受け入れられたのではなく、アブラハムの子孫を受け入れられたからである。それゆえ、主は、民の罪を贖うために、神の御前で憐れみ深く、忠実な大祭司となるべく、あらゆる点において兄弟たちと同じようにならなければならなかった。主ご自身が試みに遭って苦しまれたからこそ、試みを受けている者たちを助けることができるのである。
ヘブライ人への手紙 2:11–18
12月26日、聖母マリアの祝日。
3月25日、聖母マリアの受胎告知。
聖金曜日、第6時。
小聖水式
聖なる兄弟たちよ、天の召しにあずかる者たちよ、私たちの信仰の使徒であり大祭司であるイエス・キリストを、よく理解してください。キリストは、モーセが神の家のすべてにおいてそうであったように、ご自身を任命された方に忠実であられます。 なぜなら、家を建てた者が、その家と比べてもっとも大きな栄誉を受けるのと同様に、主はモーセよりもはるかに大きな栄光に値するからです。すべての家は誰かによって建てられますが、すべてを造られた方は神です。
ヘブライ人への手紙 3:1–4
神殿の奉献について
兄弟たちよ、モーセは、宣べ伝えるべきことを証しするために、しもべとして、その家を築かれた方の御前において、すべての点で忠実でした。しかし、キリストは、御子の立場として、その御家におられます。その御家とは、私たちのことですが、それは、私たちが誇りとするこの大胆さと希望を、最後までしっかりと保ち続けるならば、ということです。 なぜなら、聖霊が言われているように、今、あなたがたが御声を聞くとき、荒野での試練の日に、あなたがたの先祖たちがわたしを誘惑し、わたしを試み、四十年間わたしの業を見ていたあの時のように、不平を言った時のように、心を頑なにしてはならないからです。 それゆえ、わたしはあの世代に憤り、『彼らは絶えず心で迷い、わたしの道を知らなかった』と言った。それゆえ、わたしは怒りの中で誓った。『彼らはわたしの安息に入らない』と。では、主は四十年間、誰に対して憤られたのか。 罪を犯した者たち、すなわち荒野でその骸が倒れた者たちに対してではなかったか。では、誰が御自分の安息に入れないと誓われたのか。それは、不従順な者たちに対して以外、誰に対してだろうか。こうして、彼らが不信仰のゆえに安息に入ることができなかったことが分かる。
ヘブライ人への手紙 3:5–11; 17–19
第29週の月曜日
兄弟たちよ、あなたがたのうち、だれにも、悪意に満ちた不誠実な心がないように気をつけなさい。そうすれば、あなたがたは生ける神から離れることがないでしょう。しかし、「今」と言える限り、互いに毎日励まし合いなさい。そうすれば、あなたがたのうちだれも、罪に惑わされて心が頑なになることがないでしょう。 なぜなら、私たちがキリストの共同相続人となったのは、ただ、始めたこのいのちを最後までしっかりと守り抜くならば、すなわち、「今、その声を聞いたとき、不平を言ったときのように、あなたがたの心を頑なにしてはならない」と言われている間だけだからです。なぜなら、聞いた者の中には不平を言った者もいたからです。しかし、モーセと共にエジプトを出た者すべてがそうだったわけではありません。
ヘブライ人への手紙 3:12–16
四旬節第2週の土曜日
兄弟たちよ、神の安息に入るという約束がまだ残っている間に、あなたがたのうちだれも、遅れてしまうことのないよう気をつけましょう。というのも、その約束は、彼らと同様に私たちにも告げられたからです。しかし、聞いた者たちの信仰によってその言葉が実を結ばなかったため、彼らには何の益ももたらされませんでした。しかし、私たち信じる者は、その安息に入ることができます。なぜなら、主はこう言われたからです。 『わたしは怒りをもって誓った。彼らはわたしの安息に入らない』と。しかし、神の御業は世界の初めにはすでに成し遂げられていたのです。なぜなら、第七の日についてこう記されている箇所はどこにもないからです。「神は第七の日、すべての御業を終えて休まれた」。そしてここには、「彼らはわたしの安息に入らない」とあります。 さて、ある者たちはまだその安息に入るべきであり、かつてそのことを告げられた者たちは不従順のゆえにそこに入らなかった。それゆえ、長い時が経った後、ダビデを通して「今」という特定の日を定めてこう言われている。「今、あなたがたは、その声を聞いたとき、心を頑なにしてはならない」。 もしヨシュアが彼らに安息をもたらしていたなら、その後、別の日について語られることはなかったでしょう。それゆえ、神の民にはまだ安息日が残されています。なぜなら、神の安息に入った者は、神がご自身の業から安息されたように、自らも自分の業から安息するからです。 それゆえ、私たちは、その安息に入るよう努めよう。そうすれば、同じ例に倣って、だれも不従順に陥ることはないだろう。神の言葉は生きていて力があり、両刃の剣よりも鋭い。それは、魂と霊、関節と骨髄を分け隔てるまで深く入り込み、心の思いや意図を裁くのである。 また、神の御目から隠れた被造物は一つもなく、すべてが神の御目の前でさらけ出され、明らかにされている。私たちは神に説明責任を負うのである。
ヘブライ人への手紙 4:1–13
第29週の火曜日
兄弟たちよ、天を通り抜けて行かれた大いなる大祭司、神の御子イエスを持ち合わせている私たちは、私たちの告白を堅く守り続けよう。なぜなら、私たちには、私たちの弱さに共感できないような大祭司ではなく、罪を除いては、私たちと同じようにあらゆる点で試みられた方がおられるからである。 それゆえ、私たちは大胆に恵みの御座に近づき、憐れみを受け、時宜にかなった助けを得るための恵みを得ようではありませんか。 なぜなら、人の中から選ばれたあらゆる大祭司は、人々のために神に仕えるよう任命され、罪のための供え物やいけにえをささげるためであり、無知で迷っている者たちに寛容であることができるからです。彼自身もまた弱さに縛られているからです。それゆえ、彼は民のためだけでなく、自分自身のためにも罪のいけにえをささげなければならないのです。 また、だれも自ら進んでこの栄誉を受けるのではなく、アロンがそうであったように、神に召されて受けるのである。同様に、キリストも、ご自身で大祭司であるという栄光を自ら手に入れたのではなく、「あなたはわたしの子、わたしは今、あなたを産んだ」と彼に言われた方によって与えられたのである。また、別の箇所でも、「あなたはメルキゼデクの位に従って、永遠の祭司である」と述べられている。
ヘブライ人への手紙 4:14–5:6
四旬節第3週
兄弟たちよ、だれも自ら栄誉を受けるのではなく、神に召されて受けるのです。アロンもそうでした。同様に、キリストも、大祭司であるという栄誉を自らに与えたのではなく、「あなたはわたしの子、 今、あなたを産んだ」と言われた方によって与えられたのです。また、別の箇所でもこう言われています。「あなたは、メルキゼデクの位に従って、永遠の祭司である。」キリストは、この世におられた間、大声で叫び、涙を流して、死から救うことのできる方に祈りと嘆願をささげられました。そして、その敬虔さゆえに聞き入れられました。 御子は、御子でありながら、苦難を通して従順を学び、その使命を全うして、御自分に従うすべての人々のために永遠の救いの源となられました。神によってメルキゼデクの位にある大祭司と定められたのです。
ヘブライ人への手紙 5:4–10
聖人たちに
兄弟たちよ、キリストの祭司職については、多くのことを語るべきですが、あなたがたは聞く能力を失ってしまったため、それを解き明かすのは困難です。なぜなら、時を思えば、あなたがたはすでに教師となっているはずなのに、今や再び神の言葉の初歩を教えられなければならないからです。あなたがたには、固い食物ではなく、乳が必要です。 乳を飲む者は皆、真理の御言葉に無知である。それは、彼らがまだ幼子だからである。しかし、固い食物は、善悪を見分ける感覚が習慣によって鍛え上げられた、成熟した者たちにふさわしいものである。 それゆえ、キリストの教えの初歩を離れて、完全さへと急ぎ進みましょう。そして、死んだ行いからの回心や神への信仰、バプテスマ、按手、死者の復活、そして永遠の裁きといった教えを、改めて基礎として築くようなことはやめましょう。 そして、神が許してくださるなら、そうしよう。なぜなら、一度は啓発され、天の賜物を味わい、聖霊の交わりに与り、神の良き御言葉と来たるべき世の力を味わった者たちが、背き去った後、再び悔い改めによって新たにされることはあり得ないからである。彼らは再び自分たちの内で神の御子を十字架につけ、御子をののしっているのだから。 何度も降り注ぐ雨を飲み込み、それを耕す者たちのために有益な穀物を実らせる地は、神から祝福を受ける。しかし、いばらやあざみを生じさせる地は役に立たず、呪いに近く、その結末は焼かれることである。
ヘブライ人への手紙 5:11–6:8
第29週の水曜日
兄弟たちよ、愛するあなたがたについて、私たちは、このように語ってはいるものの、あなたがたが最善の状態にあり、救いを堅く保っていることを願っています。なぜなら、神は不義な方ではなく、あなたがたの行いや、御名のために聖徒たちに仕え、今も仕えているあなたがたの愛の労苦を忘れられるような方ではないからです。 ですから、希望を完全に確信するために、あなたがた一人ひとりが最後まで同じ熱意を保ち、怠けることなく、信仰と忍耐によって約束を受け継ぐ人々に倣うことを願います。
ヘブライ人への手紙 6:9–12
四旬節第4土曜日
兄弟たちよ、神はアブラハムに約束をなさったとき、これ以上高い者によって誓うことができなかったため、ご自身を誓いの対象として、「まことに、祝福してあなたを祝福し、増やしてあなたを増やす」と仰せになりました。こうして、アブラハムは忍耐によって約束されたものを受けました。 人々はより高い存在を証人として誓いを立て、その誓いは確証としてあらゆる論争に決着をつける。それゆえ、神もまた、約束の相続人たちに御自身の御心の不変性をより明確に示そうと、誓いを手段として用いられた。それは、神が嘘をつくことのできない二つの不変の事柄によって、 私たちに確かな慰めが与えられるようにされた。私たちは、魂にとってあたかも安全で堅固な錨のような、また内側、すなわち幕の内へと入り込む希望にすがりついている。イエスは、私たちのために先駆者としてそこに入り、メルキゼデクの位に従って永遠の大祭司となられたのである。
ヘブライ人への手紙 6:13–20
四旬節第4週。
預言者たち
兄弟たちよ、メルキゼデクは、サリムの王であり、至高の神の祭司であり、王たちを打ち破って帰還するアブラハムを出迎え、彼を祝福した者であり、アブラハムは全財産から十分の一を彼に捧げた。第一に、 その名の意味において「義の王」、そして「サリムの王」、すなわち「平和の王」であり、父もなく、母もなく、系図もなく、日の初めも命の終わりもなく、神の御子に似せて、永遠に祭司として留まっている。 ご覧の通り、族長アブラハムでさえ、その最良の戦利品から十分の一を捧げたほど、その方は偉大である。 レビの子孫から祭司職を受けた者たちは、律法に従って民、すなわち自分たちの兄弟たちから十分の一を徴収するよう命じられている。彼らはアブラハムの血筋に連なる者たちであるにもかかわらず。しかし、彼らの血筋に属さないこの方は、アブラハムから十分の一を受け取り、約束を受けた者を祝福されたのである。
ヘブライ人への手紙 7:1–6
第29週の木曜日
兄弟たちよ、異論の余地なく、小さい者は大きい者から祝福を受ける。ここでは、死すべき人間たちが十分の一を徴収しているが、あちらでは、自分が生きているという証しを持つ者が徴収している。いわば、十分の一を受け取るレビ自身も、アブラハムという姿を通じて十分の一を納めたのである。なぜなら、メルキゼデクが彼に会ったとき、彼はまだ父の胎内にいたからである。 さて、もし完全さがレビ人の祭司職によって達成されるのであれば――なぜなら、それには民の律法が結びついているから――、なぜさらに、アロンの系譜ではなく、メルキゼデクの位階に従って、別の祭司が立てられる必要があったのだろうか。なぜなら、祭司職が変われば、律法も変わらなければならないからである。 なぜなら、このことが語られている方は、他の部族に属しておられ、その部族からは誰も祭壇に近づく者はいなかったからである。私たちの主はユダ族から現れたことが知られているが、モーセはその部族について祭司職に関して何も述べていない。 そして、これは、メルキゼデクに倣って、別の祭司が現れることからも、さらに明らかである。その方は、肉的な戒めの律法によるのではなく、尽きることのないいのちの力によるものである。なぜなら、「あなたは、メルキゼデクの位に従って、永遠の祭司である」と証しされているからである。
ヘブライ人への手紙 7:7–17
2月2日、主の奉献の日
兄弟たちよ、かつてあった戒めが廃止されるのは、それが無力で役に立たないからであり、律法は何も完全なものにはしなかったからである。しかし、私たちが神に近づくための、より良い希望がもたらされた。 そして、これは誓いなしにはなされなかった――かつての祭司たちは誓いなしに祭司となっていたが、この方は誓いをもって祭司となられたからである。主についてこう言われている。「主は誓われて、決して悔い改められない。『あなたは、メルキゼデクの位に従って、永遠の祭司である』」。それゆえ、イエスは、このより良い契約の保証人となられたのである。 さらに、あの祭司たちは数多くいました。死によって一人のみが存続することは許されなかったからです。しかし、この方は永遠に存続される方として、朽ちることのない祭司職をお持ちです。それゆえ、この方は、御自身を通して神のもとに来る人々を常に救うことができ、彼らのために執り成しをするために、常に生きておられるのです。
ヘブル人への手紙 7:18–25
第29週の金曜日
兄弟たちよ、私たちの大祭司もまた、次のような方であるべきです。 聖なる方、悪とは無縁な方、汚れのない方、罪人たちから隔てられ、天よりも高く上げられた方。その方は、かつての大祭司たちのように、毎日、まず自分の罪のために、次に民の罪のために、いけにえをささげる必要はありません。なぜなら、御自身をひとたびいけにえとしてささげることで、これを成し遂げられたからです。 なぜなら、律法は弱さを持つ人々を大祭司として任命するが、律法に続く誓いの言葉は、永遠に完全な御子を大祭司として任命したからである。 さて、私たちが語っていることの要点は、次のとおりです。すなわち、私たちには、天にある偉大なる御座の右に座し、主ご自身が建てられた(人が建てたのではない)真の聖所と幕屋の奉仕者である、そのような大祭司がおられるのです。
ヘブル人への手紙 7:26–8:2
聖人たちに。
殉教者たちへ。
信仰の証人たちに
兄弟たちよ、あらゆる大祭司は、供え物やいけにえをささげるために任命される。それゆえ、この方にもささげるべきものが必要であった。 もし主が地上にとどまっておられたなら、祭司とはならなかったであろう。なぜなら、ここには、律法に従って供え物を捧げ、天のものの模範や影として奉仕する祭司たちがいるからである。モーセが幕屋の建設に着手した際、こう告げられた通りである。「見よ、山で示された模範に従って、すべてを作りなさい。」 しかし、この大祭司は、より優れた約束に基づいて確立された契約の、より優れた執り成し者であるからこそ、より卓越した奉仕を授かったのです。
ヘブル人への手紙 8:3–6
告白者たちへ
兄弟たちよ、もし最初の契約に欠陥がなかったなら、別の契約を求める必要はなかったでしょう。しかし、預言者は彼らを責めてこう言っています。 「見よ、主はこう言われる。やがて来る日、わたしはイスラエルの家とユダの家ととで、新しい契約を結ぶ。それは、わたしが彼らの先祖たちをエジプトの地から導き出すために彼らの手を取った時に結んだ契約とは異なる。彼らはわたしの契約を守らなかったから、わたしは彼らを捨てた、と主は言われる。」 「見よ、それらの日の後に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこうである、と主は言われる。わたしはわたしの律法を彼らの心に植え付け、彼らの心に書き記す。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。 もはや、人は隣人や兄弟に『主を知れ』と教える必要はない。なぜなら、小さい者から大きい者まで、皆がわたしを知るようになるからだ。わたしは彼らの不義を赦し、彼らの罪と不法とを、もはや思い起こさないからである。「新しい」と言うことは、最初のものが古くなったことを示している。古くなり、老朽化したものは、滅びに近づいているのである。
ヘブライ人への手紙 8:7–13
第30週の月曜日
兄弟たちよ、最初の契約には、礼拝と地上の聖所に関する規定があった。すなわち、最初の幕屋が設けられ、そこには燭台、供え台の机、そして供えのパンがあり、それは「聖所」と呼ばれていた。 また、第二の垂れ幕の向こうには、「至聖所」と呼ばれる幕屋があり、そこには金の香炉と、四方が金で覆われた契約の箱があり、その中にはマナを入れた金の器、花開いたアロンの杖、そして契約の石板が収められており、その上には栄光のケルビムが、清めの所を覆っていた。 これについては、今ここで詳しく述べる必要はない。このような構造のため、最初の幕屋には常に祭司たちが礼拝を行うために入るが、第二の幕屋には、年に一度、大祭司ただ一人だけが、自分自身と民の無知による罪のために捧げる血を携えて入るのである。
ヘブライ人への手紙 9:1–7
11月21日、聖母マリアの神殿奉献祭
兄弟たちよ、聖霊は、かつての幕屋がまだ立っている間は、聖所への道がまだ開かれていないことを示しておられるのです。 それは、現在の時代の型であり、そこでは、捧げる者の良心を完全なものにすることのできない供え物や犠牲が捧げられており、それらは、食物や飲み物、また肉に関する様々な清めや儀式とともに、ただ是正の時が来るまでの間だけ定められていたのです。 それゆえ、主は新しい契約の執り成し人であり、最初の契約において犯された罪の贖いのためになされた主の死によって、永遠の嗣業へと召された者たちが、約束されたものを受け取れるようにするためである。なぜなら、遺言があるところには、遺言者の死が必ず伴わなければならないからである。遺言は、遺言者が死んで初めて効力を生じるものであり、遺言者が生きている間は効力を有しないからである。 それゆえ、最初の契約も血なしには確立されなかった。モーセは、民全員の前で律法のすべての戒めを告げた後、子牛と山羊の血を水と赤色の羊毛とヒソプとともに取り、書物そのものと民全体に振りかけながら、「これは、神があなたがたに命じられた契約の血である」と言った。 また、幕屋や礼拝用の器類すべてにも血を振りかけた。実際、律法によれば、ほとんどすべてのものは血によって清められ、血を流すことなしには赦しは得られない。したがって、天のものの模造品はこれらの手段によって清められなければならなかったが、天のものはそれ自体、より優れたいけにえによって清められるのである。
ヘブライ人への手紙 9:8–10; 15–23
第30週の火曜日
兄弟たちよ、来たるべき祝福の大祭司であるキリストは、より偉大で、より完全な、人の手によって造られたものではない、すなわち、そのような構造を持たない幕屋に入り、山羊や子牛の血ではなく、ご自身の血をもって、ただ一度だけ聖所に入り、永遠の贖いを成し遂げられた。 なぜなら、雄牛や山羊の血、あるいは雌牛の灰が、振りかけることによって汚れた者を聖別し、体を清くするのであれば、なおさら、聖霊によってご自身を汚れのない者として神にささげられたキリストの血は、私たちの良心を死んだ行いから清め、生けるまことの神に仕えることができるようにしてくださるからです。
ヘブライ人への手紙 9:11–14
四旬節第5週
兄弟たちよ、キリストは、真の聖所の模倣として造られた、人の手による聖所には入られず、天そのものに入られました。それは、今や私たちのために神の御前に立ち、大祭司が毎年他人の血を持って聖所に入るように、ご自身を何度も捧げるためではありません。もしそうであったなら、キリストは世界の初めから何度も苦しみを受けなければならなかったでしょう。 しかし、キリストは、世の終わりに、御自身の犠牲によって罪を滅ぼすために、ただ一度現れました。人が一度死ぬことが定められ、その後裁きを受けるように、キリストもまた、多くの人の罪を取り除くために一度御自身を犠牲として捧げられた後、二度目は罪の清めのためではなく、救いを待ち望む人々のために現れるのです。
ヘブライ人への手紙 9:24–28
四旬節第5土曜日
兄弟たちよ、律法は、来るべき祝福の影であり、物事の実体そのものではない。毎年絶えず同じ犠牲が捧げられても、それによって来る者たちを完全にすることは決してできない。そうでなければ、犠牲を捧げることはやめてしまうはずである。なぜなら、犠牲を捧げる者たちは、一度清められたならば、もはや罪の自覚を持たないからである。 しかし、犠牲によって毎年罪が思い起こされる。なぜなら、雄牛や山羊の血が罪を消し去ることは不可能だからである。それゆえ、キリストはこの世に来られたとき、こう言われた。「あなたは犠牲や供え物を望まれなかったが、わたしのために体を備えてくださった。」 全焼のいけにえや罪のいけにえは、あなたには受け入れられない。そこで私は言った。『見よ、私は来る。書物の初めに私について書かれているように、神よ、あなたの御心を成し遂げるために。』 まず、「律法に従って捧げられるいけにえも、供え物も、全焼のいけにえも、罪のためのいけにえも、あなたは望まれず、また喜ばれなかった」と述べた後、次のように付け加えました。「見よ、神よ、私はあなたの御心を成し遂げるために参ります」。前者を無効にして、後者を確立するのです。 この御心によって、私たちはイエス・キリストの御体のただ一度の捧げ物によって聖別されたのです。そして、あらゆる祭司は毎日奉仕に立ち、同じ犠牲を何度も捧げていますが、それらは決して罪を根絶することはできません。 しかし、主は、罪のためにただ一度のいけにえをささげ、永遠に神の右の座に着き、その後、敵たちが御足のもとに置かれるまで待っておられる。なぜなら、主はただ一度のささげ物によって、聖別される者たちを永遠に完全なものにされたからである。 このことについて、聖霊もまた私たちに証ししてくださいます。なぜなら、こう言われているからです。「見よ、あの日以降、わたしが彼らと結ぶ契約はこれである、と主は言われる。わたしはわたしの律法を彼らの心に植え付け、彼らの思いにそれを書き記し、彼らの罪や不法を二度と思い出さない。」罪の赦しがあるところには、その罪のためのいけにえは必要ありません。
ヘブライ人への手紙 10:1–18
第30週の水曜日
兄弟たちよ、イエス・キリストの血によって、聖所に入る大胆さを持っているのです。それは、キリストがご自身の肉、すなわち「垂れ幕」を通して、私たちのために新たに開いてくださった、新しく生きた道です。また、神の家の大祭司がおられるのですから、 誠実な心と完全な信仰をもって近づき、清めの水で良心の汚れを洗い流し、清い水で体を洗い清めた後、希望の告白を揺るぎなく守り続けましょう。約束された方は真実な方だからです。互いに気を配り、愛と善行を励まし合いましょう。 ある人たちの習慣のように、私たちの集まりをさぼってはなりません。むしろ、互いに励まし合いましょう。その日の到来が近づいていると気づくほど、なおさらそうすべきです。なぜなら、もし私たちが真理を知りながら、故意に罪を犯すなら、もはや罪のためのいけにえは残されておらず、ただ恐ろしい裁きの待ち受けと、敵を焼き尽くす準備ができている火の激しさだけが残るからです。 もしモーセの律法を拒んだ者が、二、三人の証人の前で、容赦なく死刑に処されるのであれば、神の御子を踏みにじり、自分たちを聖別した契約の血を聖なるものと見なさず、恵みの御霊を冒涜する者は、どれほど重い罰を受けることになると思うか。 私たちは、「復讐はわたしにある。わたしが報いる、と主は言われる」と語られた方を知っています。また、「主はご自分の民を裁かれる」ともあります。生ける神の御手に落ちることは恐ろしいことです!
ヘブライ人への手紙 10:19–31
聖金曜日、第9時
兄弟たちよ、あなたがたがかつて、光を受けた後、大きな苦難に耐え忍んだ日々を思い出してください。ある時は、侮辱や苦難の中にあって、他の人々の見本となり、またある時は、同じ境遇にある人々と共に苦しみを分かち合い、 あなたがたは、私の投獄に心を痛め、財産を略奪されても喜んで受け入れた。天には、あなたがたにとって、より良き、朽ちることのない財産があることを知っていたからである。 ですから、大きな報いが待っているあなたがたの希望を捨ててはなりません。神の御心を全うし、約束されたものを受けるためには、忍耐が必要です。あと少し、ほんの少しの間、来られる方が来られ、遅れることはありません。「義人は信仰によって生きる」のです。
ヘブライ人への手紙 10:32–38a
四旬節第3土曜日。
聖殉教者たち
兄弟たちよ、大きな報いを受けることになっているあなたがたの希望を捨ててはなりません。神の御心を全うし、約束されたものを受けるためには、忍耐が必要です。なぜなら、あと少し、ほんの一瞬で、来られる方が来られ、遅れることはないからです。「義人は信仰によって生きる」とあります。しかし、もし誰かが揺らぐなら、わたしの魂はその人を喜ばないのです。 しかし、私たちは滅びへと迷う者たちではなく、魂の救いへと向かう信仰に立っている。信仰とは、待ち望むものの実現であり、目に見えないものへの確信である。この信仰によって、古の人々は証しをした。信仰によって、私たちは、世が神の言葉によって造られ、目に見えないものから目に見えるものが生じたことを知る。信仰によって、アベルはカインよりも優れた供え物を神にささげた。 それによって、神が彼の供え物を認められたように、彼が義人であるという証しを受け、死後もなお語り続けている。信仰によって、エノクは死を見ることなく移され、神が彼を移されたため、彼はいなくなった。というのも、移される前に、彼は神に喜ばれたという証しを受けていたからである。信仰がなければ、神に喜ばれることはできない。 神に近づく者は、神がおられ、神を求める者に報いてくださることを信じなければならないからである。信仰によって、ノアは、まだ目に見えないことについての啓示を受け、畏敬の念をもって、自分の家族を救うために箱舟を造った。その信仰によって、彼は(全世界を)裁き、信仰による義の相続人となった。
ヘブライ人への手紙 10:35–11:7
第30週の木曜日
兄弟たちよ、アブラハムは信仰によって、相続として与えられるべき地へ行くという召しに従い、どこへ行くのかを知らずに旅立った。信仰によって、サラもまた(不妊であったにもかかわらず)子を受け入れる力を与えられ、年老いた身でありながら子を産んだ。彼女は、約束された方が真実な方であることを知っていたからである。 それゆえ、ただ一人、しかもすでに死んだ者から、天の星のように多く、海の岸辺の砂のように数えきれないほどの子孫が生まれたのである。これらの人々は皆、約束を受けたわけではなく、ただ遠くからそれを見て喜び、自分たちをこの地上の旅人であり、寄留者であると公言して、信仰のうちに死んでいった。 このように語る者たちは、自分たちが故郷を求めていることを示している。もし彼らが、自分たちが去ってきたあの故郷を心に留めていたなら、そこへ戻る時間があったはずである。しかし、彼らはより良いもの、すなわち天にあるものを求めた。それゆえ、神は彼らを恥じることはなく、ご自身を彼らの神と呼んでおられる。神は彼らのために都を用意しておられるからである。
ヘブライ人への手紙 11:8; 11–16
第30週の金曜日
兄弟たちよ、アブラハムは信仰によって、約束の地を異国の地のようにしてそこに住み、同じ約束の共同相続人であるイサクやヤコブと共に天幕に住んだ。彼は、神が設計者であり建設者である、堅固な基礎を持つ都を待ち望んでいたからである。 信仰によって、アブラハムは試みられたとき、イサクを犠牲として捧げ、また約束を受けていたにもかかわらず、その一人息子を捧げた。その子について、「イサクによって、あなたの子孫と呼ばれる」と告げられていたからである。彼は、神には死者をもよみがえらせる力があると信じていたからであり、それゆえに、その子を前兆として受け取ったのである。 信仰によって、イサクはヤコブとエサウを祝福した。信仰によって、ヤコブは臨終の際、ヨセフの息子たち一人ひとりを祝福し、自分の杖の先端にひれ伏した。信仰によって、ヨセフは最期の時、イスラエルの子らの出エジプトを思い起こさせ、自分の遺骨について遺言を残した。 信仰によって、モーセは生まれた後、三ヶ月間、両親によって隠された。彼らはその子が美しいと見て、王の命令を恐れなかったからである。さらに何を語ろうか。ゲデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、 サムエルや(その他の)預言者たちについて語るには時間が足りません。彼らは信仰によって王国に打ち勝ち、正義を行い、約束を受け、獅子の口を封じ、火の勢いを消し、剣の刃を避け、衰えから守られ、戦いで強くなり、敵の軍勢を追い払いました。妻たちは、死んだ夫たちがよみがえったのを受け取り、 またある者は、より良い復活を得るために、解放を受け入れずに殉教した。さらに他の者たちは、侮辱や殴打、さらには束縛や投獄に遭い、石打ちにされ、のこぎりで切り裂かれ、拷問を受け、剣によって殺され、羊皮や山羊の皮の衣を身にまとい、欠乏や苦難、迫害に耐えながら放浪した。 全世界がふさわしくなかった者たちは、荒野や山々、地の洞窟や渓谷をさまよった。そして、信仰によって証しされたこれらすべての人々は、約束されたものを受け取らなかった。それは、神が私たちのために、彼らを私たちなしに完全な状態に至らせないよう、より良いものをあらかじめ備えておられたからである。
ヘブライ人への手紙 11:9–10; 17–23; 32–40
キリスト降誕前の週、聖なる父たち
兄弟たちよ、アブラハムは信仰によって、試みられたとき、イサクを犠牲として捧げ、また約束を受けていたにもかかわらず、その一人息子を捧げた。その子について、「イサクによって、あなたの子孫と呼ばれる」と告げられていたからである。彼は、神には死者をもよみがえらせる力があると信じていたからであり、それゆえに、その子を前兆として受け取ったのである。 信仰によって、イサクは将来を見据えてヤコブとエサウを祝福した。信仰によって、ヤコブは臨終の際、ヨセフの息子たち一人ひとりを祝福し、自分の杖の先端にひれ伏した。信仰によって、ヨセフは最期の時、イスラエルの子らの出エジプトを思い起こさせ、自分の遺骨について遺言を残した。 信仰によって、モーセは生まれた後、三ヶ月間、両親によって隠された。彼らはその子が美しいのを見て、王の命令を恐れなかったからである。 信仰によって、彼は王の怒りを恐れずエジプトを去った。彼は、あたかも目に見えない方を見ているかのように、揺るぎなかったからである。信仰によって、彼は過越の祭りと血の塗りを執り行い、長子を滅ぼす者が彼らに触れないようにした。信仰によって、彼らは紅海を陸地のように渡った。これにならおうとしたエジプト人は、溺れてしまった。 信仰によって、七日間城壁を巡った後、エリコの城壁は崩れ落ちた。信仰によって、娼婦ラアブは、偵察者たちを友好的に迎え入れ(そして別の道へ案内したため)、不信仰者たちと共に滅びることはなかった。
ヘブライ人への手紙 11:17–23; 27–31
第31週の月曜日
兄弟たちよ、信仰によって、モーセは成長して、ファラオの娘の息子と呼ばれることを拒み、一時的な罪の快楽を得るよりも、むしろ神の民と共に苦しむことを選び、キリストの辱めをエジプトの宝よりも大きな富と見なした。彼は報いを仰ぎ見ていたからである。 さらに何を語ろうか。ゲデオン、バラク、サムソン、エフタ、ダビデ、 サムエルや(その他の)預言者たちについて語るには時間が足りません。彼らは信仰によって王国に打ち勝ち、義を行い、約束を受け、獅子の口を封じ、火の勢いを消し、剣の刃を避け、弱さから強められ、戦いで強靭となり、敵の軍勢を追い払いました。妻たちは、死んだ夫たちがよみがえったのを受け取り、 またある者は、より良い復活を得るために、解放を受け入れずに殉教した。さらに他の者たちは、侮辱や殴打、さらには束縛や投獄に遭い、石打ちにされ、のこぎりで切り裂かれ、拷問を受け、剣によって殺され、羊皮や山羊の皮の衣を身にまとい、欠乏や苦難、迫害に耐えながら放浪した。 全世界が受け入れるに値しなかった者たちは、荒野や山々、地の洞窟や渓谷をさまよった。そして、信仰において証しを立てたこれらすべての者は、約束されたものを得なかった。それは、神が私たちのために、彼らを私たち抜きで完全な境地に至らせないよう、より良いものを用意しておられたからである。 それゆえ、私たちも、このように多くの証人たちの雲に囲まれているのだから、あらゆる重荷と、私たちを縛る罪とを振り払い、忍耐をもって、私たちの前にある競技場を走り抜け、信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめ続けよう。
ヘブライ人への手紙 11:24–26; 32–12:2a
四旬節第1週
兄弟たちよ、すべての聖徒たちは、信仰によって王国に打ち勝ち、義を行い、約束を受け、獅子の口を封じ、火の勢いを消し、剣の刃を避け、弱さから守られ、戦いで強くなり、敵の軍勢を追い払った。妻たちは、死んだ夫たちが復活して戻ってくるのを見た。 またある者たちは、より良い復活を得るために、解放を受け入れず、拷問の末に殉教した。さらに他の者たちは、侮辱や殴打、さらには束縛や投獄に遭い、石打ちにされ、鋸で切り裂かれ、拷問を受け、剣によって命を落とし、羊皮や山羊の皮を身にまとい、欠乏や苦難、敵意に耐えながら放浪した。 全世界が受け入れるに値しなかった者たちは、荒野や山々、地の洞窟や渓谷をさまよった。そして、信仰において証しを立てたこれらすべての者は、約束されたものを得なかった。それは、神が私たちのために、彼らを私たち抜きで完全な境地に至らせないよう、より良いものを用意しておられたからである。 それゆえ、私たちも、このように多くの証人たちの雲に囲まれているのだから、あらゆる重荷と、私たちを縛る罪とを振り払い、忍耐をもって、私たちの前にある競技場を走り抜け、信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめ続けよう。
ヘブライ人への手紙 11:33–12:2a
ペンテコステ後の第1週、諸聖人の日。
殉教者たち
兄弟たちよ、私たちの周囲にこのような証人の群れがいるのだから、あらゆる重荷と、私たちを躓かせる罪を振り払い、忍耐をもって、私たちの前にある競技場を走り抜けよう。信仰の創始者であり完成者であるイエスを見つめながら。イエスは、ご自身に待ち受けていた喜びの代わりに、十字架の苦しみを耐え忍び、恥をものともせず、 神の御座の右に座られた方を見つめながら、忍耐をもって、私たちの前にある競技場を走り抜けましょう。罪人たちからこれほどの侮辱を自らに受けられた方を思い起こし、あなたがたの心が疲れたり、弱くなったりしないようにしましょう。 あなたがたは、まだ罪と戦って血を流すほどには戦っておらず、子として与えられている慰めを忘れてしまっています。「わが子よ、主の懲らしめを軽んじてはならない。また、主があなたを責められるとき、落胆してはならない。」主は、愛する者を懲らしめ、受け入れてくださるすべての子を打たれるからです。 もしあなたがたが懲らしめを受けているなら、神はあなたがたを子として扱っておられるのです。なぜなら、父が懲らしめない子などいるでしょうか。もし、すべての人に共通する懲らしめを受けないままなら、あなたがたは嫡出の子ではなく、私生児なのです。 さらに、もし私たちが、この世の親から懲らしめられて彼らを恐れていたのなら、生きるために、なおさら霊の父に従うべきではないでしょうか。あの親たちは、ほんの数日の間、自分の気まぐれで私たちを懲らしめましたが、主は、私たちが主の聖さにあずかることができるように、私たちのためを思って懲らしめてくださるのです。
ヘブライ人への手紙 12:1–10
3月9日、セバスティアの聖殉教者たち
兄弟たちよ、主は愛する者を懲らしめ、受け入れてくださるすべての息子を打たれる。もしあなたがたが懲らしめを受けているなら、神はあなたがたを息子として扱っておられるのである。なぜなら、父が懲らしめない息子などいるだろうか。もしあなたがたが、すべての人に共通する懲らしめを受けないなら、あなたがたは嫡出の子ではなく、私生児なのである。 さらに、もし私たちが、肉なる親から懲らしめられて彼らを恐れていたのなら、生きるために、なおさら霊の父に従うべきではないでしょうか。あの者たちは、ほんの数日の間、自分の気まぐれで私たちを懲らしめましたが、この方は、私たちが御自身の聖さにあずかることができるように、益となるために懲らしめてくださるのです。 どんな懲らしめも、その時は喜びではなく悲しみのように思えますが、それによって教えられた後、義の平和な実を結ぶのです。ですから、垂れ下がった手を強め、弱った膝を強め、足をまっすぐに歩みなさい。そうすれば、足を引きずっている者も、道を外れることなく、むしろ正されるでしょう。 見よ、あなたがたも、語られる方から背を向けてはならない。もし、地上で語られた方に聞き従わなかった者たちが懲らしめを免れなかったのなら、ましてや、天から語られる方から背を向けるならば、私たちも免れることはできない。その方の声は当時、地を揺るがし、今やこう約束しておられる。「もう一度、地だけでなく、天をも揺るがす」と。 「もう一度」という言葉は、揺るがされるものが、揺るぎないものとして存続するように、創造されたものとして変容することを意味しています。
ヘブライ人への手紙 12:6–13; 25–27
地震の際
兄弟たちよ、すべての人と平和を保ち、聖さを追求するように努めなさい。聖さなしには、だれも主を見ることはできません。 だれも神の恵みから離れないように気をつけなさい。また、苦い根が生えて害を及ぼし、それによって多くの人が汚されないようにしなさい。あなたがたの中に、エサウのように、一食の食事のために長子の権利を捨ててしまったような、不品行な者や不敬虔な者がいないようにしなさい。 あなたがたも知っているとおり、その後、彼は祝福を受け継ごうと望んだが、拒絶された。涙を流して父に懇願したにもかかわらず、父の心を変えることはできなかった。 あなたがたは、触れることのできる、火の燃え盛る山にも、暗闇や闇や嵐にも、ラッパの音や言葉の声にも近づいたのではない。それを聞いた者たちは、もはやその言葉が自分たちに語りかけられないよう願ったほどであった。なぜなら、彼らは「もし獣でさえ山に触れれば、石で打ち殺される (あるいは矢で射抜かれる)と命じられていたことを耐えられなかったのです。その幻はそれほど恐ろしいものであったため、モーセでさえ「私は恐れと戦慄に襲われている」と語ったほどです。しかし、あなたがたはシオンの山、生ける神の都、天のエルサレム、数え切れないほどの天使たち、喜びに満ちた集会、天に記された初穂の者たちの教会、 すべての者の裁き主である神、完全さに達した義人たちの霊、新しい契約の執り成し者であるイエス、そしてアベルの血よりも雄弁に語る、注ぎかけられた血へと近づいたのです。
ヘブル人への手紙 12:14–24
火災の際
兄弟たちよ、見よ、あなたがたも、語っておられる方から背を向けてはならない。 もし、地上で語られた方に聞き従わなかった者たちが、懲らしめを免れなかったのなら、ましてや、天から語られる方から背を向けるならば、私たちも免れることはできません。その方の声は当時、地を揺るがし、今やこう約束しておられます。「もう一度、地だけでなく、天をも揺るがす。」 兄弟たちよ、どうかこの勧めの言葉を受け入れてください。私は、あなたがたにそれほど多くのことを書いたわけではありません。私たちの兄弟テモテが解放されたことを知ってください。もし彼がすぐに来れば、私も彼と共にあなたがたに会いに参ります。あなたがたのすべての指導者たちと、すべての聖徒たちに挨拶を伝えてください。イタリアの人々もあなたがたに挨拶を送っています。あなたがたすべてに恵みがありますように。アーメン。
ヘブライ人への手紙 12:25–26; 13:22–25
第31週の火曜日
兄弟たちよ、私たちは揺るぎない御国を受け継ぐ者として、神に喜ばれるように仕えるための恵みを、畏敬と恐れをもって守り続けましょう。なぜなら、私たちの神は焼き尽くす火だからです。あなたがたの間には、兄弟愛が保たれますように。旅人への愛を忘れてはなりません。それによって、ある人々は知らずに天使たちをもてなしたのです。 囚人たちのことを思いやりなさい。あたかもあなたがたも彼らと共に囚われているかのように。また、苦しんでいる人々のことも思いやりなさい。あたかもあなたがた自身も肉体の中にいるかのように。すべての人の結婚は清く、床は汚れのないものであれ。しかし、淫行者や姦淫を行う者は、神によって裁かれる。金銭に執着せず、今あるもので満足する心を持て。 「わたしはあなたを見捨てず、あなたを離れない」と主ご自身が言われたからである。それゆえ、私たちは大胆にこう言うことができる。「主は私の助け手である。私は恐れない。人が私に何ができるというのか。」あなたがたに神の御言葉を宣べ伝えた指導者たちを思い出し、彼らの生涯の終わりを仰ぎ見て、彼らの信仰に倣いなさい。イエス・キリストは、昨日も今日も、そして永遠に変わることのないお方である。
ヘブライ人への手紙 12:28–13:8
四旬節第6土曜日
兄弟たちよ、あなたがたに神の御言葉を宣べ伝えた指導者たちを思い起こし、彼らの生涯の終わりに目を向け、彼らの信仰に倣いなさい。イエス・キリストは、昨日も今日も、そして永遠に変わることのないお方です。 さまざまな異端の教えに惑わされてはなりません。なぜなら、恵みによって心を強めることは良いことですが、それに従う者たちが何の益も得られなかったような食物によって強めることは良くないからです。 私たちには、幕屋の奉仕者たちが食べることを許されていない祭壇があります。罪の清めのために大祭司が聖所へ持ち込む動物の血を持つその動物の体は、陣営の外で焼かれるからです。それと同様に、イエスもまた、ご自身の血によって人々を聖別するために、門の外で苦難を受けられました。 それゆえ、私たちは、キリストの受けた侮辱を背負って、陣営の外へ出て、キリストのもとへ行きましょう。なぜなら、私たちには、ここに恒久的な都はなく、未来の都を待ち望んでいるからです。それゆえ、キリストを通して、絶えず神に賛美のいけにえ、すなわち、御名を賛美する口の実をささげましょう。また、慈善と分かち合いを忘れないでください。そのようないけにえは、神に喜ばれるからです。
ヘブライ人への手紙 13:7–16
7月16日に最も近い日曜日、六つの全地公会議の聖なる父たちに。
殉教者たち
兄弟たちよ、あなたがたの指導者たちに従い、彼らに服従しなさい。彼らは、責任をもってあなたがたの魂を世話し、その責任を問われる者として、絶えずあなたがたの魂を気遣っているからです。彼らが、ため息をつかずに喜びをもってその務めを果たせるようにしなさい。ため息をついて行うことは、あなたがたにとって益にならないからです。 私たちのために祈ってください。私たちは、あらゆる点において誠実に振る舞おうとしているので、良心が清いことを確信しているからです。とりわけ、私が一日も早くあなたがたの元に戻れるよう、そうしてくださるようお願いします。 また、永遠の契約の血によって、羊の牧者である私たちの主イエス・キリストを死者の中からよみがえらせた、平和の神が、あらゆる善において、あなたがたを御心のままに行動できるようにし、イエス・キリストを通して、あなたがたの中に御心にかなうことを生み出してくださいますように。神に、世々限りなく栄光がありますように。アーメン。
ヘブライ人への手紙 13:17–21
聖人たちに
これは主が造られた日である、/この日に喜び、楽しみましょう。
節:主を賛美せよ。主は善き方であり、その慈しみは永遠に続くからである。 詩編 117:24, 1
冒頭1a。
節:主よ、あなたが立ち上がられ、シオンに憐れみをお示しになります。
節:主は天から地を見下ろされた。 詩編 101:14a, 20b
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届いた。
詩句:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第2の冒頭。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
聖句:聖徒たちの集いの中で、神を賛美しましょう。 詩編 88:6a, 8a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
詩句:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第4の始まり。
詩句:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
聖句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:8, 11a
あなたの御名を、すべての世代、すべての世に、記憶に残るものとする。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして耳を傾けよ。 詩編 44:18a, 11a
第5の冒頭。
詩句:わが魂は主を賛美し、わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
詩句:主は、御自分のしもべのへりくだりを顧みてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
わが神に歌え、歌え、/わが王に歌え、歌え。
詩句:すべての民よ、手を打ち、喜びの声を上げて神を賛美せよ。 詩編 46:7, 2
第6の冒頭。
詩句:強められ、栄え、真理と柔和と正義のために治めよ。
聖句:あなたは真理を愛し、不義を憎まれた。 詩編 44:5a, 8a
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
聖句:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
わが魂は主を賛美し、わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。 ルカによる福音書 1:46–47
第7の冒頭、聖母マリアの冒頭第240。
節:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒たちの集いにおいて、神を賛美します。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。 詩編 88:6a, 8a; 44:11a
主は私の光、私の救い主。/ 誰を恐れることがあろうか。
詩句:主はわがいのちの守り手である。誰を恐れることがあろうか。 詩編 26:1
第8の冒頭。
節:主は王座に着き、栄光に身を包まれた。
聖句:主は世界を堅く立てられた。それは決して揺らぐことはない。 詩編 92:1a, 1b
わが主は偉大であり、その力は偉大であり、/その知恵は計り知れない。
聖句:主を賛美せよ。詩篇を歌うことは良いことだから、私たちの神への賛美が甘美なものとなるように。 詩編 146:5, 1
第14の序文。
詩句:さあ、主を喜び祝おう。私たちの救い主である神に声を上げよう。
詩句:神は偉大なる主であり、全地において偉大なる王である。 詩編 94:1, 3
月曜日、第9週。 木曜日、第12週。
火曜日、第10週。 金曜日、第13週。
水曜日、第11章。 土曜日 15時開始。
主よ、あなたの民を救い / あなたの嗣業を祝福してください。
節:主よ、私はあなたに呼びかけます。わが神よ、私を見捨てて黙り込まないでください。 詩編27:9, 1a
第16の冒頭。
節:主よ、あなたは御自分の地に恵みを示し、ヤコブの捕囚を帰還させられました。
詩句:慈しみと真実が出会い、正義と平和が口づけを交わした。 詩編 84:2, 11
月曜日、第17週の始まり。 木曜日、第20週の初め。
火曜日、第18週の初め。 金曜日、第21a節。
水曜日、第19章の冒頭。 土曜日、22日。
主よ、御慈悲を私たちに注いでください、/私たちはあなたに望みを置きます。
節:義人よ、主を喜び祝え。義人には賛美がふさわしい。 詩編 32:22, 1
第23の冒頭。
詩句:主よ、あなたの慈しみを、私は永遠に歌い続けます。
詩句:あなたはこう言われた。「慈しみは永遠に堅く立つ」。 詩編 88:2a, 3a
月曜日、第24週の始まり。
火曜日、第25週の初め。
わが主は偉大であり、その力は偉大であり、/その知恵は計り知れない。
節:主を賛美せよ。詩篇を歌うことは善きことである。わが神への賛美は甘美なものとならん。 詩編 146:5, 1
序文34。
節:主よ、あなたが初めからご自身のものとしておられた御民を思い出してください。
詩句:世の初めから、私たちの王であられる神は、地の上で救いを成し遂げられた。 詩編 73:2a, 12
木曜日、第26週。
金曜日、第27週。
土曜日、第29日。
わが神に歌え、歌え、/わが王に歌え、歌え。
節:すべての民よ、手を打ち鳴らし、喜びの声を上げて神を賛美せよ。 詩編46:7, 2
冒頭28。
詩句:強められ、栄え、真理と柔和と正義のために統治せよ。
聖句:あなたは真理を愛し、不義を憎まれた。 詩編 44:5a, 8a
月曜日、第30週の初め。 木曜日、第35週の初め。
火曜日、第31週の初め。 金曜日、第36週の初め。
水曜日、第32週の初め。 土曜日、第37週の始まり。
祈り、主、私たちの神に誓いを果たしなさい。
節:神はユダヤで知られ、その御名はイスラエルにおいて偉大である。 詩編75:12, 2
冒頭38。
節:わたしに目を留め、憐れんでください。
詩句:私の歩みを、御言葉に従って導いてください。 詩編 118:132a, 133a
月曜日、第39章。
火曜日、第40b週。
プロキメンとアリルヤは復活祭と同様。
第41章。
神よ、天に昇り給え、/全地には御栄えあれ。
節:わが心は準備ができています、神よ、わが心は準備ができています。私は歌い、私の栄光を讃えます。 詩編56:12, 8
冒頭1b。
聖句:神は歓呼の声とともに現れ、主はラッパの音とともに現れた。
聖句:すべての民よ、手を打ち鳴らし、喜びの声を上げて神を賛美せよ。 詩篇 46:6, 2
第42週の金曜日。
土曜日、第43週の初め。
主よ、私たちの先祖の神よ、あなたは祝福され、/あなたの御名は永遠に称えられ、栄光あれ。
節:あなたが私たちに対してなされたすべてのことは、義にかなっているからです。 ダニエル書 3:26, 27a
第44章。
詩句:神々の神、主は語られ、太陽の東から西に至るまで、地を呼び集められた。
聖句:犠牲の契約を主と結んだ、主の聖徒たちを主のもとに集めよ。 詩編49:1, 5
月曜日、第45週の始まり。 木曜日、第48週の初め。
火曜日、第46週の始まり。 金曜日、第50a週の初め。
水曜日、第47章の冒頭。
全礼拝は故人の冥福を祈るもの。
彼らの魂は/恵みのうちに安らぐ。
節:主よ、わが神よ、わたしはあなたにわが魂を向けます。 参照:詩編24:13a、1-2a
序文51aおよび安息のための序文270。
詩句:主よ、あなたが選び、御許に近づけてくださった者は、幸いである。
聖句:そして、彼らの記憶は代々受け継がれる。 参照:詩編64:5;44:18a
彼らの声は全地に行き渡り、/彼らの言葉は宇宙の果てにまで届く。
詩句:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編18:5a, 2
第3の冒頭。
詩句:主の御言葉によって天は確立され、その御口の御霊によって、そのすべての軍勢は造られた。
聖句:主は天から下りて、すべての人類を見下ろされた。 詩編 32:6, 13
主よ、あなたの民を救い、あなたの嗣業を祝福してください。
節:主よ、私はあなたに叫び求めます。わが神よ、私を軽んじて黙り込まないでください。 詩編27:9, 1a
序文229。
詩句:神よ、あなたの大きな憐れみによって、私を憐れんでください。
詩句:私を御顔から追い払わず、御聖霊を私から取り去らないでください。 詩編 50:3, 13
火曜日、第79a章。 木曜日、第81a週。
水曜日、第80章。 金曜日:第82章の冒頭。
土曜日:第79b章の冒頭。
祈り、主、私たちの神に誓いを果たしなさい。
聖句:神はユダヤで知られ、その御名はイスラエルにおいて偉大である。 詩編 75:12a, 2
神は御自身の聖徒たちの中に、まことに驚くべき方、イスラエルの神である。 詩編67:36a
第330番の冒頭。
節:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き入れられた。
節:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:18a, 20
月曜日、第83週の始まり。 木曜日:第89週の始まり。
火曜日:第86週の始まり。 金曜日:90番目の始まり。
水曜日:開始 87。 土曜日:84。
主よ、御慈悲を私たちに注いでください、/私たちはあなたに望みを置いているのですから。
節:義人よ、主を喜び祝え。義人には賛美がふさわしい。 詩編32:22, 1
主は、御自身の地にいる聖徒たちの間に、御自身のすべての御心を驚くべきように現された。 詩編15:3
序文81bおよび聖なる序文330。
節:神はわたしのために復讐を成し遂げ、諸国民をわたしの下に服従させられる。
節:主は王を威厳をもって救い、御自身の油注がれた者ダビデとその子孫に、永遠に恵みを施される。 参照:詩編 17:48, 51
詩句:神よ、私たちは耳で聞き、先祖たちが私たちに語り伝えてくれました。
節:あなたは、私たちを迫害する者たちから救い出し、私たちを憎む者たちを恥じ入らせたからです。 詩編 43:2a, 8
月曜日、第94週の始まり。 木曜日:第98章の冒頭。
火曜日:第95日。 金曜日:第101週の始まり。
水曜日:開始 96a。 土曜日:85の始まり。
第3週 開始 88a。
月曜日 102の始まり。 木曜日 106の始まり。
火曜日 104の始まり。 金曜日 107の始まり。
水曜日 開始 105。 土曜日 開始 92。
第4週 開始 93。
月曜日 109の始まり。 木曜日 開始 118。
火曜日 114の始まり。 金曜日 120の始まり。
水曜日:117。 土曜日:97。
第5週 開始 103。
月曜日、第121a章の冒頭。 木曜日、129の始まり。
火曜日:122の冒頭。 金曜日は130bの開始。
水曜日 127の冒頭。 土曜日:100の始まり。
第6週 110の始まり。
月曜日 開始 134。 木曜日 開始 138。
火曜日 136の始まり。 金曜日 139の始まり。
水曜日 137の始まり。 土曜日 108の始まり。
第7週 116の始まり。
月曜日 142日目。 木曜日 147日目。
火曜日 144の始まり。 金曜日:148日目。
水曜日:145日目。 土曜日 開始 111。
第8週 124の始まり。
月曜日、始値150。 木曜日の始値は155。
火曜日の始値は152。 金曜日の開始値は157。
水曜日:154aから。 土曜日:113。
第9週、128の始まり。
月曜日 159の始まり。 木曜日 167aの始まり。
火曜日 161の冒頭。 金曜日 169の始まり。
水曜日 165の冒頭。 土曜日 119の冒頭。
第10週、131番の始まり。
月曜日 開始 171。 木曜日 開始 175。
火曜日 開始 172。 金曜日 177の始まり。
水曜日 173の始まり。 土曜日 開始 123。
第11週の開始は141。
月曜日 開始 179。 木曜日、183の始まり。
火曜日:180の始まり。 金曜日の開始は184。
水曜日 開始 182a。 土曜日 125bの始まり。
第12週 158の始まり。
月曜日 186の冒頭。 木曜日 190の始まり。
火曜日 187の始まり。 金曜日 192の始まり。
水曜日 189の始まり。 土曜日:126。
第13週の開始値は166。
月曜日 開始 195。 木曜日 開始 198。
火曜日 196の始まり。 金曜日 201の始まり。
水曜日 197の始まり。 土曜日:130aの開始。
第14週 170の始まり。
月曜日、202の始まり。 木曜日 208bの開始。
火曜日 204番の開始。 金曜日 210aの開始。
水曜日 207番の開始。 土曜日 132番。
第15週、176の始まり。
月曜日、211の始まり。 木曜日 216。
火曜日 212の始まり。 金曜日 217の始まり。
水曜日 214の始まり。 土曜日 開始 146。
第16週の開始は181。
月曜日 219の始まり。 木曜日 開始 225。
火曜日 222の始まり。 金曜日 226の始まり。
水曜日:223。 土曜日 156の始まり。
第17週、182bの始まり。
月曜日 開始 227。 木曜日:232の始まり。
火曜日:230aの開始。 金曜日は234の始まり。
水曜日 231の始まり。 土曜日 162番。
第18週、188番目。
月曜日 開始 235。 木曜日 開始 238。
火曜日 236の始まり。 金曜日 239。
水曜日:237の始まり。 土曜日 開始 164。
第19週、194番目。
月曜日 241日目。 木曜日 244。
火曜日 242の始まり。 金曜日 245の始まり。
水曜日:243の始まり。 土曜日 168の始まり。
第20週、200の始まり。
月曜日、248の始まり。 木曜日 252の始まり。
火曜日:249aの始まり。 金曜日は253の始まり。
水曜日 251の冒頭。 土曜日 174の始まり。
第21週、203の始まり。
月曜日 255の始まり。 木曜日 開始 260a。
火曜日 256の始まり。 金曜日 261の始まり。
水曜日:259の始まり。 土曜日:178の始まり。
第22週、215aの始まり。
月曜日 262の始まり。 木曜日 265の始まり。
火曜日 263の始まり。 金曜日 266の始まり。
水曜日:264の始まり。 土曜日:185の始まり。
第23週 220aの始まり。
月曜日、267の始まり。 木曜日、271の始まり。
火曜日:268の始まり。 金曜日の開始は272。
水曜日:269。 土曜日:191。
第24週の開始は221。
月曜日 274aの始まり。 木曜日 276の始まり。
火曜日 274bの冒頭。 金曜日 277の冒頭。
水曜日:275の始まり。 土曜日:199の始まり。
第25週 224aの始まり。
月曜日 278の始まり。 木曜日 開始 283。
火曜日 279の始まり。 金曜日 285aの始まり。
水曜日 281の始まり。 土曜日 205の始まり。
第26週、229の始まり。
月曜日、285bの始まり。 木曜日、289の始まり。
火曜日:286の始まり。 金曜日は290aの始まり。
水曜日 287の始まり。 土曜日:213の始まり。
第27週、233の始まり。
月曜日 294の始まり。 木曜日 開始 300b。
火曜日 297の始まり。 金曜日 301の始まり。
水曜日:299の始まり。 土曜日:218。
第28週の開始値は250。
月曜日 開始 308。 木曜日 開始 315。
火曜日 開始 310。 金曜日 開始 317。
水曜日 312の始まり。 土曜日 開始 220b。
第29週、257の始まり。
月曜日、開始 319。 木曜日の開始値は326。
火曜日の開始値は321a。 金曜日は327から始まる。
水曜日 323の始まり。 土曜日 228の始まり。
第30週、第258日。
月曜日 329aの始まり。 木曜日 51b。
火曜日 333aの冒頭。 金曜日 52の冒頭。
水曜日:50bの始まり。 土曜日:249bの開始。
第31週、280bの始まり。
月曜日、第53週の始まり。 木曜日 56。
火曜日 54の始まり。 金曜日:58aの始まり。
水曜日:55の始まり。 土曜日 273の始まり。
第32週、285bの始まり。
月曜日 開始 59。 木曜日、62の始まり。
火曜日:60の始まり。 金曜日の開始は64。
水曜日:61。 土曜日、293番目の箇所。
第33週、徴税人とパリサイ人のたとえ、冒頭296。
月曜日、第66章。 木曜日 69番目。
火曜日、第67章。 金曜日、第70章。
水曜日 開始 68a。 土曜日、295節。
第34週、放蕩息子の話、冒頭135。
月曜日、第71章。 木曜日 冒頭 74b。
火曜日 冒頭 72。 金曜日、75番。
水曜日 73aの始まり。
彼らの魂は/恵みのうちに安らぐ。
節:主よ、わが神よ、わたしはあなたにわが魂を向けます。 参照:詩編24:13a、1-2a
序文146、安息の祈りの序文270。
聖句:主よ、あなたが選び、御許に招かれた者は幸いである。
聖句:彼らの記憶は代々受け継がれる。 参照:詩編 64:5;44:18a
わが主は偉大であり、その力は偉大であり、/その知恵は計り知れない。
詩句:主を賛美せよ。詩篇を歌うことは善きことだから。わが神への賛美は甘美なものとならん。 詩編 146:5, 1
序文140。
節:さあ、主を喜び祝おう。私たちの救い主である神に声を上げよう。
詩句:私たちは賛美をもって主の御前に急ぎ、詩篇をもって主に叫びましょう。 詩編 94:1, 2
月曜日、第76章。
火曜日、第77週。
木曜日、第78週の始まり。
聖徒たちは栄光のうちに賛美され/その寝台の上で喜び歌う。
節:彼らの喉には神への賛美があり、その手には両刃の剣がある。 詩編149:5, 7
序文115、聖人への序文213。
節:主の家に植えられ、わが神の庭に咲き誇る者たち。
詩句:主を喜び、義人よ、喜び躍れ。心の正しい者たちよ、ほめたたえよ。
詩編 91:14; 31:11
祈り、主、私たちの神に誓いを果たしなさい。
聖句:神はユダヤで知られ、その御名はイスラエルにおいて偉大である。 詩編 75:12, 2
序文 112。
詩篇:主を賛美し、至高なる御名に歌を捧げることは、幸いなことである。
詩句:早朝にあなたの慈しみを告げ、毎夜、あなたの真実を謳い称える。 詩編9 1:2, 3
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
節:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編63:11a, 2a
序文303、聖序文292。
詩句:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
詩句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
主よ、私たちの先祖の神よ、あなたは祝福され、/あなたの御名は永遠に称えられ、栄光に輝きます。
聖句:あなたが私たちに対してなされたすべてのことは、義にかなっているからです。 ダニエル書 3:26, 27a
冒頭 329b。
詩句:モーセとアロンは御祭司たちのうちにおり、サムエルは御名を呼び求める者たちのうちにおりました。
節:彼らは主を呼び求め、主は彼らの声に耳を傾けられた。 詩編98:6
主の家に植えられた者たちは/わが神の庭で花を咲かせる。
聖句:義人よ、主を喜び祝え。義には賛美がふさわしい。 詩編 91:14; 32:1
序文 121b。
アリルヤは歌われない。
その日のプロキメンとアリルヤ、および死者のための祈り。
第309章、および死者のための祈りには第270章。
主よ、あなたは私たちを守り、この世から、そして永遠に、私たちを救い出してください。
詩句:主よ、私を救ってください。義人は一人もいなくなったからです。 詩編11:8, 2a
わが口は知恵を語り、わが心の思いは分別である。 詩編48:4
序文304および聖なる序文318a。
その調のハレルヤ。
その日のプロキメンとアリルヤ、および死者のための祈り。
第325章、および死者のための祈りの第270章。
主よ、あなたの民を救い、あなたの嗣業を祝福してください。
詩句:主よ、私はあなたに呼びかけます。わが神よ、私を軽んじて黙り込まないでください。 詩編27:9, 1a
冒頭 311a。
節:主よ、あなたが初めから贖われた御民を思い出してください。
詩句:世の初めから、私たちの王であられる神は、この地の上で救いを成し遂げられた。 詩編73、2a、12
その日のプロキメンとアリルヤ、および死者のための祈り。
冒頭313、そして故人の安息のための冒頭163。
聖徒たちは栄光のうちに賛美し、その寝床で喜び歌う。 詩編149:5
第314章、聖人への第229章。
声調によるハレルヤ。
節:主の家に植えられ、わが神の庭に咲き誇る。 詩編 91:14
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
聖句:主は御自分のしもべのへりくだりを顧みてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第322番、聖母マリアの賛歌第320番。
詩句:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
詩句:主よ、ダビデとそのすべての柔和さを思い出してください。 詩編 131:8, 1
神は御自身の聖徒たちの中に、まことに驚くべき方、イスラエルの神。 詩編67:36a
冒頭321b、および聖女の冒頭208a。
その声調によるアリルヤ。
主は私の光、私の救い主。/ 誰を恐れることがあろうか。
聖句:主は私のいのちの守り手。誰を恐れることがあろうか。 詩編 26:1
冒頭 333b。
詩句:主は王座に着き、栄光に身を包まれた。
聖句:主は世界を堅く立てられた。それは決して揺らぐことはない。 詩編 92:1a, 1b
主の御名によって来られる方は祝福される。/神は主であり、御自身を私たちに現された。
詩句:主を賛美せよ。主は善き方であり、その慈しみは永遠に続くからである。 詩編 117:26a, 27a, 1
冒頭247。
節:主に向かって新しい歌を歌え。主は驚くべき御業をなされたからである。
節:地の果てに至るまで、みな、私たちの神の救いを見た。 詩編 97:1a, 3b
諸侯たちは共に集まり/主とその油注がれた方に対して立ち向かった。
詩句:なぜ異邦人は激怒し、諸国民はむなしいことを企てたのか。 詩編 2:2b, 1
序文149。
節:貧しい者や困窮している者を思いやる者は幸いである。災いの日に、主は彼を救われる。
詩句:私の敵たちは、私について悪口を言い、「いつ彼は死ぬのか。その名はいつ滅びるのか」と言った。
節:私のパンを食べる者が、私に対して足を向けた。 詩編40:2, 6, 10b
第1時間目に215bが始まった。
第3時間には88bが始まった。
6時間目に306が始まった。
第9時課で324番の冒頭部。
彼らはわたしを最も深い穴に投げ込み、/死の闇と陰の中に置いた。
節:主よ、わが救いの神よ、昼も、夜も、あなたの御前に叫び求めた。 詩編87:7, 2
第125b篇の冒頭。
詩句:神よ、私を救ってください。水は私の魂にまで達しています。
詩句:私の魂は侮辱と苦しみを待ち望んでいた。
節:彼らの目が曇り、何も見られぬように。 詩編 68:2, 21a, 24a
立ち上がってください、主、わが神よ。御手を高く上げてください。/御自身の貧しい者たちを、終わりまで忘れないでください。
詩句:主よ、私は心を尽くしてあなたを賛美し、あなたのすべての御業を告げ知らせる。 詩編9:33, 2
序文133、206。
節:神が立ち上がられ、その敵は散り、神を憎む者たちは神の御前から逃げ去る。
詩句:煙が消え去るように、彼らが消え去り、火の前で蝋が溶けるように。
節:そのように、罪人たちは神の御前から滅び去り、義人たちは喜び祝うように。 詩編67:2–4a
全地よ、あなたにひれ伏し、あなたを賛美せよ、/いと高き方よ、あなたの御名を賛美せよ。
節:全地よ、主に向かって叫べ、その御名を歌え。 詩編65:4、1–2a
第91章の冒頭。
朗読者:神よ、立ち上がって、地を裁き給え。あなたはすべての民の中から分け前を受けられるからである。
聖歌隊:神よ、立ち上がって、地を裁き給え。
詩句:神は神々の集いの中に立ち、神々の間で裁きを行われる。
聖歌隊:神よ、立ち上がって、地を裁き給え:
詩句:いつまであなたがたは不正に裁き、罪人たちに偏りを見せるのか。
合唱:神よ、立ち上がって、地を裁き給え:
詩:孤児と貧しい者を裁き、へりくだった者と乞食を義と認めてください。
合唱:立ち上がれ、神よ、地を裁け:
詩篇:貧しい者と困窮する者を解放し、罪人の手から彼らを救い出してください。
聖歌隊:神よ、立ち上がって、この地を裁き給え:
詩篇:彼らは知らず、悟らず、暗闇の中をさまよっている。
合唱:神よ、立ち上がって、この地を裁き給え:
詩篇:地のすべての土台が揺らぐように。わたしは言った。「あなたがたは神々であり、あなたがたはみな、至高者の子らである。」しかし、あなたがたは人のように死に、ある君主のように倒れる。
合唱:神よ、立ち上がって、地を裁き給え:
朗読者:神よ、立ち上がって、地を裁き給え。
合唱: あなたはすべての民の中から分け前を受けられるからである。
主よ、御慈悲を私たちに注いでください、/私たちはあなたに希望を置いているのですから。
聖句:義人よ、主を喜び祝え。義人には賛美がふさわしい。 詩編 32:22, 1
詩句:神はわたしのために復讐を成し遂げ、諸国民をわたしの下に服従させてくださる。
聖句:主は王を威厳をもって救い、御自身の油注がれた者ダビデとその子孫に、永遠に恵みを施される。 参照:詩編17:48, 51
主は私の砦、私の歌であり、/主は私の救いとなられた。
詩句:主は私を戒め、懲らしめられたが、死には委ねられなかった。 詩編117:14, 18
節:主よ、悲しみの日にあなたに耳を傾けてくださり、ヤコブの神の御名があなたを守ってくださいますように。
詩句:主よ、王を救い、私たちがあなたを呼び求める日に、私たちの声に耳を傾けてください。 詩編 19:2, 10
わが神に歌え、歌え、/わが王に歌え、歌え。
詩句:すべての民よ、手を打ち、喜びの声を上げて神を賛美せよ。 詩編 46:7, 2
詩句:主よ、私はあなたに信頼を置きます。決して恥をかくことのないように。
詩句:主よ、私の守りとなり、私の避難所となって、私を救ってください。 詩編 30:2a, 3b
主よ、あなたの御業はなんと荘厳なことでしょう。/あなたはすべてを英知をもって造られました。
詩句:わが魂よ、主を賛美せよ。わが神、主よ、あなたはまことに尊ばれます。
詩編 103:2a, 1
詩句:強められ、栄え、真理と柔和と正義のために統治なさってください。
詩句:あなたは正義を愛し、不義を憎まれた。 詩編44:5a, 8a
主よ、あなたは私たちを守り、この世から、そして永遠に、私たちを救い出してください。
聖句:主よ、私を救ってください。義人は一人もいなくなったからです。 詩編 11:8, 2a
詩句:主よ、あなたの慈しみを、私は永遠に歌い、代から代へと、私の口をもってあなたの真理を告げ知らせる。
詩句:あなたは「慈しみは永遠に堅く立つ」と仰せられた。天において、あなたの真実は確かなものとなる。 詩編 88:2, 3
主よ、あなたの民を救い、あなたの嗣業を祝福してください。
詩句:主よ、私はあなたに叫び求めます。わが神よ、私を軽んじて黙り込まないでください。 詩編 27:9a, 1a
詩句:至高者の助けに依り頼む者は、天の神の御庇の下に住まう。
詩句:主に向かってこう言う。「あなたは私の守り、私の避難所、私の神、私はあなたに信頼を置く」。 詩編90:1, 2
主は御自分の民に力を与え、/主は御自分の民を平安をもって祝福される。
詩句:神の子らよ、主に捧げよ、主に若い雄羊を捧げよ。 詩編 28:11, 1a
詩句:主を賛美し、至高なる御名に歌を捧げることは、幸いなことである。
詩句:早朝にあなたの慈しみを、そして毎夜、あなたの真実を告げ知らせること。 詩編 91:2, 3
祈り、主、私たちの神に誓いを果たしなさい。
詩句:神はユダヤで知られ、その御名はイスラエルにおいて偉大である。 詩編 75:12a, 2
節:さあ、主を喜び祝おう。私たちの救い主である神に、声を上げて賛美しよう。
聖句:私たちは、賛美を捧げて主の御前に急ぎ、詩篇をもって主に叫びましょう。 詩編 94:1, 2
あなたは御自身の天使たちを霊として、/御自身の僕たちを炎として造られます。
節:わが魂よ、主を賛美せよ!わが神、主よ、あなたはまことに尊ばれる。
詩編103:4, 1a
詩句:主のすべての御使いたちよ、主を賛美せよ。主のすべての軍勢よ、主を賛美せよ。
詩句:主が語られたゆえに、彼らは現れ、主が命じられたゆえに、彼らは造られた。 詩編148:2, 5b
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
詩句:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編 63:11a, 2a
節:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
詩句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩編91:13, 14
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
聖句:主は御自分のしもべのへりくだりを顧みてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカによる福音書 1:46–48
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちが、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届いた。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
節:主よ、天はあなたの奇蹟を告げ、聖徒の集いにおいてあなたの真実を告げ知らせる。
詩句:聖徒の集いにおいて、私たちは神を賛美します。 詩編 88:6, 8a
主、私たちの神を賛美し、その御足の台にひれ伏せ、/それは聖なるものだから。
詩句:主は王となられた。諸国民は怒れ。 詩編 98:5, 1a
節:あなたが初めからご自身のものとしておられた御民を、思い出してください。
節:世の初めから私たちの王であられる神は、地のただ中で救いを成し遂げられた。 詩編73:2a, 12
主を喜び、/義人よ、喜び祝え。
詩句:その不義が赦され、その罪が覆われた人々は、幸いである。 詩編 31:11a, 1
彼らの魂は、恵みのうちに安らぐ。 参照:詩編24:13a
節:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き、すべての苦しみから彼らを救い出された。
節:義人には多くの苦しみがあるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編33:18, 20
聖句:主よ、あなたが選び、御許に招かれた者は幸いである。彼らの名は代々語り継がれる。
参照:詩編 64:5;44:18a
わが主は偉大であり、その力は偉大であり、/その知恵は計り知れない。
節:主を賛美せよ。詩篇を歌うことは善きことである。わが神への賛美は甘美なものとならん。
詩編 146:5, 1
主の御前において、その聖徒たちの死は尊い。 詩編115:6
序文282、および聖人への序文258。
節:神よ、シオンにおいてあなたに賛美の歌を捧げることはふさわしい。エルサレムにおいて、人々はあなたに誓いを果たすであろう。
節:主よ、あなたは御恵みの年の冠を祝福されます。 詩編 64:2, 12a
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。 詩編111:1
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編 48:4, 2
序文 318a。
聖句:義人の口は知恵を語り、その舌は正義を告げ知らせる。
聖句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩篇 36:30, 31
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
節:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編63:11a, 2a
序文314。
詩句:光は義人に輝き、正しい心には喜びがある。
詩句:義人よ、主を喜び、その聖なる御業を語り伝えよ。 詩編 96:11, 12
あなたは御自身の御使いたちを霊として、/御自身のしもべたちを炎として造られる。
節:わが魂よ、主を賛美せよ。わが神、主よ、あなたはまことに尊ばれる。
詩編103:4, 1a
序文305。
詩句:主のすべての御使いたちよ、主を賛美せよ。主のすべての軍勢よ、主を賛美せよ。
詩句:主が語られたゆえに、彼らは現れ、主が命じられたゆえに、彼らは造られた。 詩編 148:2, 5b
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
詩句:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編 63:11a, 2a
序文233。
節:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き入れられた。
詩句:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:18a, 20
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちが、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
神は御自身の聖徒たちの中に、イスラエルの神として、まことに驚くべき方である。 詩編 67:36a
祝日の序唱および聖人への序唱、第210b
節:義人の救いは主から来る。主は、彼らが苦難に遭うとき、彼らの守り手となられる。 詩編36:39
主の御前において、その聖徒たちの死は尊い。 詩編115:6
聖人のための序文、序文213。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
節:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
聖句:主は、御自分のしもべのへりくだりを顧みてくださった。見よ、これから先、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
平日および祝日の初唱、第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
わが神に歌え、歌え、/わが王に歌え、歌え。
詩句:すべての民よ、手を打ち、喜びの声を上げて神に叫べ。 詩編 46:7, 2
第126の冒頭。
詩句:主よ、あなたの慈しみを、私は永遠に歌い、代々、私の口をもってあなたの真理を告げ知らせる。
詩句:あなたはこう言われた。「慈しみは永遠に堅く立つ」と。あなたの真実は天に確立される。 詩編 88:2, 3
主よ、あなたの民を救い、あなたの嗣業を祝福してください。
詩句:主よ、私はあなたに叫び求めます。わが神よ、私を軽んじて黙り込まないでください。 詩編 27:9a, 1a
冒頭215a。
節:わたしは、わたしの民の中から選ばれた者を高めた。
詩句:見よ、わが手が彼を支え、わが力が彼を強める。 詩編 88:20b, 22
主よ、あなたの宮には聖所がふさわしい、/永遠に。
聖句:主は王座に着き、栄光に身を包まれた。 詩編 92:5b, 1a
第307番。
詩句:その御座は聖なる山々にある。
詩句:神の都よ、あなたについて栄光あることが語られている。 詩編 86:1, 3
主、私たちの神を賛美せよ、/その御足の御座にひれ伏せ、それは聖なるものだから。
節:主は王となられた。諸国民は怒り狂え。 詩編98:5, 1a
序文125a。
節:あなたが初めから贖われた御民を思い出してください。
節:しかし、世の初めから私たちの王であられる神は、地のただ中で救いを成し遂げられた。 詩編 73:2a, 12
祝日のプロキメンとハレルヤ。
第125編bの冒頭。
祝日のプロキメンとアリルヤ。
第203章。
神は御自身の聖徒たちの中に、まことに驚くべきお方、イスラエルの神。 詩編67:36a
通常および大殉教者のザチャロ、第181番。
詩句:私は忍耐をもって主を待ち望んだ。主は私に耳を傾け、私の祈りを聞いてくださった。
聖句:主は私の足を岩の上に据え、私の歩みを導いてくださった。 詩編 39:2, 3b
主は、御自身の地にいる聖徒たちの間で、御自身のすべての御心を驚くべきように現された。 詩編 15:3
祝日および大殉教者の冒頭、第233番。
節:義人たちは叫んだ――そして主は彼らの声を聞き入れられた。
節:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:18a, 20
わが口は知恵を語り、わが心の思いは分別である。 詩編48:4
祝日および聖人の序歌、第318a番。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
節:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
詩句:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編 63:11a, 2a
冒頭 210b。
詩句:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
詩句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
冒頭73b。
詩句:主よ、天はあなたの奇蹟を、聖徒たちの集いにおいて、あなたの真実を告げ知らせる。
詩句:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6, 8a
聖徒たちは栄光のうちに賛美し/その寝床で喜び歌う。
詩句:主に向かって新しい歌を歌え、聖徒たちの集いにおいて主を賛美せよ。 詩編 149:5, 1
序文176。
節:主を畏れる人は幸いである。彼は主の戒めを深く愛する。
聖句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
序文 318a。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は正義を告げ知らせる。
節:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編36:30, 31
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が私を幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
彼らの声は全地に響き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届いた。 詩編 18:5a
聖母マリアの冒頭320、および使徒への冒頭21b。
節:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
節:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
節:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒の群れの中で、神を賛美します。 詩編88:6a, 8a
聖徒たちは栄光のうちに賛美し/その寝床で喜び歌う。
節:主に向かって新しい歌を歌え。 詩編 149:5, 1a
序文 40a。
節:あなたの祭司たちは正義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
詩句:われらは主の宮に入り、主の御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編 131:9, 7
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべてのものに対し、私は主に何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文335。
節:あなたの祭司たちは義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。 詩編 131:9; 111:1
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
詩句:天は神の栄光を語り、御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
序文131。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒たちの集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
詩句:天は神の栄光を語り、御手の御業を大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第131章の冒頭。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒たちの集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
主の御前において尊いのは/御自身の聖徒たちの死である。
詩句:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編 115:6, 3
第213章。
詩篇:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
節:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
彼らの声は全地に行き渡り、/彼らの言葉は宇宙の果てにまで届く。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第20章の冒頭。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒の群れの中で、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
主よ、私たちの先祖の神よ、あなたは祝福され、/あなたの御名は永遠に称えられ、栄光に輝きます。
節:あなたが私たちに対してなされたすべてのことは、義にかなっているからです。 ダニエル書 3:26, 27a
序文334。
詩句:神々の神、主は語られ、地を呼び集められた。
聖句:主の聖徒たちを主のもとに集めよ。 詩編 49:1a, 5a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240章。
詩篇:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
節:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編44:11a, 13b
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
節:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編 63:11a, 2a
序文292。
節:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
詩句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
冒頭 260b。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒たちの集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
節:天は神の栄光を語り、御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
冒頭200。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒の群れの中で、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
主よ、あなたの民を救い / あなたの嗣業を祝福してください。
節:主よ、私はあなたに叫びます。わが神よ、私を軽んじて黙り込まないでください。 詩編27:9, 1a
義人は主を喜び、主に望みを置く。 詩編63:11a
序文331bおよび聖人の序文292。
節:神よ、あなたは私たちを拒み、私たちを打ち倒されました。
聖句:あなたは地を揺るがし、それを動揺させた。 詩編 59:3a, 4
聖句:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。 詩編91: 13
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
序文 318a。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
地上の聖徒たちの中に、/主は御自身のすべての御心を驚くべき形で現された。
節:私は常に主を目の前におり、主は私の右におられ、私が揺らぐことのないようにしてくださる。 詩編 15:3, 8
第153番。
聖句:ほら、これほど素晴らしいこと、これほど心地よいこと――兄弟たちが共に暮らすことほどに。
詩篇:エアモンの露がシオンの山々に降り注ぐように。主はそこに、永遠の祝福と命をお与えになったからである。 詩編 132:1, 3
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編 48:4, 2
序文 318a。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
あなたは御自身の天使たちを霊として、/御自身の僕たちを炎として造られる。
節:わが魂よ、主を賛美せよ!わが神、主よ、あなたはまことに尊ばれる。
詩編103:4, 1a
序文305。
聖句:主のすべての御使いたちよ、主を賛美せよ。主のすべての軍勢よ、主を賛美せよ。
聖句:主が語られたとき、それらは現れ、主が命じられたとき、それらは造られた。 詩編 148:2, 5b
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
詩句:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編 48:4, 2
冒頭318a。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
彼らの声は全地に行き渡り、/彼らの言葉は宇宙の果てにまで届く。
詩句:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
序文131。
詩句:主よ、天はあなたの奇蹟を、聖徒たちの集いにおいて、あなたの真実を告げ知らせる。
詩句:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6, 8a
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文334。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届いた。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第131番の冒頭。
詩句:主よ、天はあなたの奇蹟を、聖徒たちの集いにおいて、あなたの真実を告げ知らせる。
詩句:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6, 8a
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
第233番。
詩句:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第320番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
彼らの声は全地に響き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届いた。 詩編 18:5a
一般信徒および使徒たちのための序歌、序歌302b。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒たちの集いにおいて、神を賛美します。 詩編88:6a, 8a
主の御前において、その聖徒たちの死は尊い。 詩編 115:6
祝日の序唱および聖人への序唱、第213番。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
節:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
神は御自身の聖徒たちの中に、まことに驚くべき方、イスラエルの神である。 詩編67:36a
祝日および大殉教者の序文、序文233。
節:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き入れられた。
節:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:18a, 20
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
聖句:主は、御自分のしもべのへりくだりを顧みてくださった。見よ、これから先、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
主の御目には、その聖徒たちの死は尊い。 詩編 115:6
第320節、および聖殉教者たちへの第246節。
節:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
節:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
詩句:あなたの祭司たちは正義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
節:われらは御殿に入り、御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編131:9, 7
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が私を幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
主は、地上の聖徒たちの間に、御自身のすべての御心を驚くべき形で現された。 詩編 15:3
第320節、聖人への第233節。
節:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
節:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
聖句:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:20
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
詩句:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第131章の冒頭。
詩句:主よ、天はあなたの奇蹟を、聖徒たちの集いにおいて、あなたの真実を告げ知らせる。
詩句:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6, 8a
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
神は御自身の聖徒たちの中に、まことに驚くべきお方である。/イスラエルの神よ。
詩句:集いにおいて、イスラエルの泉から、主なる神を賛美せよ。 詩編 67:36a, 27
冒頭208a。
節:私は忍耐をもって主に望みを置き、主は私に耳を傾け、私の祈りを聞いてくださった。
節:主は私の足を岩の上に据え、私の歩みを正してくださった。 詩編 39:2, 3b
主の御目には、その聖徒たちの死は尊い。
聖句:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編 115:6, 3
第213章。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
節:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編63:11a, 2a
序文335。
節:あなたの祭司たちは義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
詩句:私たちは御殿に入り、御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編 131:9, 7
神は御自身の聖徒たちの中にあって驚くべき方、/イスラエルの神。
節:集いにおいて、イスラエルの源より、主なる神を賛美せよ。 詩編67:36a, 27
冒頭 210b。
節:義人の救いは主から来る。主は、苦難の時に彼らの守り手である。 詩編36:39
地上の聖徒たちの中に、/主は御自身のすべての御心を驚くべきように現された。
節:私は常に主を自分の前に見ていた。主は私の右におられ、私が揺らぐことのないようにしてくださるからである。 詩編 15:3, 8
第233番。
聖句:義人たちは叫び求めた――そして主は彼らの声を聞き入れられた。
聖句:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:18a, 20
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
第335章。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
礼拝は12月10日と同様。
神は御自身の聖徒たちの中にあって驚くべき方、/イスラエルの神。
詩篇:集いにおいて、イスラエルの源である主なる神を賛美せよ。 詩編67:36a, 27
第330章。
節:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き入れられた。
聖句:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:18a, 20
主よ、私たちの先祖の神よ、あなたは祝福され、/あなたの御名は永遠に称えられ、栄光に輝きます。
聖句:主よ、あなたが私たちになさったすべてのことは、義にかなっているからです。 ダニエル書 3:26, 27a
冒頭257。
聖句:モーセとアロンは、主の祭司たちのうちにおり、サムエルは、主の御名を呼び求める者たちのうちにおった。
節:彼らは主を呼び求め、主は彼らの声に耳を傾けられた。 詩篇 98:6
その日のプロキメンとアリルヤ。
第205章。
主よ、私たちの先祖の神よ、あなたは祝福され、/あなたの御名は永遠に称えられ、栄光を受けます。
節: あなたが私たちに対してなされたすべてのことは、義にかなっているからです。 ダニエル書 3:26, 27a
冒頭328。
詩句:神よ、私たちは耳で聞き、先祖たちが私たちに告げ伝えました。
詩句:あなたは、私たちを苦しめる者たちから救い出し、私たちを憎む者たちを恥じ入らせたからです。 詩編 43:2a, 8
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
節:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編63:11a, 2a
冒頭311a。
詩句:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
詩句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
聖句:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編 48:4, 2
序文 318a。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
神は御自身の聖徒たちの中にあって驚くべき方である。/イスラエルの神よ。
節:集いにおいて、イスラエルの泉から、主なる神を賛美せよ。 詩編67:36a, 27
冒頭 208a。
節:私は忍耐をもって主に望みを置き、主は私に耳を傾け、私の祈りを聞いてくださった。
節:主は私の足を岩の上に据え、私の歩みを正してくださった。 詩編 39:2, 3b
第1時、303番の冒頭。
第3時、208aの開始。
第6時、序曲304。
第9時、306番の冒頭。
主はわたしに言われた。「あなたはわたしの子、/わたしは今日、あなたを産んだ」。
節:わたしに求めよ。そうすれば、わたしは諸国民をあなたの嗣業とし、地の果てをあなたの所有とする。 詩編2:7b, 8
序文303。
土曜日または日曜日の晩課において、典礼とは別に執り行われる場合は、第207章。
詩句:主はわが主に言われた。「わたしの右に座しなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足の下に置くまで。」
詩句:主はシオンから力ある杖をあなたに送られる。そうして、あなたは敵たちの間で支配するであろう。
詩句:「『私は、明けの明星よりも先に、あなたを母の胎から生み出した』と、主は誓われ、その誓いを撤回されることはない。」
詩編 109:1、2、3b–4a
全地よ、主を礼拝し、主を賛美せよ、/いと高き方よ、御名を賛美せよ。
節:全地よ、主に向かって叫べ。その御名を歌え。その賛美に栄光を帰せよ。 詩編 65:4, 1b–2
序文209。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
聖句:日は日にその言葉を伝え、夜は夜にその知識を告げ知らせる。 詩編 18:2, 3
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
詩句:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第306番。
詩句:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:8, 11a
あなたの御名を、すべての世代、すべての代にわたり、記憶に残るものとする。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして耳を傾けよ。 詩編 44:18a, 11a
序文288。
節:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:8, 11a
神は御自身の聖徒たちの中にあって驚くべき方、/イスラエルの神。
節:集いにおいて、イスラエルの源である主なる神を賛美せよ。 詩編67:36a, 27
冒頭200。
詩句:主よ、ダビデとそのすべての柔和さを思い出してください。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:1, 11a
彼らの声は全地に行き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届いた。 詩編 18:5a
通常導入部および使徒への導入部、第17導入部。
節:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
節:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
主よ、あなたは私たちを守り、この世から、そして永遠に私たちを救い出してください。 詩編11:8
祝日および殉教者たちの序文、序文96b。
節:全地よ、主に向かって叫べ。その御名を歌え。その栄光を称えよ。
節:神よ、あなたは私たちを試み、銀を精錬するように、火をもって私たちを清めてくださいました。 詩編 65:1b–2, 10
若者たちよ、主を賛美せよ、主の御名を賛美せよ。 詩編112:1
通常導入部および殉教者への導入部、第180番。
節:彼らの血は、水のように流された。
節:主よ、あなたの憐れみが、速やかに私たちに臨みますように。 詩編 78:3a, 8b
神は御自身の聖徒たちの中にあって驚くべき方、/イスラエルの神。
詩句:集いにおいて、イスラエルの源より、神、主を賛美せよ。 詩編 67:36a, 27
通常の導入。
詩句:主よ、ダビデとそのすべての柔和さを思い出してください。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:1, 11a
主よ、あなたの民を救い、/あなたの嗣業を祝福してください。
節:主よ、私はあなたに呼びかけます。わが神よ、私を見捨てて黙り込まないでください。 詩編 27:9, 1
わが口は知恵を語り、わが心の思いは分別を語る。 詩編48:4
序文254および聖なる序文318a。
聖句:イスラエルの牧者よ、ヨセフの羊の群れを導く者よ、耳を傾けてください。
聖句:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。 詩編 79:2a; 36:30
その日のプロキメンとアリルヤ。
第284章。
主よ、あなたの民を救い、あなたの嗣業を祝福してください。
詩句:主よ、私はあなたに呼びかけます。わが神よ、私を見捨てて黙り込まないでください。 詩編27:9, 1a
序文298。
節:神よ、私たちを憐れみ、私たちを祝福し、御顔の光を私たちに現し、私たちを憐れんでください。
詩句:地上のすべての民があなたの道を、すべての部族があなたの救いを知るため。 詩編 66:2, 3
主の御前において尊いのは/御聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
詩句:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
冒頭96a。
詩篇:主よ、天はあなたの御業を告げ知らしめ、聖徒の集いにおいてあなたの真実を宣べ伝えます。
節:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6, 8a
第1時、第33章の冒頭。
第3時、第42章の朗読。
第6時、第91章の冒頭。
第9時、第302a章の朗読。
主はわが光、わが救い主。/誰を恐れることがあろうか。
節:主はわがいのちの守り手。誰を恐れることがあろうか。 詩編26:1
序文143a。
土曜日と日曜日には、第143b節。
詩句:わが心は善き言葉を注ぎ出し、わが行いを王に告げ知らせる。
節:人の子らの間で、美しさに満ちて咲き誇る。 詩編44:2a, 3a
プロキメンは聖体礼儀と同様。
序文143b。
節:主の御声は水の上にある。栄光の神は轟き、主は多くの水の上におられる。 詩編28:3
主の御名によって来られる方は祝福されよ。/神は主であり、御自身を私たちに現された。
詩句:主を賛美せよ。主は善き方であり、その慈しみは永遠に続くからである。 詩編 117:26a, 27a, 1
冒頭302a。
詩篇:神の子らよ、主に捧げよ、主に若い雄羊を捧げよ。
節:水のうえに主の御声が響き、栄光の神が轟き、主は多くの水のうえにおられる。 詩編 28:1, 3
義人は主を喜び、主に望みを置く。 詩編63:11a
通常導入部および預言者への導入部、第42導入部。
節:光は義人に輝き、正しい心には喜びがある。
節:義人よ、主を喜び、その聖なる御業を語り伝えよ。 詩編 96:11, 12
祝日の礼拝。
序文233。
主よ、御慈悲を私たちに注いでください、/私たちはあなたに望みを置いているのですから。
節:義人よ、主を喜び祝え。義人には賛美がふさわしい。 詩編32:22, 1
主の御名によって来られる方は祝福されよ。神は主であり、御自身を私たちに現された。 詩編117:26a, 27a
冒頭224bおよび通常の冒頭。
詩句:主よ、あなたの慈しみを、私は永遠に歌い、代々、私の口をもってあなたの真理を告げ知らせる。
節:あなたはこう言われた。「慈しみは永遠に堅く立つ」と。あなたの真実は天に確立される。 詩編88:2, 3
詩句:神の子らよ、主に捧げよ。主に若い雄羊を捧げよ。
聖句:主の御声は水の上で、栄光の神は轟き、主は多くの水の上におられる。 詩編 28:1, 3
わが口は知恵を語り、わが心の思いは分別である。 詩編 48:4
祝日および聖人の序歌、第335番。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
節:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
わが口は知恵を語り、わが心の思いは分別である。 詩編 48:4
祝日および聖人の序歌、第318a番。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
節:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
主の御目には、その聖徒たちの死は尊い。 詩編115:6
祝日および聖人の序歌、第151番。
節:あなたの祭司たちは正義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
聖句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。 詩編 131:9; 111:1
主の御前において、その聖徒たちの死は尊い。 詩編 115:6
聖人のための序文、序文176。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
節:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
主の御名によって来られる方は祝福されよ。/神は主であり、御自身を私たちに現された。
詩篇:主を賛美せよ。主は善き方であり、その慈しみは永遠に続くからである。 詩編117:26a, 27a, 1
彼らの声は全地に行き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届いた。 詩編18:5a
通常および聖なる序文、第131番。
詩句:神の子らよ、主に捧げよ、主に若い雄羊を捧げよ。
節:主の御声は水の上にある。栄光の神は轟き、主は多くの水の上におられる。 詩編 28:1, 3
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編88:6a, 8a
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届いた。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第29章の冒頭。
節:主よ、天はあなたの奇蹟を、聖徒の集いにおいて、あなたの真実を告げ知らせる。 詩編88:6
主の御前において、その聖徒たちの死は尊い。
詩句:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編 115:6, 3
序文335。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強く、義人の家系は祝福される。 詩編 111:1, 2
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
詩句:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編 115:6, 3
序文335。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
神は私たちの避難所であり、力である。 詩編45:2a
声の使徒と新殉教者たち、第99章の冒頭。
聖句:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き、すべての苦しみから彼らを救い出された。
聖句:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編33:18, 20
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
詩句:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編 115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
詩句:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編 48:4, 2
第151章。
詩句:わが民よ、わが律法に耳を傾けよ。わが口の語る言葉に耳を傾けよ。
詩句:わたしはたとえを用いて口を開き、太古からの謎を語り告げよう。 詩編 77:1, 2
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは理性を語る。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編 48:4, 2
冒頭 318a。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
聖句:神の律法は彼の心にある。それゆえ、彼の足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
節:天は神の栄光を語り、その御手の業を大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
序文334。
詩句:主よ、天はあなたの奇蹟を、聖徒たちの集いにおいて、あなたの真実を告げ知らせる。
詩句:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6, 8a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
序文316。
詩句:主よ、今、あなたは御言葉どおり、あなたのしもべを平安のうちに去らせてくださいます。
詩句:異邦人への啓示の光、そしてあなたの民イスラエルの栄光。 ルカ 2:29, 32
義人は主を喜び、主に望みを置く。 詩編 63:11a
通常導入部および聖人への導入部、第321b
詩句:光は義人に輝き、正しい心には喜びがある。
聖句:義人よ、主を喜び、その聖なる御業を語り伝えよ。 詩編96:11, 12
主の御前において、その聖徒たちの死は尊い。 詩編 115:6
祝日および聖人の序歌、第335番。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
節:その子孫は地上で力強く、義人の家系は祝福される。 詩編 111:1, 2
義人は主を喜び、主に望みを置く。 詩編63:11a
祝日の序文および大殉教者への序文、第292番。
節:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
詩句:主の家に植えられ、わが神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
通常の開始。
詩句:主よ、今、あなたは御言葉どおり、あなたのしもべを平安のうちに去らせてくださいます。
詩句:異邦人への啓示の光、そしてあなたの民イスラエルの栄光。 ルカ 2:29, 32
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が私を幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
主の御前において、その聖徒たちの死は尊い。 詩編 115:6
聖人への冒頭240、冒頭335。
節:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
節:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
節:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き、すべての苦しみから彼らを救い出された。
聖句:義人には多くの苦しみがあるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:18, 20
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
詩句:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編 63:11a, 2a
序文292。
節:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
詩句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
節:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編63:11a, 2a
第176章。
詩篇:義人はヤシの木のように栄え、レバノンの杉のように繁栄する。
節:主の家に植えられ、わが神の庭に立つ者は、栄える。 詩編91:13, 14
主よ、あなたは私たちを守り、この世から、そして永遠に、私たちを救い出してください。
節:主よ、私を救ってください。義人は一人もいなくなったからです。 詩編11:8, 2a
冒頭 331a。
節:全地よ、主に叫べ。その御名を歌え。その賛美に栄光を帰せよ。
詩句:神よ、あなたは私たちを試み、銀を精錬するように、火をもって私たちを清めてくださいました。 詩編 65:1b–2, 10
日々、わが神の救いを宣べ伝えよ。
詩句:主に向かって新しい歌を歌え、全地よ、主に向かって歌え。 詩編 95:2b, 1
序文306。
節:主は、羊毛に降り注ぐ雨のように、また地に落ちる露のように、降りて来られる。
詩句:その御名は永遠に祝福され、その御名は太陽よりも先に存在する。 詩編 71: 6, 17a
義人は主を喜び、主に望みを置く。 詩編 63:11a
殉教者のための第29番の序歌。
節:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
節:主の家に植えられ、わが神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
彼らの声は全地に行き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届いた。 詩編 18:5a
通常導入部および使徒への導入部、第63導入部。
節:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
節:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
彼らの声は全地に響き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届いた。 詩編18:5a
通常序文および使徒書、序文131。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
節:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
彼らの声は全地に行き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届いた。 詩編 18:5a
「始まり」の通常編および「使徒への手紙」、第29章。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒の群れの中で、神を賛美します。 詩編88:6a, 8a
あなたは、メルキゼデクの位に従い、永遠の祭司である。 詩編 109:4b
預言者への序文、第156番。
節:モーセとアロンは御彼の祭司たちのうちにおり、サムエルは御彼の御名を呼び求める者たちのうちにおる。
節:光は義人に輝き、心正しき者には喜びがある。 詩編 98:6a; 96:11
主は、御自身の地にある聖徒たちの間に、御自身のすべての御心を驚くべき形で現された。 詩編 15:3
序唱(一般および聖人用)、第99番。
節:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き、すべての苦しみから彼らを救い出された。
節:義人には多くの苦しみがあるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:18, 20
主の御目には、その聖徒たちの死は尊い。 詩編 115:6
一般信徒および聖人への序文、序文334。
詩篇:あなたの祭司たちは正義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
詩句:われらは御殿に入り、御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編131:9, 7
主、私たちの神を賛美し、その御足の台にひれ伏せ。それは聖なるものだからである。 詩編 98:5
通常序文および十字架への序文、序文125a。
節:あなたが初めから獲得された御自分の群れを思い出してください。
節:世の初めから私たちの王であられる神は、地のただ中で救いを成し遂げられた。 詩編 73:2a, 12
彼らの声は全地に響き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届いた。 詩編 18:5a
通常序文および使徒への序文、第68b節。
節:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
節:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
聖徒たちは栄光のうちに賛美し、その寝台の上で喜び歌う。 詩編 149:5
聖人への序歌、第335番。
詩句:あなたの祭司たちは正義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
詩句:われらは御殿に入り、御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編131:9, 7
彼らの声は全地に響き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届いた。 詩編18:5a
通常序文および使徒への序文、第131番。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
節:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
主の御前において、その聖徒たちの死は尊い。 詩編 115:6
聖人への序唱、序唱318a。
節:あなたの祭司たちは正義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
節:われらは主の宮に入り、主の御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編 131:9, 7
義人は主を喜び、主に望みを置く。 詩編 63:11a
一般の聖人および殉教者への賛歌、第335番。
詩句:あなたの祭司たちは正義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
詩句:われらは御殿に入り、御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編131:9, 7
義人は主を喜び、主に望みを置く。 詩編 63:11a
聖人への序文、序文292。
節:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
節:主の家に植えられ、わが神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
第335章。
聖句:義人の口は知恵を語り、その舌は正義を告げ知らせる。
節:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
節:天は神の栄光を語り、御手の御業を大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第200節。
もし五旬節の祝日までの場合――第49章。
詩句:わたしは、わたしの民の中から選ばれた者を高めた。わたしのしもべダビデを見出した。
節:主よ、王はあなたの力によって喜び、あなたの救いを大いに喜ぶ。
詩編 88:20b-21a; 20:2
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が私を幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
序文 318b。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は正義を告げ知らせる。
節:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編36:30, 31
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
節:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編63:11a, 2a
序文176。
節:光は義人に輝き、正しい心には喜びがある。
詩句:真理は地から湧き上がり、正義は天から降り注いだ。 詩編 96:11; 84:12
聖徒たちは栄光のうちに賛美し、/その寝床で喜び歌う。
節:主に向かって新しい歌を歌え、聖徒の集いにおいて主を賛美せよ。 詩編 149:5, 1
序文233。
節:主を畏れる人は幸いである。彼は主の戒めを深く愛する。
聖句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
節:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編63:11a, 2a
序文292。
聖句:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
聖句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩編91:13, 14
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
第334番。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は、その人の心の中にある。 詩編 36:30, 31a
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
第335番。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届いた。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第28章の冒頭。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒の群れの中で、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
あなたは、メルキゼデクの位に従い、/永遠の祭司である。
詩句:主はわが主にこう言われた。「わが右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足の下に置くまで。」 詩編 109:4b, 1
冒頭57a。
節:モーセとアロンは、その祭司たちのうちにおり、サムエルは、その御名を呼び求める者たちのうちにおる。
聖句:義人には光が輝き、心正しき者には喜びがある。 詩編 98:6a; 96:11
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
第335番。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
聖句:主は、御自分のしもべのへりくだりを顧みてくださった。見よ、これから先、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
義人は主を喜び、主に望みを置く。 詩編63:11a
第240の冒頭、殉教者の第29の冒頭。
節:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
節:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ求めるであろう。 詩編 44:11a, 13b
節:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
節:主の家に植えられ、わが神の庭に立つ者は、栄える。 詩編91:13, 14
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第77章の冒頭。
詩句:主よ、天はあなたの奇蹟を、聖徒たちの集いにおいて、あなたの真実を告げ知らせる。
詩句:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6, 8a
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
序文 318a。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
聖句:神の律法は彼の心にある。それゆえ、彼の足はつまずくことがない。 詩篇 36:30, 31
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
詩句:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編 63:11a, 2a
第112章の冒頭。
節:イスラエルの神、主は祝福される。主は御自分の民を顧み、贖いを成し遂げられたからである。
詩句:そして、あなたよ、幼子よ、あなたは至高者の預言者と名付けられるであろう。 ルカ 1:68, 76a
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして耳を傾けよ。
詩句:民の中の富める者たちが、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そしてあなたの耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちが、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべてのものに対し、私は主に何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
彼らの声は全地に響き渡り、/彼らの言葉は宇宙の果てにまで届いた。
聖句:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩篇 18:5a, 2
序文193。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒たちの集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
詩句:天は神の栄光を語り、御手の御業を大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
序文131。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒たちの集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
この地において、聖なる者たちの中に、/主は御自身のすべての御心を驚くべき形で現された。
節:私は常に主を目の前におり、主は私の右におられ、私が揺らぐことのないようにしてくださる。 詩編 15:3, 8
第153番。
節:見よ、これほど美しいこと、これほど喜ばしいこと――兄弟たちが共に暮らすことほど。
詩句:エアモンの露がシオンの山々に降り注ぐように。主はそこに、永遠の祝福と命をお与えになったからである。 詩編 132:1, 3
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
聖句:主は、御自分のしもべのへりくだりを顧みてくださった。見よ、これから先、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第320の冒頭。
詩句:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:8, 11a
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
第335番。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
主よ、御力によって王は喜び、/御救いによって大いに喜ぶ。
節:あなたは彼の心の願いを彼に与え、彼の口が求めたものを、あなたは彼から奪われなかった。 詩編 20:2, 3
第99章。
節:王は主を頼みとし、至高者の慈しみによって揺らぐことはない。
詩句:主よ、あなたの御力によって高く上げられよ。私たちはあなたの御力を歌い、賛美します。 詩編 20:8, 14
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文334。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
詩句:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちが、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
主、私たちの神を賛美せよ、/その御足の台にひれ伏せ、それは聖なるものだから。
節:主は王となられた。諸国民は怒れ。 詩編98:5, 1a
主の御目には、その聖徒たちの死は尊い。 詩編115:6
序文125aおよび聖人への序文213。
節:主よ、あなたが初めから得られた御民の群れを思い出してください。
節:世の初めから私たちの王であられる神は、地のただ中で救いを成し遂げられた。 詩編 73:2a, 12
節:主を畏れる人は幸いである。彼は主の戒めを深く愛する。
節:その子孫は、地上で力強い者となる。 詩編111:1、2a
神は御自身の聖徒たちの中に驚くべきお方である。/イスラエルの神よ。
節:集いにおいて、イスラエルの泉から、神、主を賛美せよ。 詩編67:36a, 27
序文181。
節:私は忍耐をもって主に望みを置き、主は私に耳を傾け、私の祈りを聞いてくださった。
詩句:主は私の足を岩の上に据え、私の歩みを正してくださった。 詩編 39:2, 3b
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして御耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちが、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
あなたは御自身の天使たちを霊として、/御自身の僕たちを炎として造られる。
節:わが魂よ、主を賛美せよ!わが神、主よ、あなたはまことに尊ばれます。
詩編 103:4, 1a
序文305。
詩句:主のすべての御使いたちよ、主を賛美せよ。主のすべての軍勢よ、主を賛美せよ。
詩句:主が語られたゆえに、彼らは現れ、主が命じられたゆえに、彼らは造られた。 詩編 148:2, 5b
わが神に歌え、歌え、/わが王に歌え、歌え。
節:すべての民よ、手を打ち、喜びの声を上げて神を賛美せよ。 詩編 46:7, 2
冒頭200。
詩句:わたしは、わたしの民の中から選ばれた者を高めた。
詩句:見よ、わたしの手が彼を支え、わたしの力が彼を強める。 詩編 88:20b, 22
主よ、私たちの先祖の神よ、あなたは祝福され、あなたの御名は永遠に称えられ、栄光を受けます。
ダニエル書 3:26
通常序文および教父たちの序文、第334番。
節:神々の神、主は語られ、太陽の東から西に至るまで、地を呼び集められた。
聖句:主の聖徒たちを主のもとに集めよ。 詩編 49:1, 5a
主の御前において尊いのは/御自身の聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
あなたは、メルキゼデクの位に従い、/永遠の祭司である。
詩句:主はわが主に言われた。「わが右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足の下に置くまで。」 詩編 109:4b, 1
冒頭57a。
節:モーセとアロンは、その祭司たちのうちにおり、サムエルは、その御名を呼び求める者たちのうちにおる。
聖句:義人に光が輝き、心正しき者には喜びがある。 詩編 98:6a; 96:11
神は御自身の聖徒たちの中に、まことに驚くべき方である。/イスラエルの神。
聖句:集いにおいて、イスラエルの泉から、主なる神を賛美せよ。 詩編 67:36a, 27
第141章。
節:私は忍耐をもって主に望みを置き、主は私の声に耳を傾けてくださった。
節:主は私の足を岩の上に据え、私の歩みを正してくださった。 詩編 39:2a, 3b
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第320番。
詩句:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:8, 11a
地上の聖徒たちに対し、/主は御自身のすべての御心を、彼らの間で驚くべきように現された。
節:私は常に主を自分の前に見ていた。主は私の右におられ、私が揺らぐことのないようにしてくださるからである。 詩編 15:3, 8
第99番。
節:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き、あらゆる苦しみから彼らを救い出された。
聖句:義人には多くの苦しみがあるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編 33:18, 20
神は御自身の聖徒たちの中にあって驚くべき方である。/イスラエルの神よ。
詩句:集いにおいて、イスラエルの源である主なる神を賛美せよ。 詩編 67:36a, 27
冒頭 210b。
節:義人の救いは主から来る。主は、苦難の時に彼らの守り手である。 詩編36:39
神は御自身の聖徒たちの中にあって驚くべき方、/イスラエルの神。
節:集いにおいて、イスラエルの泉から、神、主を賛美せよ。 詩編67:36a, 27
序文292。
聖句:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
聖句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩篇 91:13, 14
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そしてあなたの耳を傾けてください。
詩句:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
詩句:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編 63:11a, 2a
序文116。
節:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出される。 詩編33:20
主よ、あなたの民を救い、/あなたの嗣業を祝福してください。
節:主よ、私はあなたに呼びかけます。わが神よ、私を軽んじて黙り込まないでください。 詩編27:9a, 1a
主は、御自身の地にいる聖徒たちの間に、御自身のすべての御心を驚くべきように現された。 詩編15:3
第125a節および聖人たちの部分、第330節。
詩篇:御自身が初めから贖われた御民の群れを思い出してください。
節:世の初めから私たちの王であられる神は、この地において救いを成し遂げられた。 詩編73:2a, 12
節:義人たちは叫び求めた。主は彼らの声を聞き、すべての苦しみから彼らを救い出された。
詩編 33:18
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届いた。
節:天は神の栄光を語り、御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第17章。
節:主よ、天はあなたの奇蹟を、聖徒の集いにおいて、あなたの真実を告げ知らせる。 詩編88:6
主よ、あなたの御業はなんと荘厳なことか、/あなたはすべてを英知をもって造られた。
詩句:わが魂よ、主を賛美せよ。わが神、主よ、あなたはまことに尊ばれる。
詩編 103:24a, 1
第65の冒頭。
節:天はあなたのもの、地もあなたのものです。
詩句:勝利の叫びを知る民は幸いである。 詩編 88:12a, 16a
わが口は知恵を語り、わが心の思いは分別である。 詩編 48:4
受胎の賛歌および聖人への賛歌 318a。
詩句:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げる。
節:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編36:30, 31
彼らの声は全地に行き渡り、その言葉は宇宙の果てにまで届く。 詩編 18:5a
通常の導入部および使徒への導入部 2.
節:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
節:聖徒の群れの中で、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
主よ、あなたの御業はなんと荘厳なことか、/あなたはすべてを英知をもって造られた。
節:わが魂よ、主を賛美せよ!わが神、主よ、あなたはまことに尊ばれます。
詩編103:24a, 1
わが口は知恵を語り、わが心の思いは分別である。 詩編48:4
通常の導入部、および聖職者への導入部318a。
節:天はあなたのものであり、地もあなたのものである。
節:勝利の叫びを知る民は幸いである。 詩編 88:12a, 16a
節:義人の口は知恵を語り、その舌は正義を告げ知らせる。
聖句:神の律法は、その人の心にある。 詩編36:30, 31a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
詩句:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:8, 11a
主に向かって新しい歌を歌え、/主は驚くべき御業をなされたからである。
節:地の果てに至るまで、みな、私たちの神の救いを見た。 詩編97:1a, 3b
第250のイコンの冒頭および通常部分。
わが魂は主を賛美し、わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。 ルカによる福音書 1:46–47
詩句:主よ、私たちはあなたの御顔の光の中を歩み、あなたの御名に永遠に喜びます。
参照:詩編88:16b–17a
詩句:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編131:8, 11a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主である神を喜び祝う。
聖句:主は、御自分のしもべのへりくだりを顧みてくださった。見よ、これから先、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
通常および祝日の序文、第240番。
詩句:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:8, 11a
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別である。
節:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編48:4, 2
序文 318a。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
彼らの声は全地に行き渡り、/その言葉は宇宙の果てにまで届く。
節:天は神の栄光を語り、その御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
冒頭300a。
詩句:天は、主よ、あなたの御業を告げ知らせる。
詩句:聖徒たちの集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6a, 8a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第240番。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そしてあなたの耳を傾けてください。
聖句:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ求めるであろう。 詩編 44:11a, 13b
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
節:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編63:11a, 2a
第33章。
節:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
詩句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
節:主は御自分のしもべのへりくだりに目を留めてくださった。見よ、今より後、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
第320番。
詩句:主よ、立ち上がってください。あなたとあなたの聖なる箱とが、あなたの安息の場所に入られますように。
詩句:主はダビデに真実をもって誓われ、その誓いを破られることはない。 詩編 131:8, 11a
わが魂は主を賛美し、/わが霊はわが救い主なる神を喜び祝う。
聖句:主は、御自分のしもべのへりくだりを顧みてくださった。見よ、これから先、すべての世代が、わたしを幸いな者と呼ぶであろう。 ルカ 1:46–48
あなたの御名を、すべての世代、すべての民族に、記憶に残るものとする。
詩句:娘よ、聞いて、見よ、そして御耳を傾けてください。 詩編 44:18a, 11a
ザチャロ240、あるいはザチャロ320。
詩句:娘よ、聞き、見よ、そして耳を傾けよ。
詩句:民の中の富める者たちは、あなたの御顔を仰ぎ見て懇願するであろう。 詩編 44:11a, 13b
あなたは御自身の天使たちを霊として、/御自身のしもべたちを炎として造られる。
節:わが魂よ、主を賛美せよ。わが神、主よ、あなたはまことに尊ばれる。
詩編103:4, 1a
第305章。
詩句:主のすべての御使いたちよ、主を賛美せよ。主のすべての軍勢よ、主を賛美せよ。
詩句:主が語られたゆえに、彼らは現れ、主が命じられたゆえに、彼らは造られた。 詩編 148:2, 5b
あなたは、メルキゼデクの位に従い、/永遠の祭司である。
詩句:主はわが主に言われた。「わたしの右の座に着きなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」 詩編 109:4b, 1
ザチャロ156、あるいはザチャロ314、あるいはザチャロ57a。
聖句:モーセとアロンは、その祭司たちのうちにおり、サムエルは、その御名を呼び求める者たちのうちにおる。
節:義人に光が輝き、心正しき者には喜びがある。 詩篇 98:6a; 96:11
彼らの声は全地に行き渡り、/彼らの言葉は宇宙の果てにまで届いた。
詩句:天は神の栄光を語り、御手のわざを大空が告げ知らせる。
詩編 18:5a, 2
第131章。
詩句:主よ、天はあなたの奇蹟を、聖徒たちの集いにおいて、あなたの真実を告げ知らせる。
詩句:聖徒の集いにおいて、神を賛美します。 詩編 88:6, 8a
わが口は知恵を語り、/わが心の思いは分別を語る。
詩句:すべての民よ、これを聞きなさい。宇宙に住むすべての者よ、耳を傾けなさい。 詩編 48:4, 2
序文318a。
節:義人の口は知恵を語り、その舌は裁きを告げ知らせる。
詩句:神の律法は彼の心の中にあり、その足はつまずくことがない。 詩編 36:30, 31
主の御前において尊いのは/その聖徒たちの死である。
詩句:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編 115:6, 3
序文335。
節:あなたの祭司たちは義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
聖句:主の宮に入り、主の御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編 131:9, 7
主の御前において尊いのは/御聖徒たちの死である。
節:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編115:6, 3
序文213。
詩句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
義人は主を喜び、/主に望みを置く。
詩句:神よ、私があなたに祈るとき、私の声を聞いてください。 詩編 63:11a, 2a
序文292。
詩句:義人はヤシの木のように花開き、レバノンの杉のように繁栄する。
詩句:主の家に植えられ、私たちの神の庭に立つ者は、栄える。 詩編 91:13, 14
地上の聖徒たちに対して、/主は彼らの間に御自身のすべての御心を驚くべきように現された。
詩句:わたしは常に主を目の前におり、主はわたしの右におられ、わたしが揺らぐことのないようにしてくださる。 詩編 15:3, 8
第99章、あるいは第330章、あるいは第167b章。
節:義人たちは叫び求めた――主は彼らの声を聞き、すべての苦しみから彼らを救い出された。
聖句:義人には多くの苦難があるが、主はそれらすべてから彼らを救い出してくださる。 詩編 33:18, 20
聖徒たちは栄光のうちに賛美し/その寝床で喜び歌う。
聖句:主に向かって新しい歌を歌え、聖徒の集いにおいて主を賛美せよ。 詩編 149:5, 1
序文334。
節:あなたの祭司たちは正義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
詩句:われらは主の宮に入り、主の御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編 131:9, 7
主の御前において尊いのは/御聖徒たちの死である。
詩句:主が私に与えてくださったすべての恵みに、私は主に対して何をお返しすればよいのか。 詩編 115:6, 3
ザチャロ318b、あるいはザチャロ334、あるいはザチャロ246。
節:あなたの祭司たちは正義をまとい、あなたの聖徒たちは喜びに満ちる。
詩句:私たちは主の宮に入り、主の御足が立たれた場所にひれ伏そう。 詩編 131:9, 7
聖徒たちは栄光のうちに賛美され/その寝床で喜び歌う。
節:主に向かって新しい歌を歌え、聖徒たちの集いにおいて主を賛美せよ。 詩編 149:5, 1
聖殉教者への序文 291。聖殉教者たちへの序文 99。
聖句:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。
聖句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1, 2a
神は御自身の聖徒たちの中に、まことに驚くべきお方である。/イスラエルの神よ。
詩句:集いにおいて、イスラエルの泉から、神、主を賛美せよ。 詩編 67:36a, 27
序文181、または序文208a。
節:私は忍耐をもって主に望みを置き、主は私に耳を傾け、私の祈りを聞いてくださった。
節:主は私の足を岩の上に据え、私の歩みを正してくださった。 詩編 39:2, 3b
プロキメンとアリルヤは殉教者たちと同様。
序文208a。
聖殉教者たちへのプロキメンとアリルヤ。
第233章、あるいは第318b章、あるいは第291章。
プロキメンは殉教者に準じて。
第153章。
詩篇:見よ、これほど美しいこと、これほど喜ばしいこと――兄弟たちが共に暮らすことほど。
詩:エアモンの露がシオンの山々に降り注ぐように。主はそこに、永遠の祝福と命をお与えになったからである。 詩編132:1, 3
彼らの魂は/恵みのうちに安らぐ。
節:主よ、私はあなたに私の魂を向け、わが神よ、あなたに望みを置く――決して永遠に恥をかくことのないように。 参照:詩編24:13a、1-2a
月曜日、第113章の始まり。 木曜日、第160週。
火曜日、第162章。 金曜日、第163週。
水曜日、第178章。 土曜日、第270節。
詩句:主よ、あなたが選び、御許に招かれた者は幸いである。
節:その御名は代々語り継がれる。 参照:詩編64:5;44:18a
主はわが光、わが救い主。/ 誰を恐れることがあろうか?
節:主はわがいのちの守り手。誰を恐れることがあろうか? 詩編26:1
第91章。
アリルヤの詩句は指定されていない。
あなたは彼らの頭に宝石の冠を授け、/彼らはあなたに命を求め、あなたはそれを与えられた。
詩句:あなたは彼らに永遠の祝福を与え、御前の御前で喜びで彼らを喜ばせてくださるからです。 参照:詩編 20:4b, 5a, 7
冒頭 230b。
聖句:主よ、あなたは私たちを守り、この世から、そして永遠に私たちを救い出してくださいます。 詩編 11:8
主よ、あなたの憐れみが私たちの上にありますように、/私たちはあなたに望みを置きます。
節:義人よ、主を喜び祝え。義人には賛美がふさわしい。 詩編 32:22, 1
序文57b。
節:主よ、私はあなたの慈しみと裁きを歌います。 詩編100:1
主は私の砦、私の歌であり、/主は私の救いとなられた。
節:主は私を戒め、懲らしめられましたが、死にはお渡しになりませんでした。 詩編117:14, 18
第116の冒頭。
節:主よ、あなたの慈しみを、私は永遠に歌い続けます。 詩編88:2a
主は私の光、私の救い主。/誰を恐れることがあろうか。
節:主はわがいのちの守り手である。誰を恐れることがあろうか。 詩編26:1
第153の冒頭。
節:主よ、私はあなたに望みを置きます。決して恥をかくことのないように。 詩編30:2a
私があなたを呼び求めるその日、/速やかに私の声に耳を傾けてください。
節:主よ、私の祈りを聞き入れ、あなたへの私の叫びが届きますように。 詩編 101:3b, 2
序文 182b。
聖句:私は忍耐をもって主を待ち望んだ。すると、主は私の願いを聞き入れてくださった。 詩編 39:2a
主よ、あなたは私たちを守り、この世から、そして永遠に、私たちを救い出してください。
詩句:主よ、私を救ってください。義人は一人もいなくなったからです。 詩編11:8, 2a
序文168。
節:主よ、あなたの慈しみを、私は永遠に歌い続けます。 詩編88:2a
神よ、あなたの大きな憐れみによって、私を憐れんでください。
節:神よ、私のうちに清い心をお造りください。私の内に正しい霊を新たにしてください。 詩編50:3a, 12
序文213。
節:主を畏れる人は幸いである。主の戒めを深く愛する。 詩編111:1
主よ、あなたの激怒をもって私を責めず、あなたの怒りで私を罰しないでください。
節:主よ、私を憐れんでください。私は弱き者だからです。 詩編 6:2, 3a
第273番。
節:主が悲しみの日にあなたに耳を傾け、ヤコブの神の御名があなたを守られますように。 詩編19:2
主は私の光、私の救い主。/誰を恐れることがあろうか。
詩句:主はわがいのちの守り手である。誰を恐れることがあろうか。 詩編 26:1
序文233。
聖句:この貧しい者が叫ぶと、主はそれを聞き、すべての苦しみから彼を救われた。 詩篇 33:7
今日、あなたが歩む道は幸いである、魂よ、/あなたのために安息の場所が用意されているから。
聖句:主よ、私はあなたに叫び求めます。わが神よ、私を軽んじて黙り込まないでください。
参照:イザヤ・ナホム 23:14;列王記下 2:2;ヨハネ 14:2;黙示録 14:13;詩編 27:1
第270章。
節:主よ、あなたが選び、御許に近づけてくださった者は、幸いである。 参照:詩編64:5
今日、あなたが歩む道は幸いである、魂よ、/あなたのために安息の場所が用意されているから。
詩句:わが魂よ、あなたの安息の場所へ戻れ。主はあなたに恵みを施されたからである。
参照:イザヤ書 23:14;列王記下 2:2;ヨハネによる福音書 14:2;黙示録 14:13;詩編 114:7
第270章。
詩句:主よ、あなたが選び、御許に近づけてくださった者は、幸いである。 参照:詩編64:5
今日、あなたが歩む道は幸いである、魂よ、/あなたのために安息の場所が用意されているから。
詩句:わが魂よ、あなたの安息の場所へ帰れ。主はあなたに恵みを施されたからである。
参照:イザヤ書 23:14;列王記下 2:2;ヨハネによる福音書 14:2;黙示録 14:13;詩編 114:7
第270章。
詩句:主よ、あなたが選び、御許に近づけてくださった者は、幸いである。 参照:詩編64:5
主よ、あなたが選び/御許に招かれた者は、幸いである。
詩句:神よ、シオンにおける賛歌は、あなたにふさわしい。 参照:詩編64:5, 2a
第89章の冒頭。
節:主よ、あなたが選び、御許に招かれた者は幸いである。 参照:詩編64:5
主よ、あなたが選び/御許に招かれた者は、幸いである。
節:彼らの記憶は代々続く。 参照:詩編64:5;44:18a
序文158。
節:主よ、あなたが選び、御許に招かれた者は幸いである。 参照:詩編64:5
その魂は/恵みのただ中に安らぐ。
節:主よ、私はあなたに呼びかけます。わが神よ、私を軽んじて黙り込まないでください。 詩編24:13; 27:1a
序文160。
節:主を畏れる人は幸いである。
詩句:その子孫は地上で力強い者となる。 詩編 111:1a, 2a
主よ、あなたが選び、御許に近づけてくださった者は、幸いである。
節:その魂は、恵みのただ中に安らぐ。 参照:詩編64:5、24:13
第113の冒頭。
節:主よ、あなたが選び、御許に近づけてくださった人は、幸いである。
節:その魂は恵みのただ中に安らぐ。 参照:詩編 64:5;24:13
今日、あなたが歩む道は幸いである、魂よ、/あなたのために安息の場所が用意されているから。
聖句:わが魂よ、あなたの安らぎの場所へ戻れ。主はあなたに恵みを施されたからである。
参照:イザヤ書 23:14;列王記下 2:2;ヨハネによる福音書 14:2;ヨハネの黙示録 14:13;詩篇 114:7
第162章。
詩句:主よ、あなたが選び、御許に近づけてくださった者は、幸いである。
節:その魂は恵みのうちに安らぐ。 参照:詩編64:5;24:13
主は私の光、私の救い主。/誰を恐れることがあろうか。
詩句:主はわがいのちの守り手である。誰を恐れることがあろうか。 詩編26:1
序文306。
節:わが心は善き言葉を注ぎ出した。
詩句:私は自分の行いを王に告げます。 詩編 44:2a
主よ、あなたの宮には聖なるものがふさわしい、/永遠に。
詩句:主は王座に着き、栄光をまとい、主は力をまとい、帯を締められた。 詩編 92:5b, 1a
序文307。
節:その礎は聖なる山々にある。主はシオンの門を、ヤコブのすべての町々よりも愛しておられる。
詩句:神の都よ、あなたについて栄光あることが語られている。 詩編 86:1–2, 3
わたしは言った。「主よ、わたしを憐れんでください。わたしの魂を癒してください。/わたしはあなたの御前で罪を犯しましたから」。
詩句:貧しい者や困窮する者を思いやる者は幸いである。災いの日に、主は彼を救い出される。 詩編 40:5, 2
第57b節、あるいは第210b節。
節:わたしを見下ろし、憐れんでください。 詩編118:132a
主よ、あなたの宮には聖なる場所がふさわしい、/永遠に。
詩句:主は宇宙を堅く立てられた。それゆえ、それは揺らぐことはない。 詩編 92:5b, 1b
冒頭 40b
節:その礎は聖なる山々にある。主はシオンの門を、ヤコブのすべての町々よりも愛しておられる。
詩句:神の都よ、あなたについて栄光あることが語られている。 詩編 86:1–2, 3
大地の畝に水を注ぎ、/その実りを増やしてください。
詩句:その雨の滴によって、大地は喜び、青々と茂る。 参照:詩編64:11
序文57a。
節:あなたは、御恵みの年の冠を祝福し、あなたの平野は実りで満たされる。
詩句:荒野の美しい場所は豊かになり、丘は喜びに包まれる。 詩編64:12, 13
神よ、私を救ってください。/水は私の魂にまで達しています。
節:私は深い泥沼に投げ込まれ、立つ場所もない。 詩編68:2, 3a
第98章の冒頭。
節:私を泥沼から救い出し、私が沈まないように、また深い水から救い出してください。
節:水の嵐が私を溺れさせず、深みが私を飲み込まないように。 詩編 68:15a–15c, 16a
主よ、あなたの激怒をもって私を責めず、あなたの怒りをもって私を罰しないでください。
節:あなたの御顔を、あなたのしもべから背けないでください。 詩編 37:2; 68:18a
冒頭 331b。
節:神よ、あなたは私たちを拒み、私たちを打ち倒されました。
詩句:あなたは地を揺るがし、それを動揺させました。その裂け目を癒してください。それは揺らいでいるからです。 詩編 59:3a, 4
主よ、あなたの憐れみが私たちの上にありますように、/私たちはあなたに望みを置きます。
節:見よ、主の御目は、主を畏れ、その憐れみに望みを置く者たちに向けられている。 詩編 32:22, 18
序文332。
主は、御名を呼び求めるすべての人に対して、寛大で、あわれみ深い方である。 参照:詩編102:8、144:18
主は堅固で力強く、/主は戦いに強い。
節:主のものは、地とその中にあるすべてのもの、宇宙とそこに住むすべての生き物である。 詩編 23:8b, 1
序文233。
聖句:万軍の主は私たちと共におられ、私たちの守り手はヤコブの神である。
聖句:神は私たちの避難所であり力であり、私たちを激しく襲う苦難における助け手である。 詩篇 45:12, 2
神よ、立ち上がってください/そうすれば、神の敵たちは散らされるでしょう。
節:煙が消え去るように、彼らも消え去らんことを。 詩編67:2a, 3a
序文220a。
戦いで敵を打ち砕かれる主、主こそがその御名である。
出エジプト記 15:3
大いなる平和/――主よ、あなたを愛する者たちの上に。
節:私は、私を救う神を待ち望んだ。 参照:詩編 118:165a;54:9a
第221番。
詩句:エルサレムの平和を願うがよい。 詩編121:6a